◇ その日の午後、リュゼリアは少しだけ熱を上げた。 庭の時間が長すぎたわけではない。医師も「この程度なら」と首を振った。むしろ、朝からの疲れが夕方に出たのだろうという見立てだった。咳も少し強く出て、彼女は早めに寝台へ移された。 ヴィルレオは居間の隅に立ち、医師が胸の音を聞き、アイダが湯を替え、ミナが濡らした布を運ぶ様子を見ていた。 その輪の中に、自分の役割がない。 それは当然だった。医師の手のほうが正確で、アイダのほうが彼女の息遣いを知っていて、ミナのほうがこの館の温度をよく理解している。彼はただ壁際に立ち、咳の合間に細く息を吸う彼女の姿を見ることしかできない。 何かをしたいと思う。 水を渡すとか、背を支えるとか、暖炉の火を足すとか。 けれど、どれも“できること”ではあっても、“やるべきこと”ではない。すでに誰かがもっと適切にやっている。そこへ今さら自分が手を伸ばせば、彼女にも周りにも余計な気を使わせるだけだ。 手を伸ばす資格がない、とはこういうことなのだと、ヴィルレオは改めて思い知る。 資格というのは、身分や関係性のことではない。 その人の苦しみに近づいてよいだけの時間を、自分がどれだけその人と共に積んできたかの問題なのだ。 アイダはそれを持っている。 ミナも、医師も、この数日で少しずつ積んでいる。 自分はどうだ。 夫でありながら、その時間をわざわざ空白のまま残した男だ。 だから、いざ触れようとすると全部が遅く、全部が無理な動きになる。 リュゼリアが少し熱にうかされたような目で窓のほうを見ている。頬は白く、唇だけが乾いていた。アイダが匙で薬を含ませ、彼女はゆっくり飲み込む。胸が上下するたび、呼吸の細い音が聞こえる。 ヴィルレオはその音に、何もできずに耳を澄ますしかなかった。 公爵としてなら、医師を増やすことも、薬を取り寄せることも、館の者へ命じることもできる。 けれど今ここで必要とされているのは、権力でも金でもなかった。 彼女の呼吸が乱れた時、何をせずに待つべきかを知ること。 苦しさを大きく扱いすぎず、それでも見落とさないこと。 そういうものだけが、ヴィルレオには決定的に欠けていた。 ◇ 夜、熱は少し落ち着いた。 医師は「今夜は大きく上がらぬでしょう」と言い、アイダと交代の侍女へ注意を伝えて下
Terakhir Diperbarui : 2026-08-23 Baca selengkapnya