All Chapters of 捨てられた下女は謎多き下官に溺愛される: Chapter 51 - Chapter 60

77 Chapters

梅鈴の居場所

梅鈴は、膝から力が抜けるように床へ崩れ落ちた。地に伏せた額は冷たく、そこに触れるたび胸の奥の不安が形を持って迫り上がってくる。「李婆さん……どうか、もう少しだけここで働かせてください……」声は震え、言葉の端がかすれていた。追い出されるかもしれないという恐怖は、彼女の心を長く締めつけていた。この場所を失えば、自分の居場所はどこにもない――その思いが、背中を押しつぶすほど重かった。李婆は、その姿を見た瞬間、胸の奥がぎゅっと痛んだ。長年の経験で、誰かが必死に耐えてきた時間の重さは、目を見ればわかる。梅鈴の肩は細く、震えは小さく、それでも必死に堪えているのが伝わってきた。老いた手を伸ばし、そっと抱き寄せる。「梅鈴……。まったく、馬鹿だねえ、この子は」呆れたように言いながらも、その声には深い慈しみが滲んでいた。彼女は人を追い出すような性分ではない。むしろ、誰かが自分を頼ってくれることが、どこか嬉しくもあった。それでも、梅鈴がここまで怯えていることに気づけなかった自分を、少し責めてもいた。「いつまでだって、ここにいていいんだよ」その言葉が、梅鈴の胸の奥に静かに落ちていく。張りつめていた心がほどけ、息が深く吸えるようになる。安堵は涙となって頬を伝い、彼女は顔を上げられぬまま、李婆の温もりに身を委ねた。李婆はその涙を見て、ようやく理解した。 この子は、ただ働きたいのではない。ここに「居たい」のだ。 誰かに必要とされたいのだ。その願いがどれほど切実だったか、ようやく胸に届いた。「ほんとに……どこまでお人よしなんだい」呟いた声は、呆れよりも愛しさに近かった。数日が過ぎたある昼下がり、店の喧騒の中に陽光の姿があった。昼時の忙しさは最高潮で、梅鈴は相変わらず細い体を惜しげもなく使い、客の間を風のように立ち回っていた。だが、その動きにはどこか影が差しているように、陽光には見えた。やがて客足が落ち着き、店内の空気がようやく深呼吸を許した頃。李婆が椅子に腰を下ろし、湯気の立つ茶碗を手にひと息ついたその瞬間、陽光はそっと近づいた。「なあ、李婆……梅鈴、何かあったのか」その声は、普段の軽さを潜めていた。 陽光は人の変化に敏い。梅鈴の笑顔が、ほんの少しだけ遅れて咲くようになったこと。返事の声が、以前よりも小さくなったこと。 それらを見
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北の砦への視察

慌ただしい刻がようやく遠のき、梅林は中庭の片隅でそっと息をついていた。 背後から、柔らかな陽光の声が降りかかる。 「今日は、ひときわ忙しかったようだな」「ええ。でも――店が賑わうのは、ありがたいことだわ」 梅鈴は、疲れを隠すでもなく、どこか晴れやかな笑みを浮かべた。陽光は彼女の隣に静かに腰を下ろし、しばし風の音を聞いていたが、 やがてためらいがちに口を開いた。 「……聞いたぞ。路銀のこと。お前は、人が良すぎる」その声音は叱責とは程遠く、むしろ深い慈しみを含んでいた。 梅鈴は陽光の横顔を見つめ、ふっと微笑む。 「李婆さんにも同じことを言われたわ。でも――見捨てるなんて、どうしてもできなかったの」「幸い、李婆さんがここに居ていいって言ってくれたから、また働いて貯めるだけよ」 そう言う梅鈴の表情には、曇りひとつなく、 その澄んだまなざしは、午後の光に溶けていった。暖簾が静かに揺れ、陽光は店を後にした。 冷たくなりはじめた秋の風に頬を撫でられながら歩き出す彼の胸中には、言いようのない複雑さが渦を巻いていた。梅鈴の帰郷が延びたこと―― その事実に、心のどこかで安堵を覚えた己を、陽光はひどく疎ましく思う。 (路銀のひとつやふたつ、いくらでも用意してやれる。だが……あの娘は決して受け取らないだろう)彼は梅鈴の心根を誰よりも知っていた。 いわれのない金銭を受け取ることなど、彼女は決してしない。 その清らかさは時に頑なで、時に痛いほどまっすぐで―― だからこそ、陽光の胸は静かに軋んだ。歩みの先で、暮れゆく空が淡く滲んでいた。 陽光はひとつ息を吐き、胸の奥のざらつきを押し隠すように背筋を伸ばした。 
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飛鵬

帝都の空を白く染め、冬の訪れを告げる初雪が静かに舞い降りる。それを見上げる梅鈴の瞳には、遥か遠い故郷の情景が映し出されていた。(村はもう……深い雪に埋もれているでしょうね)彼女がかつて暮らしていた村の小庵は、およそ「家」と呼ぶにはあまりに無惨な、風の通り道でしかなかった。建付けの狂った粗末な扉は、木枯らしが吹くたびにガタガタと悲鳴を上げ、容赦のない厳寒を容赦なく室内に招き入れた。それでも、あのころは温もりがあった。冷え切った火盆を囲み、歳の離れた弟の飛鵬と小さな肩を寄せ合っては、互いの体温だけを頼りに厳しい冬を耐え忍んでいたのだ。しかし、今はどうだろう。あの吹きさらしの小屋で、飛鵬はたった一人、凍える夜を過ごしているのではないか……。そう募る想像は、冷たい氷の棘となって梅鈴の胸を深く、深く突き刺すのだった。 路銀をすべて失った梅鈴にとって、故郷への道のりは果てしなく遠く、霞の向こうに消えた夢のようであった。 それでも彼女は、その選択を悔いたことが一度もない。むしろ胸の奥で、静かな決意だけが凛として灯り続けていた。夕刻の風が店先の暖簾を揺らし、薄桃色の布が光を受けて柔らかく波打っていた。 梅鈴はその揺らぎに手を伸ばし、店へ戻ろうと一歩踏み出した――その瞬間、背後から自分の名を呼ぶ声が、風よりも鮮やかに彼女の足を止めた。 「姉ちゃん」胸が跳ね、鼓動が耳の奥で大きく鳴る。 ゆっくりと振り返った梅鈴の視界に飛び込んできたのは、傾きかけた陽光を背負い、まるで遠い日々の幻が形を得たかのように立つ一人の影。 故郷にいるはずの――飛鵬だった。光が彼の肩を縁取り、金の粒子が舞い上がるように見えた。 梅鈴の喉がひとりでに震え、言葉が形になる前に胸の奥でほどけて
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宇分太守に託されたもの

朝議の朝、殿内には薄靄のような静けさが漂っていた。北の砦への視察が決まったその時、陽徳は宇分太守を呼び寄せ、声を落として告げた。「北の砦から東へ進んだ山間に、双渓村という小さな村がある。視察の折、そこへ立ち寄ってほしい」「双渓村……でございますか」太守は眉を寄せた。砦の視察とは無関係の地名が出たことに、胸の奥で小さな波が立つ。「その村で、私は何を致せばよろしいのでしょう」陽徳はしばし沈黙し、遠い記憶を探るように目を伏せた。「飛鵬という幼い少年がいるはずだ。その子の暮らしぶりを、そなたの目で確かめてきてほしい」「飛鵬……少年でございますか。なぜ、その子を……」太守は思わず問いかけたが、陽徳の表情に触れた瞬間、言葉を飲み込んだ。陽徳の目は、どこか痛みを抱えた者のそれだった。「理由を問うな、宇分太守。今はまだ語れぬ。ただ──確かめてほしいのだ」「……承知いたしました。必ずや、この身で見届けてまいります」陽徳は静かに頷いた。その頷きには、命令というよりも祈りに近い響きがあった。太守は胸の内に渦巻く疑念を押し隠し、深く頭を垂れた。宇分太守は、陽徳の言葉を受けてしばし沈黙した。その沈黙は、ただ考え込むというより、胸の奥で何かを量るような重さを帯びていた。やがて、意を決したように口を開く。「……恐れながら、陽徳様。ひとつだけ、お伺いしてもよろしいでしょうか」陽徳はわずかに目を細めた。「構わん。申してみよ」太守は息を整え、慎重に言葉を選びながら続けた。「……飛鵬という少年の暮らしぶりが、どのようなものであったとしても──私はただそれを確認し、何も問わず戻ってくればよろしいのでしょうか」その瞬間、陽徳の肩がわずかに震えた。「っ……」と短く息を呑む音が漏れ、表情は険しく歪む。太守は自らの言葉が主君の胸を刺したことを悟り、血の気が引いた。「し、失礼を……踏み入ったことを申し上げ、まことに申し訳ございません」慌てて深く頭を垂れる太守。その姿を見つめながら、陽徳はしばし言葉を失い、拳を静かに握りしめた。陽徳は、宇分太守の謝罪の声に触れた瞬間、はっと我に返った。険しさを帯びていた表情がすっとほどけ、静かな冷静さが戻ってゆく。「……いや、そなたの疑問はもっともだ。私こそ、配慮が足りなかった。すまない」その言葉に、宇分太守は目を
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村の真実①

一瞬の静寂を破るように、飛鵬は梅鈴の腕の中で子どものように泣きじゃくっていた。梅鈴もまた、堰を切ったように涙をこぼし続け、細い肩を震わせている。やがて、梅林が深く息を吐き、ようやく言葉を紡いだ。「……どうやってここまで来たんだい。誰かが連れてきてくれたのか?」飛鵬は涙に濡れた頬を袖で拭いながら答えた。「村にお役人様が来て……ここまで連れてきてくれたんだよ」「お役人様が……?」梅鈴は眉を寄せ、戸惑いの色を浮かべる。そこでようやく、飛鵬の背後に静かに立つ陽光の存在に気づいた。「陽光さん……まさか、あなたが飛鵬を?」陽光はゆっくりと首を横に振った。「俺じゃない。……少し前に、知り合いが北の砦へ視察に行くことになってな」陽光の声は低く、どこか遠い記憶をたぐるようだった。「それで……お前の故郷の様子を見てきてくれないかと頼んだんだ」梅鈴の「そう……だったの」とこぼした声には、胸の底からふっと力が抜けるような安堵が滲んでいた。しかし、その安堵とは裏腹に、陽光の面差しはどこか張りつめていた。まるで言葉にできない重さを抱え込んでいるかのように。「李婆」陽光は奥の厨房へ向けて短く呼びかけた。「なんだい陽光さん――おや、その子は?」顔を出した李婆は、飛鵬の姿を見て目を丸くした。「梅林の弟の飛鵬だ。すまないが、何か食べさせてやってくれないか」「それなら私が――」梅林が身を乗り出した瞬間、陽光の手がそっとその言葉を遮った。「梅鈴……少し話せるか」その声音に、李婆は何かを悟ったようだった。「そうだね、中庭の干し柿がちょうど食べ頃だよ。おいで」李婆は柔らかな笑みを浮かべ、飛鵬を手招きする。“干し柿”という言葉に、飛鵬の瞳がぱっと輝いた。幼い心に灯る小さな喜びが、場の空気をほんの少しだけ温める。「ありがとうございます……。飛鵬、頂いておいでなさい」梅鈴は涙の跡を残したまま、そっと弟の背を押した。李婆と飛鵬が中庭へ姿を消すと、店内には急に静けさが降りた。残されたのは陽光と梅林――二人の間に、言葉にできない気配がゆっくりと沈殿していく。陽光はしばらく口を閉ざしていたが、重い石を動かすようにしてようやく声を絞り出した。「俺が頼んだのは……双渓村で暮らす、お前の弟の様子を見てきてもらうことだった。だが――」そこで言葉が途切れた。
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村の真実②

梅鈴は、陽光の口からこぼれた言葉に、まるで冷たい刃を突き立てられたように身を強張らせた。握りしめた拳は血の気を失い、白く浮き上がった指先が震えている。「様子を見に行った者の話によると……酷い扱いを受けていたらしい」陽光の声は静かだったが、その静けさがかえって残酷な現実を際立たせた。「満足な食事も与えられず、やせ細った体で、大人でも苦しむような重労働を課せられていたそうだ」「そんなっ――!」梅鈴の叫びは、怒りと悲しみが絡み合ったまま喉を裂いて飛び出した。肩が震え、胸の奥で何かが崩れ落ちる音がした。「私の……私のせいだわ。私が村を離れたから……きっと、私がやっていた仕事まで飛鵬に押しつけられてしまったんだわ……」言葉は途切れ途切れで、最後には耐えきれず両手で顔を覆った。指の隙間からこぼれ落ちた涙は、頬を伝い、膝の上に落ちて小さな音を立てた。陽光は、梅鈴の震える背にそっと手を添えた。 その指先は、壊れ物に触れるように慎重で、同時に迷いのない温かさを帯びていた。 梅鈴の肩は小刻みに震え、触れられた瞬間、張り詰めていた糸がわずかに緩む。「君のせいなどであるものか。 それに――君は無理矢理ここへ連れてこられたのじゃないか」陽光の声は柔らかいが、芯の強さがあった。 しかし梅鈴の胸に渦巻く後悔は、その言葉を受け止める余裕を与えてくれない。「そうだけれど……それでも、あの子を一人にするべきではなかったわ……」梅鈴は唇を噛みしめた。 自分の選択が、あの子の苦しみへと繋がったのではないか―― その思いが胸の奥で黒い塊となり、呼吸さえ重くする。 陽光はそんな梅鈴の沈黙を見つめ、ゆっくりと言葉を継いだ。「……本当は、村の様子を確認するだけのつもりだったらしい。 けれど――あまりに酷い惨状でな。 これ以上あの村に置いておけ
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飛鵬の衣

陽光は、梅鈴の穏やかな表情を見て胸をなで下ろした。――連れてきてよかった。お節介かもしれないと迷った道行きだったが、その迷いは今ようやく霧散していく。帝都へ向かう途中、宇分太守の後ろに控えていた少年を初めて目にした瞬間の衝撃は、まだ陽光の胸に生々しく残っていた。飛鵬――その名を聞くより先に、彼の姿が語っていた。擦り切れた布切れのような衣、骨ばった肩、歩くたびに草履の破れから覗くほぼ裸足の足裏。風に吹かれれば折れてしまいそうなほど、痩せ細った身体。『姉の元に連れて行ってやる』宇分太守にそう告げられ、飛鵬は従うしかなかったのだろう。だがその瞳には、希望よりも濃い不安の影が宿っていた。帝都の喧騒に怯えるように、時折、陽光の袖を頼るような視線を向けてくる。その不安が、梅鈴の前でようやくほどけていく。陽光は、少年の肩にそっと視線を落としながら、胸の奥で静かに安堵の息をついた。中庭には、干し柿の甘い香りがほのかに漂っていた。飛鵬は李婆から手渡された干し柿を、まるで宝物でも味わうように頬張っている。噛むたびに目を細め、頬をほころばせるその姿を、梅鈴は静かに見守っていた。陽の光に照らされた少年の横顔は、つい先日まで怯えに曇っていたとは思えないほど柔らかい。梅鈴の姿に気づいた飛鵬は、ぱっと花が咲くように笑った。「姉ちゃん、これすごく美味しいよ」興奮を隠しきれず、両手で干し柿を掲げるようにして報告する。「よかったわね。ちゃんとお礼は言った?」梅鈴が問いかけると、飛鵬は勢いよく頷いた。「言ったよ。礼儀正しいいい子だよ」李婆はそう言いながら、飛鵬の頭を優しく撫でた。節の浮いた指先が、まるで孫を慈しむように少年の髪を梳く。「さて、湯を沸かそうかね」
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梨華公女

李婆の店を後にした陽光の唇には、確かに柔らかな笑みが浮かんでいた。だがその笑みは、胸の奥に沈むざらつきを隠すための薄い膜のようなものだった。(これで梅鈴の心配も無くなる……はずだ)そう思おうとするたび、安堵と同じ重さで罪悪感が胸を押しつけてくる。彼女が故郷へ戻る理由はもうない。弟を傷つけた土地へ、梅鈴が再び帰ることはないだろう。その事実は陽光にとって救いであり、同時に――自分の都合の良い願望でもあった。(……後宮に入らなくても、この街にさえいてくれれば)心の奥底で芽生えたその思いは、あまりにも身勝手だった。彼女の未来を案じているはずなのに、結局は自分が失いたくないだけなのだと、陽光は痛いほど理解していた。夕日が空を赤く染める。その美しさとは裏腹に、陽光の胸の内では言葉にならない感情が渦を巻いていた。梅鈴の幸せを願う気持ちと、彼女を手放したくない弱さ。どちらも否定できず、どちらも選べない。帝城へ向かう道を歩きながら、陽光はそっと目を伏せた。夕風が頬を撫でても、胸の痛みは消えない。それでも彼は歩みを止めなかった。自分の弱さを抱えたまま、静かに帝城へ戻っていくしかなかった。陽光が居城へ戻ったとき、迎えたのは夕餉の安らぎではなく、胸をさらに重く沈ませる報告だった。「陽徳様。先ほど、東国の梨華公女が後宮へご到着されました」報告の声は丁重でありながら、どこか怯えを含んでいた。梨華公女――周辺諸国で絶世の美女と名高い、東国の第三王女。その名を聞いた瞬間、陽光の眉間には深い皺が刻まれた。「梨華公女?聞いていないぞ」声は低く、冷えた刃のようだった。
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入宮

石畳の上に、沈みゆく陽が長い影を落としていた。後宮の高い城壁は朱に染まり、空には薄紫の雲がゆるやかに流れている。その静寂を破るように、梨華公女の一行がゆっくりと門へ近づいた。旅路の塵を払うように、侍女たちの衣が夕風に揺れ、光を受けて淡く輝く。昼の喧騒が遠のき、到着の一歩一歩が、まるで儀式のように重く響いた。門前には済世を先頭に武官たちが整然と並び立っていた。夕陽が甲冑の縁を赤く照らし、彼らの影は地面に鋭く伸びる。済世は公女の姿を認めると、胸に手を当て深く礼を取った。「梨華公主様、後宮へのご入城、誠におめでとうございます。本日、鳳凰の舞い降りるがごとくお美しいお姿を拝見でき、宮中の者一同、深く感動しております。これより姫君様がこの宮で過ごされる日々が、蘭の香りのように気高く、また穏やかで光に満ちたものでありますよう、誠心誠意お支え申し上げる所存でございます。お召し物のお手配から日常のお世話に至るまで、どうぞ何なりとお申し付けくださいませ。 公主様のご健勝と、陛下からの深きご寵愛を心よりお祈り申し上げます。」陽光の名を告げる声がどこにもないまま、済世の長い挨拶は静かに幕を閉じた。だが、その静寂は祝福の余韻ではなく、張り詰めた糸のような緊張を孕んでいた。回廊に並ぶ武官たちの甲冑が、風もないのにわずかに鳴った。侍女たちは息を潜め、誰もが次の瞬間を待っている。やがて――梨華公女の乗る御簾が、かすかに揺れた。ほんの指先ほどの隙間が生まれ、そこから白い光がこぼれる。その奥に、東国で「傾国」と噂される美貌があるのだと、誰もが悟った。そして、静かな、抑揚のない声が落ちた。「陽徳様のお姿がお見えにならないようですが?」その一言は、後宮の空気を一瞬で凍らせた。
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かけられた言葉

梅鈴は、再会の安堵に満ちた飛鵬をそっと布団へ寝かしつけた。子どもの細い肩が静かな寝息とともに上下するのを見届けると、彼女は指先で灯りの油皿を覆い、部屋の光をやわらかく落とした。薄闇がゆっくりと広がり、飛鵬の寝顔を包み込む。廊下に出ると、夜の店はすでに客の気配を失い、木の床がひんやりと足裏に触れた。外では風が簾を揺らし、遠くで虫の声がかすかに響いている。梅鈴はその静けさに身を沈めるように歩き、卓のある部屋へ向かった。卓上には湯呑が二つ。湯気はもう細くなっていたが、まだ温もりを残している。李婆が梅鈴のために用意してくれていたものだった。「飛鵬は?」「寝たわ」梅鈴は李婆の向かいに腰を下ろし、湯呑をそっと手に取った。陶器の表面は夜気で少し冷えているが、内側にはまだ熱が宿っている。その温かさを喉へ流し込むと、胸の奥に沈んでいた重さがわずかに揺れた。「まだ小さいのに……よく帝都まで歩いてきたもんだよ」李婆の言葉は、静かな部屋に落ちる雨粒のように梅鈴の心へ響いた。(私のせいで……)その思いは、湯気のように胸の内で立ちのぼり、視界を曇らせる。李婆は梅鈴の沈黙を読み取ったように、ゆっくりと続けた。「――あんたのせいじゃないよ」その声は、夜の静けさよりも柔らかく、梅鈴の心に染み渡った。責めるでも慰めるでもなく、ただ寄り添うような、深い温度を持った響きだった。梅鈴は口を開きかけた。「……李婆さん、私――」その言葉を、李婆がぴしゃりと遮った。卓上の湯気がふっと揺れるほど、迷いのない声音だった。「まさか出ていくなんて言うつもりじゃないだろうね」梅鈴の胸の奥で、何かが強く掴まれたように止まった。李婆には、彼女の考えなどとうに見透かされていたのだ。店の静けさが、二人の間に薄い膜のように張りつめる。湯呑を持つ梅鈴の指は、力がこもりすぎて白くなっていた。その重たげな指先は、彼女の心の負い目をそのまま形にしたようだった。「でも……飛鵬までお世話になるわけにはいかないわ……」声はかすかに震え、湯呑の縁がわずかに鳴った。自分一人でさえ心苦しいのに、これ以上甘えるわけにはいかない――その思いが、梅鈴の肩を押しつぶしていた。李婆は深く息をつき、梅鈴を見つめた。その眼差しは叱るでも慰めるでもなく、ただ真っ直ぐで、揺るぎなかった。梅鈴
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