台所の棚を拭いていた紬は、指先に小さな硬いものが触れたのを感じた。 午前十時過ぎ。 その日は遅番で、出勤までまだ少し時間があった。 八重は近所の知人と買い物へ出ている。繁政は居間でテレビを見ていたが、音量を大きくしたまま居眠りしている。岩蔵は朝食と着替えを終え、介護用ベッドで眠っていた。 子どもたちは学校。 卓臣も仕事。 御厨家で、紬が一人で動ける数少ない時間だった。 食器棚の上段へ腕を伸ばし、油を含んだ埃を雑巾で拭う。 棚の端に、黒い小さな箱があった。「……何?」 紬は雑巾を置いた。 親指ほどの大きさ。 艶のない黒い外装に、小さな丸い穴がある。 最初は何かの充電器かと思った。 だが、よく見ると、その丸い部分は台所の中央へ向いている。 調理台。 食卓。 そして、紬が毎晩家計簿をつけている小さな机。 線が一本、棚の裏側へ延びていた。 紬の呼吸が浅くなる。 椅子を静かに動かし、その上へ立った。 機器の正面へ顔を近づける。 端に、小さな赤いランプがあった。 今は消えている。 紬は指を伸ばしかけた。 触れる直前で止める。 いつからあったのだろう。 昨日? 一週間前? もっと前? この棚は毎日拭いているわけではない。手の届くところだけ簡単に掃除し、上段までは数日に一度だった。 黒い箱の向きが、あまりにも不自然だった。 岩蔵の様子を確認するためなら、ここではない。 岩蔵の部屋は廊下の奥だ。 そこから台所は見えない。 紬は椅子から降りた。 胸の中で心臓が強く鳴る。 その音まで、どこかで聞かれているような気がした。 居間からテレビの笑い声が響く。 繁政は起きてこない。 紬は何もなかったように雑巾を取り、棚を拭き終えた。 黒い箱だけは触らなかった。 * 卓臣へ尋ねたのは、その日の夕食後だった。 わざと家族がいる場所で聞いた。「台所の棚にある黒い機械、何?」 卓臣は携帯電話を見ていた。 一瞬だけ指が止まった。「機械?」「棚の上」「ああ」 思い出したように答える。「見守りカメラ」 紬の背筋を冷たいものが通った。「誰の?」「じいさん」 卓臣は岩蔵の部屋を顎で示した。「最近、何するか分かんねえだろ」 紬は卓臣を見た。 岩蔵は一人で台所まで来られない。「で
آخر تحديث : 2026-08-21 اقرأ المزيد