「言ったね」 「何か変だった?」 「変じゃないよ。ただ、ネットは面倒になると思う」 灯は歩きながら、裏返った私の名札を指先で戻した。名札が胸元へ戻ると、さっき公にした私生活の言葉だけが妙に浮いて感じられた。 「広報として?」 「友達としても」 通路で取引先の担当者に呼び止められる。 「水城さん、さっきのサンプル、もう一度見せてください」 私は反射的に金具の比較表を取りに走った。 私生活の話をした直後でも、仕事は仕様番号で進む。 午後の商談では、持ち手の長さを一センチ変えた二案を並べた。先方は記事のことには触れず、B案の方が棚で見やすいと言う。私は寸法をメモし、スマートフォンが何度震えても見なかった。◇ 閉場後、ようやく画面を開く。 私の発言はもう切り抜かれ、『復縁否定も「今会っている人」認める』という見出しになっていた。 コメント欄には「それ交際では」「元夫婦って面倒」「応援したい」と、知らない人の答えが並んでいる。 景都からメッセージはない。 以前なら、記事が出た時点で何か対応案が届いていたかもしれない。今日は何もない。 会場を出る前、灯が「今の切り抜き、深見さんへ送る?」と聞いた。 「自分で見てるでしょ」 「たぶんね」 送りつけるのも違う気がして、そのまま電車へ乗る。 三駅進んだところで着信した。次の駅で降り、ホームの端へ寄って電話に出る。 景都だった。 「見た?」 『見た。何度も』 「だったら、何か言ってよ。怒ったとか、嬉しいとか」 いつもならすぐ返る声が、今日は来ない。ホームの風に髪を押さえ、私は耳へ端末を当て直した。 『嬉しい。……でも今、何て返せばいいか分からない。また先走りそうで』 景都が仕事以外でここまで言葉をなくすのを、私はほとんど知らなかった。 電話の向こうで息を吐く音だけが聞こえた。 私が止める前に、景都自身が先走ることを気にしている。その迷いを、私は少し嬉しく受け取っていた。 翌朝までは。 七時過ぎ、景都から『昨日のこと、嬉しかった』と短いメッセージが届いた。画面を閉じても、口元が少し緩む。 一方で、LATTICE SHIELDの方は静かではなかったらしい。 景都の会社は法人契約が多い。創業CEOの私生活が事業と直接関係なくても、取引
Dernière mise à jour : 2026-09-23 Read More