北へ進むほど、空気は冷たくなった。 草原の緑は少しずつ色を失い、道端には灰色の岩が増えていく。 王都では春の終わりだったはずなのに、北方の風はまるで冬の名残を抱えているようだった。 馬車の窓ガラスが白く曇る。 リリアは指先でそれを拭い、外を見た。 遠くの空が黒い。 雲ではない。 黒霧だ。 昨日よりも、はっきり見える。「近づいていますね」 リリアが呟くと、向かいに座るレオンが頷いた。「ああ」 彼の声は低い。 昨夜よりも表情が硬い。 公爵として、北方を守る者としての顔だった。 けれどリリアには分かる。 その冷静な表情の奥に、焦りがあることを。「体調は?」 リリアが尋ねる。 レオンは一瞬だけ黙った。「……悪くない」「今、少し迷いましたね」「迷っていない」「嘘が下手です」「お前もな」 言い返されて、リリアは口を閉じた。 確かに、朝から胸の奥がざわついている。 月華が黒霧に反応しているのだ。 指先が時々、淡く銀色に光る。 熱いような、冷たいような、不思議な感覚。「辛いなら言え」 レオンが言った。「約束ですから、言います」「本当だな」「本当です」「ならいい」 短いやり取り。 それだけで、少し安心する。 以前なら、この人は自分の不調を隠した。 リリアもきっと、無理を隠そうとした。 けれど今は違う。 互いに不器用ながら、ちゃんと引き止め合おうとしている。 それが、少し嬉しかった。 ◇ 昼前、一行は北方の砦町ルドヴィクに到着した。 高い石壁に囲まれた町。 門には銀狼の紋章が掲げられている。 ヴァルハルト公爵領。
Last Updated : 2026-08-17 Read more