退院の日は、朝から雲ひとつない夏空だった。 病室の窓から差し込む光は、入院生活の終わりを祝福するように明るく、白いカーテンを柔らかく揺らしていた。 由美子は看護師に手伝ってもらいながら、ゆっくりと私服に着替えていた。 入院着から着替えるだけの動作にも、以前より時間がかかる。 有紗はそれを黙って見守りながら、荷物をボストンバッグに詰めていった。「そんなに見てなくていいのよ、有紗」「見てるよ。母さんが着替えるの、久しぶりに見た気がして」 軽口のつもりだったが、口に出してから少し切なくなった。 当たり前だった日常が、当たり前でなくなってから初めて、その重さに気づく。 由美子は「もう大丈夫よ」と笑ったが、その笑顔の奥に、わずかな疲労が残っていた。 退院手続きを終え、タクシーで店まで戻る間、由美子はずっと窓の外を眺めていた。 流れる景色の中に、十年前から変わらない町並みが見える。 商店街のアーケードが近づくと、由美子は小さく息を吐いた。「変わってないわね」「変わってないよ。母さんが心配することなんて何もない」 本当は、再開発の話も、店の経営のことも、山ほど心配事はあった。 けれど今この瞬間だけは、母を安心させたかった。 店に着くと、沙織と健太が「おかえりなさい」の張り紙を店先に貼って待っていた。 子供っぽい手描きの文字に、由美子は声を上げて笑った。「あんたたち、暇なの?」「暇じゃないですよ、由美子さんのために時間作ったんです」 沙織がむくれた顔で言うと、健太が慌てて花束を差し出す。 近所の花屋から──というより、有紗の店から仕入れたはずの花束を、律儀に持ってきたらしい。 有紗は思わず噴き出した。「うちの花、買ったの?」「いや、その、な
Last Updated : 2026-08-06 Read more