All Chapters of 追われる身、狼王に愛される: Chapter 91 - Chapter 100

110 Chapters

第91章――巨大な影5

押し込めていた記憶。消し去ろうとしていた映像。忘れようとしていた感覚。そのすべてが戻ってきた。すべてが押し寄せる。すべてが私を飲み込んでいく。八月の夜。真夜中を過ぎても残っていた息苦しい暑さ。鹿たちが水を飲む池。黒く静まり返った水面。風に揺れる葦。そして、カミーユが笑顔で差し出した水のボトル。水は奇妙な味がした。金属のような味。化学薬品のような味。吐き気がした。ほとんどすぐに。頭が回り始めた。脚が震えた。意識が波のように消えていった。そして――目。暗闇の向こう。池の反対側から輝く黄色い目。どれほど長い間、私を見ていたのかわからない。どれほど離れた場所にいたのかもわからない。その目がゆっくり近づいてきた。慎重に。まるで、その目の主が私を怯えさせることを恐れているかのように。私は岸辺に横たわっていた。動けなかった。話せなかった。逃げることもできなかった。カミーユが水に混ぜた薬物が私の筋肉を麻痺させていた。それなのに、意識だけは奇妙なほど鮮明だった。反応しない身体の中に閉じ込められていた。私はすべてを見ていた。すべてを聞いていた。すべてを感じていた。私の上に立ちはだかった巨大な影。月明かりの下で輝く黒い毛皮。私の身体の両側に置かれた巨大な前足。肩を囲み、腰を囲み、太腿を囲んでいた。顔に。首に。
last updateLast Updated : 2026-09-29
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第92章――巨大な影

そして―― そして、結ばれた。 融合した。 恍惚に包まれた。 痛みはなかった。 信じられないことに。 理屈ではあり得ないことに。 痛くなかった。 薬によって麻痺していた私の身体なら、あの巨大な生き物の力で傷ついて当然だった。 けれど身体は開き、受け入れ、適応した。 そして痛みの代わりに感じたのは、巨大で未知の、耐え難いほどの快感だった。 人間のものでもない。 獣のものでもない。 その両方であり、そのどちらでもない感覚。 種族という境界も、存在のカテゴリーさえも超えてしまうような快感。 獣が絶頂に達したとき、森全体を揺るがすような遠吠えを上げた。 木々に止まっていた鳥たちが一斉に飛び立ち、池の水面さえ震えるほどの咆哮だった。 そして獣はゆっくりと、ほとんど優しく私から離れ、最後にもう一度私の顔を舐めてから、闇の中へ消えていった。 私は気を失った。 朝になって目を覚ましたとき、私はひとりだった。 服は引き裂かれ、身体は痛んでいた。 それなのに、不思議なほど穏やかな気持ちだった。 記憶はぼやけていた。 断片的だった。 目覚めたときに掴もうとしても、指の間からこぼれていく夢のようだった。 私は、何が本当に起こったのか確信できなかった。 薬物が私の感覚を歪めたのだと思い込もうとした。 何もかも私の妄想だったのだと。 すべては現実ではなかったのだと。 けれど、九か月後。 私の腹が、その考えを否定していた。
last updateLast Updated : 2026-09-30
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第92章――巨大な影2

私の腹が証明していた。 あの夜が本当に起こったことを。 あの獣が存在したことを。 獣が私を選んだことを。 そして私に印を残したことを。 「あなた……だったのね」 私は、私を見下ろす巨大な影を見上げながら呟いた。 「あの夜……あの夜の相手は、あなただったのね」 「私だ」 彼は認めた。 その声は今ではほとんど完全に人間のものになっていた。 低く、温かく、そして後悔に似た悲しみが滲んでいた。 「水辺でお前を見つけた。お前は自分たちに毒を盛られ、傷ついた獲物のように捨てられていた。本当なら、お前をそのままにして立ち去るべきだった。逃げるべきだった。だが、お前の匂いが……」 彼は一瞬言葉を止めた。 「お前の匂いが私を狂わせた。あまりにも甘く、純粋で……そして、あまりにも……ライカンだった」 「ライカン?」 「狼の血だ」 彼は頭を傾けた。 「お前を完全に変えるほどではない。だが、私には感じ取れた。お前が我々の一員であることを認識するには十分だった。私の精神が理解するよりも先に、私の身体が知っていた。お前が私の種を宿す運命にあることを」 彼の前足が私の腹に触れた。 その接触は電撃のようだった。 赤ちゃんがすぐに反応した。 あまりにも強く蹴ったため、服の上からでも皮膚が変形するのが見えるほどだった。 獣が呻いた。 遠吠えとも、唸り声とも違う。 その中間のような、喉の奥から絞り出された声だった。 「この子……」 彼が呟いた。 その声には、こんな生き物から聞くとは思わなかった感情が込められていた。 「私の子だ。私たちの子だ」 「生きているわ」 私は彼の手の上に自分の手を重ねた。 「もうすぐ生まれる。数日後かもしれない。一週間後かもしれない。でも……わからないの。どんな子になるのか」 「狼になる」 獣は絶対的な確信を込めて答えた。 「純粋な狼だ。不完全な結合から生まれる混血ではない。お前の古い血と私の血が混ざり合い、何千年もの間、この世界が見たことのないものを生み出した。この子は継承者だ。王だ。この森の次なる支配者だ」 その言葉が頭の中で鐘のように響いた。
last updateLast Updated : 2026-09-30
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第93章――巨大な影3

継承者。 王。 森の次なる支配者。 私の赤ちゃん。 私がすでに全身全霊で愛している赤ちゃん。 たとえその本性が怪物のようなものであったとしても。 その赤ちゃんが、私には理解することさえできない世界を治める運命にある。 「私は女王なんかじゃない」 私は視線を落として呟いた。 「私は何者でもない。ただ、みんなから嫌われている女の子。廃棄されたオフィスで眠るホームレス。ただの……価値のない人間で……」 「黙れ」 彼が遮った。 その声は突然、硬く、命令的で、王のような威厳を帯びた。 「お前は私の子の母親だ。私が選んだ伴侶だ。お前は狼だ。まだ自分で知らないだけだ。まだ受け入れられないだけだ。そして狼は群れの前で自分を卑下しない」 私は涙を飲み込み、顔を上げた。 黄色い目が私を見つめている。 その視線は私を焼き、魂を貫き、私自身を変えていく。 彼の言う通りなのかもしれない。 私はもう、以前のエロイーズではない。 いつも頭を下げていた私。 壁際を歩いていた私。 地下のトイレで泣いていた私。 私はもう、その女の子ではない。 別の何かになりつつある。 そして、今まさに生まれようとしているその私という存在は、生きていることを謝ったりしない。 「あなたの名前は?」 私は尋ねた。 ようやく、自分が子供の父親の名前すら知らないことに気づいたのだ。 獣が一歩後ろへ下がった。 そして私は、その身体が変化するのを見た。 毛皮がところどころから引っ込み、筋肉の形が変わり、骨が軋み、再構築されていく。 変身は苦痛を伴うようだった。 彼が顎を強く噛み締め、目を細め、巨大な拳を握りしめていることから、それがわかる。 けれど、彼は叫ばなかった。 呻き声すら漏らさなかった。 耐えていた。 数秒後。 そこに立っていたのは獣ではなかった。 男だった。 いや――ほとんど男と言うべき存在だった。 人間の姿になっても、その身体は巨大だった。 少なくとも一メートル九十五センチはある。 肩幅は広く、胸には黒い体毛が生え、それが筋肉質な腹部まで続いている。 黒い髪には灰色の筋が混じっている。
last updateLast Updated : 2026-09-30
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第94章――巨大な影4

濃い髭。 高い頬骨。 そして――まだ黄色い目。 完全に裸だった。 けれど、本人はそれをまったく気にしていない。 森の中の木や岩と同じくらい自然なことのように、月明かりに照らされた開けた場所に立っていた。 「私の名はルグ」 彼が言った。 今度の声は完全に人間のものだった。 低く、そして美しい響きを持っている。 「少なくとも、昔の者たちはそう呼んでいた。ずっと昔に。今では、私はもう名前を持たない。この森に残された最後の狼だ。世界と世界の間にある門を守る最後の番人。もう存在しない時代の、最後の記憶だ」 「ルグ……」 私はその名前を舌の上で転がすように繰り返した。 「あなたに似合っているわ」 彼は微笑んだ。 その笑顔から覗く歯は、まだ少し長く、少し鋭かった。 人間の中に獣が決して遠くないことを思い出させるような歯だった。 「私は行かなければならない」 彼は突然言った。 笑顔が消えた。 「夜明けが近い。ここに残れば、人間たちに見つかる。奴らは私を狩る。そして、九か月前のあの夜、もし私がここに残っていたら……」 「九か月前の夜?」 私は繰り返した。 胸が激しく鼓動する。 「どうして残らなかったの? どうして私を置いていったの?」 ルグの顔が硬くなった。 顎が強く噛み締められる。 黄色い目に怒りと後悔が浮かんだ。 「襲撃があった」
last updateLast Updated : 2026-10-01
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第95章――巨大な影5

「ええ」 私は頷いた。 「ミロがいなかったら、私は死んでいた。あるいは……もっとひどいことになっていた」 「ならば、私はあの子をさらに誇りに思わなければならないな」 ルグはそう言って東の方を見た。 そこでは空が白み始めていた。 「夜明けが来る。本当にもう行かなければならない」 彼の手が私の肩を強く握った。 黄色い目が私の目を射抜く。 魂の奥まで焼き尽くすような視線だった。 「私と来い」 突然、彼が言った。 「森へ来い。私の群れに加われ。私がお前を守る。私たちの子も守る。お前はもう二度とひとりにはならない」 群れ。 家族。 居場所。 ずっと欲しかったもの。 言葉にすることすらできなかったもの。 一度も手に入れたことがなく、永遠に自分には与えられないと思っていたもの。 それが今、目の前にある。 この狼男が、約束と脅威を同時に宿した目で私を見つめながら、差し出している。 でも、私は行けない。 私の中の何かが拒んでいる。 抵抗している。 身をよじるようにして拒んでいる。 それは恐怖なのかもしれない。 不信感なのかもしれない。 それとも、人間たちから受け続けた屈辱の記憶が、たとえ自分の子供を与えてくれた相手であっても、誰かを信じることを不可能にしているのかもしれない。 「できない」 私は視線を落として呟い
last updateLast Updated : 2026-10-02
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第96章――巨大な影6

「怖いから」 私は認めた。 涙を浮かべながら。 「あなたが怖い。森が怖い。自分が変わっていくことが怖い。私はまだ準備ができていない。私は強くない。私は……私はまだ狼じゃない」 「まだ……」 沈黙が二人の間に落ちた。 霧のように厚く。 重い蓋のように。 ルグは長い間、私を見つめていた。 黄色い目からは何も読み取れない。 日焼けした顔には、相反する感情が入り混じっている。 そして、彼はゆっくりと、重々しく頷いた。 「わかった」 ようやく彼は言った。 「無理強いはしない。私はこれまでお前を無理やり何かに従わせたことはない。今日から始めるつもりもない。だが、覚えておけ。群れはお前を待つ。森もお前を待つ。そして私は……私もお前を待つ」 彼は肩から手を離し、一歩後ろへ下がった。 二歩。 三歩。 肩に毛が生え始める。 腕に。 胸に。 変身が逆向きに始まった。 「キャンパスへ戻れ」 声はすでに完全な人間のものではなくなっていた。 「ミロがお前を待っている。私が説明しきれなかったことを、あいつがお前に説明する。そして、お前が準備できたとき……恐怖を失ったとき……森がお前を見つける」 「ルグ……」 私は彼へ手を伸ばした。 「待って……」 けれど、彼はすでに消えていた。 巨大で暗い獣の姿に戻り、振り返ることなく森の奥
last updateLast Updated : 2026-10-02
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第97章――巨大な影7

人間の世界か、群れか。 安全か、自由か。 恐怖か、愛か。 私は踵を返し、キャンパスへ向かって歩き始めた。 凍った大地の上を裸足で歩く。 爪がゆっくりと引っ込んでいく。 瞳が元の色へ戻っていく。 変身がゆっくりと、ほとんど優しく逆転していく。 まるで私の身体自身が、人間たちの世界へ戻ることを理解し、目立たないようにしなければならないと知っているかのようだった。 森の端が見えた。 そこから冬の夜明けの最初の光が差し込んでいる。 目の前にはキャンパスが広がっていた。 灰色の建物。 黄色く枯れた芝生。 空っぽの噴水。 何か月もの間、私を閉じ込めていたこの場所が、今では私の避難所になっている。 まだ私が普通の人間であるふりをすることのできる、唯一の場所。 芝生を横切る。 噴水を迂回する。 文学棟へ入る。 廊下は静まり返っていた。 天井の蛍光灯がかすかに唸りながら、ほとんど光のない空間を照らしている。 そして、312号室のドアの前に、一人の人影が待っていた。 ミロ。 彼は壁にもたれ、腕を組んでいる。 黄色い目が私を見つめている。 その視線は、もう私の血を凍らせなかった。 彼は何も言わなかった。 何も言う必要がなかった。 彼は、私が父親に会ったことを知っている。 私がすべてを知っ
last updateLast Updated : 2026-10-02
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第98章――巨大な影8

デロネ先生の本が机の上に散らばっている。 私の孤独な夜々を黙って見守ってきた証人たち。 「休んで」 ミロはそう言って、私の後ろでドアを閉めた。 「明日、全部説明する。君が何なのか。君の子供が何になるのか。群れが君に何を求めているのか。でも今夜は眠る必要がある」 「ここにいてくれる?」 私は尋ねた。 自分でも思っていた以上に、懇願するような声になっていた。 ミロは一瞬だけためらった。 それから頷き、床に座った。 背中をドアに預け、月が窓の向こうでその旅を終えようとしているのを見つめている。 「いるよ」 彼は簡単に答えた。 「眠って、エロイーズ。僕がここにいる限り、誰にも君を傷つけさせない」 私はソファに横になった。 両手を腹の上で重ねる。 そして目を閉じた。 疲労が私を押し潰す。 倦怠感が私を飲み込む。 眠りが波のように私をさらっていく。 そして完全に眠りへ落ちる直前、私は呟いた。 「ありがとう、ミロ」 彼は答えなかった。 けれど、私は感じていた。 黄色い目が私を見つめている。 守るように。 優しく。 ほとんど兄のように。 群れはまだここにはいない。 けれど、私はすでに守護者を得ている。 兄を得ている。 そして、戦う理由を得ている。
last updateLast Updated : 2026-10-03
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第99章――キャンパスへの帰還1

質素な朝食だった。 私は壊れかけたソファに座り、向かいの壁を見つめながら、ゆっくりと食べた。 昨夜の記憶が、頭の中でメリーゴーラウンドのように回り続けている。 森。 月。 巨大な影。 黄色い目。 首筋に触れた巨大な前足。 輝いた印。 そして、真実。 記憶が何度も波のように押し寄せる。 ルグ。 狼王。 私の子供の父親。 これは夢ではなかった。 幻覚でもなかった。 パンを噛んでいることと同じくらい現実だった。 皮膚を押し上げるほど大きくなった腹と同じくらい現実だった。 そして、満月のたびに生えてくるこの爪と同じくらい現実だった。 私は食べ終え、水のボトルをすべて飲み干した。 それから、苦労しながら立ち上がった。 九か月の腹は山のようだった。 私の身体のバランスを崩し、下へ引っ張り、あらゆる動作を試練へと変えている。 けれど、選択肢はない。 授業へ行かなければならない。 顔を出さなければならない。 普通の学生のふりを続けなければならない。 たとえ、もう自分が普通の人間ではないと知っていても。 いや、最初から普通ではなかったのだと知っていても。 私は数週間の間に集めてきた着替えを身につけた。 寄付品のゴミ箱から見つけたマタニティパンツ。 おそら
last updateLast Updated : 2026-10-03
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