Todos los capítulos de 七年の冷遇、離婚後は御曹司に溺愛されます: Capítulo 51 - Capítulo 60

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第51話

「さて、もうすぐご飯できるから、先にお箸とお椀をテーブルに持っていってくれる?」宥里はなるべく軽い口調で言った。詩音も空気を読むことはできた。宥里が話題を逸らしたがっていることに気づき、笑って頷くと、お椀と箸を手にダイニングへと向かった。食器を並べ終えたところで、テーブルの上で宥里のスマホが鳴り続けているのに気づいた。着信だ。「宥里さん、電話鳴ってるよ」詩音は宥里のスマホを手に取ると、歩み寄りながら、ついでに応答ボタンを押した。宥里は誰からの電話かもわからないまま、詩音が差し出したスマホを受け取り、耳に当てた。「もしもし、どちら様ですか?」「どちら様だと?」向こうから、知輝の冷たい声が返ってきた。この瞬間、宥里は正直なところ、もう知輝の声など聞きたくもなかった。昨夜、あれほどの危機に陥っていた時、法律上はまだ夫である知輝は、冷たく電話を切り、自分を見捨てたのだ。それを、宥里はまだ覚えていた。「……何か用?」宥里の声も、それに応じて冷ややかになった。ここまで来てしまえば、宥里にはもう知輝と話すことなど何もなかった。あとはただ、離婚届が受理されるのを待って、この男とすっぱり縁を切るだけだ。病室で、知輝は宥里のよそよそしい冷たい声を聞きながら、一瞬言葉に詰まった。それから、珍しく辛抱強く説明を試みた。「昨夜、会社のビルが突然停電になって、香織が実験室に閉じ込められたんだ。あの時は一刻を争う事態で、俺はすぐに駆けつけるしかなかった」今の宥里にとって、香織が会社にとってどれほど重要であろうと、知輝にとってどれほど大切であろうと、そんなことはもうどうでもよかった。「ええ、わかったわ」宥里は淡々と応じた。「他に何か?」「もう説明したのに、まだそんな態度なのか?」宥里が相変わらず冷めた反応を返すのを聞いて、知輝は苛立ちを抑えきれなくなった。「なら、私はどんな態度でいればいいの?」宥里はコンロの火を静かに止めると、体の向きを変え、キッチンカウンターにもたれかかった。「お前……」知輝は宥里に無事だったかと尋ねようとした。だが、先ほどの言葉に出鼻をくじかれ、結局その問いを口にすることはできなかった。「とにかく、余計なことを考えるな」「きゃっ!」女性の小さな悲鳴が響いた。香織
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第52話

詩音がまだそばにいるため、宥里は知輝とこれ以上多くを語る気にはなれなかったし、話すことも特になかった。「さっき電話くれたの誰?」詩音は少し気になったようだった。宥里が電話に出たあと、どこか沈んだ様子になったのに気づいたのだ。「私の夫よ」宥里は隠さずに答えた。「え?宥里さん、結婚してたの!?」詩音はひどく驚いた。「うん」宥里は頷いた。「でも、もうすぐ離婚するの。今、手続き中」あとは謙三が離婚届の手続きを済ませてくれるのを待つだけ。それさえ済めば、宥里は知輝と完全に無関係になる。「なにそれ、クズ男じゃん!」詩音はテーブルについたまま、小さな眉をきゅっと寄せた。「どうして向こうが悪いって決めつけるの?私のほうに問題があったかもしれないでしょ」宥里は朝食を運んできてテーブルに置きながら、思わず笑った。「それはぜっったいない!」詩音はきっぱりと否定した。「宥里さんと結婚できただけで、向こうの先祖代々が泣いて喜ぶレベルだよ。今、宥里さんが離婚しようとしてるってことは、絶対向こうが悪いんだよ!」宥里の顔に浮かぶ笑みが、いっそう明るくなった。この子ったら、身内には甘いんだから。「じゃあ、その人のこと、愛してる?」詩音がさらに尋ねた。この年頃の若い子は、まだ恋愛に対して純粋な幻想を抱いている。だがこの質問には、さすがの宥里も答えに詰まった。味噌汁をよそう手が一瞬止まる。頭の中で、真剣にその問いを考え始めた。私は、知輝を愛しているんだろうか。物心ついてから今まで、望むと望まざるとにかかわらず、様々な知識を学んできた。だが、恋愛というものだけは、真剣に学んだことがなかった。一番途方に暮れ、どうしていいかわからなかった時に、知輝と出会った。二人の出会いは決して美しいものではなく、行き違いから始まったものだったけれど、その後、知輝はきちんと責任を取ってくれた。結婚してすぐに、自分は妊娠し、陽太を産んだ。これでようやく自分にも家族ができた、そう思った。夫がいて、息子がいる、自分の居場所。決して自分を見捨てない、そんな家庭だと。だから、知輝を愛しているのかと問われれば……愛していた。知輝のことも、二人の家庭のことも、自分はちゃんと愛していた。その家庭を守るために
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第53話

「あなたも成人したんだから、あれこれ説教するつもりはないわ。でも一つだけ言っておく。今度からああいう場所に行くなら、絶対に一人で行ってはだめ。友達を何人か誘って一緒に行きなさい」宥里は穏やかな口調でそう言った。宥里自身も、この年頃を通ってきた身だ。当時の自分は羽目を外して遊ぶことなど許されなかったけれど、それでも外の世界を覗いてみたいという、あの好奇心や、外の世界への憧れはよくわかった。直樹は驚くほど早く駆けつけてきた。しゅんとうなだれた詩音の姿を見るなり、いきなり後頭部をはたいた。「痛っ!」詩音は悲鳴を上げて、宥里の後ろに隠れた。「頭殴ってバカになったらどうすんの!」「バカになった方がマシだ。これ以上面倒を起こされずに済むからな!」直樹はすっかり頭に血が上っていた。特に昨夜の本当の経緯を宥里の口から聞かされてからというもの、血圧が上がるほどの怒りようだったのだ。降圧剤を二錠飲んで、ようやく血圧を落ち着かせたほどである。宥里は慌ててなだめた。「もういいでしょう、先輩。この子も今回のことで十分懲りていますから。昨夜のあの状況で、この子も相当怖い思いをしたんです。もう叱らないであげてください」直樹は申し訳なさそうな顔をした。「本当にすまない、宥里。昨夜は俺も状況がわかっていなくて、こいつがちゃんと話さなかったのも悪い。そうでなければ、君を行かせたりしなかった。君が無事で本当によかった。でなきゃ、先生が真っ先に俺を許さないところだった」そう言う直樹の声は震えていた。本当に肝を冷やしたのだろう。昨夜のあの状況で、もし自分の娘か、あるいは宥里か、どちらか一人にでも何かあったらと思うと、その結果は考えたくもなかった。「私も詩音も無事だったんですし、詩音を襲おうとした人たちももう捕まってます。あとは警察に任せれば大丈夫ですから、安心してください」昨夜遅く、薬師丸家が公式に発表した声明も、宥里はすでに目にしていた。おそらく、太朗の件があったから、絢斗が薬師丸家に圧力をかけたのだろう。何しろ昨夜、太朗があんな状態になったせいで、絢斗は予定していた会食にも出られず、商談も流れて損失を被ったことになっていたのだから。とにかく、その理由が何であれ、自分のためであるはずがない。その程度の自覚は、宥里にもあった。と
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第54話

夜になり、宥里は書斎で明日研究所に持っていく荷物をすべて整理し終えた。窓辺に立ち、静かな夜景と、空に浮かぶ丸い月を、ただ静かに眺める。こんな穏やかな気持ちで月を見上げたのが最後にいつだったか、宥里にはもう思い出せなかった。思い切って窓を開け、夜のひんやりとした空気を大きく吸い込む。そこへ、一台の車が遠くからゆっくりと近づいてきて、ヘッドライトが宥里の書斎のほうを照らし、それからまたゆっくりと走り去っていった。宥里は一目であの車だとわかった。少し前、自己嫌悪に沈みかけていた自分を、思いがけず引き上げてくれたあの車だ。相手には何の他意もなく、そもそも宥里の存在すら覚えていないかもしれない。それでも宥里は、なぜだかその車と、その持ち主に対して、不思議と感謝の気持ちが湧いてきた。宥里は遠ざかっていくその車を見送りながら、心が晴れやかになっていくのを感じた。明日から、すべてが新しい始まりになる。車内では、太朗が玉山邸のそばを通り過ぎる際、無意識のうちに二階の灯りのついた窓のほうへと目をやっていた。今回は、窓辺に人影らしきものが見えた気がした。しかも、その影は宥里のようだった。太朗はとっさにバックミラー越しに、自分のボスの様子をうかがった。すると、絢斗もちょうど同じ方向をぼんやりと見つめているのに気づいた。「あの、ボス……」太朗は絢斗の表情をそっとうかがいながら言った。「せっかく堂々と宥里さんの連絡先を手に入れたんですから、いっそのこと連絡してみたらどうですか?」絢斗は無表情のまま振り返り、バックミラー越しに太朗の目を見据えると、薄い唇をわずかに開いた。「俺に指図するつもりか?」太朗はびくっと肩をすくめ、それ以上は何も言えなくなった。ただ、絢斗がずっと手放さずにいるスマホに、時折ちらちらと目をやるだけだった。普段、ボスはあんなにスマホを気にする人じゃないのに。今日は一日中、ほとんど手から離していない。もちろん、そんなこと口が裂けても言えなかったが。……翌日、宥里は朝早くに目を覚ました。いつも陽太を学校に送っていた経験から、花丸市の月曜朝の渋滞がどれほどひどいものか、宥里はよく知っていた。今日は研究所に戻る初日だ。遅刻したくはなかった。そこで手早く身支度を整えると、すぐにタクシーを呼ん
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第55話

洋介は車のそばに立ち、同じくいらだちを隠せずにいた。「そんなに急かさないでくれよ。俺だってどうしようもないだろう。俺だって好きでこうなったわけじゃない、もうレッカー車呼んだって言っているだろう!」「でも、レッカー車まだ三十分以上かかるんでしょ?このままじゃみんな遅刻ですよ、誰の責任になるんです!」「そうだそうだ、あなたみたいな金持ちのボンボンは気にしないでしょうけど、こっちは雇われの身なんだ、一分の遅刻でも給料引かれるんですよ」「引かれた分は俺が補填してやるよ!給料引かれたやつは、みんな俺のところに来い!」洋介もすっかり不機嫌な顔になっていた。今日に限って早く会社に着きたかったのに、まさかこんなポンコツ車が途中で故障するとは思ってもみなかったのだ。集まってくるドライバーたちの催促と、鳴り止まないクラクションの音に、洋介はいらだちのあまり悪態をつきたい気分になり、最後にはホイールを思い切り蹴りつけた。そうやって鬱憤を晴らしていたところへ、背後から不意に、聞き覚えのある女性の声が響いた。「どいて」洋介はぎょっとした。ちょうど苛立ちと焦りの頂点にいた彼は、こんな時に誰だ、と苛立ちながら振り返り――そこには、真剣な表情の宥里が立っていた。「なんだ、お前か?こんなところで何しているんだ?」宥里も、まさかこの道を丸ごと塞いでいるパナメーラの持ち主が、洋介だったとは思ってもみなかった。普段の宥里なら、こんな余計なことに関わったりは絶対にしない。だが今日は違う。研究所に急がなければならないのだ。だから、これ以上言葉を交わす気はなく、宥里はただ冷たい表情のまま、運転席のドアの前に立っていた洋介を強引に押しのけると、自分がそのまま乗り込んだ。「宥里、何のつもりだ!これは俺の車だ、降りろ!」洋介は元々宥里に対していい感情を持っておらず、むしろ嫌悪に近い感情すら抱いていた。洋介の目には、宥里はあの手この手で知輝と関係を持ち、まんまと妻の座に収まったものの、何もわからない、知輝の足を引っ張るだけの愚かな女に映っていた。宥里は洋介を相手にせず、運転席に座ったまま、真剣な表情で車を始動させた。次の瞬間、アクセルを踏み込むと、エンジン音が響き渡った。自分の車を宥里が勝手にふかしたのを見て、洋介の顔が険しくなった。「
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第56話

宥里は目を細めて洋介を一瞥すると、相手の鋭い視線を受けながらも、静かに手を引き抜いた。「早く問題を解決したいなら、邪魔しないで」宥里の声には少しの揺れもなかった。今はただ、一刻も早くこの状況を片づけたいだけだった。「お前……」洋介は固まった。宥里の手首を掴んでいた手のひらは、まだ宙に浮いたままだったが、宥里を見るその目には、わずかな変化が生まれていた。この女、今日はどうしたっていうんだ?なんか、いつもと違う気がする……洋介が呆然としている隙に、宥里はすでに工具を手に、上半身をエンジンルームにかがめ、車の点検を始めていた。でたらめに手を動かしているわけではない。無秩序にいじり回しているわけでもない。迷いなく問題箇所を的確に見極め、その手つきは熟練していて、しかも正確だった。長年車に乗ってきた周囲のドライバーたちも、思わず感心の声を漏らした。「まさか、あの人、本当にこの車を直そうとしてるぞ!」「ああ、しかも大した度胸だ。これパナメーラだぞ、何千万もする高級車だ!」宥里は周囲の声にまるで耳を貸さず、今は目の前のパナメーラだけに全神経を集中させていた。一刻も早く、この車の問題を解決しなければならない。この馬鹿げた渋滞に、貴重な時間をこれ以上無駄にするわけにはいかなかった。洋介の顔にはますます驚愕の色が濃くなっていく。「宥里、お前なぁ……」本当に、俺の車を直そうとしてるのか?この女が、こんなことまでわかるのか?長年染みついた偏見から、洋介はなおも宥里にきつい言葉を浴びせようとした。だが、真剣に集中する宥里の横顔、真面目な眼差し、力を込めるたびにきゅっと結ばれる唇。それらを目にした瞬間、口にしかけていた辛辣な警告の言葉は、そのまま喉の奥で詰まって出てこなくなった。わずか数分で、宥里は問題を解決した。工具を工具箱に戻し、持ち主に返す。それから手を伸ばし、ボンネットを閉じた。「よし、エンジンかけてみて」宥里は洋介に言った。洋介はその場に立ち尽くしたまま、呆然と宥里を見つめていた。俺はどうかしてる。さっき宥里がボンネットを閉じたあの仕草を、格好いいとか、綺麗だとか思ってしまうなんて……どうかしてる、絶対どうかしてる!「ちょっと!」宥里が歩み寄り、洋介の目の前で手をひらひらと振っ
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第57話

視線だけは、バックミラー越しに、遠ざかっていく宥里の後ろ姿をずっと追っていた。渋滞していた道もようやく解消され、宥里は時計を確認した。無駄にした時間はそう多くない。これなら予定時刻までに研究所へ着けるはずだ。それからの道のりは順調で、信号にもほとんど引っかからなかった。宥里は結局、予定時刻までに研究所へ到着した。何年かぶりに戻ってきたこの場所。宥里は正門の前に立ち、掲げられた「花谷研究所」という文字を、しばらくじっと見つめていた。やがて、そんな宥里の姿が警備員の目に留まり、何をしに来たのかと声をかけられる。宥里はそこでようやく、直樹が前もって渡してくれた職員証を取り出し、警備員に差し出した。警備員はそれを見た瞬間、さっと顔色を変えた。「あなたが、うちの新しい研究開発センター長でしたか!花谷センター長、どうぞお入りください!」「花谷センター長」――この呼び方を耳にするのは、宥里にとって初めてのことだった。正直なところ、まだ慣れない。宥里は穏やかにその警備員へ頷き返すと、最後に深く一つ息を吸って、研究所へと足を踏み入れた。研究所の建物内では、すでに警備員から連絡を受けていた直樹が、職員たちを連れてロビーで待っていた。宥里が中へ足を踏み入れた瞬間、迎えたのは直樹の大きな拍手と、その後ろに続く、パラパラとした熱のない拍手だった。その温度差は、あまりにも明白だった。一部の人間の顔には、はっきりとした反発や不満すら読み取れた。宥里は内心でため息をついたが、表情には一切出さなかった。笑みを浮かべて歩み寄り、直樹に挨拶する。「先……若浦副所長」宥里はいつも「先輩」と呼び慣れていたが、ここは職場だ。今は役職で呼ばなければならない。直樹は現在、研究所の常務副所長を務めている。謙三が一線を退いてからというもの、直樹が研究所の日常業務から各研究部門の調整まで、あらゆる実務を一手に引き受けていた。毎日目が回るほど忙しく、研究開発センターの業務にまで手を回す余裕は、正直なかったのだ。「副所長なんて呼ぶな、先輩でいい」直樹は皆の前でそう笑って言った。宥里にはわかっていた。これは直樹が、皆の前で自分の立場を後押ししてくれようとしているのだと。案の定、その言葉が終わると、後方から小さく鼻で笑う声が聞こ
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第58話

「先輩、その会社のこと、やけに気にかけていますね。もう何度も話に出していますよ」直樹が再びその技術系企業の話を持ち出したのを見て、宥里は思わず笑った。もっとも、花谷研究所の業界における実力、そして直樹が現在研究所内で持つ立場を考えれば、提携を望む企業などいくらでもある。毎年、直樹のもとには数え切れないほどの提携の打診が寄せられていた。だが、研究所と提携するには、ただ申請するだけでは足りない。研究所はあらゆる角度から総合的に検討したうえで、最終的な判断を下す。多くの場合、公正さを保つため、研究所では公募形式を取るのが常だった。だからこそ、直樹がある一社に対してここまで特別に肩入れするのは珍しいことだった。すべては最終的な結果次第、というのがいつもの彼のスタンスだったのだから。「特別気にかけているってほどでもないさ」直樹も笑って答えた。「ただ、あの会社は本当に優秀だと思ってな。コア部品に関する技術を他社に握られているだけなのが、もったいなくて」宥里は頷いた。あの頃、コア部品に関する技術を他社に握られたり、高い技術障壁を突破できなかったりして消えていった優秀な企業を、宥里は数多く見てきた。「先輩がそこまで言うなら、一度会ってみましょう」宥里は頷いて了承した。先輩にそこまで「もったいない」と言わせるほどの会社なら、きっと相当優秀な企業に違いない。「そういえば、その会社、名前は何というんですか?」宥里が尋ねた。これまでずっと「技術系企業」としか呼ばれておらず、全国にどれだけ技術系企業があるかを考えれば、宥里はいまだにその会社の名前すら聞いていなかった。「ああ、俺の記憶力もどうかしてるな」直樹は苦笑した。「たしか、名前は輝……」「副所長」女性の声が、直樹の言葉を遮った。直樹が振り返り、すぐさま相手に向かって手を振った。「板尾、こっちだ」宥里もその声のするほうを見た。年齢は宥里と同じくらいだろうか。髪を低い位置できっちりと一つに束ね、黒縁の眼鏡をかけている。化粧っ気のない顔立ちは清楚で品があり、几帳面そうで、どこかよそよそしい雰囲気を漂わせていた。「彼女は研究所が君につけた補佐役だ。戻ってきたばかりで、まだここのこともよく分からないだろ。しばらくは板尾にそばで手伝ってもらって、早く仕事
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第59話

麻衣子は言いかけた言葉を、結局は呑み込んだ。宥里の立場も考え、露骨に刺々しい言葉を口にすることは避けたのだ。ただオフィスの入り口に立ったまま、宥里が鞄からポータブルハードディスクを取り出すのを、じっと見つめていた。「これには、私がここ数年でまとめた理論的な導出とアルゴリズムの最適化に関する資料がすべて入っています。整理して皆さんに配り、研究の役に立つかどうか見てもらえますか」宥里はハードディスクを手に、オフィスの入り口まで歩み寄り、麻衣子に差し出した。麻衣子はしばし呆気に取られた。てっきり宥里は、お茶を淹れるとか、椅子を運ぶとか、オフィスの飾りつけとか、そういうどうでもいい雑用を頼んでくるものだと思い込んでいた。断り方も、言い返す言葉も、すでに頭の中で用意していたほどだ。それが、いきなり仕事の話から入ってきた。それは麻衣子の心の奥に、一瞬だけかすかな後ろめたさを生んだ。だが、それも一瞬のことだった。何年もブランクがあって、実験室にすらろくに足を運んでいなかった人間。家で適当にあれこれいじってまとめたものに、いったい何の参考価値があるというのか。もし本当にそんなものをみんなに配れば、笑いものになるだけだろう。麻衣子は内心でそう思いながらも、結局はハードディスクを受け取った。ただ、彼女は感情を隠すのが得意な人間ではなかった。ハードディスクを受け取る瞬間、その顔にはためらいと、相手を軽く見ていることが多少なりともはっきりと浮かんでいた。「わかりました」どうせ恥をかくとしても、恥をかくのはこの見栄えのするセンター長のほうだ。それに、彼女をこうして無理やり上に据えた先生と副所長の顔にも泥が塗られることになる。「ええ、ありがとうございます。お手数をかけます」宥里は柔らかい声で、目元を緩めながら麻衣子に礼を言った。宥里の穏やかな眼差しと、威張らない態度に、麻衣子は再び呆気に取られた。研究所では、これまで気難しく、感情の起伏が激しい研究員たちを散々見てきた。最初は宥里も、扱いにくいタイプの一人だろうと踏んでいた。まさか、これほど物腰の柔らかい人だとは思わなかった。そのせいで、麻衣子はどう応じればいいのかわからなくなり、ただぎこちなく頷いて「はい」とだけ答えると、そのまま踵を返して立ち去った。宥里はそんなことを気
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第60話

「七年も実験室に入っていなかった人が、いったい何の役に立つものがまとめられるっていうのよ」それを聞いた照美は、すぐさま笑い出した。「宇野さん、そんな言い方はやめようよ。花谷センター長もまあ、着任したばかりだし、若いから成果を出そうと焦る気持ちもわかるし」和孝がそばで場を取り繕いながら、給湯室にいる他の人々に愛想笑いを浮かべた。照美は取り合わなかった。「あなた、本当にお人好しね。センター長の座を奪われたようなものなのに、あなたが悔しくないはずないでしょう!」照美と和孝は二人とも研究所の主任研究員で、研究の中核を担う存在だ。経歴で言えば、和孝のほうが照美よりずっと先輩にあたる。もともと、直樹が研究開発センター長を兼任していた頃は、二人とも特に不満はなかった。どうせ直樹も手が回らないのだから、いずれこの仕事を誰かに譲るはずだと思っていたからだ。そして、その研究開発センター長の座を継ぐ資格があるのは、これまでのところ和孝と照美の二人だけだった。研究所内で、和孝はいつも温厚で自己主張が少なく、ただ黙々と研究に打ち込むだけで、管理職のようなことにはさほど興味がないように見えた。だが照美は違う。実力にも野心にも自信があり、それを隠そうともしないタイプだった。そのため、宥里が突然センター長に就任する前は、照美はすでに自分が次期研究開発センター長になるものと決め込んでいた。それがまさか、最終的に突然現れた若い女性にその座を奪われることになるとは、思いもよらなかったのだ。照美にはとても受け入れられなかった。受け入れられるはずもなかった。照美の鋭い問いかけに、和孝はただ苦笑いを浮かべた。「俺は実力不足だからな。センター長の椅子には、それにふさわしい実力のある人間が座るべきだろう」「あの花谷宥里とやらに、実力があるっていうの?」照美は和孝がそう答えるだろうことをわかりきっていたので、呆れたように眉を上げた。そう言うと、照美は軽く笑った。「花谷先生の一番のお気に入りの弟子とか言われているけど、本当に実力があるなら、こんなに何年もブランクなんてあるはずないでしょう。あの媚びたような顔を見てごらんなさいよ、このセンター長の座だって、どういう手を使って手に入れたのやら!」「言葉には気をつけろ」和孝の顔つきが引き
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