جميع فصول : الفصل -الفصل 80

86 فصول

17.出しっぱなしのカップ③

「あの、偉央さん、私……」 結葉は偉央から手渡されたパジャマを受け取りながら、甲斐甲斐しく自分の世話を焼いてくれる偉央に、申し訳なくて堪らなくなる。 思わず、「寝込むほど体調、悪くないんです」言おうとして、偉央に「ん?」と聞かれた途端、言葉に詰まった。 馬鹿正直に「そんなに辛くないの」と告げてしまったら、「じゃあ何で幼馴染みの彼に玄関先まで付き添ってもらったの?」と聞かれてしまうと思い至ったからだ。 言えるわけない、と先の言葉を飲みこんだ結葉は、 「……ごめんなさい」 と、自分の仮病に振り回されてしまっている偉央に、謝罪の言葉を述べるだけに留めた。 そもそも、いま偉央は診察時間のはずなのだ。 こんなところで結葉相手に油を売っている場合ではないのでは? そう思ってソワソワと偉央を見つめたら、「仕事のことを気にしてくれてる?」 ふっと柔らかく、偉央に笑いかけられた。 その笑顔は結葉が偉央と付き合い始めたばかりの頃にはよく自分に向けられていた懐かしい笑みで。(偉央さん……) 結葉は、この笑顔を長いこと見ていなかったことに気が付いて、胸がキュッと切なく疼いた。(私たちはどこで間違えてしまったの?) 泣きそうな目で偉央を見上げたら、 「そんなに気にしなくて大丈夫だよ、結葉。この雪で今日は患者もほとんど来ないんだ。ハムスターのこともあったし、何かあったら連絡もらえるよう受け付けに言って、少し抜けてきただけだから。――こう言うことができるのってさ、やっぱり家が職場の前だからこそ、だよね」 そこまで言ってスッと瞳を眇めると、偉央の声のトーンがほんの少し下がったのを感じた結葉だ。「それに……帰ってきたの、ある意味正解だったなって思うよ」 それは、結葉が弱っていたから面倒が見られて良かったという意味なのか、それとも想と一緒にいる現場を押さえることが出来て、間違いが起こるのを未然に防ぐことが出来て良かったという意味なのか。 偉央の言葉の真意を測りかねて、結葉は思わず俯いた。
last updateآخر تحديث : 2026-08-09
اقرأ المزيد

18.臨界点①

「結葉、ただいま。遅くなってごめんね。体調はどう?」 置手紙には「なるべく早く帰るようにする」と書かれていたけれど偉央は実際にはいつもより一時間ばかり遅くなって帰宅した。 事前に電話で「ごめん、結葉。午後から患者さんが増えて今日は遅くなりそうなんだ」という連絡があったから、結葉は落ち着いた気持ちで待っていられたし、少々偉央の帰りが遅くなったからと言って時間が定められた予定があったわけじゃない。 何の問題もなかった。 むしろ、一人で過ごせる時間が伸びたことにホッとしてしまったくらいで。 それが、何となく後ろめたかった。 「お疲れ様です。体調は……ゆっくり身体を休められたのですっかり元気です」 結葉は偉央の荷物を受け取りながら、胸の奥にわだかまった罪悪感を誤魔化すみたいに笑顔を作る。 心の中では偉央の反応にビクビクする自分がいるのを一生懸命抑えながら、なるべく昔の自分を思い出そうと頑張ってみた。「――それは良かった」 偉央はそんな結葉をとても穏やかな眼差しで見つめてくれて。 結葉は偉央の優しさを素直に受け取れない自分が心底嫌になる。(偉央さん、ごめんなさい……) こうして偉央から優しくされている時にでさえ、実は何か裏があるのではないかとか勘繰ってしまうし、もっと言えばほんの些細なことで偉央の態度が急変してしまうのではないかとビクビクしっぱなしで。 そんな自分が許せなくて苦しい結葉だ。 実際にはそれらは結葉が悪いわけではなくて、今まで偉央が彼女に対して取ってきた態度がそうさせているに過ぎないのだけれど――。 結葉は長い年月をかけて偉央から呪いのように掛けられた〝結葉が悪いんだよ〟という言葉の呪縛に囚われていて、そ
last updateآخر تحديث : 2026-08-10
اقرأ المزيد

18.臨界点②

「どうしてだろう? 今日の結葉はいつもよりたくさん僕に笑いかけてくれるね」 どこか遠い目をしてつぶやかれた偉央の言葉に、「無理して笑っていたことがバレてしまったんだ。偉央さんは私のそういう態度を快く思っておられないんだ」と胃の奥がキリリとした痛みを訴える。「……い、偉央さんが、いつもよりすごくお優しいので」 それに報いたいだけなのだと言外に含ませれば、偉央が「そっか」と淡く微笑んだ。「僕はいつも通りのつもりなんだけどな? そんな風に感じるのは結葉がそうしなければならない何かを抱えているからじゃないの?」 聞こえるか聞こえないかの微かな声で低く密やかに零された偉央の言葉に、結葉はただただ背筋がゾクッとして。(私、気付かないうちに偉央さんを怒らせるようなこと、何かしてしまったの?) それが分からないから、結葉はひたすらに偉央の意味深な言動が怖かった。*** 一人呆然と立ち尽くす結葉を一瞥すると、偉央は「――とりあえずシャワー浴びてくるね。店にも予約を入れてあるし……続きは移動しながら話そうか」と、不穏にも聞こえる言葉を残して、バスルームへと消える。***  偉央が風呂場に行ってしまってからも、結葉は微塵も動くことが出来ないままその場にいて――。 頭の中でひとつひとつ今日あったことを整理してみたけれど、思い当たる節がなくて混乱するばかりだった。 偉央が怒っている理由がハッキリと分からないから、結葉の心の中では訳もわからないままに恐怖心だけがどんどん膨らんでしまう。  「――偉央さん、ごめんなさい」 結果――。
last updateآخر تحديث : 2026-08-10
اقرأ المزيد

18.臨界点③

 記念日などにケイタリングを利用することはあっても、店に出向くことはほぼなくなっていたから、久々の外食をすごく新鮮に感じたと同時に〝何故?〟という思いが結葉の中にふつふつと込み上げてくる。(今日は何かの記念日?) 結葉は、ふとそんなことを考えてしまって。 席についてすぐ、偉央は結葉には食前酒としてスプリッツというほろ苦いソーダ割りのカクテルを頼んでくれて、自分は運転があるからとジンジェリーノというノンアルコール飲料を注文した。 どちらも赤みがかった見た目がよく似ていて、パッと見には偉央の方にはお酒が入っていないだなんて分からない感じ。「たまには結葉もお酒、飲みたいでしょう? 僕に遠慮せずたくさん飲んでね。僕と一緒だし、少々羽目を外して飲み過ぎたって問題はないよ?」 と微笑む偉央に、結葉はたまらなくソワソワしてしまう。 オロオロと自分を見つめてくる結葉の視線に気付いた偉央が、「結葉、このところ凄く気を張ってるみたいだったから。――ね?」と他意はないのだと含ませてくる。「乾杯」 偉央にグラスを掲げられた結葉は、訳もわからないままにそれに合わせながら、ずっと疑問に思っていたことを彼に問いかけてみた。「あの……偉央さん、……今日って何かの……」 ――記念日だったりしますか?と続けようとして、もしも重要な何かの日だったとして、それを失念していると明言してしまうのはいけない気がして。 思わずセリフ半ばで言葉を止めた結葉だ。「――ん?」 偉央はグラスの中身をひとくち口に含んで、そんな結葉に視線を向けると「ああ」と柔らかく微笑んだ。「今日は何の日だろう?って気にしてる?」 聞かれてグラスを手にしたまま小さくうなず
last updateآخر تحديث : 2026-08-11
اقرأ المزيد

18.臨界点④

「……偉央、さん?」 恐る恐る手元から顔を上げて正面に座る偉央を見つめたら、心底愛しい者を見る目で見つめ返された。 偉央のことは怖いし、酷いことも沢山されてきたけれど、確かに自分はこの人に愛されているんだ、と胸の奥がズキッと疼いた結葉だ。 そうしてその痛みがときめきとは違うことに気が付いて切なくなる。(私は偉央さんのこと――) 嫌いじゃないし、昔のように愛したいと思っている。 だけど――。 そう思う時点で、もう彼のことを〝愛せていない〟自分に気付かされてハッとした。 偉央の気持ちに報いることが出来ない自分が凄くダメな存在に思えて、思わず眉根を寄せて偉央を見つめてから、「あ、だからなんだ」と直感した結葉だ。(偉央さんは、私の気持ちが自分から離れつつあることに気が付いていらっしゃる。……だからこそ、こんなにも私のことを力で支配しようとしておられるのね) と。 きっと結葉が偉央を不安にさせないくらい彼のことを愛せたなら、今の関係を変えられる気がする。 でも――。 偉央が今みたいに自分を支配するのをやめてくれないと無理だ、とも思って。 それは相反する事柄だから、擦り合わせなんて出来っこないとも痛感してしまった。*** 結局結葉は偉央に促されるまま、スパークリングワインも飲んでしまって。 食事が終わる頃にはかなり酔いが回っていた。 かろうじて倒れずに済んでいたのは偉央に対する緊張感と、外食の場という雰囲気の相乗効果だったのだろう。「結葉、大丈夫?」 食事を終えて席を立つ時、フラッとよろめいた結葉の腕を掴んで偉央が尋ねてきた
last updateآخر تحديث : 2026-08-11
اقرأ المزيد

18.臨界点⑤

 二十四時間体制でコンシェルジュが常駐しているマンションだ。 もしも偉央に抱き抱えられてエントランスを抜けたんだとしたら、物凄く目立ったはずだ。(やだ、恥ずかしい……) いくら久々にお酒を飲んだからといっても、大失態にも程がある。 (偉央さんにもちゃんとごめんなさいをしなくちゃ) 「……偉央、さん?」 そう思いながら夫の名を呼んで自分の横を見たけれど、既に偉央の姿はベッドの上にはなかった。 時計を見ると七時をさしていて。  結葉は朝の支度をしなければ!と慌てて身体を起こした。 「――っ!」 途端ズキンと頭に痛みが走って、ついでのように胃の奥がムカムカして気持ち悪いことに気が付いた。(二日酔い……?) あんなに飲んだのだから、なっていても不思議ではない。 ますます最悪だ、と思いながらも痛む頭を押さえてベッドから足を下ろして。 そこで結葉は「え?」とつぶやいた。 足首に感じる違和感は二日酔いのせいだろうか? 視線を転じた先、左足に銀色の輪が嵌められていて、そこからキラキラと光を跳ね返す鎖が長々と続いているのが見えた。 まるで小型犬につけるお洒落な鎖みたいだな、と思ってから、それが自分の足首とどこかを繋いでいるのだと自覚した結葉は、瞳を見開いた。「え……? 何、これ……?」  状況が飲み込めなくて固まる結葉に、寝室の扉が開いて偉央の穏やかな声が掛かる。「おはよう、結葉。僕からのプレゼントは気に入ってくれたかな?」 ベッドに腰掛けたまま固まってしまっている結葉のそばにやってくると、偉央が「今日から結葉はその鎖をつけて生活するんだよ?」と抱きしめてきた。 「偉、央……さん?」 夫が何を言っているのか分からなくて、抱き寄せられ
last updateآخر تحديث : 2026-08-12
اقرأ المزيد

18.臨界点⑥

 唯一あるのは例のキッズ携帯のみ。 しかも今までは登録されていたはずの親族関連の連絡先が、偉央の携帯と『みしょう動物病院』の第一診察室――偉央の診察室――への直通電話のみになっていた。 偉央との連絡には何ら支障はないけれど、他には連絡させるつもりはないのだと暗に仄めかされているようで、結葉は陰鬱とした気持ちでその小さな端末を眺めた。 そんな結葉に、この一ヶ月というもの、偉央は可能な限り「愛してる」とささやいて、時には泣きそうな顔で「僕をひとりにしないで?」と結葉を腕の中に閉じ込めて抱きしめた。 一方結葉の方は、偉央からの歪んだ愛情が受け止めきれなくて、行動の自由とともに偉央へのなけなしの愛情までもがすり減っていくのを感じずにはいられなくて。 日々思うのはこの鎖を断ち切って外に逃げ出したいということばかり――。 なのに実際にはそんなこと出来そうになくて心が死んでいくような、そんな感覚に蝕まれていく。 結葉のなかではこの生活に対する「もう無理だ」と言う臨界点はとっくに超えていたから。 毎日のように自分に嵌められた足枷を外そうと、無駄な足掻きを続けている。 偉央には結葉のそういう気持ちが分かるんだろう。 「僕はこんなにもキミを愛してるのに何故分からないの?」と言う言葉で、ますます結葉をがんじがらめにしていった。  金属の足枷は歩くたび結葉の柔らかな肌をこするから、どうしても足首に擦り傷が出来てしまう。 偉央は毎日夜になると結葉の足枷を外して傷口をチェックしては手当をしてくれたけれど、右足、左足、と交互に日替わりで付け替えても、傷はどんどん深くなるばかり。 実際には結葉がそれを外そうと日中に色々模索しているから余計にいけないのだけれど、それも含めて|偉
last updateآخر تحديث : 2026-08-12
اقرأ المزيد

19.結葉の決断①

「雪日、ママとずっと一緒にいようね」 ケージの掃除をした後で、移動用キャリーの準備をしながら、結葉は自分をまん丸な目で見上げてくるハムスターの雪日に声をかけた。 こうしていると、かつて想の妹・芹から譲り受けた初代のハムスター・福助のことを思い出す。 雪日は偉央が連れ帰ってきたハムスターだけど、結葉の中では何故か想や両親の思い出と繋がって。 監禁生活のなか、結葉の心が平常に保てていたのは、雪日の存在があったからに他ならなかった。 今日は足枷が外されているから、いつもより心も身体も軽く感じられる結葉だ。 ただ、偉央は結葉が思うほど甘くはなくて――。 部屋の暖房がいつも以上に高めに設定されて稼働しているのは、結葉が下着以外身につけることを許可されていないからだ。 部屋中を探してみたけれど、足枷が外されたと同時に結葉の服はこの家の中から消えていて。 そればかりか偉央の服もクローゼットに一着も残されていなかった。 結葉が下着姿では外には出られないと偉央には分かっているのだ。 でも――。 結葉はこのチャンスを逃す気はない。 お風呂場からバスタオルを持ってきて、膝の上に載せたまま、黙々と雪日を連れ出す手筈を整えている。 このマンションは、下に降りれば日中ならば女性のコンシェルジュが二名常駐しているはずだから。 結葉はそれに賭けることにしたのだ。 もしも今日に限って男性コンシェルジュだったら……と考えると怖かったけれど、それはそれで開き直ろう、とも思った。 頭の中でエレベーターに乗り込んでロビーに向かうまでの道のりを何度も何度も思い浮かべて。 結葉は
last updateآخر تحديث : 2026-08-13
اقرأ المزيد

19.結葉の決断②

 もっと言えばタワーマンションの上層階に住んでいる結葉にとって、エレベーターがどこに止まっているか、でかなり待ち時間が異なることも気になってしまう。 仮に運よく誰にも出会わずエレベーターが呼べたとして、中から人が降りてこない可能性もゼロではなかったし、エレベーターに乗った後にしても、他の階から誰かが乗り込んでこない可能性もないわけではない。 一階に着いてからエレベーターホールに足を踏み出した時、ロビーにコンシェルジュ以外の誰かがいることだって十分に考えられた。 エレベーターからまるで風呂上がりの様な格好をした女性が飛び出してきたら、きっとみんな何事かと思うはずだ。 下手したら通報されかねない。 でも――。 それでもそんな諸々のリスクを冒してでも、自分はこのミッションを遂行しなくてはいけない、と思って。 もしもいま勇気を振り絞らなかったら、偉央の呪縛から逃れられる日は一生こない気がしたから。「雪日、ママ頑張るね」 カサカサと音のするトートバッグの持ち手を肩に掛けると、自分を鼓舞するようにそうつぶやいて、結葉は静かな廊下に足を踏み出した――。*** 幸い上層階の内廊下でも、エレベーターでも第三者に出会うことなく一階まで降りることができた結葉は、箱内で「開」のボタンを押したままロビーの様子を探って。(良かった。誰もいない) 死角になっている位置については絶対とは言えないけれど、少なくとも目視できる範囲に人影はなかった。 ふぅーっとお腹の底から出し切るように空気を吐き出すと、結葉はエレベーターから外に出る。 雪日の入ったトートバッグを胸前に抱える様にして、なるべく自分の格好が隠れる様に無駄な足掻きをしながら、小走りでコンシェルジュのいる入り口正面のカウンターを目指した。(女性だっ) 視界に飛び込んできたカウンター内、常駐している二名のコンシェルジュは|結葉《
last updateآخر تحديث : 2026-08-13
اقرأ المزيد

19.結葉の決断③

 結葉は、出来れば、今後もここに住み続けなければいけない偉央に不利になるようなことは話したくないと思っていたから。 自分がまだ偉央に対してそういう気遣いが出来ることにほんの少し驚きつつ。 でも、とも思う。 どの道結葉がこんな騒ぎを起こしてしまった以上、コンシェルジュの二人が偉央のことをフラットな目で見られなくなるであろうことは確かだったから。(偉央さん、ごめんね……) 心の中で謝らずにはいられなかった。 ***  結葉は斉藤から渡された制服のワンピースを身につけると、ジャケットを羽織りながら電話機に近付く。 深呼吸をして頭の中で自分が電話番号を記憶していて、いま現在唯一頼ることが出来る幼なじみの番号を慎重にひとつひとつ確かめるようにプッシュした。『……もしもし?』 コール数回。 電話口から、いつも結葉に語りかけてくる時より少しつっけんどんに聞こえる想の声が聞こえてきて。 結葉は安堵感から受話器を耳に当てたままその場にへたり込んだ。 すぐに声が出せなくて間が空いてしまったからだろう。『あの――』 と、想が怪訝そうな声を出して。 結葉は震える声を必死に抑えながら「想、ちゃん?」と呼び掛けた。 それと同時、電話の先で息を呑む気配が伝わってきて。『結葉……?』 恐る恐ると言った風に結葉の名を呼ぶ声がした。「……んっ」 想からの問い掛けにすぐにでも「そうだよ」って答えたいのにうまく言葉が紡げなくて。「うん」もマトモに言えなかった結葉だ。
last updateآخر تحديث : 2026-08-14
اقرأ المزيد
السابق
1
...
456789
امسح الكود للقراءة على التطبيق
DMCA.com Protection Status