All Chapters of 娘の命日に離婚宣告。クズ夫が土下座で大後悔: Chapter 101 - Chapter 110

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第101話

「いやっ、話は遥さんが思っているようなことじゃないんです。怜司の奴は……あの楽譜を莉奈ちゃんに渡したかったわけじゃないんです。あれは遥さんが書いたものだから、全部集めておきたかっただけで……!」駿は焦りの色を滲ませて言葉を継ぎ、どうにか遥をなだめようとする。怜司の抱える複雑な感情は、長年の付き合いになる駿でさえ、実のところ理解に苦しむものだった。破り捨てられた楽譜の切れ端を、怜司が拾い集めていたあの時も、駿は思わず首をひねってしまったのだ。あれではただ、相手をいたずらに振り回しているだけではないか、と。だが、直後に怜司がこぼした一言だけは、今でも鮮明に耳に残っている。「遥さんの楽譜は一つも逃したくない。莉奈ちゃんには絶対に渡さないって、あいつが!」常識的に考えれば、到底理解できない振る舞いだ。全部集めておきたいと執着する一方で、1億円の返済を容赦なく迫る。少なくとも駿には、まったくもって腑に落ちない行動だった。しかし、あの男の傍らに長年いた友人としてこれまでを振り返れば、わずかに理解できる気もしてくる。なにしろ怜司という「イカれた男」は、己の真意を素直に言葉にすることが、誰よりも下手なのだ。いつだって、常軌を逸した行いでしか感情を表現できない。「集めておきたかったですって?要するに、こういう形で私を痛めつけたかっただけでしょう。1億円のために夜も眠れず、あちこち駆けずり回らせて」遥の唇に、嘲るような笑みが浮かぶ。あまりにも都合のいい言い訳だ。さすがは怜司の親友であり、医師でもある駿だ。怜司の周囲にいる人間など、最初から誰一人信じるべきではなかった。「怜司は君のことを大事に思いすぎているからこそ、失うのが怖くて、あんな極端なやり方しか選べなかったんですよ。君たちの間には、ずっと誤解やすれ違いがあったでしょう……」駿はなおも弁解を重ねたが、遥の耳にはもう何一つ届いていなかった。大事に思っている、だなんて。この6年間、怜司が遥をどう扱ってきたか。他でもない遥自身が、嫌というほど思い知らされている。どんなもっともらしい理由を並べられても、それだけは絶対に信じられない。「なら鈴木先生は?どうして怜司に手を貸したりしたんですか。ずっと友達だと、親友だとさえ信じていたのに、あなたまで私にこんな仕打ちをする
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第102話

それでも駿は素直に答えた。【少し腕を掴んだだけだよ。気絶させるときに首の後ろを軽く叩いて、あとは部屋まで運んだ。ただそれだけだ。妙な勘繰りはやめてくれ】このふたりは、神様が自分に与えた試練か何かに違いない。駿はやりきれない思いで重いため息をつき、もう一度怜司へメッセージを送った。【彼女の精神状態はかなり不安定だ。最初に診た時から忠告してきたはずだ。今もその状態は続いていて、この先さらに悪化する恐れもある。真剣に考えてくれ】駿は精神科に限らず、もともと何でも診こなす医者だ。人の様子から事情を察するのにも長けている。今の遥がひどく不安定で、無理に平静を装っているだけなのは一目で分かった。張り詰めた糸のようにギリギリの精神状態だ。その糸が切れれば、遥自身も危うい。【分かった】返ってきたのは、その短い一言だけだった。眠っている遥を見つめ、駿は重苦しい息を吐き出す。怜司の方も、花梨と莉奈の件が残っている。どちらを考えても頭が痛かった。……遥はゆっくりと目を開けた。頭が重く意識はまだぼんやりしているが、直前の出来事はすぐに思い出した。怜司からの返信はまだない。遥は跳ね起き、靴をつっかけて戸口へ走った。力任せにドアノブを捻ると、今日はあっけなく開いた。廊下へ出たところで、少し離れた場所に駿が立っているのが見えた。手には雑炊の入った器を持っている。「遥さん、起きたんですね。少しでも食べてください。体のためにも、何かお腹に入れたほうがいいですよ」遥はその器を冷ややかに一瞥し、冷笑を浮かべると、無言で手を伸ばして叩き落とした。雑炊が床に飛び散る。それでも彼女は一言も発さず、そのまま真っ直ぐ外へ歩き出した。駿は床に散らばった雑炊を見つめた。これは怜司からわざわざ頼まれていた役目だった。なんとか少しでも食べさせて、体力をつけさせること。だが、今の遥の様子を見れば、素直に口にするはずがないことくらい、最初から分かっていた。「遥さん、待ってください!今、外に出るのは危ないです!」「いいから放っておいて!そこ、どいて!」遥が怒り心頭に発しているのは、駿にも痛いほど伝わっていた。無理に引き留めれば反発を招くだけだ。仕方なく、彼は身をかわして道を譲った。それでも駿は再びスマホを取り出し、怜司へメッセージを送る
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第103話

遥は怒りに任せて屋敷を飛び出した。あの息の詰まる場所から、一刻も早く離れたい一心だった。怜司は本当に、どうかしている。迷った末に、彼女は昭を頼ることにした。彼は自分の曲を高く評価してくれていたし、怜司のような無礼な振る舞いはしないはずだ。昭は不意の来訪に驚きつつも、嬉しそうに遥を迎え入れた。遥の曲を心から高く評価していたからだ。「急に押しかけてしまってごめんなさい。今日は曲作りをお手伝いできればと思って」遥が前置きもなく切り出すと、昭は笑って急がなくていいと答えた。「まずはお茶でもどうぞ。焦らなくていいですよ。僕たちはもう友達なんですから、今日は遊びに来たのだと思ってください」昭は楽譜の完成を急かす気はないようで、遥もそれ以上は踏み込まなかった。とはいえ、そんな彼の態度を見て、彼女にもはっきりさせておきたいことがあった。かつて実家で起きた、あの出来事についてだ。遥は昭に、当時、実家で起きたことについて何か知らないかと尋ねた。昭は眉をひそめ、確かなことまでは分からないと前置きしつつも、時間をかけて調べてみると約束してくれた。彼女にとって、それは十分に心強い言葉だった。一方その頃、怜司は病院のベッドにいた。尾行を任せた者から送られてきた、遥と昭が一緒にいる写真や映像を眺めるうち、嫉妬が胸の中で激しく渦巻いていく。傷はまだ塞がっておらず、少し動くだけで身を貫くような激痛が走る。それでも、遥が他の男と一緒にいると思うと、もうおとなしく寝てなどいられなかった。怜司は医師の制止を振り切り、点滴を強引に引き抜くと、傷口も塞がりきらないまま病院を飛び出した。向かう先は昭のオフィス。遥を連れ戻す、その一心だった。怜司がオフィスの入り口に姿を現した時、遥と昭は楽譜の細部について話し込んでいる最中だった。突然、ドアが勢いよく開け放たれ、ふたりは驚いて顔を上げる。そこに立っていたのは、顔面蒼白で、目だけに異様に冷たい光を宿した怜司だった。どうしてここまで追ってくるのか。遥はもう、こんな狂ったような追跡には耐えきれなかった。彼女は立ち上がると、怯むことなく怜司を真っ直ぐに見据えた。「怜司、今度は何のつもり?まだ私を苦しめる気?」こちらからメッセージを送っても返事すらしないくせに、自分には甘く、彼女のことに
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第104話

そう言いながら、遥はさらに昭の背中へと身を引いた。昭は怜司の様子に眉をひそめ、再び口を開いて宥めようとする。「怜司、もうやめるんだ。遥さんは明らかに一緒に行きたくないと言っている。無理を言うものじゃない」怜司は耳を貸す素振りも見せず、ただ一歩また一歩と遥へ近づいていく。迫り続ける怜司を見て、遥は思わず口走った。「怜司、自分の今の姿を見たら?あなたはいつも自分の利益しか考えない人だったでしょう?靖也さんにまで背後から裏切られているのに、私にかまけている暇があるの?まずは自分の後始末をつけるべきじゃないの!」靖也――その名を聞いた瞬間、怜司の足がピタリと止まった。冷え切っていたはずの瞳が、微かに揺れる。彼はきっと、昔のことを思い出していたのだろう。幼い頃、従兄弟から受けた裏切りが、怜司という人間を根こそぎ変えてしまった。それ以来、誰のことも信じられなくなったのだ。そんな彼に向けて、遥が今この言葉を口にしたことは、古傷を再び抉るに等しい行為だった。怜司の中で、理性の糸がぷつりと切れた。勢いのまま遥に迫り、両手で彼女の肩を強く掴む。骨が軋むほどの力で、その顔は怒りに歪んでいた。「お前に何が分かる!何も分かっていないくせにッ!」突然の激昂に、遥は息を呑んだ。怜司がここまで我を忘れたことなど、今まで一度もなかったのに。肩に走る激痛に涙が溢れそうになり、声は泣き出しそうに震えていた。「怜司、痛いよ!」その様子を見て、昭はすぐさま怜司を引き離そうと割って入った。「君、正気か!今すぐ放せ!」怜司は力任せに彼の腕を振り払い、脇へ押しのけた。それでもなお、遥の肩から手を離そうとしなかった。血走った目で遥を睨み据えたまま、声を絞り出す。「何であいつの名前を出すんだ?何でだ!」遥は、怜司がこれほど完全に我を失った姿を見るのは初めてだった。「怜司、落ち着いて!こんなことをしたら、私はもっとあなたを嫌いになるだけよ!」その容赦のない拒絶に、怜司の両腕が微かに震え始める。彼は遥の怯えた瞳を見つめた。その瞬間、理性がほんの少しだけ戻ってきたようだった。自分が何をしているのか、ふと我に返る。どうして彼女を傷つけることなどできるのか。たとえどれほど我を忘れていたとしても、こんなことをしてはいけなかった
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第105話

昭は驚きを隠せず、遥の決断に戸惑った様子を見せた。「遥さん、正気か?さっきまで、あんな目に遭わされていたのに!」「分かってます。でも……あの人をこのまま放っておけないです」かつて愛した人であることに変わりはない。彼が目の前で苦しみながら死んでいく姿を、黙って見ていることなどできなかった。結局、女は情にほだされやすいものなのだろう。それでも遥は、自分に強く言い聞かせていた。これはただ、彼の手当てをするだけのこと。それ以外のことは何も考えないようにしよう、と。昭は仕方なさそうに深くため息をついた。「はぁ……分かった。外で待ってるよ。もし彼がまた乱暴しようとしたら、大声で呼んでくれ」そう言い残すと、心配そうに怜司の方を一瞥し、オフィスを出て静かに扉を閉めた。遥はゆっくりと彼に近づいていった。怜司は虚脱したように座り込んだままで、近づいても何の反応も示さない。彼女は怜司のそばにしゃがみ込み、そっと手を伸ばしてその肩に触れた。怜司はそれでようやく、我に返ったように顔を上げた。その眼差しは深く沈み、どこか警戒の色も帯びていた。「私……あなたを手当てしたいの。祖母から教わったツボ押しがあるの。少しは楽になるかもしれないから」今の怜司には、うかつに近づいてはいけない。彼はもう、以前の彼ではなくなっていたからだ。それに、彼が今のような姿になったのは、他でもない自分の言葉のせいでもあった。遥は、怜司があの一言をそれほどまでに恐れていたとは、本当に知らなかった。自分にも心の傷があるように、怜司にも彼なりの影があるのだろう。それでも、これほど長く彼を想っていたはずなのに、今の今まで気づかなかったことに、遥自身も少しショックを受けていた。怜司はわずかに身を強張らせた。遥がこの期に及んでなお、自分を助けようとするとは思っていなかったらしい。彼は唇を動かし、何か言おうとしたが、結局は何も言わなかった。遥は彼が拒まないのを見て、もう迷わなかった。彼女は両手を伸ばし、祖母に教わった通りに、怜司の背中のツボをそっと押していく。手つきこそやや不慣れだったが、その動きは非常に的確だった。ツボを押していくにつれて、怜司の眉間の皺が少しずつ緩み、呼吸も次第に落ち着いていく。「まだ痛い?」彼の体にはまだ傷があ
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第106話

「乗って。病院まで連れて行くから」怜司は微かに驚いた様子で、弱々しく口にする。「いい……自分で……」言い終わらぬうちに、激しく咳き込んだ。「強がりはいいから!」遥は彼の言葉を遮り、強引に背負い上げた。大柄な怜司の体は、今は力が抜けているとはいえ、遥にとってはかなりの重労働だった。苦労して立ち上がると、足元がふらつく。昭はすぐに駆け寄り、怜司の体を支えて遥の負担を軽くした。ふたりは小走りで、怜司を外の車まで運び込んだ。遥は救急隊へ再度連絡し、時間を短縮するため、途中で落ち合うことにした。病院に着くと、怜司は医療スタッフに引き継がれ、すぐにストレッチャーで救急処置室へと運ばれていった。怜司がこの数日、怪我をしていたことは知っていた。だが、なぜ傷がなかなか治らないのか、そもそもどうして負傷したのか、遥には何も分からなかった。これ以上は考える勇気がなかった。――もし本当に、私のためだったとしたら……だとしたら、いったい何のために、そこまでしてくれたのか。目の前にいるこの男のことが、ますます分からなくなっていく。すべてが落ち着いたのを見届けると、遥は踵を返した。病院の出口を出たところで、再び涙が視界を滲ませる。自分の情けなさに、また涙が溢れてしまった。深く息を吸い込み、もうすべて終わりにしなければと自分に言い聞かせる。これ以上、怜司との関係に深く踏み込んではいけない。一方、花梨は怜司が負傷して入院したと聞き、急いで病院へと駆けつけた。意識を失ったまま病床に横たわる怜司を見て、胸が痛み、涙が溢れそうになる。「怜司、どうしてそんなに無茶をするの……」花梨は小さく呟きながら、慌ててベッドの傍らに腰を下ろし、怜司の手を握った。ハンカチを取り出し、彼の額に浮かぶ汗をそっと拭う。回診に来た医師は、怜司の傷は重く、体はひどく衰弱していて、状態も安定しておらず、数日間は意識が戻らない可能性もあると告げた。花梨は悲痛な面持ちを装って何度も頷いた。この数日のうちに、怜司の世界には自分しかいないようにしてしまわなければ。それからわずか1日後。怜司の指先がシーツの上で微かに動き、彼は目を開けた。意識はまだはっきりせず、頭に重い靄がかかったようにぼんやりしている。それでも脳裏には、ぼんや
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第107話

花梨は呆然とした。怜司がこうも都合よく勘違いしてくれるとは、思いもしなかった。さっきまでは嘘がばれるのではと内心冷や冷やしていたが、これでかえって面倒がひとつ省けたことになる。だが、この件は時限爆弾のようなもので、いつ爆発するか分からない。もしも怜司がいつか真実を思い出してしまえば、これまでの苦労はすべて水の泡になる。考えれば考えるほど恐ろしくなる。このまま簡単に済ませてはいけない。「大丈夫よ、怜司。私はずっとあなたを愛しているの。これからもずっと、あなたを待っているから」花梨は深く考えず、そのまま怜司に抱きついた。男は眉をひそめ、結局彼女を押し離した。「花梨、俺は実はお前に対して……」言葉が終わる前に、花梨はすぐに遮り、媚びるような眼差しで彼を見つめた。「大丈夫よ、怜司。分かってる。私はずっと待っているから」その先の言葉を、怜司は結局口にしなかった。怜司の世話を済ませたあと、花梨は医師を抱き込もうと考えていた。もちろん、普通の医師にそんな裏工作を持ちかける度胸はない。怜司の様子を見届けると、花梨は靖也に電話をかけた。都合のいい医師を見つけることなど、花梨ひとりの力では到底無理な話だ。だが、それができる人物がひとりだけいる。それが、靖也だった。「大事な用件なんだろうな」前回の協力が失敗に終わって以来、靖也は花梨にはもう利用価値がないと思っていた。花梨は深く息を吸い込んだ。「大変なことになったんです。あなたしか頼れる人がいないです」靖也は冷たく笑った。まるで、とんでもない冗談を聞いたかのように。「なんだ、お前にまだ利用価値があるのか?」これまで彼女は、決して怜司を害するようなことはしなかった。怜司こそが彼女の切り札だったからだ。だからこそ、以前靖也から怜司に薬を盛るよう持ちかけられた時も、彼女は即座に拒んでいた。だが、今回は違う。花梨は事の経緯を一部始終、靖也に打ち明けた。「彼の記憶を少しずつ曖昧にする薬が欲しいんです。あの日の真実を、一生思い出せないように。靖也さんなら伝手があるでしょう?お願い、手に入れてくれませんか」その声はほとんど泣き出しそうで、懇願するようだった。靖也は聞き終えると、しばし黙り込み、やがて冷たく笑った。「はっ。お前もずいぶん
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第108話

「分かってます。とにかく、今回は本当に助けられました」靖也は彼女を一瞥し、鼻を鳴らすと、それ以上口を開く気もないようだった。花梨は薬を手に病室へ戻った。病床の怜司を見つめるその手は、微かに震えていた。ベッドの傍らに腰を下ろし、眠る怜司の顔を見つめながら小さく呟く。「怜司、恨まないでね。これも全部、あなたを愛しているからなの。あなたを失いたくないから……」そう言いながら薬瓶を開け、錠剤をひとつ取り出す。それを密かにすり潰して粉末にすると、何気ない様子を装いながら怜司のグラスに混ぜ入れ、よく掻き混ぜた。怜司が目を覚ますと、花梨はグラスを手に歩み寄った。「お水を飲んで。水分を摂らないと」怜司は少しも疑わず、グラスを受け取ると一気に飲み干した。だが飲み終えた瞬間、その顔色が急に変わった。花梨の心臓は大きく跳ね、手にしたグラスが滑り落ちそうになる。薬の味に気づかれたのではと一瞬で焦りが込み上げ、慌てて口を開いた。「怜司、あなた……どうしたの?」怜司は眉を強く寄せ、歯を食いしばりながら、やっと言葉を押し出す。「傷が……痛いっ」それでようやく花梨は息をついた。咄嗟の対応が下手なせいで、あやうくボロを出すところだったと冷や汗をかいた。「大丈夫、大丈夫よ。さっき動いた時に傷に響いたんだと思う。すぐにお医者さんを呼んでくるから」花梨は病室を出ると、壁に背を預けた。心臓はまだ、どくどくと音を立てていた。……昭のオフィスにて。遥は楽譜を見つめていた。今まさに、インスピレーションが少しずつ湧き上がってきているところだった。傍らに座っていた昭が、ついに口を開いた。「遥さん、本当に怜司のことが好きじゃないのか」遥の手がふと止まる。顔を上げ、迷いもなく首を横に振った。どうして昭が突然そんなことを尋ねるのか分からなかった。ここ最近、彼との関係はずっと良好だったはずなのに。ふたりはこれまで何でも話してきた仲だったが、怜司を好きかどうかという話題だけは、ほとんど口にしたことがなかった。「ええ、好きじゃありません」昭はその言葉を信じていないようだった。これで好きではないと言えるのだろうか。それに調べたところによれば、遥はこれまで、自分を押し殺すほど卑屈な恋をしてきた。3年の片想いの末に結ばれ、結婚し
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第109話

映像には、遥が怜司にツボ押しを施し、病院まで付き添って連れて行った場面が映っていた。もしこの映像を怜司に送ったら……花梨はきっと、あの男から冷たい目を向けられることになるだろう。以前の遥なら、迷わずそうしていただろうし、むしろ愉快に思っていたはずだ。けれど今はもう、昔とは違う。彼女は首を横に振り、小さく言った。「いいんです、もうどうでもいいですよ。どうせ怜司とは離婚するんだから、今さらそんなことにこだわっても仕方ありません」実のところ、遥は知らなかった。怜司がずっと花梨に恩義を感じていたのは、あの時自分を救ったのが花梨だと勘違いしていたからなのだ。何年も前、怜司が事故に遭って重傷を負った時、花梨は偶然、遥が彼を救うところを目撃した。遥はそのまま病院に付き添って世話をしていたが、彼女が席を外した隙に、花梨は怜司が遥に渡したものを盗み出した。元々は金に換えるつもりだったのだ。ところが後になって、ベッドに横たわっているのが藤井グループの御曹司だと知る。これはまさに、千載一遇の好機だった。そこで花梨は嘘をつき、怜司に、自分こそが命の恩人なのだと思い込ませたのだ。それ以来、怜司は彼女を特別に扱うようになっていた。ただ、遥はそのことを何も知らない。だからこそ、この映像の本当の重みにも気づいていなかった。昭は彼女が本当にこれ以上関わりたくないのだと察し、それ以上は何も言わなかった。「この映像は、こちらでずっと保管しておく。もし欲しくなったら、いつでも渡せるから」昭はそれ以上は無理強いせず、スマホをしまった。その日以降、昭はかつて遥の母が殺害された事件の犯人を調べる中で、いくつかの手がかりが、次第に西園寺家へと繋がっていくことに気づいていった。だから彼は、今すぐ遥に真実を話すつもりはなかった。すべてを調べ尽くしてから伝えようと決めていたのだ。今はまだ疑いの段階に過ぎない。遥との協力関係を、無用に壊したくはなかった。だから遥に尋ねられても、彼はただ「まだ何も分かっていない」と答えるだけだった。彼女も特に責めようとはしなかった。手がかりがまったく見つからないことは、自分でも分かっていたからだ。もう大きな期待は抱いていなかった。調べても尻尾が掴めないということは、相手がそれだけ強大な後ろ盾を持っている
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第110話

それから数日後、花梨のスマホが突然鳴った。見知らぬ番号だった。電話に出ると、加工された機械的な声が聞こえてきた。「白川さん、あなたが藤井遥さんを陥れたいことは知っています。私なら力になれますよ」――私を助けてくれる?花梨は最初、そう思った。だが、理由もなく人を助けてくれる者などいるはずがない。「あなたは誰?どうして私を助けるの?」相手はその反応を予想していたのか、ただ小さく笑った。「私が誰かは気にしなくていい。遥さんの曲が盗作だと世間に信じ込ませる証拠を用意してあげましょう」これほど都合のいい申し出を断るなど、馬鹿のすることだ。花梨はほとんど迷わず承諾した。「いいわ。できるなら、二度と立ち直れないくらいに潰して」遥は本当に、目障りなことこの上ない存在だった。いつも彼女の邪魔をする。だが、彼女を憎んでいるのは、花梨ひとりだけではなかった。電話を切った後、彼女が上機嫌なのは誰の目にも明らかだった。ほどなく、その謎の人物から偽造した証拠が送られてきた。出来は完璧で、遥が盗作をしたと誰もが信じ込むほどの代物だった。相手が電話をかけてきたということは、すでに万全の準備を整えていたということだ。花梨はすぐにあらゆる手を使ってその証拠を拡散し、さらにいくつかのメディアも買収した。ニュースが出た瞬間、世間は騒然となった。「遥の盗作疑惑」は、あっという間に大きな話題となったのだ。西園寺グループは遥と提携していたため、株価もその影響を受けて急落した。この状況では、誰であれ彼女に賠償を求め、契約を解除するのが当然だと考えるだろう。西園寺グループの株主たちはいよいよ業を煮やし、緊急会議を開いて遥との契約をどうするか話し合うことになった。この会議はわざと昭を外し、彼には知らせずに開かれた。出席した株主たちは皆、遥の行為が西園寺グループの信用を大きく傷つけたと考え、契約を解除すべきだと主張した。さらに、契約に基づいて相応の賠償を求めるべきだとも言った。「藤井、自分が何をしたか分かってるのか!会社の株価は暴落し、信用まで失墜した。これも全部、お前のその盗作騒動のせいだ!」盗作だったかどうかは、彼女を陥れた本人と遥自身が、誰よりも分かっていた。当然、遥は盗作などしていない。だが、口先
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