「──あと、七千三百五十二枚」冷たい井戸水に浸した指先の感覚が、とうの昔になくなっていた。 王宮の厨房裏にある洗い場。 そこには山のように積まれた汚れた皿、皿、皿。 私の名前はリアナ・フォレスト。一応は伯爵家の長女だが、現在の職業は「王宮の臨時皿洗いスタッフ(時給九百ベル)」である。「一枚洗うごとに〇・五ベルの収入。洗剤の消費量を一押しあたり〇・二ベルに抑えれば、利益率は三%向上する……」ブツブツと呟きながら、私は無心でスポンジを動かしていた。 手荒れでひび割れた指に洗剤が沁みるが、痛みなどどうでもいい。痛みは金にならないが、皿洗いは金になる。それが全てだ。父が友人の連帯保証人になり、五千万ベルという途方もない借金を背負わされてから二年。 庶民の平均年収が二百四十万ベルの世界だ。五千万ベルなんて、私のような人間が飲まず食わずで二十年働いても返せない。 屋敷の使用人は全員解雇、家財道具は売り払い、残ったのはボロボロの屋敷と、借金取りの怒号、そしてまだ幼い弟と妹だけ。 私が働かなければ、明日のパンも買えない。「リアナちゃん、休憩入っていいわよー」 「はい、ありがとうございます」厨房のおばちゃんに声をかけられ、あかぎれだらけの手をエプロンで拭き、厨房の勝手口から外へ出る。 華やかな王宮の表側とは違う、資材搬入用の殺風景な裏庭。ここが私の唯一の安息の地だ。私はポケットから、セロハンテープで補強した丸眼鏡を取り出してかける。 世界がぼやけた色彩の塊から、鮮明な輪郭を取り戻す。 そして、その辺に落ちていた手頃な木の枝を拾い上げると、地面の土を均した。「ふう……さて、と」ストレス発散の時間だ。 私は脳裏にこびりついている数字を、土の上に書きなぐり始めた。Σ_{i=1}^{n} (Cost_i × 1.15) - ∫_{0}^{t} Profit(t) dt ≠ Budget_total (総コスト(15%上乗せ) − 累積利益 ≠ 総予算)それは、皿洗いの最中に偶然耳に入った、休憩中の財務官たちの愚痴だった。 『北方の城壁修繕プロジェクト、また予算不足だ』『資材高騰で三億ベルの赤字見込みだとさ』と彼らは嘆いていたけれど。「……違う。絶対に違う」ガリガリ、と枝が土を削る音が心地よい。 私の脳内で、数字たちがダンスを踊り始め
最終更新日 : 2026-07-12 続きを読む