All Chapters of 夫の浮気相手は、私の妹でした〜いまから夫の浮気を暴きます〜: Chapter 61 - Chapter 70

81 Chapters

60話

 「これに、名前は書かない」 席へ着くと、母はバッグから取り出した紙を、私の方へ向けた。 香織が送ってきた文案だった。昨夜、画面で見た署名の欄は、印刷された紙でも空いたままだった。 私はまだ、コートを膝へ畳んでいる途中だった。 「もう、決めたの?」 「決めた。美咲に決めてもらいに来たんじゃないの」 店の奥で、食器を重ねる音がした。窓の向こうを、買い物袋を持った人が歩いていく。 母が座っているのは、私と同じ小さなテーブルの向こうだ。 そこへ来るまで、どんな言葉を求められるのかと考えていた。 話を聞いてあげて。一度だけ会ってあげて。 覚悟してきた言葉は、出なかった。 「香織が陽翔と遊んでいるところは、私も見た。それは覚えてる」 母は紙の一行を指で押さえた。 「でも、美咲に代わって毎日育てていたなんて、私は見ていない。ここは、私の言葉じゃない」 私は、空いた欄を見つめた。 母にしか分からない昔の記憶が、全部、妹の望む形で出てくるのが怖かった。 けれど母は、自分が見たことと、見ていないことを分けていた。 「香織がしてくれたことまで、嘘にしなくていいよ」 「分かってる。それも、あの子に言う」 店員が飲み物を運んできて、母はいったん紙を手元へ引いた。 湯気の向こうで、母の顔が少し疲れて見えた。 
last updateLast Updated : 2026-10-11
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61話

私は予告の画面と、そのページのアドレスを保存した。 それから、サイトの問い合わせ欄を開いた。香織の連絡先ではない。 あの見出しを、読める場所に載せた人への窓口だった。 【この対談で姉として語られている当事者です。妹が私に代わって日常的に子どもを育てていたという記述は認めていません。掲載内容について確認したいので、ご連絡ください】 返信先には、仕事用のメールアドレスを入れた。 送信すると、受付の表示が出た。これだけで予告が消えるわけではない。 もう一度ページへ戻りたくなる手を止め、母に連絡した。 【教えてくれてありがとう。掲載するところへ問い合わせたから、お母さんから説得しなくて大丈夫】 母が断ったことを、やり直させたくなかった。 …… 月曜の昼、休憩中にメールを見ると、対談を担当しているという人から返事が来ていた。 妹から寄せられた体験談をもとに、話を聞いたこと。 氏名は出さずに掲載する予定であること。 私からの連絡を受け、事実関係を確認したいということ。 その下に、質問が並んでいた。 香織が日常的に子どもを預かっていたのか。 私の交際が始まってから、妹との接触を一方的に断ったのか。 以前の育児分担が分かるよう、子どもの預け先や送迎の時間も教えてほしい、とあった。 弁当箱の蓋を閉めた。まだ半分ほど残っていた。 園へ迎えに行き、洗濯物を取り込み、翌日の
last updateLast Updated : 2026-10-12
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62話

 「今回の原稿、後半がよくなりましたね」 画面の向こうで、担当編集者が言った。 火曜の夜。陽翔を寝かせてから始めた打ち合わせで、最初に出たのは妹の記事の話ではなかった。 「昨日いただいた版です。先に答えを書かずに、そこで迷う時間が入ったでしょう。あれで、そのあとの言葉が自然に読めました」 担当者が原稿を画面に映した。昨夜、順序を変えた段落に印が付いている。 誰かが最後まで読んだ跡だった。 「あそこは、私も直してよかったと思っていました」 答える声が、少し上ずった。 担当者が次のページへ目を落とした。 「ただ、この終わりの説明は、前の段落で伝わっていると思います。短くできますか」 私は該当箇所を読み返した。確かに、同じことを言い直している。 「最後の一文を外してみます。今、送ってもいいですか」 「お願いします」 画面を切り替えて、一文を選ぶ。 削除してから、前の段落と続けて読んだ。間が空いた分、直前の言葉が残る。 修正版を送ると、担当者が頷いた。 「こちらで進めましょう。それから、次の回もお願いしたいです。来週の木曜までで、どうでしょう」 私は手帳を引き寄せた。 勤務日と、陽翔の予定を確認する。夜にまとまって使える時間を指でたどった。 「大丈夫です。木曜までにお送りします」 言ってから、その日の欄へ原稿の締切を書
last updateLast Updated : 2026-10-13
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63話

【これは、元夫が私と直接話すことを求めた際の返答です。父子の面会を断ったものではありません】 私は、開いた返信欄へ打ち込んだ。 送信日時と、その後に続く文が分かるように写しを用意する。 陽翔の名前と、面会場所につながる部分は伏せた。何を伏せたかも、相手に分かるよう添えた。 引用された一文のあとには、従来の面会を進めるという返答がある。 そこまで含めて読んでほしいと書き、三上さんにも同じものを送った。 送信済みの表示が出るまで、画面を見ていた。 私の返事を、私の知らない意味のままにはさせたくなかった。 …… 翌朝、三上さんから電話があった。 「文面を確認しました。妹さんの同席を断ったときの回答も、こちらで送ったものと照らします」 「父親との面会は続けると、あのときも伝えています」 「はい。そちらも省かれない形で返します。前回の面会が実施された確認については、窓口からどの範囲を示せるか聞きますね」 「陽翔の名前や、場所が分かるものは出したくありません」 「分かりました」 電話のあとで、私は出勤の支度に戻った。 陽翔が、黄色い飛行機を持ってきた。父親が折った、あの飛行機だった。 「これ、もっていっていい?」 「今日はおうちで待っててもらおう。鞄の中で潰れちゃうから」 陽翔は少し考えて、棚の上に置いた。羽の下へ指を入れ、先が棚の縁に当たらないよう、向きを変え
last updateLast Updated : 2026-10-14
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64話

【ご提示いただいた文面と、双方への確認を踏まえ、対談の掲載を見送ります】 金曜の午前、媒体から届いたメールは、その一文から始まっていた。 陽翔を園へ送り出したあと、私は自宅の机で続きを読んだ。 崇は、私からの返事の冒頭だけを画像にして、香織へ渡したと認めていた。 担当者が私への説明のために確認した、その回答も添えられていた。 【美咲が俺と話そうとしないと伝えるために送ったものです。父子の面会まで拒否されたという意味ではありません。実際に会ったことも否定していません】 自分だけが拒まれている。その話をするために、返事の続きを切ったのだ。 香織は、父親から送られたものなので、面会できないという意味で受け取ったと回答していた。 ただ、妹の同席を断った際の返答には、父子の面会は続けると明記されている。 それを示して確認すると、香織は返答を受け取っていたことを認めたという。 【私が会えなくなったことを話していたんです。父親の面会について、細かく説明するつもりはありませんでした】 崇は自分との会話の話だと言い、香織は自分が会えない話だと言う。 それなのに、私が父子を会わせないという説明だけが、予告に使われていた。 日常的に代わって育てていたという話にも、回答があった。 妹が示したのは、陽翔と遊んだことや、私がいない間に世話をしたことがある、という説明だった。 日常の養育を代わって担っていたと断定できる裏付けは、確認できなかったとある。 母も、署名を求められた文面には同意していないと答えていた。&n
last updateLast Updated : 2026-10-15
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65話

次の面会は、前と同じ部屋で行うことになった。 月曜に届いた窓口の返事には、柔らかいボールを室内で転がす遊びなら用意できるとあった。 外へ出たり、思い切り蹴ったりする遊びではない。支援員の人も同席する。 日曜日の日付を手帳に書いた。前回から、ちょうど4週間だった。 崇もその方法で了承したと、後から連絡が来た。 陽翔には、パパとボールを転がして遊ぶと伝えた。 その前日の土曜日には、別の予定を入れた。 母に昼から夕方5時まで来てもらえると確認してから、蓮司を映画へ誘った。 彼にも都合を聞き、上映時間を一緒に選ぶ。 木曜までの原稿を送った夜、手帳のふたつの予定を見た。 片方があるから、もう片方を消さなくていい。 …… 土曜日、映画館の入口で蓮司を見つけた。 彼が手を上げたので、私も上げ返す。 待ち合わせの場所へ向かいながら、携帯電話ではない彼の顔を見ていることが嬉しくなった。 「間に合いましたね」 「はい。原稿も」 「それなら、今日はふたつ、お祝いですね」 仕事を頼まれたことと、書き終えたこと。あのメッセージを覚えていてくれた。 売店で飲み物を選ぶとき、蓮司がポップコーンの棚を見た。 「食べますか」 「映画の最初に、全部なくなりそうです」 
last updateLast Updated : 2026-10-16
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68話

私は三上さんへ返事を送った。 【陽翔に、話すことを選ばせる条件には同意できません。聞きたくない話が出たとき、崇がどうするかを相談したいです】 息子は楽しかった公園の話をしただけだ。 次に会えるかどうかを、4歳の子が名前を言わずにいられるかで決めたくなかった。 三上さんは双方の都合を確かめ、金曜日の午前に通話の時間を設けた。 私が仕事のない日で、陽翔は園にいる。 話すのは次の父子面会のことだけ。三上さんも入る。 ふたりで話したいと言われても、その場では応じない。 私はその形ならと了承した。 …… 金曜日、机に置いた携帯電話から崇の声がした。 「この前は、悪かった」 「陽翔に、どっちがいいかを聞こうとしたこと?」 返事まで、少し間があった。 「そうだよ。あいつに、あんな顔をさせるつもりはなかった」 私は膝の上で重ねていた手をほどいた。 あんな顔にさせたくなかったことと、次に聞かずにいられることは、まだ同じではない。 「だから、次はどうするかを決めたいの」 「俺だって、名前を聞かなければ普通に――」 「それを陽翔に頼むのは、やめてほしい」 自分でも驚くほど、声は静かだった。 「お前には分からないだろ。息子といるときに、ほかの男の話をされるのは」 
last updateLast Updated : 2026-10-19
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69話

私は三上さんへ、香織の依頼には同意しないと返した。 【私が事情を理解した、許した、和解したという説明には使わないでください。直接の連絡を受けないという返答も変わりません】 送信したあとも、妹の言葉が画面に残っていた。 してもいいかと、先に聞いてきた。それだけで、今度は私が少し譲る番なのだろうか。 問いかけてから、違うと思った。 日常的に陽翔を育てたという話は、裏付けが取れなかった。 父子の面会を私が拒んだという説明も、訂正された。 それを「姉も事情を理解した」で包めば、私の返答まで妹の説明の一部になる。 三上さんから、受け取ったという短い返事が来た。 【この内容で伝えます。追加の説明を求められた場合も、こちらで受けます】 私は携帯電話を伏せた。 冷たいと思われるかもしれない。その不安を消すために、言っていないことを言ったことにはできなかった。 机から立ち、窓を少し開けた。 外で車が通り過ぎた。園へ迎えに行くまでに、洗濯物を取り込んでおこう。 今すぐ次の返事が来なくても、家のことを始めてよかった。 迎えに出る前に、蓮司へ映画の題名も送っておいた。 …… その夜、陽翔が眠ってから蓮司へ電話をかけた。 「お疲れさまでした」 声を聞いただけで、何かうまく話さなければという気持ちが薄れた。 「蓮司さんも。今、大丈夫です
last updateLast Updated : 2026-10-20
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