All Chapters of 夫と息子に捨てられた私、大物の子を授かった: Chapter 121 - Chapter 130

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第121話

怜央は車を飛ばし、莉乃が入院している病院へ戻った。邦彦は姿を見るなり駆け寄ったが、怜央一人でダイソン医師がいないと分かると、顔色を変えた。「怜央君、ダイソン先生は?」娘の手術を頼んだ医師を連れてこなかったことへの不満が、顔にありありと浮かんでいた。怜央が電話をかけると、白衣を着た外国人男性が入ってきた。褐色の短髪で眼鏡をかけた、若く大柄な男性だった。ダイソンではなかった。「花宮さん、こちらはハーバート教授です。整形外科とスポーツ医学の第一人者で、スポーツ外傷の治療では世界的に知られています。若く見えますが、代表選手の手術も執刀してきました。莉乃のような症例なら、ダイソン先生にも劣りません」説明を聞き終えるなり、邦彦は手を上げた。乾いた音とともに、平手が怜央の頬を強く打った。「私と莉乃に、何と約束した!ダイソン医師でなければ治せず、脚を切断するしかないと伝えただろう。それなのに、こんな若い二流の医師を適当に連れてきてごまかすとは。君がこんな人間だったとは思わなかった。失望したよ」怜央は目を細め、眉を寄せたまま、頬の痛みに耐えた。邦彦が自分を殴るとは思っていなかった。しばらくして、ようやく口を開く。「花宮さん、ハーバート教授は駆け出しの医師ではありません。アメリカで名高いスポーツ外傷の専門家です。莉乃の症例も確認し、切断する必要はなく、治療できる可能性があると言っています」邦彦の顔から血の気が引いた。怜央が切断の必要性を疑い、別の医師に確認するとは思っていなかった。出ていく時には、ダイソン医師を呼べなければ切断するしかないという話を、完全に信じていたはずだ。実は、莉乃が担当医に金を渡すよう邦彦に命じ、そう説明させていた。露出した骨とひどい傷口を見れば、病状をそれほど深刻に誇張しても不自然には思われない。それでも邦彦は引き下がらず、憤りと悲しみに満ちたふりをした。「御堂怜央、莉乃を死なせたいのか?どこの誰とも分からない医師の話を信じるのか。ネット越しに診ただけの医師が、莉乃の脚を実際に見たのか?見てもいないのに治せると言う人間に、娘の命を預け、手術台で死なせるつもりか!」理屈を並べたあと、急に崩れ落ちるような声を出した。「私の娘が、あまりにも不憫でならない。まだ若いのに、こんなひどい目
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第122話

莉乃は、もちろん腹を立てていた。だが怜央にカードを止められ、今は何一つ支払えない。邦彦も国外で賭博にのめり込み、貯金を使い果たしていた。金を作るには、莉乃が大切にしている高級バッグを中古で売るしかない。売ってしまったら、買い戻すのは難しい。限定品も多く、手放したくなかった。今は怜央に正面から逆らえない。怒らせて帰られたら、莫大な治療費を誰が払うというのか。父親と怜央の口論から逃れる一番いい方法は、眠ったふりをすることだった。莉乃は病床で目を閉じ、何も知らないふりをした。心の中では、紗和を罵る言葉が止まらなかった。また色仕掛けでも使って怜央をたぶらかし、医師を奪わせたうえ、父娘の話まで疑わせたに違いない。ハーバート教授の説明を聞くにつれ、怜央の顔は険しくなった。莉乃はまだ手術を受けられる状態ではない。まず炎症を抑え、傷口を洗浄して排液しなければならず、炎症が治まってから手術する必要がある。今すぐ行えば、失敗する危険が高いという。ただし、同程度の外傷は多くの選手にも見られ、エクストリームスポーツではさらに重い症例もある。教授の治療計画に従えば、手術が成功する可能性は高いとも説明した。それを聞いた怜央に、怒りが込み上げた。邦彦に利用され、ダイソン医師を無理やり連れ出そうとした。ところが莉乃に必要なのは緊急手術ではなく、まず傷の処置を行い、しばらく待つことだったのだ。もしダイソンを連れてきていたら、邦彦はあらゆる口実を使って医師を引き止め、紗和の治療を遅らせただろう。こんな馬鹿げた嘘のために、紗和をあれほど傷つけてしまった。怜央は恥ずかしさで消えてしまいたかった。ボディガードに、莉乃をすぐハーバート教授の私立病院へ移すよう命じると、直ちに紗和のもとへ戻ろうとした。今の紗和には、きっと自分が必要だ。その頃、紗和は、ずっと自分を守ってきた九条社長に会えないかと尋ねていた。胸の内は落ち着かなかった。長年一度も姿を現さなかったのだから、何か不都合な事情があるはずだ。面会に応じてもらえるか分からない。紗和は以前から、誰かが自分を見守り、守ってくれていることを知っていた。結婚後は数年間、存在を感じない時期もあったが、本当に助けが必要な時には必ず現れた。いったい誰なのだろう。誰に頼まれて、自分
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第123話

ボディガードは、電話の向こうから受けた返事を伝えた。「望月さん、まずは手術に専念するようにとのことです。時期が来れば、必ずお会いになるそうです」紗和の目に失望がよぎったが、すぐ平静を取り戻した。そして、少し頼みにくそうに別の願いを口にした。「誰にも見つからない病院へ移ることはできますか。今すぐここを離れたいんです。これ以上、あの人につきまとわれたくない。九条会長に手配をお願いできますか?」あの人とは、怜央のことだった。ダイソン医師を連れ出せなかった怜央が、仕返しや嫌がらせに戻ってくるのではないかと心配だった。過去の情など一切顧みず、何を頼んでも医師を奪おうとした姿が、あまりにも恐ろしかった。また戻ってきて、さらに過激な手段に出るかもしれない。九条会長の助けで予定どおり手術を受けられることにはなった。だが術後も、細心の注意を払わなければならない期間が続く。怜央や莉乃に回復を邪魔されたくなかった。身体が弱っている今、本当に怖かった。手術の結果や、再び立てるようになるまでの時間に影響するものは、何一つ近づけたくない。思いついたのは、怜央が決して見つけられない場所へ、すぐ移ることだった。ボディガードは紗和の気持ちを理解しているようだった。征臣に再び電話をかけたあと、答えた。「承知しました。今は邪魔が入らない環境が必要だと、会長もお考えです。こちらのプライベートジェットで、会長所有の城へお連れします。居場所が外へ漏れることはありません。医療チームも全員同行し、最善の看護をいたします。どうかご安心ください」紗和の胸の奥が熱くなった。会ったことさえない相手でも、今の自分がどれほど弱く、邪魔されてはいけない状態かを理解してくれる。それなのに怜央は、莉乃のためなら何もかも押し通し、紗和の心を傷つけ続けた。その夜、プライベートジェットが紗和を迎えに来た。彼女は別の国へ渡り、完全に回復するまで治療を受けることになる。*莉乃の病状を邦彦が誇張していたと知るや、怜央は彼女をその場に残し、休む間もなく紗和のいる病院へ引き返した。しかし怜央の車が病院へ入った時には、紗和を乗せたプライベートジェットはすでに空高く飛び立っていた。機内では、フルーツもフラワーティーもアロマの香りも、ソファの硬さも、空気の湿度ま
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第124話

看護師は、もう一度首を横に振った。「分かりません。ただ、訪ねてきた方に渡してほしいと、手紙を残されています」怜央の目が明るくなった。やはり紗和が自分を完全に無視するはずはない。きっと転院先が書かれている。「早く、渡してください」看護師が封筒を探し出して手渡すと、怜央はすぐ開いた。以前、紗和は何通もラブレターを書いてくれた。同じような封筒を受け取っても、開きさえしなかったことがある。だが今は、待ちきれないように便箋を取り出した。書かれていたのは、わずか2行だった。【御堂怜央。私たちの夫婦関係は、もう終わった。これからは、生きようが死のうが、お互い何の関係もない】怜央は便箋を見つめたまま、凍りついた。涙だけが、一粒ずつこぼれ落ちる。離婚協議書なら、まだ話し合いの途中であり、同意しない権利も残されている。だが、これは違った。紗和からの一方的な宣告だった。もう夫婦としての情はなく、自分の人生に二度と口を出してほしくないと告げている。怜央の心は、後悔に押し潰された。絶叫したかと思うと、あまりの苦痛に意識を失った。驚いた看護師が当直医を呼び、救命処置を行った。目を覚ました怜央は、すぐ子どものように泣き始めた。皺だらけになった手紙を、強く握りしめていた。生きようが死のうが、お互い何の関係もない。文字を追うたび、胸の奥を抉られる。紗和は本当に、自分を捨てたのだ。これほどの痛みを感じるとは、思っていなかった。邦彦に騙され、利用されなければ、あれほど残酷に医師を譲れと迫ることもなかった。今になって、自分が紗和にどれほど卑劣なことをしたか気づいた。あの時の紗和は身体を傷つけられ、未来への不安におびえていた。夫である自分は、そばを離れず、一緒に苦難を乗り越えるべきだった。手術を受けられるよう支え、両脚が元どおりになるまで看病しなければならなかった。それなのに、責め続け、傷つけ続けた。最も助けを必要としている時に見捨てただけでなく、治療まで受けさせまいとした。紗和の怪我をきっかけに、夫婦の関係を修復できるかもしれなかった。だが、その唯一の機会を自分で潰した。8年の愛を、自ら終わらせたのだ。後悔で気が狂いそうだった。わざとではなかった。こんなことになるとは思わなかった
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第125話

「怜央君!莉乃の手術が失敗した!」電話に出ると、邦彦のひどく悲痛な声が聞こえた。同時に、ハーバート教授から謝罪のメッセージも届いた。【12時間の予定だった手術は18時間かかり、先ほど終了しました。感染の影響で、神経の状態が芳しくありません。損傷があまりに重く、今後歩けるまで回復しない可能性があります】画面を読みながら、邦彦のすすり泣きを聞いた。「怜央君、早く莉乃に会いに来てくれ。君がいなければ、こんなショックには耐えられない」怜央は長く黙り込んだあと、ようやく尋ねた。「もう、治らないんですか」邦彦は小さな声で「ああ」と答えた。怜央は結局、何よりも優先していた紗和の捜索を中断した。本当なら飛行機で別の国へ向かい、必ず紗和を見つけ、治療と回復に付き添うつもりだった。だが今は、紗和より莉乃のほうが自分を必要としているように思えた。ちょうど近くまで来ていたこともあり、予定を変え、運転手に病院に入るよう命じた。胸には、わずかな罪悪感もあった。ダイソンを呼べなければ、本当に手術が成功しないとは思わなかった。自分なりに全力を尽くしたつもりではいた。法外な報酬を提示して懇願したのに、ダイソンが原則を曲げず、紗和が再び歩けるようになるまでは、ほかの患者を手術しないとまで言った。結局のところ、莉乃を連れてこなかったのは、彼女の怪我を甘く見ていたからだ。もし歩けなくなるのが紗和だったなら、どんな犠牲を払ってでも、銃を突きつけてでも医師を連れてきただろう。自分の軽視が、これほど深刻な結果を招いた。莉乃がこの先ずっと車椅子で暮らすのなら、あまりにも残酷だ。何より、莉乃は無実で、この件の被害者なのだと、怜央はまだ信じていた。紗和は莉乃こそすべての元凶だと思っている。だが怜央には、今回のことはあくまで子ども自身が仕返しをしただけに思えた。何も悪くない莉乃が、そのせいでここまでひどい目に遭わされるのは、あまりにも理不尽だった。病室へ入ると、邦彦が目を真っ赤にして詰め寄った。「怜央君、莉乃を必ず治すと約束しただろう!それなのに、この子はもう歩けない。これからどう生きていけばいいんだ!」紗和が行方をくらまして以来、怜央は昼夜を問わず捜し続け、心身ともに疲れ果てていた。紗和の怪我をきっかけに夫婦関係を
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第126話

その時、隣の病床からすすり泣きが聞こえた。「パパ、やめて……」二人が振り返ると、細く小柄な莉乃が病床の上で身体を丸めていた。目を開けた顔は涙で濡れ、弱々しい声で言う。「パパ、怜央くんを責めないで。わざとじゃないの」目を背けたくなるほど痛々しい姿だった。邦彦はそばのティッシュを取り、血の出た鼻を押さえた。その表情も、ひどく苦しそうに見える。怜央はうつむいた。「すみません。少し取り乱しました。外で気持ちを落ち着かせてきます」背を向け、そのまま病室を出た。莉乃が何度呼んでも、まるで聞こえていないようだった。怜央の姿が消えると、邦彦は故郷の方言で、下品な罵り言葉を吐き始めた。 その顔つきは次第に険しくなり、今にも誰かに襲いかかりそうなほど凶悪なものに変わっていった。「あの女、いったいどんな手を使ったんだ。怜央君はあの尻軽女と結婚してから、お前にどんどん冷たくなった」怒りで首筋をこわばらせながら続けた。「あの女さえいなければ、とっくにお前が御堂夫人だった。大学時代、怜央君はお前の願いなら、ほとんど何でも聞いたじゃないか」莉乃はうなずいた。「パパ、この世に紗和さんなんていなくて、私だけだったらよかったのに」鼻の奥がつんと痛んだ。莉乃は紗和が妬ましくてたまらない。特に大学時代、紗和は何をしても人目を引いた。莉乃より数年早く入学し、早くから学内一の美女として知られるようになり、その評判は卒業するまで揺らぐことがなかった。一方の莉乃は、在学中、一度もその座に選ばれなかった。それどころか、「第二の紗和」とまで呼ばれていた。紗和が卒業したあとでさえ、学内一の美女といえば、毎年のように彼女の名前が挙がるほどだった。本来なら学内の男子学生からもてはやされるはずだった地位を、紗和に奪われたと思っている。その後、紗和が怜央と結婚すると、莉乃の嫉妬はさらに強くなった。まるで、自分がずっと目をつけていた獲物を、横からさらわれたような気分だった。紗和のような女に、御堂夫人の座はふさわしくない。そこに座るべきなのは、自分だけだ。怜央が出てから少し時間がたつと、邦彦は方言のまま声を潜めた。「あの教授を買収するのに大金を使ったが、ばれないだろうな?」「大丈夫よ、パパ。絶対に問題ないわ。もと
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第127話

そこへ看護師が通りかかった。扉の前に立ち続ければ怪しまれる。怜央はスマホをしまい、そのまま病室へ入った。姿を見るなり、邦彦はたちまち表情を変えた。悲痛な顔で涙を拭い始める。先ほどの会話は理解できなかったが、邦彦の言葉の響きははっきり覚えている。ほとんどそのまま再現できるはずだ。今は気づかないふりをし、何を話していたのか調べることにした。平静な顔で病床に近づき、わずかに身をかがめた。「莉乃」莉乃の頬には涙が残り、手術の失敗を信じられないように呆然としていた。怜央の声を聞くと、ゆっくり顔を向け、突然声を上げて泣き出した。「怜央くん、私の脚が……一番大切なものを失ってしまったの!」怜央はベッドの端に腰を下ろし、肩を軽く叩いた。「莉乃、強くなるんだ」莉乃の目から涙が次々とこぼれた。「脚を失ったのよ、怜央くん。もう歩けないの」「まだ若い。治る可能性はある。国内にも難しい病気を治療する名医は大勢いるし、鍼治療だって試せる。俺が探す」「治らないわ。外科医療が一番進んでいるここでも治せなかった。この先の人生は、もう終わりよ」莉乃は泣き続けた。怜央はしばらく考え、カードを1枚取り出して前に置いた。「少し金が入っている。気分が沈んだ時は、好きなものでも買えばいい」莉乃の泣き声が、ぴたりと止まった。すぐカードをつかむ。以前、怜央の意思に逆らい、薬まで使って一夜を共にしたあと、すべての家族カードを止められた。ようやく再び自由に使えるカードが手に入り、心が弾んだ。買い逃したバッグを、全部買い戻せる。実際には脚も治っている。悲しみなどなく、苦痛はすべて演技だった。邦彦が尋ねた。「いくらまで使える?」「1億円です。暗証番号は123456。俺からの、せめてもの気持ちです」莉乃の顔がたちまち曇った。たった1億円しかないとは思わなかった。以前なら服1着にも足りない額だ。邦彦も不満をあらわにした。「1億円だけか?怜央君、あまりにけちじゃないか」怜央にも少ないことは分かっていた。だが莉乃が御堂家の本邸で騒ぎを起こして以来、金の出入りはすべて宗一郎に監視されている。大金を動かすことはできず、このカードも助手の名義で作ったため、怜央とは結びつかないものだった。「額は気にしないでく
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第128話

それが、怜央の言う「責任」だった。莉乃の心は、完全に折れた。金銭面で以前ほど気前よくしてくれなくても、せめて気持ちの面では埋め合わせてくれると思っていた。だが怜央は、これ以上ないほどきれいに自分を切り離し、直接会うことさえ避けようとしている。自分で看病すると言ってくれたなら、どれほど嬉しかっただろう。怜央は立ち上がった。「もう行く。お父さんに付き添ってもらえ」「行くの?行かないで……お願い」莉乃は涙をため、唇をへの字に曲げて怜央の手をつかんだ。手の甲には、まだ点滴の針が刺さっている。弱々しく、あまりにも哀れに見えた。邦彦もすぐ助け舟を出す。「怜央君、少しでいいから、そばにいてやってくれ。以前だって何度も一晩中付き添っただろう。莉乃は歩けなくなったばかりなんだ。君がいなければ、このショックに耐えられない」以前の怜央なら、その言葉を信じていただろう。だが先ほど、この男が弾んだ声を上げるのを聞いたばかりだった。今見せている苦しみが、本物とは思えなかった。怜央は疑いを抱き、言いなりになる気にはなれなかった。それに、ほかにやらなければならないことがある。莉乃の手をそっと外した。「莉乃、聞き分けてくれ。20年以上君を育ててきた父親がそばにいる。それなら、きっと耐えられる」怜央の視線が邦彦へ向いた。鼻は、先ほど殴られて大量に出血したせいで、真っ赤に腫れていた。それでも莉乃は諦めなかった。「怜央くん、変わってしまったのね。昔はこんな人じゃなかった。私が胃洗浄を受けただけでも、一晩中付き添ってくれたのに。今はもう歩けないのよ」また泣き始めた。「怜央くん、もう18年よ。18年前に出会ってから、毎朝目を覚ました時、一番会いたいのはあなただった。でも、あなたが私にくれる時間は、どんどん短くなった。毎日見ているのは、冷たい天井だけ。もう一晩だけ、そばにいて。あの時、私と結婚してくれなかったことは恨んでいないわ。お互いに事情があったもの。でも人生で一番つらい今だけは、あなたにいてほしい」莉乃の目から、大粒の涙が二つこぼれた。怜央にも罪悪感はあった。以前結婚を約束しながら果たさなかったことを持ち出されるたび、胸が痛んだ。莉乃は震える腕を伸ばし、怜央の腰にしがみついた。「怜央くん、そんな
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第129話

紗和の手術は無事に成功した。骨折した箇所が整復されると、下半身にわずかな感覚が戻った。まだ腫れぼったく痺れており、動かすことはできない。ダイソンは、それも回復の兆しだから心配はいらないと言った。手術は非常に順調で、適切に療養すれば、再び歩けるようになる見込みは十分にあるという。紗和は心から喜んだ。そして、怜央が手紙を読んで、きっと怒り狂っているだろうと思った。だが、仕事でも人としても、紗和はすでに十分すぎるほど力を尽くしてきた。これからは別々の道を歩くだけだ。怜央が莉乃と結婚しようと、もう何も言うつもりはない。考えに沈んでいると、ほのかな香りが鼻先をかすめた。爽やかで、少しだけ苦みを含んだ香りだった。顔を上げると、扉が静かに開き、使用人が手入れしたばかりの花を花瓶に生けている。ミントが交じっていたのだ。使用人は古い花を下げていった。今日の花は、ひときわ美しく咲いている。ドイツの小さな町にあるこの城へ来て、すでに数日が過ぎていた。初めて中に入ってみると、城には広大な庭園まで備わっていた。庭にはさまざまな種類の花が咲き乱れていたが、どれもきちんと手入れされている。さらに、15本ほどの大木がそびえ立っていた。どの木も、映画「フリップド」に出てくるあの木を思わせるほど大きく、枝葉を豊かに茂らせていた。紗和は、周囲に新しい人影が現れないか、いつも気にしていた。ここは九条会長の城なのだから、一度くらい様子を見に来てもよさそうなものだ。だが今まで、見知らぬ男性の姿を一度も見ていない。もしかすると、来るつもりはないのかもしれない。この城も、彼が持つ無数の財産の中では、取るに足りない一つなのだろう。庭園には希少な花が咲き、1本だけでも莫大な価値がある。それでも彼にとっては、わずかなものなのかもしれない。紗和をここへ手配したあと、その存在さえ忘れてしまったのだろうか。それでも、なぜか会いたかった。会いたいと伝えた時、手術が終われば会うと言われた。そのため、手術を終えたら現れるのではないかと期待していた。だが期待は外れた。征臣は本当に姿を見せなかった。かつて助けてくれたことに、直接礼を言いたかった。彼の庇護と助けによって、今まさに人生を取り戻そうとしている。征臣は一度も訪ねてこ
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第130話

紗和さえ見つければ、償うことができる。そばで心を込めて看病すれば、長年自分を愛してきた紗和は、きっと許してくれる。怜央はそう信じ、昼も夜も休まず捜し続けた。目を覚ますたび、自分がどこにいるのかさえ分からなくなった。紗和は見つからず、瀬川からの電話だけがひっきりなしにかかってくる。仕事のため国内へ戻らなければならない。帰国の前日、怜央はため息を繰り返した。紗和を一人、国外へ残していくことになる。ところがフォトンテック上場の知らせが届いた。上場記念式典には、筆頭株主である紗和が必ず現れる。式典の前日、紗和は一足先に帰国していた。明日の式典は、人生で最も大切な瞬間になる。上場企業の会長として、公の場に初めて姿を見せる日だ。自ら経営権を握るテクノロジー企業が上場するのだ。資産は一気に桁違いの規模に膨らみ、業界を代表する実業家になる。それは幼い頃から抱いてきた夢であり、ついに現実になろうとしていた。式典会場は大勢の人でにぎわっていた。東都の有力者たち、とりわけ名の知れた大企業の経営者が何人も駆けつけている。紗和は車内で最後に身なりを整えた。会場の外では秘書が待っており、到着するとすぐ中へ案内した。控室には怜央と伊織がいた。二人はフォトンテック上場の主要株主でありながら、顔を合わせてもひと言も交わさないほど険悪な関係だった。伊織も紗和と一緒に来たわけではないと知り、怜央の気持ちは少し軽くなった。この数か月、上場に必要な多くの手続きは紗和の署名と承認を要し、伊織が国内で進めていた。二人が毎日連絡を取っていたことは間違いない。怜央が何よりつらかったのは、紗和があの手紙を渡して以来、本当に一度も連絡してこなくなったことだった。何度連絡先に追加しようとしても、すべて無視された。だが調べたところ、この数か月、紗和はずっと国外におり、伊織とも会っていない。それなら本気で別れるつもりではなく、莉乃に先に腕のいい医師を譲ろうとしたことが受け入れられないだけなのだろう。身体が治れば、いずれ納得するかもしれない。本当に自分と別れるつもりなら、なぜ伊織に看病させなかったのか。今日も伊織が一人で控室にいることで、その考えが正しかったと確信した。突然、伊織が立ち上がり、息を整えて部屋を出た。怜央も
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