Semua Bab 嫌いだった女が死んだ夜、元夫の愛が怖くなった ――もう一度、あなたを愛せるまで――: Bab 131 - Bab 140

195 Bab

第131話 景都が選ばない女

 翌朝、久世ホールディングスの会議室で、担当変更に反対する資料を最後まで説明した。沙耶は途中で口を挟まず、数字の横へ二、三度だけ印をつけた。  最終ページを閉じると、「現地担当は水城さんのままにします」と言う。  あまりに早くて、聞き返してしまった。 「仕事として合理性があるので。私が欲しかったのは、それです」  試されたのだと分かると腹は立ったが、反論できない。ほかの出席者が退室しても、沙耶だけは席を立たなかった。 「仕事とは別に、一つだけ」  窓の外へ目を向けたまま、景都と戻るつもりなのかと聞かれる。 「それは、久世さんには関係ないと思います」 「そうですね。でも、私には少しだけ関係がある」  景都がLATTICEを立ち上げた頃、家同士で縁談が出たことがあるという。沙耶は海外にいて、正式に顔を合わせる前に断られた。 「写真も見なかったそうです」  その言い方が景都らしくて、思わず息が漏れた。沙耶も口元を緩める。  なぜ今その話をするのか、と聞くと、「私が彼を好きだったからです」と答えた。過去形なのかどうかまでは分からない。 「一緒に仕事をして、断られた理由も分かりました。あの人、自分が選んだもの以外、ほとんど見ないでしょう」 「私を選んだって言いたいんですか」 「言う必要があります?」  景都が私を選んだという話に、嬉しくなりかけた。けれど目の前の人は、自分が選ばれなかった時のことを話している。 「恋愛で競う気はありません。深見さんは私を選ばない」  そこまで言ってから、彼女は机に置いたペンを指で転がした。 「ただ、あなたが隣にいることで仕事の判断が変わるなら、話は別です」  恋敵ではないと言いながら、もっと厄介な場所から見られている。  私は資料を鞄へ入れた。「それなら、仕事で見てください」 「そのつもりです」  会議室を出る直前、沙耶が「選ばれないかもしれない、と怯える必要だけはないと思いますよ」と言った。  振り返らなかった。  エレベーターを待つ間、沙耶の会議室のガラス越しに、次の打ち合わせへ入る人たちが見えた。彼女はもうこちらを見ず、別の資料を開いている。過去の縁談も、口にした瞬間だけ机の上へ置き、仕事へ戻れるらしい。その切り替えの速さまで景都に似ている気がして、また腹が立った。  鞄のファスナーを閉
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-10-03
Baca selengkapnya

第132話 正しい人ほど、腹が立つ

 沙耶を嫌いになれれば、もっと簡単だった。ところが仕事で会うたび、彼女の判断は腹が立つほど筋が通っている。高湿度で金具の変色リスクが出れば試験条件を増やし、物流費が上がれば値上げより先に梱包を見直す。部下の失敗を人前で責めず、会議後に必要な修正だけを渡すところまで、私が嫌うには出来がよすぎた。 「この色は残しましょう。水城さんの判断でいいと思います」  そう言われるたび、素直に受け取れない自分の方が面倒になる。  昼休み、景都から電話が来た。近くで会議があるので、時間が合えば夕飯でも、という話だった。 「二十一時を過ぎたら無理」 『分かった。終わったら連絡する』  昔なら店まで押さえてから知らせてきたはずだ。それだけの違いなのに、電話を切ったあと少し口元が緩んだ。  結局、沙耶との会議は二十一時十五分までかかった。〈まだ会社〉と送ると、景都からは〈今日はやめよう〉と返ってきた。  残念だった。  帰りのエレベーターで沙耶と二人になる。彼女は私がスマートフォンをしまうところを見ていたらしい。 「深見さん、待ってるんですか」 「今日は会わないです」 「そうですか」  それ以上聞かず、一階で先に降りる。私は駅へ向かうため反対側へ曲がった。 「水城さん」  呼ばれて振り返る。 「彼、昔なら待ったでしょうね。あなたが来るまで」  皮肉かと思ったが、沙耶の顔は真面目だった。 「待たないことを覚えたんですね」  それだけ言って車寄せへ向かう。  駅まで歩く間、景都がどこかで私を待っている姿を想像した。以前なら、それを愛情の証明にしたかもしれない。どれだけ遅くても迎えに来る、拒んでも追ってくる。望んでおきながら、息苦しいとも思っていた。  今夜、景都は自分の夕食へ戻り、私も一人で駅へ向かう。  駅へ着くと、改札前の蕎麦屋から出汁の匂いが流れてきた。夕飯を食べ損ねたことに気づく。景都と会えなかった夜だからといって、何か特別なものを食べる気にはならず、コンビニでおにぎりを一つ買った。袋を開けながら、待っていてほしかったわけではないのだとようやく分かる。会えなかったことを残念だと言えるくらいで、今日は十分だった。  ホームで電車を待ちながら、〈また今度〉と送った。  〈うん。帰り気をつけて〉  それ以上は来なかった。  部屋へ帰ると、景
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-10-03
Baca selengkapnya

第133話 元妻という肩書き

 海外テストの記者向け資料ができた頃、商品より先に私の肩書きが問題になった。人物紹介欄には、〈水城真帆 mellow note商品企画/深見景都氏の元妻〉とある。 「これ、要ります?」  久世側の広報担当は、検索対策として説明があった方がいいと言った。私が商品担当として来ているのだと返すより先に、沙耶が資料を取る。 「削ってください。検索すれば分かる情報を、こちらから肩書きにする必要はありません」  問い合わせが増えるのでは、と担当者が食い下がると、来た時に事実だけ答えればいい、と沙耶は言った。  会議後に礼を言うと、「資料の精度の話です」と一蹴された。それでも助かったものは助かった。  午後の事前取材では、海外メディアの記者から直接、景都との復縁がプロジェクト参加に影響したのかと聞かれた。通訳が言葉を選ぶように一度こちらを見る。  景都はLATTICE側の席に座ったままだった。 「今回の仕事は、私の会社と久世ホールディングスの契約です」  では現在の関係は、と続けられる。私は一度水を飲んだ。冷たいはずなのに、舌にはほとんど味がしない。 「仕事とは関係のないことです」  それだけで終えた。  記者は少し待ったが、通訳が次の質問へ移る。机の上には商品の仕様書が開いたままで、ようやく話題が仕事へ戻った。その時になって初めて、握っていた指をほどいた。  取材後、廊下で景都と並ぶ。 「嫌だった?」 「質問は嫌だった。でも、景都が答えなかったのはよかった」 「俺が答える話じゃないから」  エレベーターの鏡に、私たちが横に並んで映る。肩書きがなくても距離は近い。 「私たち、今、何なんだろうね」  景都がこちらを向いた。「俺の答えならある」  扉が開いたので、私は先に降りた。「今は聞かない」  番組の頃なら、答えを出さない時間まで画面の材料にされた。今日は、答えなかったことごと取材室へ置いてこられた。  ロビーの自動ドアが開くたび、外の冷気が足元へ入ってくる。景都は私の歩幅に合わせただけで、取材の答えを褒めもしなかった。何と答えればよかったか、と私も聞かなかった。今日は答えを採点してほしいわけではない。鞄の中で仕様書の角が掌へ当たり、そちらの感触の方が妙に頼もしかった。  景都は自動販売機の前で一度立ち止まった。私は水ではなく温かいお
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-10-04
Baca selengkapnya

第134話 彼があなたを愛しているから

 海外テストの最終承認前、沙耶に呼び出された。仕事の話だと思って会議室へ行くと、机の上にあるのは薄い資料が一冊だけだった。 「担当変更の件ではありません」  先に言われ、椅子を引く。沙耶は資料の表紙を見たまま、珍しく言葉を選んでいた。 「水城さん。あなたが嫌いなわけではありません」 「急ですね」 「急にしないと、たぶん言わないので」  そこから景都の話になった。仕事では冷静で、損失が出る判断もする男が、私のことになると最悪を先に想定し、ほかを待たずに動こうとする。だから厄介なのだと沙耶は言った。 「あなたがいると、彼は弱くなる」  私がいなければ、景都はもっと冷静でいられる。そこまで言われた気がした。 「弱くなるって、どういう意味ですか」 「守ろうとする。余計なリスクを取る」 「それは景都の問題でしょう」  沙耶の指が資料の角で止まった。 「私が離れたら、景都はもっと上手くやれるってことですか」 「少なくとも判断は安定します」 「じゃあ、離れた方がいい?」  今度は、すぐに答えが返ってこなかった。 「それ、景都本人には言いました?」 「言っていません」 「なら、私だけに言うのはずるいですね」  沙耶が初めて目を伏せた。  窓に雨粒が当たり始めていた。会議室の空調は効きすぎていて、置かれた水のボトルに細かい結露がついている。  私は蓋を開ける。「景都が私を守ろうとして失敗したことは、私も知っています。でも、私が離れれば解決するって話なら、本人抜きでは決められません」  言いながら、自分でもきれいに言いすぎた気がした。 「……というか、今は、そんなに簡単じゃないです」  沙耶が顔を上げる。 「私だって、平気じゃないので」  沙耶はそれ以上、私に離れろとは言わなかった。  廊下へ出ると雨の音が近くなった。入口の庇の下で立ち止まり、鞄に入れた折り畳み傘を探す間、沙耶の「弱くなる」が頭の中へ戻ってきた。  庇の端から雨水が一定の間隔で落ちていた。沙耶は先に車寄せへ向かい、振り返らない。私は傘を開く前に、会議室で飲み残した水の冷たさをまだ喉に感じていた。「離れた方がいいのか」と考えて、その場で正しい答えを返せるほど自分の気持ちは整理されていない。整理されていないまま外へ出られたことが、今日はむしろ楽だった。  駅までの
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-10-04
Baca selengkapnya

第135話 私なら、彼を支えられる

 その夜、景都と会った。駅近くのカフェは閉店前で、客はまばらだった。私は沙耶に言われたことを、順番を整えずに話した。 「私がいると、景都は弱くなるって」  景都はすぐ否定しなかった。カップへ伸ばした手を止め、しばらく考えている。 「弱くなるのかもしれない」 「認めるんだ」 「君のことになると怖い。間に合わなかったら、とか、また何か起きたら、とか。仕事より先にそれが出る」  沙耶の言葉では、私がいることが問題だった。景都は、私にまた何か起きることを怖がっている。 「沙耶さんなら、景都の仕事を支えられるんだろうね」  そこまで言うと、景都が眉を寄せた。 「仕事なら、助けられてるよ」 「恋愛では?」 「必要ない」  答えが早くて、思わず笑いそうになる。「本人に言ったら?」 「言う必要ある?」 「そういうところ」  店員が空いたテーブルを拭いていく。閉店時間が近いらしい。濡れた布巾の匂いと、冷めたコーヒーの苦さが混ざる。  私はカップの縁を指でなぞった。 「沙耶さんの話ばかり気にしても仕方ないよね。景都のことは、景都に聞く」 「そうしてほしい」 「でも、何でもすぐ聞けるとは限らない。その時は待って」  景都は頷いた。それ以上、安心させる言葉を足さなかった。  店を出ると雨が残っていた。傘は一本しかない。以前なら景都が私側へ寄せすぎたはずの傘を、今日は真ん中へ置いた。肩がときどき触れる。  沙耶に勝ったとも、安心したとも思わなかった。ただ、景都の「怖い」という言葉だけは、彼女の「弱くなる」より長く残った。  改札へ向かう途中、景都のスマートフォンが一度震えた。彼は画面を確かめ、急ぎではないと分かるとポケットへ戻す。以前なら、その動作だけで「私のために仕事を止めた」と考えてしまったかもしれない。今日は何の通知だったのか聞かなかった。景都も説明しない。傘から落ちる水が二人の靴先を同じように濡らしていた。  駅の屋根へ入ると、肩が離れた。急にできた隙間が少し寒い。景都が傘を畳む間、私はコートの袖についた水滴を払った。彼の右肩も私の左肩も、同じくらい濡れていた。沙耶の話をしたせいで何かが決着したわけではない。むしろ、明日になればまた気になるかもしれない。それでも今夜は、気になると口にして、彼の答えを聞いた。それ以上の結論は要らなかった。
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-10-05
Baca selengkapnya

第136話 勝手に守られたくない

 久世側の最終会議では、海外テストの役割分担がもう一度見直された。私の名前は現地担当へ戻っている。ただし広報対応については、私個人を前へ出さず、会社広報を窓口にする案が残った。  沙耶が資料をめくりながら、「ここはまだ反対です」と言う。 「理由は?」 「商品担当が、恋愛記事への回答まで背負う必要はありません」  前なら、また私を外すのだと受け取ったかもしれない。今日は資料を引き寄せ、数字を見る。記事が出た日の問い合わせ件数、商談への影響、私が対応に使った時間。 「広報窓口は会社でいいです。でも、商品について私へ来た質問まで止めないでください」 「そこは分けられますか」 「分けるためにルールを作るんでしょう」  沙耶はしばらく黙り、該当箇所へ線を引いた。  最終的に、個人関係への問い合わせは広報、商品取材は私が受けることで決まった。  会議室を出たところで沙耶が追いつく。 「深見さんには頼らなかったんですね」 「今回は必要なかったので」 「必要だったら?」  答える前に、鞄の肩紐がずれた。直しながら考える。 「その時は、頼むと思います」  沙耶の目が一度だけ細くなる。 「なるほど」  それだけだった。  エレベーターへ乗ると、鏡の中の顔が思ったより疲れていた。肩に食い込んだ鞄を床へ下ろす。扉が閉まる寸前、スマートフォンが震えた。  〈終わった?〉  景都だった。  〈終わった。疲れた〉  打って送ると、下りていく階数表示を見ている間に既読がついた。  すぐ〈お疲れ〉と返る。それだけなので、少し物足りなくなる。  〈それだけ?〉と書いて、消した。  代わりに、〈今日会える?〉と送る。  一階へ着くまでに、スマートフォンがもう一度震えた。〈無理なら明日でもいい〉。景都は私の疲れた顔を見たわけではないのに、珍しく予定を詰めなかった。〈今日がいい。甘いもの食べたい〉と返すと、〈店は?〉と来る。三軒の候補が届く気配がして、先に〈一軒だけ選んで〉と送った。数秒後、〈努力する〉。鏡の中で、疲れた顔の口元だけが緩んだ。  ロビーでは清掃員が床を磨いていた。ワックスの匂いがして、ヒールの音が少し響く。会議で勝ったというほど大げさな気分ではない。ただ、消されかけた名前が資料へ戻り、その横に自分で引いた線が残っている。鞄の中の紙が歩く
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-10-05
Baca selengkapnya

第137話 今度は、私が前に立つ

 記者会見の日程が決まったのは、その二日後だった。海外テストそのものより、私と景都の関係ばかりが先行して報じられたため、久世側が一度事実関係を整理することになった。  沙耶は、私が出なくても会見はできると言った。 「商品企画として出ます」 「恋愛質問も来ますよ」 「来るでしょうね」  怖くないわけではない。けれど自分の商品について、誰かに代わって説明される方が嫌だった。  景都へ電話すると、数秒の沈黙のあと、「本音なら止めたい」と言われた。 「でも、止めたら怒るだろ」 「かなり」 「じゃあ、安全面だけ俺に任せて」  その言い方なら受け取れた。  会見当日、鏡の前でジャケットの肩を直していると、瀬名が衣装のほつれを雑に縫った日のことを思い出した。糸目は斜めで、玉止めは大きかった。今日は肩にほつれはない。怖いのは、見た目ではなく、自分の言葉がまた誰かの都合のいい形へ切られることだった。  名札には〈水城真帆 mellow note 商品企画〉とだけ印字されている。  沙耶が隣へ来て、マイクの位置を確かめる。 「逃げたくなったら?」 「その時は逃げます」 「そこは強がらないんですね」 「今日は、その余裕ないです」  二人とも笑わなかったが、少しだけ呼吸が楽になった。  控室から会場までの廊下には、報道用のケーブルが黒い帯のように這っていた。スタッフが「足元お気をつけください」と声をかける。私は自分で一本またぎ、名札のクリップをもう一度押した。指先が冷たい。景都がこちらへ来れば、たぶん安心する。それでも、今は来ないでくれる方が助かる。その矛盾を説明する必要がないことにも、少し救われた。  会場へ入る。景都はLATTICE側の客席の壁際にいて、こちらへ歩いてこない。目が合うと、一度だけ顎を引いた。  壇上へ上がる階段は三段しかない。それでも、一段目へ足を置く前に息を吸った。誰にも背中を押されないまま、最後の一段を上がった。  壇上の水はまだ封が切られていない。椅子を引く音、記者がパソコンを開く音、シャッターの試し撮りが重なった。ライトが点くと客席の表情は見えにくくなったが、景都がどこにいるかだけは分かった。見なくても分かる距離にいて、手は出してこない。そのくらいが、今の私にはちょうどよかった。  手の中の名札がわずかに汗ばんでいた
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-10-06
Baca selengkapnya

第138話 会見の席順

 会見の壇上には三つの席が並んだ。久世沙耶、mellow noteの部長、私。景都は客席最後列の壁際に立ち、LATTICEの社員証だけを下げている。記者から見れば、危機管理担当者の一人にしか見えない位置だった。  沙耶が海外テストの目的を説明し、部長が商品の経緯を話す。最後に私へマイクが回った。  最初の質問から、景都との関係だった。  採用へ個人的な関係が影響したのか。復縁しているのか。  私は水のボトルへ触れたが、蓋は開けなかった。 「採用判断は久世ホールディングスです。私は企画内容と試験結果で評価されたと説明を受けています」  二つ目には、「仕事に関係のない質問には答えません」とだけ返した。  記者が続けようとした時、沙耶が「今回は事業説明です」と区切る。  助かった。けれど次の質問は、自分で止めたかった。  別の記者が、景都の支援がなければ騒動を乗り切れなかったのではないか、と聞く。後方で人が動く気配がした。景都かもしれない。  私はマイクへ少し近づいた。 「助けてもらったことはあります」  そこで一度息を入れた。 「でも、助けてもらったことと、自分で仕事をしていないことは同じではありません」  声がわずかに震えた。指先も冷たい。 「誰かに支えてもらったことを、能力がない証拠にされるのは違うと思います」  質問が始まってから会見が終わるまで、水には一口も手をつけなかった。  舞台裏へ戻ると、景都がいた。 「俺が言わなくてよかった」  以前なら、言えなかったことを悔やんだ人だ。今は、言わずにいられたことを喜んでいる。 「私も。自分で言えてよかった」  沙耶が控室のドアを開けて先に通してくれた。ようやく水を飲む。手の震えはまだ残っていた。  記者席では、まだ私の名前が聞こえる。何を書かれるかまでは選べない。それでも、記事になる前の自分の言葉だけは、自分で置けた。  控室の机には、会見前に配られた想定問答が残っていた。さっき実際に聞かれた質問には付箋が貼ってある。私はその付箋を一枚ずつ剥がした。終わった質問まで資料の上へ残しておく必要はない。最後の一枚を丸めてごみ箱へ入れると、指先の震えもようやく収まっていた。  会場を出る前、マイクをスタッフへ返した。金属部分が手の熱でぬるくなっている。たった数十分握っていただけな
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-10-06
Baca selengkapnya

第139話 隣に立つ理由

 会見から三日後、海外テストの最終契約が締結された。久世側の小さな祝賀会がホテルのラウンジで開かれ、私は部長と参加した。景都もLATTICE代表として来ている。  開始前、席次表を見て足が止まった。私の隣が景都だった。  誰が決めたのかスタッフへ聞くと、久世側の秘書だという。偶然かもしれない。それでも今の状況で、仕事の席まで隣へ置かれることには抵抗があった。  沙耶を探す。 「席、変えてもらえますか」  彼女は驚かなかった。 「深見さんの隣が嫌ですか」 「嫌じゃないです。でも、仕事の席でそう見せる必要はないです」  沙耶はすぐスタッフを呼び、私を自分の隣へ移そうとした。 「それも、ちょっと違います」  初めて沙耶が声を出して笑った。  結局、私は部長と現地担当者の間へ移った。  会のあいだ、景都とは離れた席で食事をした。向こうは向こうで取引先と話し、何度か目が合っても手を振らない。それでよかった。  帰り際、ロビーで合流する。  景都は移動した名札を見ていたらしい。 「隣に座りたくなかったわけじゃないよ」  言ってから、説明しすぎたと思う。  景都の口元が少し緩んだ。「分かってる」  外は冷え込んでいた。私は駅まで歩くと言う。 「俺も歩きたい」 「仕事じゃないなら」  景都は一拍置いて、「仕事じゃない」と答えた。  並んで歩く。信号待ちで景都の手が一度こちらへ動き、途中でポケットへ戻った。  私は何も言わず、青信号になってから半歩だけ彼の側へ寄った。  会場では離れた席を選び、帰り道では近くを歩きたい。どちらも本当だった。  景都は理由を聞かず、歩幅だけを合わせた。  途中のコンビニで景都が水を買った。私にも聞くので、温かいお茶を選ぶ。レジを出てから、会場で出た料理の話になった。私はほとんど味を覚えていない。景都も同じらしい。隣に座っていなかったからこそ、何を食べたかすら知らない。そのくらいの距離が、今夜は妙に気楽だった。  駅の改札が見えたところで、景都が歩幅を少し落とした。私はそれに気づいても急がなかった。会場の名札も席次も、もうここにはない。並んでいる理由を誰かへ説明する必要のない道を、あと少しだけゆっくり歩いた。  駅までの道で肩が一度触れた。二人とも離れなかった。  ホームへ下りる直前、景都は「今日
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-10-07
Baca selengkapnya

第140話 君の代わりには答えない

 海外テスト開始前の最終会議で、現地メディア対応の想定問答が配られた。私の欄だけ、私生活に関する質問が十個近くある。〈深見景都氏との関係〉〈番組事故後の心理状態〉〈瀬名莉子氏へのメッセージ〉。読み進めるほど、胃が重くなった。  広報担当は過去記事を基にしただけだと説明した。沙耶は横から資料を取り、ペンで半分ほど消していく。 「答えなくていい質問まで用意すると、答える前提になるでしょう」  景都も同席していたが、そこでは口を挟まなかった。  会議が終わって廊下へ出てから、「今、何も言わなかったね」と聞くと、景都は「沙耶さんが先に言ったから」と返した。そこで終わるかと思ったが、窓の向こうへ目をやったまま、「先に答えを作るのは、もうやめたい」と低く続けた。  窓に二人の姿が薄く映っている。私は想定問答をもう一度開いた。  瀬名へ送った『消えて』を後悔していないわけではない。でも、それを海外の商品説明の場で話す必要もない。番組事故について聞かれたら公表済みの調査結果だけ。それ以外の私生活には答えない、と決める。  景都はメモを取らなかった。「君の答えだから」と言い、自分の資料へ目を戻す。  照れくさくなって資料へ目を落としたところへ、沙耶が戻ってきた。明日の記者対応で、景都から私たちの関係を説明してもらう案が出ているらしい。  今度は景都が口を開く前に、「それは断ってください」と言った。  沙耶が理由を尋ねる。 「私のことを、景都の説明で確定させたくないので」  横で景都が息を吐いた。「俺も断る」 「そこは意見が合うんですね」  沙耶が言うと、景都は何か言い足しかけたが、私が肘で軽く触れるとそこで止めた。  景都の方が早く、正確に答えられる場面はこれからもあるだろう。逆に、私が任せたい日もあるかもしれない。その時は、その時に景都と話すつもりだった。  会議室へ戻ると、沙耶が消した質問の横へ広報担当が〈回答不要〉と書き足していた。十個あった項目は三つまで減り、紙の上には黒い線が何本も走っている。最初にもらった時よりずっと汚いのに、私はその方が落ち着いた。残った三つだけを目で追い、どこで息を継ぐかを一度確かめる。景都は自分の資料を読んでいて、こちらを覗き込まなかった。  質問を上から読み返した。三つなら、誰かの言葉を借りなくても自分の声で答えら
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-10-07
Baca selengkapnya
Sebelumnya
1
...
1213141516
...
20
Pindai kode untuk membaca di Aplikasi
DMCA.com Protection Status