All Chapters of 夫と息子に捨てられた私、大物の子を授かった: Chapter 131 - Chapter 140

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第131話

ひときわ眩しく輝く紗和の姿に、以前の彼女を知る者たちは皆、まるで初めて会ったかのように息をのんだ。伊織は心から嬉しく思った。生まれ変わったように晴れやかな表情も、少女のように軽やかに歩く両脚も、彼がずっと見たかった紗和の姿だった。伊織は以前から、怜央に向けていた関心を自分自身へ向けてほしいと願っていた。誰かを愛する前に、まず自分を愛してほしい。まして、自分以上に大切にする相手が怜央のような男であってはならない。これまで怜央に注いできた愛情も努力も献身も、すべて自分自身のために使えたなら、紗和は誰よりも輝ける。どんな分野でも、この世の男たちに引けを取ることはない。もしあのままドイツへ留学していたなら、伊織自身さえ、成績で彼女を上回れたとは思っていなかった。それほど素晴らしい人なのだ。今の姿を見て、伊織は嬉しかった。ここまで変われた理由は、一つしかない。紗和がようやく、自分を愛し始めたのだ。今日も式典の格式に合わせて無難なスーツを選ぶのではなく、自分が最も好きなドレスをまとっている。もう誰かに合わせたり、寄りかかったりする必要はないと思っている証拠だった。ならば、思う存分咲き誇ればいい。伊織が迎えに進み出ると、紗和も彼を見て微笑んだ。挨拶を交わそうとしたその時、怜央が伊織より先に声をかけた。「紗和!」その一声は、名前を呼んだというより、皆の前で「俺の妻だ」と宣言しているように聞こえた。怜央が人前で紗和を妻として扱い、こんなにも親しげに声をかけたことは、これまで一度もなかった。以前の臨時株主総会でもそうだった。上場に向けた提携について、株主たちから妻である紗和本人に説明させるべきだと迫られ、紗和が助け舟を出した時でさえ、怜央は人前で彼女を妻と呼ばなかった。ただ、秘書の蓮だけが敬意を込めて「奥様」と呼んでいただけだった。だが、その「奥様」という立場も滑稽なものだった。あの日、怜央は紗和の目の前で莉乃を抱きしめ、愛されていないほうが愛人なのだとなだめた。そして莉乃が泣き喚くと、正妻であるはずの紗和こそ愛人だという理屈まで認めたのだ。そんな怜央が今、人前でこれほど甘く、親しげに紗和の名を呼んでいる。紗和には、ほとんど記憶がなかった。公の場はもちろん、家の中でさえ、妻に向けるような声音で呼ばれたことなど滅
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第132話

あの時、怜央は紗和を傷つけた。それが最初の刃だった。その後、治療できると知った紗和が伊織に転院を頼もうとすると、怜央は夫という立場を盾に許可しなかった。伊織から看病する権利を奪うためだけに、無理やり紗和を引き取ったのだ。ところが、いざ引き取ると、そばで支えるどころか、紗和を置き去りにして莉乃のもとへ向かった。それが2本目の刃だった。そして最も深く突き刺さったのは、最後の1刃だ。莉乃のために紗和の担当医を奪おうと、あらゆる卑劣な手段を使った。いくつもの嘘をつき、金で動かそうとまでした。その時、紗和は下半身が麻痺し、何もできないほど追い詰められていた。紗和を見つけられない間、怜央はその出来事を何度も思い返していた。自分が彼女の心を完全に壊したことは、今ではよく分かっている。それでも、紗和が伊織を受け入れていない以上、本気で自分を捨てたわけではないと考えていた。まだ許していないから、わざと無視しているだけだ。傷が癒えるには時間が必要なのだと、自分に言い聞かせた。怜央は深く息を吸った。だが紗和のあの眼差しを受けた瞬間、なぜか胸が強く詰まった。紗和は壇上に立っていた。やがて式典が終わった。壇上を下り、客席の脇を通った時、紗和はふと視線を落とした。そこにいた女が顔を上げる。目が合った瞬間、紗和は内心で舌打ちした。また莉乃と出くわしたのだ。せっかくの喜ばしい日に、誰にも水を差されたくなかった。紗和はすぐに向きを変え、莉乃から離れた通路を選んだ。一方、莉乃は憎悪に満ちた目で紗和を睨みつけていた。すべて紗和のせいだ。いったいどんな手を使い、怜央に医師を連れてこさせなかったのだろう。医師を奪って紗和を麻痺させることもできず、それどころか怜央の心まで紗和に傾いた。莉乃が手術とリハビリを受けていた3か月間、怜央は一度も見舞いに来なかった。ついに耐えきれなくなり、自分から来てほしいと頼んだ。何より、看護師に怜央を会計窓口へ連れていかせ、治療費を清算させたかったのだ。だが怜央は、メッセージを読んでも返事をしなかった。この3か月、莉乃は耐え難い屈辱と苛立ちを抱え続けていた。今日ここへ来たのも、怜央が出席すると知ったからだ。招待客ではないが、式典は一般にも公開されている。恥も外聞も捨て、一般席へ紛れ込ん
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第133話

華々しい成功を収め、贅を尽くした装いに身を包む紗和に比べ、莉乃はひどく肩身の狭い姿だった。怜央と連絡が取れず、病院から届いた分厚い請求書の山を清算してくれる者もいない。紗和を捜しに行くと言って以来、怜央は本当に一度も莉乃のもとを訪れなかった。治療を受けている間、莉乃はその事実をどうしても受け入れられなかった。どれほどメッセージで懇願しても、既読になるだけで返事はない。絵里香から借りた金と、怜央にもらったカードがなければ、多額の借金を抱えていたところだった。家族カードで治療費を払い、さらに脚が治っていないと証言させるため教授を買収して、貯金も使い果たした。そのため、大切にしていたバッグや宝石をいくつも手放さざるを得なかった。日頃から贅沢な暮らしに慣れ、人前へ出る時は必ず名家の令嬢らしく装ってきた。だが今日は華やかに着飾ることもできず、肩身の狭い思いで会場へ入った。切り詰めた生活を送る自分が恥ずかしくてたまらなかった。それでも怜央を見つけさえすれば、きっと心を痛め、また金を出してくれる。何より、彼に伝えなければならない大切なことがある。それを知れば、怜央は必ず自分のもとへ戻ってくる。ところが莉乃の目には、紗和が怜央の金で好き放題に買い物をし、高価な宝石まで身につけているようにしか見えなかった。まるで自分の金を使われたかのように、腹が立って仕方がない。莉乃は紗和の背中をじっと見つめた。その時、ある考えが浮かんだ。メイン会場を出た紗和は、化粧室へ向かった。個室に入り、扉の鍵をかけようとしたその時、扉に1本の手が差し込まれた。白く柔らかな手の爪には、手の込んだネイルチップが貼られ、小さなスワロフスキーのストーンまで飾られている。莉乃の手だった。そのまま個室の扉を押し開ける。紗和は呆れた。先ほどはよく見ていなかったが、改めて見ると、莉乃が必死に華やかさを保っているのは指先だけだった。以前なら、会うたびに手首に5つも6つも高級ブランドのブレスレットを重ねづけしていた。自分が令嬢だと、誰にも見落とされたくないかのように。それよりも、莉乃の脚は本当に治らなかったのだろうか。残念なことではあるが、自業自得でもあった。晴翔をそそのかし、自分を傷つけさせた真犯人は莉乃に違いない。怜央に医師を奪わせようとしたのも、こ
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第134話

それなのに、怜央はもう何か月も莉乃に1円も使っていない。高額な治療費まで、自分で支払わせた。自分が苦しんでいるのだから、紗和だけ幸せでいられるはずがない。莉乃はその場に居座り、目をぎらつかせながら紗和をじっと見つめていた。明らかに何かを企んでいる。紗和の不快感は、強い嫌悪に変わった。「言葉が分からないの?出ていってと言ったのよ。もう一度だけ言うわ。出ていかないなら、ボディガードを呼んで運び出させる」だが莉乃も、このまま引き下がる気はなかった。ようやく紗和と二人きりになれたうえ、化粧室には監視カメラもなく、ボディガードも入ってこない。これほど都合のいい機会を逃す手はない。莉乃は嘲るように言った。「オートクチュールを1着着ただけで、ずいぶん得意そうね。大した家でもないところから出てきた女は、本当に世間を知らない。怜央くんをつなぎ止めて、宝石やドレスまで買わせるなんて、相変わらずよく頭が回るわ。でも勘違いしないで。そんなものを着ても、お姫様にはなれない。せいぜい夜の店でそう呼ばれる程度よ」紗和の胸に怒りが燃え上がった。莉乃はさらに、ゆっくりと言葉を重ねる。「どうして、いつまでもその座にしがみついているのかしら。愛されていないほうが愛人だということくらい、自分でも分かっているでしょう?本当に怜央くんが愛しているのは私よ。あなたって可哀想。麻痺しても、怜央くんが先に選んだのは私だった。初めから、あの人が選ぶのは私なのよ。あなたは、怜央くんの金儲けの道具にすぎないわ」紗和は冷ややかに言い返した。「私を可哀想だと思う暇があるなら、自分を見たら?あなたは今も車椅子。私はもう、自分の足で歩けるわ」莉乃の目に、凶悪な憎しみが走った。これほど早く治るとは思っていなかった。下半身が二度と動かなくなればよかった。あの日、首の骨まで折って、そのまま死ねばよかったのに。莉乃は心の底から、紗和の死を願っていた。突然、甲高い悲鳴を上げる。「きゃっ!」紗和には、おおよその狙いが分かった。案の定、莉乃は自分の頬を強く平手打ちした。白い肌に、たちまち赤い指の跡が浮かぶ。そして大声で泣き叫んだ。「紗和さん、晴翔があんなことをしたのは、本当に申し訳ないと思っているわ。それなのに、どうして私を叩くの!」だ
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第135話

紗和は莉乃の髪をつかみ上げた。莉乃が気を失いそうなほどの悲鳴を上げた直後、容赦のない平手打ちが頬を打った。ひどく重い一撃だった。打たれた側の頬が、たちまち腫れ上がる。莉乃は、これほど激しい痛みを味わうことになるとは信じられなかった。恐怖に駆られ、謝り始めた。「紗和さん、ごめんなさい。もう……」言い終える前に、反対の頬に次の平手打ちが飛んだ。「きゃあっ!どうして、こんな……」紗和は冷笑した。「私が叩いてるのよ。今までずっと、あなたには我慢してきたんだから」そして、はっきりと言い放つ。「どうして私があなたを叩けるのか、教えてあげる。私は望月紗和。法的には今も御堂怜央の妻よ。それだけで十分でしょう?じゃあ、あなたは何?人の結婚を壊した愛人のくせに、よく私の前でそんな大きな顔ができるわね。そんなに痛い目を見たいの?」平手打ちの音が、何度も化粧室に響いた。莉乃は全身を震わせ、涙を流し続けた。立て続けに打たれ、両頬は見る間に大きく腫れ上がっていく。10回目の平手打ちが落ちるころには、莉乃は声を上げて泣き喚いていた。これほど徹底して罰せられたことなど、一度もない。手を止めても、莉乃の悲鳴は続いた。腫れた顔はもう感覚もなく、口から漏れるのは、はっきり聞き取れない怜央の名前だけだった。幾重にも重なった指の跡は、目を背けたくなるほど生々しい。莉乃は泣きながら、怜央はいったいどこにいるのかと考えた。紗和があの人をどこかへ追いやったに違いない。初めから自分を殴るために仕組んだのだ。これほどひどい目に遭わせるなど、許せない。その時、化粧室の外から足音が聞こえた。しばらくして、怜央が入ってくる。莉乃の頬に残った手形を一目で見つけ、眉をひそめた。莉乃は救いを見つけたように叫んだ。「怜央くん、助けて!」紗和は背を向けて手を洗いながら、淡々と言った。「私が叩いたの。連れていって」莉乃の唇が震えた。「怜央くん、この女にこんな目に遭わされてるのに、黙って見てるつもり?」紗和は振り返った。「それとも、今度はあなたがこの人の代わりに私を叩くの?」怜央はしばらく紗和を見つめた。こんなふうにじっくり見るのは、ずいぶん久しぶりだった。この数か月で、紗和はさらに美しくなったように見える
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第136話

そもそも紗和は、下半身の自由を失いかけたのだ。怜央は息を吐き、莉乃に驚くほど冷淡に言った。「莉乃。俺の妻は紗和だけだって、前にも言ったはずだ。お前もイギリスへ留学するって納得しただろ。それなのに、どうしてここにいる?」そう言って、さらに冷たく問い詰めた。「みんな、お前が紗和のあとを追って化粧室に入るところを見てる。話があるなら、その場で言えばよかっただろ。なんでわざわざ中まで追いかけた?紗和が何の理由もなく人に手を上げる女じゃないことくらい、俺は分かってる。自分でそこまで怒らせたんじゃないのか?」一言ごとに、莉乃の心に刃が突き刺さった。以前の怜央なら、こんなことを言うはずがなかった。治療費を払ってくれなかったことを持ち出せば、罪悪感を刺激できると思っていた。以前なら、莉乃が金を必要とすれば、怜央は何も聞かずに差し出した。だが今回は、必ず治すという約束を破ったばかりか、人前で自業自得だと辱めた。莉乃はこれまで、こんなふうに軽んじられたことがない。すべての損失を埋め合わせ、以前のように自分の機嫌を取ってくれるものと信じていた。あまりの落差に、目の前の世界が崩れ落ちたようだった。「御堂怜央!」思わず鋭い声を上げる。怜央は冷たい目で睨み、はっきりと警告した。ところが紗和に向き直ると、声を柔らかくした。「紗和、今日こいつが来ることは、俺も知らなかった。国外でリハビリをしていると思っていたんだ。式典が終わったら、すぐに国外へ戻す」フォトンテックの株主や重要な社員が大勢集まっている。この場で愛人を囲っているという噂が広がれば、市場心理にも悪影響を与え、上場後の株価を揺らしかねない。利益を守るためにも、今はそう振る舞う必要があった。だが紗和は怜央を見ようともせず、そのまま背を向けた。「私には関係ないわ。病院へ連れていけば?」自分など眼中にないと言わんばかりの態度が、莉乃にはたまらなく憎かった。怒りが一気に燃え上がり、怜央の警告も忘れて叫んだ。「御堂怜央、殴られたことなんてどうでもいい。でも、今の私は一人じゃないの。あなたの子どもを妊娠してるのよ!」その一言に、立ち去ろうとしていた紗和の足も止まった。振り返って莉乃を見る。身体に沿うドレスを着て座っているため、小さく膨らんだ下腹部が目に
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第137話

怜央の顔は、紙のように白くなった。莉乃が妊娠したのだとすれば、御堂家の本邸で騒ぎを起こしたあと、自分がホテルへ誘い出されたあの時にできた子どもだろう。途中で何があったのか、怜央には何一つ記憶がない。だが後日、紗和に聞かされた録音から、二人が激しく身体を重ねたことだけは、はっきり分かった。本当に、自分の子どもなのか。そう思った瞬間、怜央は眉を寄せ、莉乃の腹部に目を向けた。海外から戻り、怜央の自宅で暮らし始める前の莉乃は、彼の中で汚れを知らない可憐な女だった。だが莉乃は晴翔を使って紗和を追い出し、宗一郎の前で騒ぎ、薬を使って怜央の意識を奪った。さらに邦彦と口裏を合わせ、紗和から医師を奪わせようとした。一つずつ思い返していくうちに、怜央もようやく認めざるを得なくなった。莉乃は、自分が信じていたような女では、最初からなかったのだ。どうして、こんな人間に変わってしまったのだろう。そして今も、怜央の立場も気持ちも考えず、既婚者である彼の子どもを妊娠したことを、大勢の前で自ら明かした。もはや莉乃は、悪意に満ち、他人の気持ちを踏みにじり、裏で策を巡らせる女だった。紗和の気高さとは、あまりにもかけ離れている。子どもさえいなければ、怜央は莉乃を完全に切り捨てるつもりだった。どんな手を使ってでも、二度と姿を現せないようにする。これまで渡した金を少し調べるだけで、莉乃には莫大な返済義務を負わせられる。それを使えば、海外へ追い出すことも難しくない。だが莉乃は、何かを察したのだろう。だからこそ、この場を選び、妊娠を明かした。怜央は、居ても立ってもいられないほど落ち着かなかった。紗和に声をかけられて、ようやく我に返った。どんな妻であっても、これ以上の屈辱には耐えられない。まして今の紗和は、もう怜央の支配から完全に離れている。この3か月、怜央は彼女の消息を一つもつかめなかった。脚が治ったことすら知らず、以前よりも輝いて戻ってくるなど想像もしなかった。紗和の変化には伊織でさえ気づいていたのだ。怜央が気づかないはずがなかった。紗和がまとい始めた自信、自分自身を認めるようになったその姿、そして怜央をまるで眼中に入れなくなった態度。その一つ一つが、彼女がまるで別人のように変わったのだと、怜央に思い知らせた。莉乃
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第138話

怜央の言葉は事実だった。だが、周囲の人々、とりわけ女性たちは納得しなかった。「薬を使われたと言っても、そもそも愛人との関係を断ち切らず、つけ入る隙を与えたのは自分でしょう」「本当に薬を盛られたのかしら。それなら、どうしてすぐ警察に届け出なかったの?子どもまでできてから被害者面するなんて、最低ね」紗和は思わず声を上げて笑った。騒ぎの渦中に立たされた紗和は、ただただ恥ずかしかった。怜央の釈明を聞いても気持ちは少しも晴れず、むしろ周囲の言い分のほうがもっともだと思えた。この場には多くの企業経営者が集まっていた。今回の醜聞は、必ず御堂家の事業にも影を落とす。それだけでも、二人には十分な報いだった。これ以上ここにいれば、嫌悪が募るだけだ。紗和は視線をそらし、怜央たちを残して立ち去ろうとした。ボディガードがすぐに人垣を割り、紗和のために道を開けた。振り返った瞬間、紗和はふと思った。8年も愛し続けた人が、いつの間にこれほど滑稽な男になってしまったのだろう。かつて自らかけがえのない存在だと持ち上げていた莉乃でさえ、自分の立場を守るためなら、人前で「薬を使って関係を迫った女」と切り捨てた。紗和の中にはもう、怜央への甘い幻想など一片も残っていなかった。怜央は遠ざかる紗和の背中を見つめた。決してよい兆しではなかった。しかも、今回の一件がどこまで波紋を広げるのか、見当もつかなかった。一刻も早く、事態を収めなければならない。莉乃に対して残っていたのは、命を救われたことへのわずかな感謝だけだった。あとは嫌悪と、一刻も早く縁を切りたいという思いしかなかった。怜央は莉乃に冷たく告げた。「莉乃、お前は何度も一線を越え、俺を陥れた。そのうえ、俺に黙って子どもまで産もうとしている。自分のしていることが、倫理にも法にも反していると分からないのか。今の体では出産にも耐えられない。すぐ病院へ行って、中絶するんだ」あまりにも冷酷な言葉に、莉乃は呆然とした。我に返ると、驚きと悲しみが一気に込み上げ、涙があふれた。「こんなことをしたのは、あなたを愛しすぎたからよ。私をここまで追い詰めたのはあなたでしょう!私はずっと愛していたのに、あなたは結婚してくれなかった。昔、私以外は愛さない、ほかの人とは結婚しないと約束したじゃない。その約束を
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第139話

莉乃は目を見開いた。「陥れられたのよ!この人は嘘ばかりついてる。先に私を殴っておいて、今度は物をなくしたふりをして、私に罪を着せようとしているの。何も盗んでないわ!」周囲の人々は、いよいよ興味深そうに成り行きを見守った。事件に巻き込まれたこと自体は迷惑そうだったが、紗和に捜査を長引かせるつもりはないらしい。これほど高価な宝石が消えた以上、少し足を止めて調査に協力するのは当然だと、皆も受け入れていた。女性警察官は冷静に説明した。「あなたが御堂夫人のあとを追って化粧室に入ったことは、通路の防犯カメラにも映っています。夫人の首元から採取した指紋をあなたのものと照合すれば、ネックレスに触れたかどうかも確認できます。署までご同行ください」法律に疎い莉乃は、捜査に協力するどころか声を荒らげた。「どうして、この人が言っただけで私が捕まるの?さっき、この人に顔が腫れるほど殴られたのよ。私の顔を調べれば、この人の指紋だっていくらでも出るわ。刑務所へ入れるなら、この人のほうでしょう!」莉乃の顔は、ひどく腫れ上がっていた。すると、近くにいた女性清掃員が口を挟んだ。「私が証言します。その人は嘘をついています。顔の怪我は、自分で車椅子から転げ落ちて負ったものです。御堂夫人は関係ありません。その人はずっと夫人を、恨みと悪意に満ちた目で睨みつけ、宝石はもともと自分のものだとぶつぶつ言っていました。なくなったのなら、この人が盗んだに決まっています」清掃員は、莉乃が化粧室に入り、紗和と言い争いを始めた時から近くにいた。二人のやり取りを、初めから聞いていたのだ。彼女は、他人の家庭を壊す者が何よりも嫌いだった。だから、紗和が莉乃を思い切り平手打ちした時も、胸のすく思いで見ていた。今こそ証言して紗和の力になろうと、自ら名乗り出たのだった。証人まで現れ、全員の視線が莉乃に集まった。莉乃の顔が引きつった。「御堂夫人のあとに化粧室へ入ったのは、あなただけです。夫人が中で接触した唯一の人物でもあります。現時点で最も疑いが強い以上、捜査にご協力ください」女性警察官の落ち着いた声が、会場にはっきりと響いた。莉乃はようやく、自分が追い詰められていることを悟った。警察官さえいなければ、ありったけの罵詈雑言を浴びせ、紗和をずたずたに傷つけて
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第140話

怜央も、こんな展開になるとは思っていなかった。莉乃は性格こそ悪いが、さすがに盗みまではしないだろうと怜央は思っていた。「調べてもらえば、何もなかったと分かる」だが莉乃には分かっていた。正式な捜査が始まれば、無事では済まない。とうとう追い詰められた莉乃は、胸元に隠していたダイヤモンドのネックレスを取り出した。「怜央くん、嫉妬しただけなの。盗むつもりなんてなかった。あなたがこの人に、こんな高価な宝石を買ったことが悔しかったのよ。もう何か月も私を無視してるでしょう?本当に盗もうとしたんじゃない。ただ、もともと私がもらうはずだったものを取り返したかっただけなの」怜央は深く息を吐いた。莉乃が本当に、ここまで愚かな真似をするとは思わなかった。盗みは、どんな理由を並べても盗みだ。怜央はこれまで、紗和に高価な宝石を贈ったことなどなかった。それでも紗和は、一度たりとも他人のものに手を出さなかった。これほど人目のある場所で、疑われる証拠をいくつも残したまま盗むとは、あまりにも浅はかだった。何かの間違いで、莉乃の仕業ではないと思っていた。だが、彼女は本当に盗んでいた。怜央は莉乃の手からネックレスを取り、紗和に返した。「紗和、見つかった。莉乃も……もう十分、罰を受けただろう。それに、これから病院へ連れていって中絶させる。だから……」紗和は続く言葉を察し、冷ややかに遮った。「捕まりそうになってから返せば、罪を問われないとでも思っているの?甘すぎるわ」ネックレスを取り返されただけでも、莉乃は胸をえぐられるような思いだった。そのうえ刑務所へ送られると知り、目を血走らせた。「もう返したでしょう!これ以上、何を望むの?私が個室へ入るよう仕向けたあなたには、何の責任もないの?それに、これはもともと怜央くんがお金を出して買ったものよ。本人が何も言っていないのに、どうしてあなたが私を罰するの!」莉乃は怜央の腕に絡みついたままだった。怜央が自分をかばおうとしていると感じ、急に強気になったのだ。紗和は呆れたように笑った。「法律を知らないの?盗んだ時点で窃盗は成立する。返したからといって、なかったことにはならない。それに、あなたが盗んだネックレスは、金額から見ても極めて悪質よ。追い詰められて返したところで、責任は免れない。自首したわ
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