「……もしもし、諸星代表」 エレベーターの冷たい壁に背を預け、私は震える指先で通話ボタンを押した。 画面の向こうからは、激しい市場の喧騒とはあまりにもかけ離れた、静かで、優雅に紅茶をすするような音が聞こえてくる。『結月、今朝の威勢はどうした』「……申しわけございません」『チャートを見ているのか?』 帝の声は驚くほど冷静だった。まるで、この天文学的な大暴騰を最初から予期していたかのように思える。本来、あれだけの損失が出ていたら、怒声を浴びせられるだろうと思っていた。「今回の空売りは、完全に私の見通しが甘かったのです。フルクラ電機の買い圧力が異常です。謎の海外ヘッジファンドが、市場の売りをすべて飲み込んで買い上げていますわ。このままでは数十分でロスカットに――」『あれを動かしているのは俺だ』「……え?」 一瞬、思考が真っ白に染まった。 受話器から流れる帝の低く艶やかな声が、私の鼓膜を冷酷に揺らす。『言っただろう。失敗したら君をもらう、と。……自立を急ぐあまり、俺の腕からすり抜けていこうとする気高き女王様を、どうすればこちらを振り向かせられるかと考えたくてな。少しだけ、市場の風向きを俺好みに変えさせてもらった』「そんな……っ、あなたが仕掛けたというのですか……!?」 背筋にぞっとするような戦慄が走った。 陽太をハメるための罠どころではない。私は最初から、この諸星帝という絶対的な捕食者の網の中で、踊らされていただけだったのだ。 前世のデータですら太刀打ちできない、世界の資本を牛耳る男の圧倒的な暴力――『助けて欲しかったら、俺を頼れ』 卑怯な男の言いなりになるなんて。詰めが甘かったわ……。『早くしないと破産が待ってるぞ?』「意地悪なさらないでください」『そうだな、その可愛い唇で俺にキスのひとつでもしてくれるなら、今すぐあの買い玉をすべて決済して、市場を大暴落(ガラ)に導こうじゃないか。君が仕掛けた空売りの大勝利、という形にしてね』「っ……!」 屈辱に唇を噛み締める。 けれど、エレベーターの表示階数は刻一刻と上がっていく。あと数分で実父の待つ社長室に着いてしまう。 父に「預かったファンドを運営し、早速数億の赤字を出しました」などと報告することになれば、もしかしたら一条陽太と結婚させられてしまうかもしれない。 私の独立の夢は永久
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