All Chapters of 夫と息子に捨てられた私、大物の子を授かった: Chapter 301 - Chapter 310

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第301話

絵里香は言った。「知らないの?あなたのお兄さん、九条征臣が街の南側に、とんでもない規模のレイクサイド・ガーデン邸を建てたのよ。希少な花が千種類以上も植えられていて、まるで別世界みたいなんだって。湖まで丸ごと敷地に含まれているらしいわ。乗馬場もゴルフ場もあって、上流階級が好みそうなものは何でもそろってる。それに、将来の妻のためだけに建てた屋敷だって噂よ。お披露目の日にはパーティーも開かれて、名の知れた有力一族の若い世代が一斉に招待されるの。縁談のきっかけを作るには、これ以上ない機会じゃない」絵里香がしきりに「お兄さん」と口にするのを聞き、莉乃はそこでようやく、現在の九条家を率いる征臣のことだと気づいた。莉乃は薫子の指示で、行方不明になった九条家の令嬢になりすましている。絵里香からすれば、征臣が莉乃の兄ということになるのは当然だった。「ええ、知ってるわ。最近いろいろありすぎて、頭から抜けていただけ。あなたも出席するの?」「当たり前でしょ。九条会長ほどの人が開くパーティーよ。絶対に行くわ。だから莉乃、早くここから出してよ」莉乃にも、絵里香の狙いはすぐにわかった。だが、どれだけ期待したところで無駄だろうとも思った。征臣が絵里香を選ぶはずがない。その冷ややかな反応を感じ取った絵里香は、たまらず口を開いた。「莉乃、私じゃお兄さんに釣り合わないって思ってるの?確かに九条会長は別格よ。でも、あの人に釣り合う女なんて、そう簡単に見つかるものじゃないでしょ。体格もしっかりしてるし、背も高い。私だって長身だから、少なくとも並んだときの見栄えは悪くないわ。もし私が九条家の奥様になれば、あなたとは今まで以上に近い身内になるのよ。あなたにとっても悪い話じゃないでしょう?」もちろん絵里香には、口に出していない思惑もあった。そのパーティーには、名のある若い有力者がほぼ勢ぞろいする。征臣との間に何も起こらなかったとしても、別の大物と縁をつなぐことはできる。とはいえ、何より重要なのは、莉乃に頼んで征臣との間を取り持ってもらうことだった。モデル並みのスタイルに加え、莉乃とのつながりもある。自分ならきっとうまくいくと、絵里香は本気で信じていた。ここ数日、朝から晩まで考えていたのはそのことばかりだった。こんなところに閉じ込められ
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第302話

高台一帯には、二列にわたっていくつもの邸宅が建ち並んでいた。そのすべてが、征臣一人の所有だった。来客を泊めるための建物ではない。どれも征臣自身が使うために建てられたもので、それぞれ趣も造りも異なっている。使用人が常に手入れをしているため、どの屋敷も塵ひとつなく、建物の手前には広大な庭園が広がっていた。敷地に入ると、まず巨大な噴水と池が紗和の目に飛び込んできた。色鮮やかな花々が道の両側を埋め尽くし、夜気の中には濃密な花の香りが漂っている。ゲートを抜けてからさらに十数分走り、ようやく点在する邸宅の姿が見えてきた。それぞれの建物には明かりがともり、夜の庭園を幻想的に照らしている。やがて車は、複数の棟が連なる壮麗な洋館の車寄せへ滑り込んだ。床には一面に大理石が敷かれ、吹き抜けの天井は見上げるほど高い。内装は乳白色と黒を基調に、金の装飾が随所にあしらわれている。思わず息をのむほど美しかった。車のドアが開くと、征臣は紗和を連れて館内へ入った。これほど豪奢な場所を目にするのは初めてで、紗和は思わず辺りを見回した。腰を下ろして間もなく、数キロ先にある警備棟から内線が入った。征臣は受話器を取り、相手の報告を聞くと、わずかに表情を変えた。「もう来たのか」「誰が?」「例の祖母だ」紗和の顔に、たちまち怯えが浮かんだ。「私、席を外したほうがいい?」胸の鼓動が急に速くなる。薫子にはこれまで二度、何の理由もなく一方的に暴力を振るわれている。その記憶は、今も生々しい恐怖として紗和の中に残っていた。だが征臣は、迷いなく言い切った。「その必要はない」そして、何でもないことのように続ける。「俺がお前より祖母を選ぶとでも思ったのか?安心しろ。俺にとってあれは、ただの老いぼれた魔女だ。とはいえ、向こうが大勢を引き連れて堂々と乗り込んでくる以上、俺も表向きはそれなりに体面を保つ必要がある。今の段階で公然と手を出せば、ほかの年長者たちの反感を買って、国内で動くにも支障が出るからな。だが、俺たちは互いに承知のうえで芝居をしているだけだ。あとは相手が隙を見せるのを待って、一撃で仕留めればいい」紗和は思わず目を見開いた。「おばあさまのこと……そんなに憎んでるの?」以前、薫子に殴られた紗和のために、征
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第303話

紗和にとって何より衝撃だったのは、薫子に隠し子がいたことだった。年齢から考えれば、その人物は少なくとも自分たちの親世代で、50代か60代といったところだろうか。詳しくまでは聞かなかった紗和は、ついあれこれと想像を巡らせた。しばらくすると、使用人に案内されて来客が入ってくる気配がした。今回も薫子は車椅子ごと持ち上げられ、4、5人の男たちに運ばれてきた。ただし、彼らが普段携帯している武器は、すべて入口で預けさせられたらしい。まだ姿も見えないうちから、薫子のよく通る声が響いてきた。「征臣、どうしてそこまで意地を張るの。おじいさま――私の亡き夫のお墓参りに二人で行くと公表して、日取りまで決めていたでしょう。私は午後までずっと待っていたのよ。それなのに、あなたは『すぐ行く』なんて嘘をついて、結局、黙って先に済ませてしまった。そのせいで、私たちの不仲を3日間も報道されて……」しかし、征臣の隣に座る紗和の姿を目にした瞬間、薫子の言葉がぴたりと止まった。驚きが、そのまま顔に浮かぶ。この女のことは覚えている。何度も殴った。そのたび、一切手加減などしなかった。それがなぜ、ここにいるのか。薫子はすぐに話題を変えた。「征臣、そちらの方は?」陰鬱な視線が、紗和の全身を値踏みするようになぞっていく。征臣は淡々と答えた。「俺の女です。望月紗和。あなたの将来の孫嫁でもあります。紗和、おばあさまに挨拶しろ」薫子の顔に、いくつもの感情が入り乱れた。何の後ろ盾もないと思い込み、何度も痛めつけてきた娘が、いつの間にか征臣を後ろ盾につけている。あまりにも予想外の展開に、薫子はすぐには言葉を返せなかった。紗和は緊張していた。すると征臣が手を伸ばし、その手をそっと握った。掌から伝わる温もりに、張り詰めていた心がわずかにほどける。「お……おばあさま」薫子の機嫌は、目に見えて悪くなった。「いつ、どこでこんな女と知り合ったの。おばあさまが余計なことを言っているなんて思わないでちょうだい。でも、この女だけはだめよ。男のお下がりでしょう。前の夫だって、この街では名の知れた家の人間だったはずよ。わざわざほかの男が捨てた女を拾えば、世間の笑いものになるだけじゃない」紗和の胸に、鋭い痛みが走った。征臣の屋敷で
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第304話

「征臣、誤解しないでちょうだい。おばあさまは、みんなのためを思って言っているのよ。ただ、こんな身内の秘密を部外者の前で話してしまって、本当にいいのかしら」深いしわに囲まれた老いた目が、何度となく紗和へ向けられる。紗和は部外者だ。こんな秘密を知る資格などない。薫子が言いたいのは、そういうことだった。征臣は苛立ちを隠そうともせずに答えた。「誰が部外者なのかは、俺が一番よくわかっています。余計な心配は結構です。それに、この話を俺の妻が外へ漏らすのか、御堂怜央にまで知らせるのか、それを決めるのも俺です」薫子は怒りで顔を引きつらせた。だが紗和は、それどころではなかった。征臣は先ほど、自分を「俺の女」「将来の孫嫁」と紹介した。それが薫子に挑発されると、今度はためらいもなく「俺の妻」と言い切ったのだ。それは、薫子がこれ以上紗和を侮辱する余地を完全に封じる言葉だった。同時に、何があっても自分が紗和の側に立つという、揺るぎない庇護の意思でもある。そして何より、傷ついた紗和を安心させるための言葉だった。征臣は紗和を疎んじてもいなければ、薫子の言葉に惑わされてもいない。薫子は一度息を整えてから、再び口を開いた。「征臣、私が莉乃をあなたの従妹に仕立てて、怜央と結婚させたのには二つ理由があるの。まずは九条家のこれからのためよ。九条家の主力は世界規模の医薬品事業、御堂家は貿易を軸に実業を広く手がけている。両家が姻戚になれば、事業でも互いに力を貸し合えるでしょう。九条家にとって大きな追い風になるし、それは御堂家にとっても同じことよ。もう一つは、あなたの本当の従妹が長年行方不明のままだということ。あの子が今さら戻ってくれば、グループの内部は必ず揺れるわ。今の安定こそ、亡くなったおじいさまが望んでいたものよ。美雲の娘が戻ってきて、九条家の財産の半分を持っていくことなんて、あの人だって望んでいないはず。あなたが私と手を組めば、偽物を本物にしてしまえる。莉乃に遺産を相続させたあと、株と信託財産を私たちへ譲渡させればいいのよ」紗和の胸が激しくざわついた。薫子の企みは、莉乃に自分の身分を与えるだけではなかった。莉乃を操り人形として利用し、その手を通じて遺産まで奪い取るつもりだったのだ。征臣は冷笑を浮かべたまま、淡
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第305話

その一言は、紗和の胸に大きな波紋を広げた。征臣に婚約者がいる。そんな話は、一度も聞いたことがなかった。胸の奥に、言葉ではうまく表せない苦い痛みがじわりと広がっていく。征臣は以前、紗和に自分の女になれと言った。結婚するとも、はっきり口にしていた。それなのに、すでに婚約者がいるなどとは思いもしなかった。ただ、征臣の反応は紗和の予想とは違っていた。どうやら本人も初耳らしい。「どういうことです?」薫子は目を細め、満足げな笑みを浮かべた。「今日ここへ来た一番の目的は、その話よ。あなたの一生に関わる大事なことですもの。さっき私があの女に厳しく言ったのも、あなたの婚約相手が、あの女とは比べものにならないほど美しく、品もあって、家柄もあなたに釣り合っているからよ。身持ちもよく、昔からずっとあなたを慕っているの」紗和の顔から、少しずつ血の気が引いていった。征臣はその手を握り、軽く力を込めた。心配するな。そう伝えるような仕草だった。それでも、婚約の話そのものは確認しておかなければならない。「おじいさまが決めた婚約ですか?」薫子はうなずいた。「おじいさまは昔から、あなたの妻に迎える相手を決めていたの。東都でも指折りの名家、葉山家の令嬢――葉山美玲よ。ただ、両家ともこれまで正式には公表してこなかっただけ。あなたが海外から国内へ拠点を移した今、美玲がわざわざ遠くへ移り住む必要もなくなったでしょう。ちょうどいい機会なのだから、昔の約束どおり結婚なさい。そばにいるその女は、離婚歴があるうえ、流産までして、もう子供も産めないと聞いたわ。手切れ金でも渡して、私の目の前から消してちょうだい」紗和は唇をかみしめ、握っている手に無意識のうちに力を込めた。そのわずかな変化を感じ取った征臣は、長い指で手の甲をそっと叩いた。だが次の瞬間、その眼差しはぞっとするほど冷たくなった。「俺が一番苦しかったとき、葉山家は一度も手を差し伸べなかったんです。そんな家の娘を、なぜ俺が娶らなければならないんです?」薫子は意味ありげに目を細めた。「本当に約束を反故にするつもり?葉山家は、簡単に敵に回していい相手ではないわ。ともかく、私はもう先方に承諾の返事をしてあるの。あとは若い人同士で、よく考えて決めなさい。対応を誤れば、
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第306話

薫子が帰ったあとも、紗和の気持ちは晴れなかった。先ほど聞いた言葉が、何度も頭の中で繰り返される。――婚約相手は、あの女とは比べものにならないほど美しく、品もあって、家柄も釣り合っている。――身持ちもよく、昔からずっとあなたを慕っている。どうしても気になってしまい、征臣が電話に出ている隙に、紗和は薫子が口にした「葉山美玲」という名前をネットで検索した。調べれば調べるほど、胸の奥に苦いものが積もっていく。美玲は、東都四大名家の中でも筆頭とされる葉山家の令嬢だった。生まれたときから何不自由なく育ち、幼い頃から最高水準の教育を受けている。まるで本物のプリンセスのように育てられたその経歴は、紗和とは比べものにならないほど華やかだった。ウィーン経済大学で学んだあと、東都の名門大学へ進み、さらにロンドンへの留学経験もある。優れているのは勉学だけではなかった。カーレースやバドミントンの大きな大会でも優勝経験があり、目立った欠点など見当たらない。仕事の経歴も華々しかった。実家の力だけに頼ることなく金融市場で実績を上げ、アメリカ市場の株式や債券への投資で莫大な利益を生み出したという。その美貌と手腕から、金融界きっての才媛として知られていた。ネット上には、大会に出場したときの写真も数多く残っていた。私生活の写真はほとんど見当たらない。それでも、どの写真を見ても凛とした気品があり、簡単には近づけないような華やかさをまとっていた。確かに、征臣ほどの実業家の隣に立つには、申し分のない女性に見えた。二人とも投資や資産運用を得意としているという点でも、よく似合っている。それに比べて、自分はどうだろう。コードを書いて、ゲームを作ることくらいしかできない。それ以外に、人に誇れるほど目立った取り柄があるとも思えなかった。言葉にできないほどの落ち込みに沈んでいると、不意に顎をつかまれ、強引に顔を上げさせられた。驚いて声を上げる間もなく、唇を塞がれる。温かな吐息に、嗅ぎ慣れた香りが混じっていた。征臣だった。彼はとっくに電話を終え、紗和のところへ戻ってきていた。だが紗和はスマートフォンの画面に夢中で、まったく気づいていなかったのだ。征臣は何も言わず隣に立ち、紗和が何を見ているのか、しばらく上から
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第307話

「交換条件だ」そう言われて、紗和はようやく思い出した。交換条件――それは、征臣の女になることだった。「でも……」声が沈む。なぜか無性に泣きたくなった。あのとき征臣は、利益を考えたうえで紗和を選ぶと言った。けれど当時は、ほかにもっと有利な選択肢があることを知らなかっただけだ。今は美玲がいる。葉山家の後ろ盾を得られるうえ、美玲自身も美しく、聡明で、有能。非の打ちどころのない令嬢だ。そんな美玲ではなく、あえて自分を選ぶ理由など、紗和にはどうしても思いつかなかった。征臣は紗和の腰を抱いたまま身体の向きを変えた。だが、自分たちがまだソファの上にいることを、すっかり忘れていたらしい。勢い余って二人そろって床へ転がり落ち、そのまま征臣が紗和を絨毯の上へ押さえ込む。身体が隙間なく重なり、紗和は身動きひとつ取れなくなった。服越しに伝わってくる征臣の熱が、肌までじりじりと焼くようだった。「まだ余計なことを考えるなら、罰だ」そう言うなり、征臣は強く唇を重ねた。口づけたまま、紗和が贈ったネックレスを襟元から引き出す。冷たいペンダントが、深く唇を重ねるたびに揺れ、何度も紗和の首筋をかすめた。財界でも一目置かれるほどの男が、まるで子供じみた意地を張るように、自分を床へ押し倒している。こんな姿など、想像したこともなかった。全身を熱が駆け巡り、胸の鼓動が激しく跳ねる。やがて息さえ続かなくなり、紗和は甘く吐息を漏らしながら、もう許してほしいと訴えた。それでも征臣は唇を離さない。そのまま低い声で命じた。「あなたと呼べ」紗和には従うしかなかった。「あ……あなた」征臣は満足げに片眉を上げると、続けて命じた。「今度は、お兄ちゃんだ」紗和はすでに耳まで真っ赤になっていた。その言葉の意味がわからず、戸惑いに目を瞬かせる。征臣が自分の従兄であることは、もちろん知っている。以前「お兄さん」と呼ぼうとしたときには、兄じゃないと機嫌を損ねたはずだ。それなのに、どうして今さらそんな呼び方をさせたがるのか。紗和の疑問を見抜いたように、征臣が答えた。「夫であるのが前提なら、兄と呼ばせてやってもいい。夫じゃないなら、兄だけでいる気はない」征臣自身、紗和を求める気持ちは、兄が妹へ向ける情など
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第308話

最後にもう一度だけ、征臣は紗和の唇を軽く噛んだ。「床は冷える。いつまでもこんなところに寝かせておくのは忍びない」漆黒の瞳の奥には、必死に押し殺した欲が沈んでいる。それでも征臣は自制し、ようやく紗和の唇から離れた。そして手を差し出す。「手を」紗和がその掌に自分の手を重ねると、征臣はそっと引き起こした。つい先ほどまであれほど強引だった男が、まるで別人のように穏やかになり、そのまま屋敷の奥を案内していく。邸内はどこを見ても美しく、紗和がかつて漠然と思い描いたことのある光景が、いくつも現実のものになっていた。庭園の奥には、西洋神話の女神像を柱にあしらった東屋があり、その近くには花の蔓が絡みつくブランコも設けられている。浴室は驚くほど広かった。床より一段低く造られた大きな浴槽を囲むように緑が植えられ、南国の果樹からは甘い香りが漂っている。まるで熱帯の森の中で湯につかっているような造りだった。ピアノ室やアトリエはもちろん、紗和のために最新設備をそろえたゲームルームまで用意されている。そして最後に案内されたのが、ドレスルームだった。クラシカルなカーテンが垂れる広々とした室内には、オペラ劇場の衣装部屋を思わせるほど数多くのドレスが並んでいる。まるで高級ブティックを、そのまま一軒丸ごと移してきたかのようだった。その中央には、ひと目で心を奪われる真紅のドレスが飾られていた。以前、紗和を見下した店で目にしたものなどとは比べものにならない。深く鮮やかな赤が照明を受けて艶やかに映え、紗和は目にした瞬間から視線を外せなくなった。征臣は、紗和が気に入ったことなどすぐに見抜いていた。「これはお前のものだ。明日はこれを着て、俺と一緒に出席しろ。お前が俺の女だと、全員に正式に紹介する」「全員に?」紗和は思わず目を見開いた。「そうだ」皆の前へ連れていくとは、以前から聞かされていた。ただ、どんな立場で紹介されるのかまでは知らなかった。征臣も、そろそろ伝えておくべきだと考えたのだろう。紗和には心の準備をする時間も、前の結婚から新しい立場へ気持ちを切り替える時間も必要だった。「九条家は、もともとこの街で最も力のある名家の一つだった。俺が戻ったことをいつまでも伏せていれば、九条家はもう衰えた、財産
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第309話

今夜のパーティーで誰よりも目立つため、絵里香は惜しみなく金をかけていた。有名デザイナーのオートクチュールドレスを、マネージャーを通して借りた。朝からエステサロンへ入り、全身を徹底的に磨き上げ、細かなところまで入念に手入れをした。そのうえ莉乃の機嫌を取るため、ずっと大切にしていた希少なバッグまで泣く泣く差し出した。すべては今夜、莉乃から征臣へ紹介してもらい、少しでも距離を縮めるためだった。莉乃のもとには、すでに薫子から連絡が入っていた。何も恐れる必要はない。九条家の令嬢として、堂々と出席すればいい。そう言われ、張り詰めていた莉乃の神経もようやく緩んだ。絵里香からバッグを受け取るだけでは飽き足らず、もう一つ欲しいとまで要求した。絵里香は内心不満だったものの、征臣へ引き合わせてくれるのならと、パーティーのあとにもう一つ贈ることを約束した。事前に話が通っている以上、征臣も人前で自分を拒絶するようなことはしないだろう。ひょっとすると、本当に長年行方不明だった九条家の令嬢として、多少なりとも目をかけてくれるかもしれない。そう考えた莉乃は、絵里香の頼みをすべて引き受けた。このパーティーをきっかけに征臣の後ろ盾を得られれば、自分も若い世代の中で屈指の影響力を持つ存在になれる。そんな期待まで抱いていた。ただ一つ残念なのは、すでに腹に子供がいることだった。今さら征臣の女になる余地はない。そうでなければ、莉乃自身が一度くらい試してみたかった。今は絵里香がその立場を手に入れるのを見守るしかない。莉乃はさほど興味もなさそうな口調で言った。「私のお兄さまは、普通の男じゃないわ。紹介したからって、うまくいくとは限らないわよ」絵里香は満面の笑みを浮かべた。「わかってるって。莉乃もちゃんと力を貸してね。私が九条家のお屋敷に住むことになったら、あなたはいつでも好きなだけ泊まりに来ていいから。それに征臣さんに頼んで、莉乃をこの街で一番のお金持ちにしてもらうわ」二人は、征臣が街の南側に大規模な邸宅を建てたことをすでに知っていた。山と湖に囲まれた広大な敷地には、乗馬場やゴルフ場だけでなく、ヨットまで用意されているという。湖も一見しただけでは海と見間違えるほど広いらしい。二人とも、一刻も早く実際に見てみ
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第310話

広大な敷地の中央に建っているのは、ひときわ大きな邸宅ただ一つだった。高台からは裏手の湖を一望でき、湖畔から続く広い芝生が、そのまま屋敷の前まで伸びている。湖上には最新型の高速水上艇や数隻のヨットが浮かび、釣りやウォータースポーツも楽しめるようになっていた。瀬川がこれほど大規模な屋敷を実際に目にしたことはなかった。映画やドラマに登場する大富豪の邸宅ですら、ここまでではないだろう。しかも征臣は、海外にも島や古城を含む不動産をいくつも所有しているらしい。まさに桁外れの資産家だった。いくつもの噴水や、それぞれ趣の異なる庭園を通り抜け、ようやく来客用の駐車場へたどり着く。そこから母屋までも、まだかなり距離があった。駐車場は高級車で埋め尽くされ、さらに先にはプライベートジェット用の駐機スペースまで設けられている。瀬川は並んだ車に目を奪われ、思わずスマホで何枚も写真を撮った。門をくぐった瞬間から、この屋敷の主の財力に圧倒されっぱなしだった。それでも、怜央を気遣うように言った。「九条会長は、もう40代です。社長はまだお若いですから、あと10年もあれば、同じくらいの資産を築けるかもしれません」そう言われると、怜央も完全には否定できなかった。来客を出迎えていたのは、征臣の側近たちだった。その中には勲の姿もある。怜央は彼を見つけ、声をかけた。「高城さん」勲の目元に、わずかな笑みが浮かんだ。先日、怜央と莉乃に会ったときには冷淡だったが、今日は機嫌がいいらしい。自ら手を差し出して怜央と握手を交わし、そのまま親しげに中へ案内した。客を迎えるホールは、一般的な宴会場とは比べものにならないほど広かった。高価なワインやシャンパンが惜しみなく並び、星付きレストランのシェフたちが手がけた料理が、テーブルいっぱいに用意されている。「高城おじさま」勲が怜央を案内していると、背後から声がした。怜央には、振り返るまでもなく誰なのかわかった。案の定、ハイヒールの音が近づいてくる。莉乃はふくらんだ腹に片手を添えながら、ハイヒール姿のまま、わざと優雅さを演出するように歩いてきた。怜央と勲が話しているところを見つけ、あえてこのタイミングで姿を現したのだ。征臣から何らかの指示を受けている勲なら、自分にも
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