夫と息子に捨てられた私、大物の子を授かった のすべてのチャプター: チャプター 111 - チャプター 120

380 チャプター

第111話

伊織の言葉を聞き、怜央の胸に激しい痛みが走った。心臓が激しく脈打った。確かに、すべての原因は自分にある。初めから紗和の味方をし、莉乃ときっぱり縁を切っていれば、紗和がこんな目に遭うことはなかった。それでも、紗和を看病する権利だけは手放したくなかった。手放すわけにはいかなかった。伊織に別の思惑があることも、よく分かっている。「これは紗和自身が選んだことだ。お前に口を出す権利はない。俺は紗和の夫だ。あの時、俺を選ぶべきじゃなかったなんて言うのは、本当は自分が選ばれたかったからだろ。今まで結婚しなかったのも、ずっと俺の妻を狙ってたからじゃないのか。今さら看病を口実に、そんな卑しい望みを叶えようっていうなら、絶対に許さない」そこまで聞いて、紗和はもう耐えられなかった。涙を流しながら叫んだ。「卑しいのはあなたよ。御堂怜央、あなたが一番卑しいわ」怜央の頬を、涙が瞬く間に伝い落ちた。以前の紗和なら、どんな時も無条件に自分の味方をしてくれた。どれほど冷たくしても、彼女は怜央を愛していた。だが今、紗和が選んだのは怜央ではなく、伊織だった。一言ごとに、怜央の顔から血の気が引いていった。だからこそ、ますます手放せなかった。もう後がない。ここで紗和を看病し、リハビリを支える機会まで失えば、本当に何も残らない。これほど傷つけてしまった今、それが唯一の償いだった。怜央は死んでも譲るつもりはなかった。「妻にどれだけ誤解されていても、誠意を尽くせば、いつか気持ちは戻ると信じてる。それでも干渉するなら、既婚者の家庭を壊そうとしたと、明日にでも大学へ訴える。妻にはほかに親族がいない。いちばん近い家族も、第一の保護責任者も俺だ。勝手に連れ出せば違法になる。手術に同意できるのも俺だけだ」伊織は怒りに息を詰めた。紗和を奪われまいとする怜央は、すっかり我を失っている。国内の法律では、最も近い家族が同意しなければ、病院も退院を認めない。もし伊織が勝手に紗和を連れ出し、移動中に何か起きれば、怜央は病院の責任を追及できる。病院側にその危険は負えなかった。紗和の全身が震えていた。傷の痛みではない。怒りを抑えきれなかったのだ。重傷を負ってから何時間も休み、ようやく呼吸が整い、痛みも少し和らいだ。だが、込み上げる怒りは抑えられない
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第112話

ここまで信用されていないことに、怜央は傷ついた。だが一刻を争う状況だと分かっていたため、すぐに答えた。「もちろんだ。俺はお前に一番近い人間だ。必ず治してみせる」紗和はうなずいた。今は妥協するしかない。「あなたに任せるわ」怜央は喜び、すぐにプライベートジェットを手配した。機内に運び込まれた紗和の容体は悪く、ひと言も口をきかないまま、身じろぎもしなかった。怜央がどれほど慰めても、苦痛と絶望に満ちた目で見返すだけだった。これまで冷淡だった怜央は、珍しいほど優しく振る舞った。おかゆを用意させ、一口ずつ紗和に食べさせた。食べ終えた紗和は、そのまま目を閉じた。怜央とは話さなかった。あの時、流産した時と同じだ。怜央は決して莉乃の責任を追及しない。あの時、紗和は心も体も半分壊された。そして今、残されたものまで奪われようとしている。それなのに、元凶となった人間は、一度もその報いを受けていなかった。悔しくて、涙があとからあとからこぼれた。人の命がいくつあるというのだろう。もう二度と、この泥沼に自分を閉じ込めてはいけない。回復したら、必ず一刻も早く離婚する。飛行機が着陸すると、怜央は紗和に付き添ってダイソン医師のいる病院へ向かうつもりだった。だが、その時一本の電話が入った。受話口から、莉乃の悲鳴が聞こえてくる。電話をかけてきた邦彦が、泣きながら叫んだ。「怜央君、莉乃が襲われたんだ。見る影もないほど殴られて、両脚を……残酷なやり方で折られた!」怜央も予想していなかった。「どうしてそんなことに?どこで襲われたんですか」邦彦の話では、莉乃はこちらへ来て父親を訪ね、身辺を整えてからイギリスへ留学するつもりだったという。ところが何者かに報復され、金属製のナックルで両脚を折られた。全身を殴られて出血し、内臓まで傷つき、今も命が危ない。ようやく病院へ運び込んだところだった。怜央の胸に重いものが沈んだ。数日前、紗和が階段から落ちて脚を動かせなくなった直後に、莉乃が襲われた。真っ先に疑ったのは伊織だった。紗和のために報復したのではないか。晴翔のせいで紗和が怪我をしたことを知る者は、わずかしかいない。使用人も千鶴子も、決して外へ漏らさないうえ、莉乃が関係しているとは思わないだろう。伊織は国外に
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第113話

絵里香は、すぐに決めつけた。【紗和は人間じゃないの?子どものしつけに失敗して、自分で階段から落ちただけなのに、莉乃をこんな目に遭わせるなんて】その後も、紗和を罵るメッセージが次々と届いた。【これは殺人未遂でしょう。莉乃の脚は治るの?怜央、いったいどこにいるの。電話もつながらなくて、心配でたまらない】【航空券さえ取れれば、私が会いに行っているわ。あなた、それでも男なの?莉乃はあなたに連絡できなくて、どれほど悲しんでいると思う?】【完全な逆恨みよ。莉乃が晴翔に変なことを教えるはずがない。事情も確かめずに報復するなんて、紗和は本当に卑劣ね】怜央は茫然とし、どうすればいいのか分からなくなった。莉乃は紗和ほど強くない。そのうえ、紗和より重傷に見える。怜央の心は、すぐ莉乃に傾き始めた。何より莉乃は無実だと信じていた。伊織は莉乃を責めていたが、怜央は彼女が晴翔をそそのかしたとは思っていない。晴翔は悪戯をする前から、もうパパと呼べないのかと恨めしそうに尋ねていた。多感な子どもは、自分が捨てられたと思い込んだのだろう。実の母親を責められず、その怒りを紗和にぶつけたとしても無理はない。どう考えても、莉乃のせいにはできなかった。それなのに、莉乃は本当に報復を受けた。これほど残酷な事件が偶然とは思えない。しかも、とりわけ両脚が激しく損傷している。紗和は脚の感覚を失っただけだ。骨が皮膚を突き破るほど折れた莉乃の苦しみとは比べものにならない。怜央は大きく息を吸い、自分の中で結論を出した。ボディガードに紗和をダイソン医師の病院へ送らせ、自分は先に莉乃の様子を見に行く。向こうの手配を済ませたら、できるだけ早く紗和のもとへ戻り、手術が終わるまで付き添えばいい。出発する前、紗和の前へ行き、正直に告げた。「莉乃が怪我をした。先に様子を見てくる」国外でほかに用事があるわけではなく、仕事を口実にすることもできない。それに怜央は、今回の件には紗和も関わっていると思っていた。だから一時的に紗和を置いていくのは当然で、莉乃の状態を確認し、必要な手配だけ済ませれば戻ればいいと考えたのだ。冷えきった紗和の表情に、かすかな嘲笑が浮かんだ。「看病する気がないなら、あんなふうに私を奪い合ってまで、世話をするふりなんてしなくていいわ」
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第114話

自分が残酷だというのか。紗和は笑いたくなったが、弁解する気にもなれなかった。怜央も言い争う時間が惜しく、すぐに出ていった。莉乃が自殺するのではないかと心配だった。莉乃は幼い頃から蝶よ花よと育てられ、少し指をぶつけただけでも泣くほど痛みに弱い。紗和のように我慢強くはない。怜央は、紗和が痛いと訴えるところなどほとんど聞いたことがなかった。怜央はボディガードに紗和を見張らせた。下半身が動かず、肋骨まで折れているのだから、自分では何もできず、結局は怜央に頼るしかないと思っている。別の大病院へ到着すると、怜央は莉乃の姿を目にした。全身にひどい殴打の痕があり、何か所も骨折している。内出血も起こし、青白い顔は涙で濡れていた。怜央を見つけるなり、泣き叫びながら両手を伸ばし、抱いてほしいと訴えた。怜央は拒まず、赤ちゃんを扱うように優しく抱き上げた。「怜央くん、私の脚が……折れちゃった。痛い、すごく痛いの」怜央は痛ましげに眉を寄せ、なだめた。「大丈夫だ。必ず治す。まだ若いから骨も早く治る。すぐ元どおりになる」「治らないわ。見たのよ。骨が砕けて、肉に突き刺さってた。このまま一生、歩けないかもしれない。怜央くん、私、もう終わりよ」見る影もなくなった莉乃を前にしながら、怜央の脳裏には紗和の眼差しが浮かんだ。絶望の果てに何も感じなくなった、あの目が頭から離れない。自分が去ったことで、紗和は傷ついているのではないか。一瞬ためらったあと、指先で莉乃の涙をそっと拭った。「泣くな。頼むから。君が泣いていると、俺までつらくなる」そう言いながらも、浮かんでいるのは紗和の目と、そこにたまった涙だった。あの涙を、自分は拭ってやらなかった。「怜央くん、このままずっと抱いていて。痛いの。怖い。抱きしめていてほしい」怜央はうなずいた。莉乃を落ち着かせるため、安心して眠るまで、このまま抱いているつもりだった。莉乃は出国前、少しわがままに振る舞った。だが今受けた苦しみに比べれば、令嬢の癇癪にすぎない。怜央はもう許していた。怒りに目を燃やし、邦彦に尋ねた。「花宮さん、誰が莉乃をこんな目に遭わせたんです?犯人はどこに?」「莉乃は何も見ていない。頭を覆われていたんだ。現場には監視カメラもなく、警察もまともに取り合わなかった
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第115話

その時、邦彦が言った。「担当医の話では、世界最高の脊椎外科医であるダイソン医師にすぐ手術をしてもらうしか、莉乃が回復する望みはないそうだ」あまりの偶然に、怜央は息をのんだ。また、ダイソン医師なのか。だが不思議ではなかった。複雑な症例を治療できる医師が誰かは、医療界で広く知られている。莉乃の怪我は、目で見ても重篤だった。骨が完全に折れているのだから、神経も無事ではいられない。怜央が症例を調べても、これほど難しい脊椎外科手術の経験を持つのはダイソンだけだった。しかし、紗和にも手術が必要だ。息が詰まりそうになった。紗和に、ダイソン医師の治療を受けさせると約束したばかりだ。手術は目前に迫っている。紗和も重傷だが、莉乃のように傷口から骨が露出しているわけではない。怜央には、莉乃のほうがダイソンの治療を必要としているように思えた。それでも約束した以上、すでに病院へ向かっている紗和を先に治療させ、その後で莉乃を診てもらうべきだった。決めかねていると、病室から悲痛な泣き声が聞こえた。怜央はすぐ中へ駆け込んだ。莉乃は泣き続け、皮膚から突き出した白い骨を指さした。「怜央くん、私、もう脚を失うの?絵里香さんが、紗和さんに頼まれた人が私の脚を折ったって言ってた。本当なの?」怜央は聞き終えると、ゆっくりうなずいた。紗和以外に、理由が思いつかなかった。莉乃は長い間国内で暮らし、こちらには知り合いもほとんどいない。到着した途端、これほど残酷で明確な意図を持った報復を受けるなど、偶然とは考えられない。紗和が脚の感覚を失った直後に、莉乃の両脚が潰された。紗和自身の指示でなくても、無関係ではないはずだ。莉乃はさらに激しく泣き、小さな身体を震わせた。ここまで弱りきった莉乃を見るのは初めてだった。その痛々しさに、怜央の胸が締めつけられる。長年、たとえ恋愛感情はなくても、莉乃を実の妹のように大切にしてきた。身体の関係まで重なった今、そこには家族以上の感情もある。怜央は優しい声で慰め続け、最後に莉乃の額にそっと口づけた。それから莉乃をベッドに戻し、担当医と話し合った。医師の判断は変わらない。回復の可能性を残すにはダイソン医師に執刀してもらうしかなく、それができなければ切断するほかないという。「切断?どうして
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第116話

邦彦は涙を浮かべたまま言った。「どうして君一人で頼みに行くんだ?莉乃を連れていってくれないか。医師を呼びに行って戻ってくるだけでも、どれだけ時間がかかると思う。あの子は重傷なんだ。一刻も待てない」さらに、すがるように頼み込んだ。「これまで一度も、君に無理な頼みをしたことはない。今回だけはお願いだ。莉乃をダイソン医師のところへ連れていき、すぐ手術を受けさせてくれ」怜央も、莉乃には一刻も早く治療を受けさせたかった。だが、紗和にまで影響を及ぼしたくはない。今の紗和はひどく落ち込み、下半身が動かなくなったことで、ほとんど口も利かなくなっていた。考えているのは、1日も早く治療を受けることだけだ。そこへ莉乃を連れていき、先に手術を受けさせれば、紗和がどれほど打ちのめされるか分からない。怜央はきっぱり断った。「連れていくことはできません」邦彦は涙ながらに尋ねた。「なぜだ、怜央君。君ならできるだろう。莉乃を連れていけば、すぐ治療を手配できるじゃないか」怜央はしばらく考え、答えた。「莉乃は俺の妻ではありません。連れていけばマスコミに知られ、騒ぎになる。そんなことはできません」邦彦は言い返さず、必ずダイソン医師を連れて戻り、莉乃を手術してほしいと何度も頼んだ。怜央は車に乗り、紗和のいる病院へ向かった。紗和を乗せた車はとっくに到着しており、医師から手術の説明を受けていた。怜央は病室の扉をノックし、中へ入った。ベッドは背もたれを起こした状態で、紗和はそこに座っていた。呼吸はもう落ち着いているが、両脚は動かない。数日間の投薬と持ち前の回復力で、外見からは怪我がほとんど分からなかった。病衣をまとい、顔色は青白く、表情も冷え切っている。それでも美しさは変わらない。一方、莉乃は全身に傷を負い、両脚からは膿が流れ、折れた骨が皮膚を突き破っていた。身体の半分が壊れてしまったかのような惨状だった。見るに堪えないという言葉さえ足りない。それに比べれば、紗和は少なくとも見た目だけは痛々しく崩れていなかった。両脚が動かないことを除けば、何の異常もないように見える。怜央は莉乃の話を切り出そうとしたが、なかなか言葉にできなかった。椅子に腰を下ろし、ダイソン医師と紗和の話が終わるのを待った。ダイソンが今回の手術を非常に重
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第117話

紗和は、8年もの間愛してきた男を見つめた。いちばん大事な時に、背後から刃を突き立ててきたのが、よりにもよってこの男だったとは。一刻も早く治療が必要な今、夫という立場を使って、健康を取り戻す道をふさごうとしている。紗和は、これまで一度も見せたことのない目で怜央を見た。赤く腫れた瞳には、深い後悔と絶望だけが残っていた。怜央は急に、なだめるような口調になった。「紗和、これで最後だ。莉乃が治ったら、もう二度と会わない。これからは、お前だけを大切にする」長年、隣で眠ってきた男が、まるで知らない人間に見えた。理解できない言葉を口にし、理解できないことを平然とする。本当に、この男が自分の愛した人なのだろうか。違う。二人の関係は、今この瞬間に完全に終わった。紗和が一方的に注いできた愛に、自ら終わりを告げたのだ。「私が予約していた医師を莉乃のために奪うつもりなのね。整形外科の手術は、一度に十数時間かかることもある。両脚なら何度も手術が必要で、何週間にもわたるかもしれない。私にとっては、治療できる最良の時期と唯一の機会を失うことになる。二度と立てなくなるかもしれないのよ。それでも構わないと思っているの?」「そんなことにはならない。莉乃の治療に、そこまで時間はかからない。終わり次第、すぐお前を手術してもらう。間に合わせてみせる」はっきり話せている紗和を見て、怜央は大げさに言っているだけだと思った。莉乃を治療させないため、わざと深刻に訴えているのだと。紗和は以前から莉乃を敵視し、晴翔をそそのかしたのも莉乃だと決めつけている。両脚を失うことが怖いから、医師を独占し、莉乃のもとへ行かせたくないのだろう。紗和には、怜央が何を疑っているか分かった。どうせ本当のことを話しても、信じてもらえない。これ以上、説明する意味はなかった。怜央を見つめ、最後の質問をした。「私と莉乃のどちらかを選ぶなら、あなたはどうしても彼女を選ぶのね?」「違う、そうじゃない。あいつは今すぐ治療しなければ、脚を切断することになる。紗和、莉乃にそこまでの罪はない。お前のせいで脚を失わせるわけにはいかない!」その瞬間、紗和はすべてを察した。こんな質問をした自分が愚かだった。尋ねる意味など、初めからなかったのだ。「分かった。受け入れるわ。た
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第118話

なぜ紗和が突然これほどの条件を突きつけるのか、怜央には理解できなかった。彼はただ、治療が数日遅れるだけだと思っていた。それなのに紗和は、御堂ホールディングスの将来の相続分を除き、今持っている資産のほぼすべてを要求した。怜央の資産がどれほどあるか、紗和はおおよそ把握していた。800億円とは、ほぼ全財産を差し出せということだ。ほとんど無一文で追い出されるのと変わらない。少し医師を借りるだけで、紗和の治療に支障はない。それを口実に、自分を追い詰めようとしている。「あまりにも薄情じゃないか?今回の治療が終われば、もう莉乃には会わないと約束した。これで命を救ってもらった恩も返せる。それでも足りないのか。なぜ、そこまで俺を追い詰める?」紗和はうなずいた。「薄情なのは私じゃない。自分が何をしているのか、よく考えて。私から生きる道を奪おうとしているのは、あなたでしょう。あなたと莉乃に、私は何度傷つけられた?こんな身体になったのも、すべて二人のせいよ。条件を呑めないなら、予定どおり私に手術を受けさせて」怜央も、紗和がダイソン医師を渡すつもりなどないと悟った。どれだけ話しても、同意は得られない。莉乃の治療は一刻を争う。紗和がどうしても認めないなら、もう許可を求める必要はなかった。「紗和、俺をここまで追い詰めたのはお前だ。すまない」そう言い残し、きっぱりと背を向けた。これ以上、相談する気はなかった。紗和は胸騒ぎを覚えた。その時、スマホが鳴った。絵里香から送られてきたのは、彼女と怜央の音声メッセージだった。【怜央、紗和が下半身不随になったのなら、治療なんて受けさせないほうがいいわ。治ったら、また相続権を盾にあなたを操るでしょう。離婚すれば、もっといい男を捕まえられるとでも思っているのよ。動けないままにしておけば、おとなしくなる。これからは莉乃と好きなところへ遊びに行けるし、紗和も離婚する勇気なんてなくなる。あなたは相続権を守れて、あの女は指をくわえて見ているしかない】怜央の返事は、短いものだった。【ああ】画面を見つめたまま、紗和の涙が堰を切った。絵里香が、後継者の妻になった自分をずっと妬んでいることは知っている。怜央がいつも絵里香の話を聞くことも、よく分かっていた。そして、その提案は怜央にとって筋が
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第119話

焦る気持ちに身体がついてこなかった。車椅子で長い坂の半ばまで来たところで、力が尽きた。手を放すと、車椅子は後ろへ滑り出し、紗和は悲鳴を上げた。ようやく自分のために闘うと決めたのに、またすべてを奪われようとしている。制御を失ったまま後ろへ下がり、紗和は恐怖に目を閉じた。だが、覚悟した転倒は起こらなかった。目を開けると、二人のボディガードが車椅子の両脇に立ち、しっかり押さえていた。紗和の胸の奥が熱くなった。この人たちが与えてくれる安心感には、覚えがある。尋ねようと口を開くより先に、ボディガードが答えた。「望月さん、ご安心ください。手術は予定どおり行われます。お身体が第一です。病室へお戻しします」紗和の目が赤くなった。おそるおそる確かめる。「私の先生は、連れていかれないの?」「そのようなことはありません。どうかご安心を。必ず最高の治療を受けていただけます」力強く落ち着いた声に、ようやく胸をなで下ろした。心の奥に、温かなものが流れ込んでくる。以前、自宅に侵入され襲われかけた時にも、この人たちが守ってくれた。彼らはずっと、姿を見せずに紗和を守っている。そうさせている主人もまた、いつも彼女を見守ってくれていた。紗和は初めて、ある願いを口にした。「九条会長に、お会いすることはできますか?」長年、自分を守る人物が誰なのか、どんな関係があり、何のためにそうしてくれるのか、何一つ知らなかった。突然、その顔と正体を知りたいと思った。*怜央はダイソン医師を見つけ、別の地域へ往診してほしいと1000万ドルを提示した。だが、ダイソンは迷うことなく断った。「なぜですか?」予想外の答えだった。どれほど優れた専門家でも、巨額の報酬を拒む者はいないと思っていた。この金額なら、国内最高の医師を国外へ呼んで手術させることさえできる。ダイソンの返事は簡潔で、提案に少しも興味がないことが伝わってきた。「時間がありません」そこへ助手が現れ、怜央の前に立った。「こちらからお引き取りください。重要な手術の準備があります」重要な手術とは、紗和の脊椎を整復し、神経を修復する手術だ。怜央はなおも食い下がった。「ダイソン先生、妻の状態は急を要しません。しばらく延期しても問題ありません。別の場所へ往診し
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第120話

怜央は、手術を受けさせたい女性が誰なのか話していない。それなのに、ダイソンは初めから知っているようだった。「妻が何か言ったんですか?」ダイソンがここまで冷淡な理由を、怜央はようやく理解した。誰かから不倫のことを聞き、心の底から軽蔑しているのだ。怜央は自分の印象を取り繕おうとした。「妻から何を聞いたか知りませんが、事情は違います。今回は妻にも身勝手なところがあった。怪我はそこまで重くないのに、報復のため、無実の女性を重傷に追いやったんです。神は誰も見捨てないのでしょう?あなたが手術しなければ、その女性は脚を切断することになる。どうか事情をくんで、先に彼女を手術してください。終わったら必ず悔い改めます。俺もキリスト教徒になります」ダイソンの表情は厳しかった。「一つ訂正させてください。奥様は重傷です。ただ、とても強い方でもある。これから複雑な大手術を受けるというのに、恐れを見せない。本当に勇敢な方です。私は医師としての人生を懸けて、奥様を元どおりにしてみせます。それができなければ、二度とメスは握りません」そして、さらに冷たく続けた。「あなたの心は罪に満ちています。心から罪を認め、悔い改め、二度と同じ罪を犯さないつもりがないのなら、信仰まで利用しないでください。今すぐ、ここから出ていきなさい」これほど厳しく拒まれるとは思っていなかった。だが莉乃の脚を切断させないと約束してしまった。怜央は途方に暮れた。本当に切断することになれば、莉乃は必ず死のうとする。美しさを失い、障害を負った自分など、受け入れられるはずがない。それでもダイソンに話し合う意思は一切なかった。怜央は最後に、懇願した。「では、妻の手術が終わったら、すぐ向こうへ行っていただけませんか。彼女には本当に先生が必要です。手術を受けられなければ脚を切断することになり、自殺してしまいます。お願いします、ダイソン先生。私個人の罪のせいで、無実の人まで見捨てないでください。すべて私が悪いのです。妻には必ず償います」「奥様の状態は、あなたが考えているほど軽くありません。行きたくないのではなく、行くことができないのです。奥様が再び自由に歩けるようになるまで、私は離れません」怜央は肩を落としたが、さらに提案した。「それなら患者をここへ連れてきます。時
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