あの夜、タクシーの窓から彼の姿が見えなくなった瞬間、私はまだ蒼也のことが好きなんだと、あらためて思い知らされた。――はぁ。会社のPCに届くメールの中に「エスモード・デザイン」の文字を見つけるたび、胸の奥がじんわりと疼く。今ごろ蒼也は、現地の協力会社との打ち合わせと視察のためにシンガポールにいる。チャンギ空港の巨大な滝、見たかな。 建築物のことになると、表情は変えずに淡々としているのに、内心ではものすごくワクワクしてるんだよね。ちょっとでも話し出すと止まらなくなるの。 どこに旅行に行くかの話をしたときも、「近代建築の宝庫、シンガポールは絶対外せない」って嬉しそうに話してたっけ。 たぶん今も、表情一つ変えずに、現地の建物を前に内心ではテンション爆上がりしてるんだろうな。――思わず、口元に笑みが浮かんだ。そんなとき、営業部から社長宛に送られてきた現地の報告メールの中に、海岸沿いの写真が添付されていた。 そこに、小さく映り込んだ蒼也の背中を見つけて、また胸がチクリとした。ダメダメ自分を叱って、社長へメールを転送し、カナダ出張用の資料の準備に取りかかる。「冬月さん、私、今日はお弁当なのでここで食べます。だから、たまにはお昼、ちゃんと休んでくださいね」新しく配属された東畑さんが、可愛らしいお弁当箱を嬉しそうに取り出した。「お弁当だからって、昼休み削るのはダメよ? 一時間きっちり休憩してね。働く人の権利なんだから」そう注意したら、「それを一番守ってないの、冬月さんじゃないですか」と笑われた。午後1時過ぎ、エレベーターフロアの向こうに東畑さんの同期らしき子たちが見えた。「ここで一緒にランチ?」と聞くと、少し照れくさそうに「えへへ…」と笑う。 このフロアの絨毯の足触りとか、良いラテが出るエスプレッソマシンとか、友達に自慢したくなる気持ち、わかる。「じゃあ、私はお言葉に甘えて、ランチ行ってくるね。副社長も不在だし、電話だけお願いね」財布とスマホを手に、ビルの外へ出た。陽射しが思ったよりも強い。 ひとりランチなので、近くのチェーンカフェでラテとラップサンドを買い、ビルの裏の公園へ向かうことにした。御影石のベンチに腰をおろし、空を見上げる。まだ梅雨入り前の澄んだ空。 きっと、シンガポールはもう灼けるように暑いだろう。 色
Last Updated : 2026-07-19 Read more