深夜の病院の廊下は、白すぎた。 照明の光が床に反射し、誰の顔からも血の色を奪っていく。その中を、奏音を乗せたストレッチャーが運ばれていた。車輪の小さな音が、冷たい廊下に規則正しく響く。 酸素マスクをつけた奏音の顔は、驚くほど小さく見えた。 頬には血の気がなく、閉じた睫毛がかすかに震えている。細い腕には点滴の管が繋がり、胸元は呼吸に合わせて浅く上下していた。 詩乃はストレッチャーの横を歩きながら、何度も名前を呼びそうになった。 大丈夫。 ここにいる。 目を開けて。 そのすべてを飲み込んで、ただ指先だけを差し出す。「奏音、ママここにいるからね」 返事はなかった。 けれど、小さな指がかすかに動いた。詩乃の指を探すように触れ、弱い力で握り返す。 それだけで、詩乃は崩れそうになった。 搬送先は、朔弥が手配した提携専門病院だった。鷹宮系列ではない。だが、怜司が完全に口を出せない場所でもない。だからこそ旭は、搬送記録、同意書、面会者記録、検体管理のすべてを残すよう、病院側へ何度も確認していた。 奏音を救うための搬送。 誰かに奪わせるための搬送ではない。 詩乃は、その一点だけを支えに立っていた。 救急口の前に出ると、夜気が冷たく頬を打った。白い救急車の扉が開かれ、車内の明かりが濡れた地面に落ちている。 医療スタッフが振り返った。「同乗できるご親族は、二名までです」 空気が止まった。 怜司が一歩前へ出る。 当然のような動きだった。父親として乗る。奏音のそばにいる。自分にはその権利がある。彼の横顔には、そう言葉にしなくても分かる硬さがあった。 だが、それより早く、朔弥が救急車へ乗り込んだ。 怜司の表情が変わる。「朔弥」 低い声が夜気に落ちた。 朔弥は振り返らなかった。車内から、詩乃へ手を差し伸べる。「行こう」 短い言葉だった。 詩乃は、その手を見た。 朔弥には隠し事がある。神澤家の資料を燃やしていた。十年前から自分を知っていた。奏音に関わる何かを、まだ話していない。 それでも今この場で、奏音を鷹宮の紙から引き剥がしたのは朔弥だった。 詩乃は、怜司を振り返らなかった。 奏音の乗る救急車へ足をかけ、朔弥の手を取る。その瞬間、背後の空気が硬く凍ったのが分かった。 怜司の顔が強張る。 七年間、詩乃は怜司の背中を見てき
Last Updated : 2026-07-27 Read more