All Chapters of 雲城市の黒い契約 ~追放花嫁と檻の帝王~: Chapter 51 - Chapter 60

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第51話 空白の部屋

長距離輸送を終え、一条凛は夕暮れのアパートへ戻ってきた。オレンジ色に染まった空。古い扉を押して、一歩敷地に入ると、一日の緊張がふっとほどける。「ふあー、今日も頑張ったー」誰に言うでもなく、小さく呟いた。郵便受けを開け、自分宛ての郵便を取り出す。その時だった。「あれ……?」思わず視線が止まる。407号室の隣。404号室の郵便受け。いつもなら、『白石』と書かれたネームプレートがあるはずだった。けれど、そこには今、ガムテープが貼られている。「え……?」凛は目を瞬かせた。「空室……?」頭が追いつかない。白石が引っ越した。そんな話、一度も聞いていない。(何かの間違いだよね……。)胸がざわつく。荷物を抱えたまま、慌てて階段を駆け上がった。404号室。いつも見慣れた玄関。(なんだか……生活感がない……)不思議と凛はそう感じた。(……迷惑かもしれないけれど……確かめたい!!)凛は恐る恐るインターホンを押した。ピンポーン。返事はない。(……白石さん……?)胸のざわつきが強まる。何気なくドアノブへ手を伸ばすと——カチャ。鍵は掛かっていなかった。「……え?」凛は戸惑う。「白石さん?」恐る恐る扉を開ける。部屋は静まり返っていた。人の気配がない。凛はリビングへ足を踏み入れる。「あ……。」思わず息を呑んだ。家具がなくなっている。ソファも、冷蔵庫も。ほとんど何も残っていなかった。ついこの前まで笑い声が響いていた部屋。オムレツを食べて。唐揚げを作って。温かいスープを囲んだ食卓。その面影だけが、静かな部屋に残っている。「そんな……どういうこと……」白石が、何も言わずにいなくなるはずがない。そう信じていた。その時だった。ダイニングテーブルの上に、一通の封筒が置かれていることに気付く。黒い封筒。見覚えはない。だが、不思議と胸騒ぎがした。凛はゆっくりと手を伸ばす。封を開く。中には数枚の資料が入っていた。一枚。二枚。そして三枚目。その文字を見た瞬間、呼吸が止まる。《結婚式当日の狙撃は、神崎怜の指示によるもの》「……え。」目を疑う。読み違いではない。何度読み返しても、同じ文字が並んでいる。「まさか……」震える手で次のページをめくる。そこには、その内容を裏付け
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第52話 後継者は誰

役員会議。神崎グループ本社会議室。重厚な楕円形のテーブルを囲み、役員たちが資料へ目を落としていた。会議の終盤。白石悠真が静かに立ち上がる。「最後に、IT推進部から一件、ご提案があります。」スクリーンへ資料が映し出された。「物流、生産、営業を横断するデジタル基盤を整備し、中長期的な競争力を高めたいと考えています。」役員たちは静かに耳を傾ける。「初期投資は必要になりますが、将来的には十分な効果が見込めます。」説明が終わる。白石は一礼した。会議室に静寂が落ちた。誰も反対しない。だが、誰も賛成もしない。神崎怜は資料を見つめていた。(悪くない。)発想も。方向性も。間違ってはいない。だが——。(今ではない。)今期は大型投資が続いている。資金にも余裕はない。そう判断した。それでも怜は何も言わない。白石の最初の提案だった。ここで潰す理由はなかった。沈黙を破ったのは神崎次郎だった。「私は面白いと思うぞ。」椅子へ深く腰掛けたまま笑う。「若いうちは、こういう大きな夢を語ってもいい。」役員たちから小さな笑いが漏れた。その時だった。トン…トン…トン…神崎蓮が机を指先で軽く叩く。静かな音だけで、会議室の空気が変わる。「今期の必要性はないな。」短い一言だった。「来期でいい。」白石は静かに頷く。「承知しました。」蓮は視線を横へ向けた。「怜。」「はい。」「新規事業の利益で賄えそうか。」一瞬だけ、会議室が静まり返る。役員たちも視線を向けた。怜は資料へ目を落とす。頭の中では、数字が組み替えられていた。新規事業。設備投資。利益計画。簡単ではない。だが。「……可能です」その返事は静かだった。迷いはない。蓮は一度だけ頷く。「上手くやってくれ。」「承知しました。」それだけで話は終わった。次の議題へ移る。役員たちは何事もなかったように資料をめくり始めた。* * *会議終了後。役員たちが次々と部屋を後にする。「白石部長、期待してるよ。」「若い感性は貴重だね。」何人もの役員が白石へ声を掛けていく。白石は少し困ったように笑い、一人ひとりに丁寧に頭を下げた。その少し離れた場所を、怜は静かに歩いていく。誰も呼び止めない。誰も気付かない。ただ当然のように、新規事業の責任だけが彼の肩
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第53話 届け物

コンコン。「お届け物でーす⭐︎」間の抜けた声が執務室へ響いた。神崎怜は資料から顔を上げる。「……佐伯。」ドアを開けて入って来た男は、自転車配達員の出立ちをしていた。色鮮やかなワークシャツ。肩から大きなメッセンジャーバッグを提げている。「…お前、そんな格好でよくここまで入って来れたな…」佐伯は得意げに胸を張った。「言っただろ?オレはどこでもフリーパスなんだよ。こういう格好の方が目立たないんだ。意外とね。」「……そうか。」怜は興味なさそうに資料へ視線を戻す。佐伯は勝手に応接ソファへ腰掛けた。「神崎常務、お疲れですかー?」怜は返事をしない。「昼間からクマ三頭くらい倒せそうな顔してますよ。」「……」(警備員は減給だな)怜は静かに心を決めた。「役員会で無茶な増収指示でも受けました?」怜がゆっくり顔を上げる。「……帰れ。」「まあまあ。」佐伯は笑いながらバッグをごそごそ漁る。「今日は特別サービス付きです。」取り出したのは、一枚のフェイスパックだった。「CICAエキス入り。」怜は無言だった。「今なら無料。」「……いらん。」「いや、必要、必要。お前、本当にすごい顔してるよ」佐伯はケラケラと笑った。怜は深くため息を吐く。「用件は。」「はいはい。」佐伯の笑みがふっと消えた。空気が変わる。バッグから今度は茶封筒を取り出し、机の上へ滑らせた。「…前に言ってた話、ビンゴだよ。」怜は封筒を開く。「神崎グループに青海財閥の内通者がいる。」佐伯は静かに続けた。「三日後の夜、機密情報を受け渡す予定だ」怜は資料を眺める。「……東埠頭か」「泳がせるか?」怜は少しだけ考える。「……いや」資料を封筒へ戻す。「現場を押さえる。」佐伯は再び笑顔を浮かべた。「仕事が早いねぇ。」怜は椅子へ深く身体を預ける。「……次から次に、頭が痛いな。」その呟きに、佐伯は肩をすくめた。「人気者は大変だな」怜は小さく息を吐く。「思ってもないんだろ?お前もーー」窓の外には、今日も雲城市の街が広がっていた。休む暇など、なさそうだった。
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第54話 一条研究所

夜。雨粒が大型コンテナ車のフロントガラスを叩いていた。ワイパーが一定のリズムで雨を払い続ける。ヘッドライトの先に、大きな研究施設が姿を現した。雲城市応用科学研究所。雲城市では誰もが知る最先端研究機関。そして――一条凛の父が所長を務める場所だった。「到着しました。」守衛へ配送票を渡し、ゆっくりと車を構内へ進める。巨大な搬入口。投光器の白い光。雨の中をフォークリフトが忙しく行き交っていた。「こちらへどうぞ。」係員に誘導され、凛は慎重に車をバックさせる。ピーッ、ピーッ。警告音が雨音へ溶けていく。ブレーキを踏み、エンジンを止めた。「……ふぅ。」運転の緊張が少しだけほどける。トレーラーから降りると、雨に濡れた夜風が頬を撫でた。その時だった。「来たか。」低い声が聞こえる。振り返る。白衣姿の男が立っていた。少し伸びた髪。無精ひげ。寝不足を思わせる痩せた顔。だが、その瞳だけは異様なほど鋭い。「……お父さん。」一条誠司。雲城市応用科学研究所所長。そして、凛の父だった。久しぶりの再会。けれど、互いに笑顔はない。誠司は娘を静かに見つめる。「……お前が来るとは思わなかった。」その一言に、凛の胸が小さく痛んだ。(また、その言い方……。)歓迎されていない。昔から変わらない。そう感じてしまう。それでも表情は崩さない。「仕事ですから。」努めて穏やかに答えた。「今日のシフトが、たまたまこのルートだっただけです。」誠司はわずかに眉をひそめた。「……荷物について、何か聞いているか?」「いいえ…」「そうか……それで良い」それ以上は何も言わない。「積み込みには少しかかる。」誠司は大型コンテナへ視線を向けた。研究員たちが慎重に作業を始める。雨音の中、コンテナを固定する金属音だけが響いていた。「その間――」誠司が静かに口を開く。「少し話すか。」凛は父の横顔を見つめた。父から話しかけてくることなど、ほとんどない。「……うん。」小さく頷く。二人は雨の研究所をゆっくりと歩き始めた。誠司は前だけを見て歩いている。しばらく沈黙が続いた。やがて誠司が、不意に口を開く。「一つ聞く。」その声は、研究テーマを確認する時と同じくらい淡々としていた。「……お前は、なぜ神崎家へ嫁いだんだ?」雨音
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第55話 愚かな選択

雨は静かに降り続いていた。研究棟の軒下を、一条誠司と凛は並んで歩く。しばらく沈黙が続く。やがて誠司が口を開いた。「お前は、なぜ神崎家へ嫁いだんだ?」雨音に紛れるほど静かな声だった。凛は少し俯く。「……お金が必要だったから。」誠司は何も言わない。凛はゆっくりと言葉を続けた。「お母さんの治療費もあったし……。」「弟も、まだ学生だったから。」少しだけ笑う。世間知らずだった自分自身を。「その頃は、本当にお金がなくて。」誠司は立ち止まった。投光器の白い光が、濡れた白衣を照らしている。「それで。」短く問う。「契約結婚を選んだのか。」「……うん。」凛は頷いた。「一年だけの約束だったから。」「仕事も続けられるって聞いて。」「だから私は……。」そこまで言った時だった。誠司は静かに首を横へ振る。「愚かだ。」たった一言だった。凛は思わず顔を上げる。誠司は娘を見ていない。研究棟の向こう。雨に煙るコンテナを眺めている。「金を得る方法など、他にもいくらでもある。」「お前は選んだんだ。最も愚かでーー」少しだけ間を置く。「最も軽蔑すべき方法を。」凛は言葉を失った。胸の奥が熱くなる。「……何、それ。」小さく呟く。誠司は振り返らない。「契約で人と結婚するなんてことはなーー 人格も尊厳も、自ら値札を付けて売ったようなものだ。合理性も倫理性も認められない。」その言葉は鋭かった。だが、怒鳴ってはいない。責め立ててもいない。ただ、自分の価値観を淡々と述べているだけだった。だからこそ痛い。凛は拳を握り締めた。「……言わせてもらうけど。」声が震える。「そんな言い方……。」誠司は黙ったまま歩き続ける。凛はその背中を見つめた。幼い頃から、ずっとそうだった。家族より研究。誕生日より実験。運動会より論文。結婚式にも来なかった父。(この人にだけは……。)胸の奥に押し込めてきた感情が、少しずつ溢れ始める。「お父さん……。」雨音が少しだけ強くなった。
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第56話 最低の父親

雨は止む気配を見せなかった。研究棟の軒下。白い照明だけが二人を照らしている。凛は拳を強く握っていた。「……愚かって。」絞り出すような声だった。「そんな言い方、よく出来るね。」誠司は静かに娘を見た。「事実だからだ。」その一言で、何かが切れた。「事実?」凛は思わず笑ってしまう。悲しいほど乾いた笑いだった。「お金が必要だったの! お母さんは入退院を繰り返してた… 弟はまだ学生で… 家には、お金なんて全然なくて……!」誠司は黙って聞いている。凛は続けた。「私は働いて。家事をして。 お母さんを支えて。弟の学費も心配して。 それでも足りなかった!」声が雨音へ溶けていく。「だから私は……契約結婚を選んだの。」唇を噛む。誠司は表情を変えない。「だからと言って。」静かな声だった。「人としての尊厳まで売る理由にはならない。」凛は目を見開いた。「……っ!」胸が締め付けられる。「言わせてもらうけど。」今度は凛が誠司を真っ直ぐ見た。「お父さんって、本当に最低!最低よ!」誠司は何も言わない。凛は止まらなかった。「結婚式にも来なかった。 お母さんのことも、私たちのことも、何一つ見てくれなかった!」雨粒が白衣を濡らしていく。「私たち家族が……」涙をこらえながら叫ぶ。「どんな思いだったか……」長い沈黙が落ちた。雨だけが降り続いている。やがて誠司は、小さく息を吐いた。「家族、家族と言うがな。私に言わせれば、家庭は墓場だ。」凛は息を呑んだ。誠司の声は、相変わらず感情がない。「人間が後世へ何かを残す方法はいくらでもある。」少しだけ空を見上げる。「子を育てる者もいる。会社を作る者もいる。 芸術を残す者もいる。」雨粒が眼鏡を濡らした。「だがなーー私が未来へ残したいのは、研究だけだ。」凛は言葉を失う。誠司は続ける。「子を作ることなど、生物なら誰でも出来る。 私は、そのために貴重な時間を使いたいとは思わない。」凛は立ち尽くしていた。目の前にいるのは父親だった。生物学的には。けれど、その価値観だけは最後まで理解できなかった。「研究、研究って……。」凛の声は震えた。
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第57話 止まれない

雨音だけが静かに響いていた。凛は父を見つめる。「研究、研究って……。」震える声だった。「どうして、そこまで研究にこだわるの?」誠司はすぐには答えなかった。白衣のポケットへ手を入れ、しばらく雨の向こうを眺めている。やがて静かに口を開いた。「……昔話をしようか。」その声は、研究の説明を始める時と何も変わらなかった。「今から二十年前。この街で、大きな事故があった。」凛は黙って耳を傾ける。「神崎グループの主力工場だった。粉塵爆発が起き、有毒ガスが漏洩した。」雨音の中、誠司の声だけが静かに響く。「死者は8名。負傷者は、その何倍にも及んだ。」凛は思わず息を呑む。そんな事故があったことは知っている。雲城市の誰もが。だが――。「私は、あの工場で研究をしていた。」凛は顔を上げる。「え……?」「母さんも、一緒だった。」言葉を失う。誠司は淡々と続けた。「私は運が良かった。あの日、偶然、別棟にいたんだ。だから助かった。」一拍置く。「母さんは違った。」雨粒がコンクリートを静かに叩いている。「漏洩した有毒ガスを吸った。」凛は何も言えなかった。胸が締め付けられる。母が長年苦しんできた病気。生まれつきだと、そう思っていた。「……お母さんの病気は、事故の後遺症だったの?」思わず漏れた声は震えていた。誠司は静かに頷く。「ああ、そうだ。」「彼女は優秀な研究者だったよ…私よりずっと。もう、時は戻らないが……」その言葉が、凛の胸へ重く落ちた。「そんな……。」誠司は娘を見ない。雨の向こうを見つめたまま、小さく呟く。「だから。」その声だけが、ほんの少し低くなった。「止まらない。」「……え?」「止まれないんだ。」誠司はゆっくりと息を吐く。「我々は、必ず成し遂げなければならない。 そうでなければ――。」言葉が途切れる。雨だけが降り続いていた。「……申し訳が立たないだろう。」凛は父の横顔を見つめた。初めてだった。父が研究以外の理由を、自分へ話したのは。けれど、その横顔は。どこか遠い二十年前だけを見つめているようだった。
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第58話 使命

雨は静かに降り続いていた。誠司は濡れた研究棟を見つめたまま、ゆっくりと口を開く。「そういえば……神崎怜……」その名前に、凛は思わず顔を上げた。「神崎さんが、どうしたの?」誠司は淡々と答える。「あいつの父親も、二十年前の事故で亡くなっている。」凛は息を呑んだ。「……え。」初めて聞く話だった。誠司は続ける。「事故当時、現場総括だった。あいつは…後藤はいい奴だったよ。頭が固くて--研究室にも本社にも物怖じしなかった。」雨粒が白衣を静かに濡らしていく。「神崎蓮と同期で…神崎は何かと庇っていたよ、後藤のことを。」凛は黙って聞いていた。「神崎は、事故の責任を感じていたんだろうな。息子を引き取って育て-- 今では2人でこの街を支え続けている。」誠司は小さく息を吐いた。「ご子息も若いながら、立派な男だ。」その言葉には敬意が滲んでいた。「だから。」誠司は初めて凛へ視線を向ける。「お前が神崎怜と結婚すると聞いた時、少しだけ期待した。」凛は目を瞬かせる。「期待……?」「共に、この街を支えていくものだと……私は思った。」その声には、わずかな寂しさが混じっていた。凛は何も言えない。誠司は静かに続ける。「だが。」短く息を吐く。「とんだ期待外れだった。」凛は俯いた。(この人は……最後まで、自分を一人の娘として見ない……)(期待されていたのは、この街を支える人間としての役割……ただ、それだけ……)長い沈黙が落ちる。(それでも……)「お父さんが大切にしているもの、少し分かった気がする」凛は真っ直ぐに父親を見つめた。「……どうだか」やがて誠司は腕時計へ目を落とした。「……話し過ぎたな」研究棟の方を見る。積み込み作業も終わりに近づいていた。「そろそろ戻る。」それだけ言うと、白衣を翻して歩き出す。「お父さん。」凛が呼び止める。誠司は立ち止まった。「……」何か言葉を掛けようとした。けれど。何を言えばいいのか分からなかった。代わりに誠司が口を開く。「……いいか。何があっても、お前は後ろは振り返るなよ」それだけ残し、誠司は研究棟の奥へ消えていった。雨音だけが静かに残る。凛は一人、夜空を見上げた。(どうして、お母さんはお父さんと結婚したのだろう……。)幼い頃から何度も思ってきた。(お母さん
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第59話 追跡

雨の夜。 荷物の引き渡しは無事に終わった。 凛は伝票へサインを受け取り、小さく頭を下げる。 「ありがとうございました。」 コンテナの固定をもう一度確認する。 異常なし。 運転席へ乗り込み、エンジンを始動した。 重たいディーゼル音が夜へ響く。 ゆっくりと研究所を後にする。 バックミラーには、白い研究棟だけが映っていた。 (……お父さん。) 胸の奥には、まだ整理できない思いが残っている。 (20年前の事故が、今もそんなに深い傷跡を残しているなんて……) アクセルを踏む。大型コンテナ車は雨の国道へ滑り出した。 その時だった。 研究所の脇。暗がりの中から、一台の黒いSUVが静かに動き出す。 ヘッドライトを消したまま、一定の距離を保って後ろへ付いてきた。 (……?) バックミラーを見る。 (偶然……かな?まるでピッタリと後を付けてくるみたい……) しばらく走る。それでも車は離れない。 信号を右折する。 黒いSUVも右折した。 胸の奥がざわつく。 (こんな深夜に……こっちは埠頭方面。住宅街とは真逆よ……) アクセルを少し踏む。 後ろの車も速度を上げた。 雨粒がフロントガラスを激しく叩く。 ワイパーが忙しく左右へ揺れる。 その瞬間。 横道から、もう一台。 さらに反対側から、もう一台。 いつの間にか、大型コンテナ車は三台の車に挟まれていた。 凛は息を呑む。 ドンッ!! 突然、後方から強い衝撃。 車体が跳ね上がる。 「きゃっ!」 ハンドルを両手で押さえ込む。 大型コンテナ車が大きく蛇行した。 もう一度。 ドンッ!! 右後方から体当たり。 荷台が大きく軋む。 凛は必死に前だけを見つめた。 その時だった。 「慌てるな。」 低い男の声。 車内だった。 凛の全身が凍り付く。 「……え?」 その声は、 すぐ後ろから聞こえていた。
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第60話 前だけを見て

「……え?」 凛は息を呑んだ。 今の声。車内から聞こえた。 「誰……?」 その瞬間。 後部スペースのカーテンが静かに揺れた。 人影がゆっくりと身を起こす。 黒いシャツ。濡れた漆黒の髪。 鋭い眼差し。 「……神崎さん!?」 凛は目を見開いた。 「どうして、ここに――」 怜もまた凛を見て、一瞬だけ動きを止めた。 「……一条……凛。」 想定外だった。 この大型コンテナ車を運転していたのが、凛だったとは。 だが次の瞬間には、後方へ視線を戻していた。 「チッ……。」 バックミラーの向こう。 黒い車がさらに距離を詰めてくる。 「神崎さん!」 凛の声が震える。 「何なんですか!?これ!」 「説明は後だ。」 短く言い切る。 「前だけ見てろ。」 そう言って助手席へ滑り込んだ。 その瞬間。 ドンッ!! 車体が激しく揺れる。 「きゃっ!」 凛の身体が大きく傾く。 「ハンドルを離すな!」 怜はシャツの下から黒い拳銃を取り出す。 「えっ……。」 凛は思わず二度見した。 (嘘でしょ?!) 「神崎さん、それ……!」 「前を見ろ。」 窓を開ける。 冷たい雨風が車内へ吹き込んだ。 黒いセダンがすぐ後ろまで迫る。 怜は肘を窓枠へ固定する。 車体が揺れる。 呼吸を止める。 パンッ! 乾いた銃声が雨音を裂く。 弾丸は右前輪へ吸い込まれた。 次の瞬間。 タイヤが破裂する。 黒いセダンは大きくスピンし、ガードレールへ激突した。 凛は思わず息を呑む。 (拳銃……?!今の、拳銃よね……?!) 「どういうことーー何が起こっているんですか?!」 カーブを曲がる。上限速度ギリギリの車体は、大きく揺れた。 怜は視線すら向けない。 「まだ終わってない。」 バックミラーへ目を向ける。 雨の向こう。 新たなヘッドライトが灯る。 一台。また一台。 凛の顔から血の気が引いた。 (発砲されても追ってくる……ということは…… つまり、相手も、そういう人達なんだ……) とんでもないことに巻き込まれてしまったのかもしれない。凛の肩はカタカタと震えた。 「神崎さん……。」 「前だけ見てろ。
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