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All Chapters of 十年後の初恋: Chapter 21 - Chapter 30

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第21話 問い詰められて

東京に戻った夜、篤のマンションにかすみが訪ねてきた。事前の連絡もなく、珍しいことだった。 「どうした、急に」 「少し話したいことがあって」 かすみはリビングのソファに腰掛けると、まっすぐに篤を見た。その目には、いつもの穏やかさとは違う、静かな緊張があった。 「私、この間、早坂さんのお店に行ったの」 篤は思わず息を呑んだ。 「一人で?」 「うん。篤には言ってなかった。ごめんなさい」 「何を話したんだ」 「大したことは。ただ──篤が彼女といる時、東京にいる時とは違う顔をしてるって、そう伝えただけ」 篤は言葉を返せなかった。図星を突かれた気まずさと、かすみに隠し事をしていた後ろめたさが、同時に胸を締め付ける。 「早坂さんはね、はっきりとは何も言わなかった。ただ、十年前に言えなかったことがあって、今それに向き合ってるって、それだけ」 かすみの視線が、まっすぐに篤に向けられる。 「篤、教えて。十年前に何があったの」 篤は深く息を吐いた。ここまで来て、もう誤魔化すことはできないと悟った。 「高校の卒業間際、彼女に告白しようとしたんだ。でも、その前に彼女から距離を置かれた。理由は聞かせてもらえなかった。……最近になって、母親の病気が理由だったって知った」 「それで?」 「それで、今また彼女と会うようになって……正直、昔の気持ちが、消えてなかったんだと思う」 言葉にしてしまうと、驚くほど簡単な告白だった。それでも、その一言を口にするまでに、篤は自分でも気づかないうちに何週間も迷い続けていた。 かすみは、しばらく黙って篤を見つめていた。怒りも涙もなく、ただ静かにその事実を受け止めているように見えた。
last updateLast Updated : 2026-08-15
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第22話 由美子の記憶

かすみとのやり取りから数日、篤は再び現地に足を運んだ。プロジェクトの進捗確認という名目はあったが、本当の理由は自分でもわかっていた。有紗に会いたい、そして、あの夜以来どこかぎこちなくなった空気を、なんとかしたかった。 けれど店に着くと、有紗は仕入れのため朝から市場に出ていて留守だった。代わりに顔を出したのは、退院してからすっかり顔色の良くなった由美子だった。 「あら、桐生さん。有紗なら、もう少しで戻ると思うけど」 「あ、いえ、お邪魔でなければ、少し外でお待ちしても」 「何言ってるの、上がって。お茶淹れるから」 断る間もなく、篤は店の奥の居間に通された。由美子は慣れた手つきで湯呑みを二つ用意し、篤の前に座った。杖はもう使っていないようだったが、動きにはまだ少し慎重さが残っている。 「体調、良さそうで安心しました」 「おかげさまで。あなたたちが会いに来てくれるようになってから、調子がいいのよ。不思議とね」 由美子は笑いながらそう言ったが、その目にはどこか篤を試すような色があった。 「桐生さん」 「はい」 「有紗の高校時代のこと、少し話してもいいかしら」 篤は湯呑みを持つ手を止めた。由美子の声のトーンが、ふいに違うものに変わっていた。 「あの子ね、昔から人に甘えるのが下手な子だったの。小さい頃から、私が忙しくしてると、自分のことは後回しにして手伝おうとする。そういう性分」 「……そうだったんですね」 「十年前、私が倒れたとき──今思えば、あれが一番大変な時期だったんだけど──有紗、高校三年生でしょう。受験もあったし、卒業式も控えてた。それなのに、あの子ったら、病院と家と店を、一人で回してたのよ。誰にも相談せずに」 由美子は湯呑みを両手で包むように持ち、視線を少し落とした。
last updateLast Updated : 2026-08-16
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第23話 言いかけた言葉

由美子との会話の後、篤はその日、閉店間際まで店に残った。有紗は市場で仕入れた花を手際よく仕分けしながら、時折篤に他愛のない話を振ってくる。いつもと変わらないやり取りのはずなのに、篤の耳には由美子の言葉がずっと反響していた。 「篤くん、聞いてる?」 「え、あ、ごめん。なに?」 「ぼーっとしすぎ。今日、なんかあった?」 有紗が手を止めて、篤の顔を覗き込んだ。心配というより、少しからかうような笑みだった。それが余計に、篤の胸を締めつけた。 「いや……由美子さんと、少し話してて」 「母と? 何話したの」 「昔のこと、少し」 有紗の表情が、一瞬だけ強張った。すぐに笑顔に戻したけれど、篤はその一瞬を見逃さなかった。 「母、余計なこと言ってない?」 「余計なことじゃないよ。……ただ、有紗が十年前、一人でいろんなこと抱えてたんだなって、改めて知った」 有紗は花を持つ手を止め、視線を花瓶の水面に落とした。しばらく沈黙が続いた後、静かに口を開いた。 「あの頃はさ、必死だったんだよね。母のことも、受験のことも、店の手伝いも。頭の中がいっぱいで、誰かに相談する余裕なんてなかった」 「相談してくれても、良かったのに」 「そう思うよね、普通は」 有紗は小さく笑ったが、その笑みには苦さが混じっていた。 「でも、あの頃の私にとっては、相談すること自体が、誰かに迷惑をかけることだったの。特に篤くんには」 「なんで俺には」 「だって……」 言いかけて、有紗は言葉を止めた。花瓶の水を見つめたまま、しばらく動かなかった。篤は急かさずに待った。 「篤くんのこと、好きだったから」
last updateLast Updated : 2026-08-17
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第24話 強行の気配

月曜の朝、篤が出社すると、デスクにはすでに部長からの呼び出しメモが置かれていた。嫌な予感を覚えながら会議室に向かうと、そこには部長だけでなく、役員の一人まで同席していた。 「桐生くん、座って」 部長の声は、いつもより硬かった。篤が席に着くと、役員が資料を机に広げた。それは商店街エリアの再開発計画、当初案の詳細な図面だった。 「率直に聞くが、現地での進捗はどうなってる。当初のスケジュールから、もう二ヶ月遅れてるぞ」 「住民の方々との合意形成に、時間をかけております。特に商店街エリアは、長年の店舗が多く、単純な立ち退き交渉では──」 「合意形成、結構だ。だが会社としては、いつまでも待てる話じゃない。上期の決算にも影響が出始めてる」 役員の言葉は淡々としていたが、その分、重かった。 「桐生くんが提案していた『見直し案』についても、社内で検討はした。商店街の一部を保存活用する形での再開発、という趣旨は理解できなくもない。だが、コストと工期を考えると、現実的とは言えない」 「しかし、住民の理解を得られない強行は、長期的には会社の評判にも──」 「評判より、まず数字だ」 部長が割って入った。その声には、これ以上の反論を許さない響きがあった。 「桐生くん。君には、あと三週間の猶予を与える。その間に、当初案での住民合意を取り付けてくれ。それが無理なら、会社としては、法的手続きを含めた強制的な進め方も検討せざるを得ない」 「強制的な、というのは……」 「収用手続きだよ。行政と連携して、な」 その言葉に、篤は血の気が引くのを感じた。収用手続きが動けば、商店街の店舗は強制的に立ち退かされることになる。有紗の花屋も、その対象に含まれている。 「お待ちください。それでは住民との信頼関係が完全に──」 「信
last updateLast Updated : 2026-08-18
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第25話 客足

朝、シャッターを開けても、フルール・アリサの前を通り過ぎる人の数は、以前よりも明らかに少なかった。有紗は開店準備をしながら、通りの向かいの様子を窺った。八百屋の店主が、客のいない店先で所在なげに野菜を並べ直している。隣の惣菜店も同じだった。 昼を過ぎても、店に入ってくる客はまばらだった。常連の主婦が一人、遠慮がちに店に入ってくる。 「有紗ちゃん、お花、少しだけもらえる?」 「もちろんです。何にしましょうか」 やり取りは普段と変わらないはずなのに、その主婦の表情には、どこか気まずさが滲んでいた。会計を終えた後、彼女はぽつりと言った。 「うちの人がね、この商店街、本当に取り壊されるかもって心配しちゃって。今のうちに、って、まとめ買いはしなくなっちゃったの。ごめんね」 「いえ、そんな……お気になさらないでください」 笑顔で送り出したものの、有紗の胸には重いものが残った。噂は、店の経営に直接影を落とし始めていた。再開発が決まるかもしれないという不確実性が、客足を遠のかせている。 夕方、有紗は帳簿をつけながら、この一ヶ月の売上をグラフにしてみた。数字は正直で、右肩下がりの線がはっきりと見えた。仕入れの量を減らすべきか、そもそも店を続けられるのか──そんな考えが、じわじわと頭をもたげてくる。 「有紗、大丈夫?」 声をかけてきたのは、仕事帰りに立ち寄った沙織だった。カウンターに頬杖をつき、有紗の手元の帳簿を覗き込む。 「うーん、正直に言うと、あんまり大丈夫じゃないかも」 「だよね。うちのお客さんも、最近この商店街の話ばっかりしてる。取り壊されるって聞いて、みんな不安なんだよ」 「私も、篤くんから正式な話は聞いてないの。でも、会社が強く出てるっていうのは、なんとなく伝わってきてて」 沙織はしばらく黙った後、ふと真剣な顔で有紗を見た。
last updateLast Updated : 2026-08-19
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第26話 予兆

その日の朝は、いつもと変わらないはずだった。 有紗が起きると、由美子はすでに台所に立ち、味噌汁の鍋をかき混ぜていた。退院してから、少しずつ元の生活のリズムを取り戻していたはずだった。 「おはよう。今日は早いね」 「うん、市場に寄ってから開店しようと思って」 朝食を並べながら、有紗はふと母の顔色に目を留めた。心なしか、いつもより白い気がした。 「お母さん、大丈夫? 顔色、あんまり良くないよ」 「平気平気。ちょっと寝不足なだけ」 由美子は笑って手を振ったが、その笑顔はどこか無理をしているようにも見えた。有紗は少し気になりながらも、店の準備に追われて、それ以上深く聞くことができなかった。 市場から戻ると、由美子は居間のソファに座り、テレビを眺めていた。いつも通りの光景に、有紗は少し安心して開店作業に戻った。 昼過ぎ、店にいた有紗のもとに、近所の主婦から電話がかかってきた。 「有紗ちゃん、大丈夫? さっきお母さん、道端でふらついてたみたいだけど」 「え……」 心臓が跳ねた。慌てて店を沙織に任せ、有紗は家に駆け戻った。由美子は玄関先の椅子に座り込み、額に汗を浮かべていた。 「お母さん! どうしたの、大丈夫?」 「ああ、有紗……ちょっと、めまいがして……」 その声は弱々しく、いつもの由美子らしい快活さが消えていた。有紗は震える手で母を支えながら、救急車を呼ぶべきか、かかりつけ医に連絡すべきか、頭の中がめまぐるしく回転した。 「立てる? 少し休んでからにする?」 「大丈夫、少し座ってれば……ほら、もう落ち着いてきた」 由美子は無理に笑顔を作ったが、その額にはまだ汗が滲んでいた。有紗はすぐにかかりつけの病院に電話をかけ、状況を伝
last updateLast Updated : 2026-08-20
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第27話 再入院

その電話がかかってきたのは、開店から一時間ほど経った、平凡な火曜の朝だった。 「有紗さん、落ち着いて聞いてください。お母様が、店の前で倒れられて──」 近所の主婦の声は、努めて冷静さを保とうとしていたが、その震えは隠しきれていなかった。有紗は花鋏を手にしたまま、しばらく言葉の意味を理解できずにいた。 「今、救急車を呼びました。すぐこちらに」 「……はい、今すぐ行きます」 電話を切ると同時に、有紗は店を飛び出した。心臓が耳の奥で鳴っているのがわかるほど、鼓動が速い。角を曲がると、すでに近所の人だかりができていて、その中心に横たわる母の姿が見えた。 「お母さん!」 駆け寄ると、由美子はうっすらと目を開けていたが、焦点が合っていないようだった。額から流れる汗、青白い顔色。救急隊員が到着し、手際よく処置を始める中、有紗はただ震える手で母の手を握ることしかできなかった。 「大丈夫、大丈夫だから……」 誰に向けての言葉なのか、自分でもわからないまま、有紗はそう繰り返し続けた。 病院に着くと、由美子はすぐに処置室に運ばれ、有紗は待合室で一人、結果を待つことになった。時間の感覚が曖昧になるほど長く感じられた数十分の後、医師が現れた。 「軽い発作を起こされています。前回の後遺症と関連している可能性が高い。しばらく入院して、詳しい検査と経過観察が必要です」 「命に、別状は……」 「今のところ安定しています。ただ、無理は禁物です。今後の生活面でも、これまで以上に注意が必要になります」 医師の説明を聞きながら、有紗の頭の中には様々な思考が渦巻いていた。安堵、そして同時に押し寄せる不安。店のこと、費用のこと、そしてこれから先、母をどう支えていけばいいのか──。 病室に運ばれた由美子は、点滴に繋がれながらも、意識ははっきりしていた
last updateLast Updated : 2026-08-21
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第28話 避けられて

由美子の入院から三日が経った。篤は現地入りするたびに店に立ち寄ろうとしたが、シャッターには相変わらず「臨時休業」の張り紙が下がったままだった。 病院に見舞いに行こうと思い立ち、篤は花束を買って病室を訪ねた。由美子は点滴を受けながらも、思ったより元気そうな顔を見せてくれた。 「あら、桐生さん。わざわざ来てくれたの」 「お加減、いかがですか」 「もうすっかり落ち着いてるのよ。娘が大袈裟に心配しちゃって」 由美子は笑ったが、その笑顔の奥に、少し陰りがあるのを篤は感じ取った。 「有紗さんは?」 「さっきまでいたんだけど、店の様子を見に戻ったわ。入れ違いになっちゃったわね」 病室を後にした篤は、その足で店に向かった。シャッターは開いていたが、中の照明は薄暗く、有紗が一人、伝票の整理をしているのが見えた。 「有紗」 声をかけると、有紗は顔を上げた。一瞬、驚いたような表情を見せたが、すぐにいつもの笑顔を作った。 「篤くん。お母さんのお見舞い、来てくれたんだね。ありがとう」 「うん。思ったより元気そうで安心した」 「うん、そうだね」 会話は続いたが、どこか噛み合わない感覚があった。有紗の視線は、篤と目を合わせるようで、微妙にずれている。伝票を整理する手も、心なしか急いでいるように見えた。 「なにか、手伝えることある?」 「大丈夫、大丈夫。一人でできるから」 その返事は、篤の申し出をやんわりと、しかし確実に拒むものだった。篤の胸に、小さな違和感が芽生えた。 その日以来、篤が店を訪れても、有紗はいつも「忙しいから」「疲れてるから」と、短い会話で切り上げるようになった。以前は自然に交わされていた雑談も、笑顔の裏に見えない壁があるように感
last updateLast Updated : 2026-08-22
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第29話 わからないまま

「今度は逃げない」──そう決意したはずなのに、篤は具体的にどう動けばいいのか、わからないままだった。 有紗との距離は、日を追うごとに広がっていくようだった。店を訪ねても、以前のような自然な会話は戻ってこない。有紗はいつも笑顔を浮かべているのに、その笑顔の下に、何か固い蓋をしているような気配があった。 篤は東京に戻ってからも、そのことばかりを考えていた。デスクで資料を整理していても、気づけば有紗のことを考えている自分がいる。 「桐生、大丈夫か? 最近ぼーっとしてるぞ」 同僚の声に、篤ははっと我に返った。 「あ、すみません。ちょっと考え事してて」 「現地のプロジェクト、そんなに大変なのか」 「まあ、いろいろと」 曖昧に濁しながらも、篤の頭の中は有紗のことでいっぱいだった。仕事のことも、もちろん重くのしかかっている。会社からは三週間の猶予を突きつけられ、見直し案の説得材料を固めなければならない。それなのに、有紗の変化が気になって、集中力が続かない。 夜、篤はもう一度、有紗にメッセージを送ってみた。 『最近、あまり話せてないけど、大丈夫?』 既読はついたが、返信は来なかった。しばらく待った後、篤は電話をかけてみた。呼び出し音が何度も鳴り、留守番電話に切り替わる直前で、有紗が出た。 「もしもし……ごめん、ちょっと今、手が離せなくて」 「うん、大丈夫。長くは話さないから。……有紗、本当に大丈夫か?」 「大丈夫だよ。母の看病と店のことで、忙しいだけ」 「無理してない?」 「してないよ」 その返答は、あまりにも滑らかで、逆に不自然に感じられた。有紗の声には、いつもの温かみが薄れ、どこか事務的な硬さがあった。 「有紗、もし何か困って
last updateLast Updated : 2026-08-23
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第30話 正式通達

三週間の猶予期限が近づく中、篤は連日、見直し案の資料をブラッシュアップし続けていた。コスト試算、工期の比較、住民アンケートの結果──説得材料になりうるものは、すべて盛り込んだつもりだった。 だが、報告会の場で待っていたのは、篤の想定を超える結論だった。 「桐生くんの提案は検討したが、会社としては当初案で進めることに決定した」 部長の声は淡々としていた。会議室には役員も同席しており、その表情には迷いがなかった。 「見直し案では、工期が当初より四ヶ月延び、コストも一割以上増加する。株主への説明責任を考えると、これ以上の遅延は許容できない」 「しかし、住民の理解を得ないまま強行すれば、後々のトラブルのリスクが──」 「そのリスクは織り込み済みだ。法的な手続きに則って進める。来週、正式に住民への通達を出す」 その言葉に、篤は言葉を失った。 「来週、ですか……」 「収用の手続きに入る前提で、最終説明会を開く。桐生くんには、その場での説明を担当してもらう」 篤にとって、それは残酷な指示だった。自らが心を通わせてきた住民たちに、会社の決定を、しかも彼らの望まない形で伝える役目を負わされることになる。 「担当を変えていただくことは……」 「できない。現地の事情を最もよく知っているのは君だ。中途半端に投げ出すことは許さない」 役員の言葉には、有無を言わせない強さがあった。篤は反論の言葉を探したが、何も出てこなかった。会社という組織の中で、一介の担当者にできることには、限界があった。 会議室を出た後、篤はしばらく廊下に立ち尽くしていた。窓の外に広がる東京の街並みを見つめながら、これから自分がしなければならないことの重さを、改めて噛み締めた。 その日の夜、篤は現地の商店街組合の代表、健太に電話をかけた。 「桐生さん、こんな時間にどうしたんですか」 「健太さん、大事な話があります。来週、会社から正式に、当初案での再開発を進めるという通達が出ます」 電話越しに、健太の息を呑む気配が伝わってきた。 「本当に、強行するってことですか」 「はい……申し訳ありません。俺も、ぎりぎりまで見直し案を通そうとしたんですが、力及ばず」 「桐生さんが謝ることじゃないですよ。あなたは、俺たちのためにできる限りのことをしてくれた。
last updateLast Updated : 2026-08-24
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