その夜は、渉のほうが優勢だった。 なぜこんなふうになってしまったのか、自分でも分からない。 きっと……圭の存在だ。 あの名前を宙が口にした瞬間から、どうしても気になって仕方がなかった。 宙は、いつもの余裕を失ったように渉に身を預けている。 悔しそうな表情を浮かべながら、それでも渉を離そうとはしない。その矛盾が、妙に印象に残った。 嫉妬なのだろうか。 それとも、ただ知りたいだけなのか。 あの圭という男を、宙はどんなふうに扱っていたのか。 気づけば、渉は口にしていた。「その圭という男は……どうしたんですか」 宙の表情がわずかに変わる。「……従順なやつでね。一人じゃ何もできない……そんなやつだった」「手を怪我したと……」 宙がハッと渉を見る。「……なぜ、それを?」「圭さんの展示にいた人から聞きました。もうデザインを作れない、あの綺麗な線を描けないって」「……ああ」 宙は一度、目を伏せた。「事故だったんだ」 さっきまで乱れていた呼吸が、少しずつ落ち着いていく。 その変化が、渉には妙に怖かった。 まるで、宙の中で何かのスイッチが切り替わったようだった。「もう右手は使えない。収入もない……」 声は穏やかだった。 けれど、その穏やかさの奥に、渉の知らないものが沈んでいる。「僕を守るために、そうなってしまったんだ。だから僕が面倒を見た」 渉は黙って聞いていた。「なのに……」 宙の声が低くなる。「なのに、出ていってしまった」「……」「恩を仇で返されたよ」 その言葉とともに、宙の腕に力がこもった。 責めるような声ではない。 むしろ静かだった。 だからこそ、渉はぞっとした。「出ていったあとも、あんな手じゃ無理だろうと思った。だから探した」 目つきが変わる。「探して、探して……それでも見つからなかった」 宙の指が、渉の背中をゆっくりとなぞる。 その手つきだけなら、いつもの優しい宙と何も変わらない。 なのに、渉にはそれが妙に不気味に感じられた。「他の男に手助けしてもらって……海外に逃げてしまった」「……海外……」 渉は呟く。逃げた。宙から。 その事実だけが、頭の中に残った。 そして宙は、ぽつりと言った。「……気づけば、探し回るうちに、憎しみより愛しさのほうが強くなっていた」 その言葉を口にし
Última atualização : 2026-09-22 Ler mais