昼休みが近づいたころ、雪臣から連絡が来た。 ――仕事について少し話したい。昼、時間は取れるか。 珠希は画面を見つめた。昨夜、玄関で差し出した手を、彼は取らなかった。自分で家に上がれるのだから、手を借りる必要はなかったのだろう。そう思いながらも、引っ込めた指先の行き場がなかったことを覚えている。 このところ、二人の距離が少しずつ変わってきているような気がしてならなかった。二人は契約結婚で、雪臣に特別な気持ちがないことは理解している。それでも、婚姻届を出した日のことも、夜のソファで何気なく話す時間も、いつしか珠希にとって宝物のような記憶に変わっていった。 だからこそ、小さな変化が不安につながる。 「雪臣くん……」 けれど今日は、雪臣のほうから声をかけてくれた。返信しようとすると、もう一通届く。都合が悪ければ別の日でも構わない、とあった。珠希は慌てて『大丈夫』と返した。行き先は、以前二人で食事をした洋食屋に決まった。 + + + 店に入ると、ケチャップと炒めた玉ねぎの匂いがした。窓際の席へ向かい合って座る。雪臣はメニューを開いたまま、なかなか何も言わなかった。 「私、またナポリタンにしようかな。雪臣くんは?」 「……ああ。同じものを」 そういえば、前に来たときも、きっかけは雪臣が急にナポリタンを食べたいと言い出したからだ。思い出して笑うと、彼が顔を上げる。 「また一緒に来られて、良かった」 珠希の声は、後ろに流れるチャイコフスキーの花のワルツに溶けるように消えた。 そのとき、雪臣の唇がわずかに動いた。けれど声にはならず、やがて「ああ」と答えると、メニューへ視線を戻した。注文が済んでからも、雪臣はしばらくメニューを片づけず、ページをめくっては眺めていた。 珠希は水を一口だけ飲んだ。仕事の話だとわかっていても、忙しい彼が時間を作ってくれたことが嬉しかった。 「雪臣くん。それで、仕事の話って……」 「ああ。この前の手帳、持っているか」 「あ、うん。持ってるよ」 鞄から手帳を取って差し出すと、雪臣がようやくメニューを脇
Terakhir Diperbarui : 2026-10-29 Baca selengkapnya