本屋の中は、雨音が少し遠かった。 入口近くには新刊の平積み。 奥には文庫棚。 雑誌コーナーの前では学生らしい二人組が話していて、レジの方から紙袋の音が聞こえる。 普通の本屋。 普通の平日の夕方。 そのはずなのに、隣に玲央さんがいるだけで、妙に落ち着かない。「琴葉さんは、普段どんな本を読むんですか」「小説が多いです。あとは仕事関係の本を少し」「小説」「はい。疲れてる時ほど、他人の人生に逃げたくなるので」「逃げる、ですか」「悪い意味ではなく。自分と違う場所に行ける感じです」 玲央さんは少し考えてから頷いた。「面白いですね」「玲央さんは?」「仕事関係の本が多いです。あとは資料として必要なものを」「でしょうね」「でしょうね、ですか」「期待を裏切らない回答でした」 玲央さんが少し困ったように笑う。「小説も読んだ方がいいでしょうか」「義務で読むものではないですよ」「琴葉さんが好きなものを知りたいと思いました」 私は文庫棚の前で足を止めた。 まただ。 玲央さんは、こういうことをまっすぐ言う。 甘い言葉というより、こちらの逃げ場をなくすくらい正直な言葉。「……そういうのは、普通の本屋の会話に混ぜるには少し強いです」「すみません」「謝らなくていいですけど」「では、控えます」「控えすぎなくてもいいです」「難しいですね」「はい」 最近、このやり取りばかりしている気がする。 普通は難しい。 距離も難しい。 でも、難しいと言いながら続けている。 それが嫌ではないから、なおさら困る。 私は棚から一冊の文庫を手に取った。「こういうの、好きです」
Last Updated : 2026-08-08 Read more