東京に戻った夜、篤のマンションにかすみが訪ねてきた。事前の連絡もなく、珍しいことだった。 「どうした、急に」 「少し話したいことがあって」 かすみはリビングのソファに腰掛けると、まっすぐに篤を見た。その目には、いつもの穏やかさとは違う、静かな緊張があった。 「私、この間、早坂さんのお店に行ったの」 篤は思わず息を呑んだ。 「一人で?」 「うん。篤には言ってなかった。ごめんなさい」 「何を話したんだ」 「大したことは。ただ──篤が彼女といる時、東京にいる時とは違う顔をしてるって、そう伝えただけ」 篤は言葉を返せなかった。図星を突かれた気まずさと、かすみに隠し事をしていた後ろめたさが、同時に胸を締め付ける。 「早坂さんはね、はっきりとは何も言わなかった。ただ、十年前に言えなかったことがあって、今それに向き合ってるって、それだけ」 かすみの視線が、まっすぐに篤に向けられる。 「篤、教えて。十年前に何があったの」 篤は深く息を吐いた。ここまで来て、もう誤魔化すことはできないと悟った。 「高校の卒業間際、彼女に告白しようとしたんだ。でも、その前に彼女から距離を置かれた。理由は聞かせてもらえなかった。……最近になって、母親の病気が理由だったって知った」 「それで?」 「それで、今また彼女と会うようになって……正直、昔の気持ちが、消えてなかったんだと思う」 言葉にしてしまうと、驚くほど簡単な告白だった。それでも、その一言を口にするまでに、篤は自分でも気づかないうちに何週間も迷い続けていた。 かすみは、しばらく黙って篤を見つめていた。怒りも涙もなく、ただ静かにその事実を受け止めているように見えた。
Last Updated : 2026-08-15 Read more