新しい案件が始まったのは、イベントの熱がようやく落ち着いた頃だった。大型クライアント。制作、メディア、営業が全部絡む。しかも進行がかなりタイトで、最初のキックオフから空気が少し張っていた。自然と、正人と一緒に動く時間が増えた。増えたはずだった。なのに、前とは少し違った。正人は変わらず助けてくれる。資料も見てくれる。先方との調整も早い。抜けそうな論点があれば、ちゃんと拾ってくれる。でも、前みたいな近さがない。たとえば、以前なら。「先これやっとく」そう言って、私が詰まりそうなところを自然に拾ってくれていた。私がまだ言葉にする前に、正人の方が気づくことも多かった。それが今は違う。「一回整理して」「愛子はどう考えてる?」「そこ、先に前提置いた方がいい」返ってくるのは、問いだった。突き放されているわけではない。助けてくれないわけでもない。でも、自分で考えさせる。前みたいに先回りして守らない。それが、仕事としては正しいことも分かっている。分かっているのに、胸のどこかが落ち着かなかった。雑談も減った。夜の残業中、コンビニへ行く時に、「タバコ行くけど」と言われることもなくなった。以前は、私は吸わないのに、なんとなく一緒についていっていた。外の空気を吸って、どうでもいい話をする。新商品の話とか、会議で少し面白かった発言とか。本当に意味のない会話。でも、あの時間が、気づかないうちに休憩になっていた。そういうものが、静かになくなっていた。最初は、正人なりに距離を取っているのだと思った。告白された。私はすぐに答えを出せなかった。だから、正人が線を引こうとするのは分かる。分かるけど。仕事まで急に変わらなくてもいいじゃん。そう思ってしまう自分もいた。その日、会議室に残ったのは、もう二人だけだった。時計を見ると、二十二時半を少し過ぎている。外のフロアは静かで、空調の音だけが妙にはっきり聞こえた。正人はモニターを見ながら、淡々と言った。「これ、訴求ズレてる」私は眉を寄せる。「ズレてないよ。クライアントの優先順位考えたらこっちでしょ」正人が静かに首を振る。「感情で押してる」その言葉に、私の中の空気が少し止まった。「……何それ」「愛子、多分今、自分の成功体験に寄ってる」言い方は冷静だった。
Última atualização : 2026-07-26 Ler mais