Tous les chapitres de : Chapitre 111 - Chapitre 120

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第111話 私が言ったことを、勝手に使わないで

「言ったね」 「何か変だった?」 「変じゃないよ。ただ、ネットは面倒になると思う」  灯は歩きながら、裏返った私の名札を指先で戻した。名札が胸元へ戻ると、さっき公にした私生活の言葉だけが妙に浮いて感じられた。 「広報として?」 「友達としても」  通路で取引先の担当者に呼び止められる。 「水城さん、さっきのサンプル、もう一度見せてください」  私は反射的に金具の比較表を取りに走った。  私生活の話をした直後でも、仕事は仕様番号で進む。  午後の商談では、持ち手の長さを一センチ変えた二案を並べた。先方は記事のことには触れず、B案の方が棚で見やすいと言う。私は寸法をメモし、スマートフォンが何度震えても見なかった。◇ 閉場後、ようやく画面を開く。  私の発言はもう切り抜かれ、『復縁否定も「今会っている人」認める』という見出しになっていた。  コメント欄には「それ交際では」「元夫婦って面倒」「応援したい」と、知らない人の答えが並んでいる。  景都からメッセージはない。  以前なら、記事が出た時点で何か対応案が届いていたかもしれない。今日は何もない。  会場を出る前、灯が「今の切り抜き、深見さんへ送る?」と聞いた。 「自分で見てるでしょ」 「たぶんね」  送りつけるのも違う気がして、そのまま電車へ乗る。  三駅進んだところで着信した。次の駅で降り、ホームの端へ寄って電話に出る。  景都だった。 「見た?」 『見た。何度も』 「だったら、何か言ってよ。怒ったとか、嬉しいとか」  いつもならすぐ返る声が、今日は来ない。ホームの風に髪を押さえ、私は耳へ端末を当て直した。 『嬉しい。……でも今、何て返せばいいか分からない。また先走りそうで』  景都が仕事以外でここまで言葉をなくすのを、私はほとんど知らなかった。  電話の向こうで息を吐く音だけが聞こえた。  私が止める前に、景都自身が先走ることを気にしている。その迷いを、私は少し嬉しく受け取っていた。  翌朝までは。  七時過ぎ、景都から『昨日のこと、嬉しかった』と短いメッセージが届いた。画面を閉じても、口元が少し緩む。  一方で、LATTICE SHIELDの方は静かではなかったらしい。  景都の会社は法人契約が多い。創業CEOの私生活が事業と直接関係なくても、取引
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第112話 正しいことをしたつもりだった

 打ち合わせの後、彼の広報担当が資料を抱えて会議室へ入ってきた。私は席を立ち、景都と廊下へ出てから「昨日のこと、もっと喜ぶと思ってた」と言った。 「嬉しかった。かなり」 「でも、嬉しそうに見えないよ」  景都はエレベーターのボタンを押し、点灯しているのにもう一度触れかけた。 「嬉しい。でも、俺の名前で君の仕事まで見られるのは嫌だ。今は、そっちも気になる」 「何か対応するつもりなら、私のことを書く時は先に見せて」 「広報には何案か出してもらう。でも、決める前に君にも見せる」 「全部いちいち見せてって言ってるんじゃない。私のことを書く時だけ、先に見せて」  扉が閉じる直前、景都は頷いた。  その夜、連絡はなかった。◇ 翌日の昼、灯から一件のメールが転送されてくる。  LATTICE SHIELDの広報から、媒体対応を会社間ですり合わせたいという資料だった。  表紙の作成依頼欄に、深見景都の名前がある。  二ページ目までは、私生活へコメントしない案。  三ページ目で、私はスクロールを止めた。 『私的交流はあるが、現在、交際関係にはありません』  昨日、景都が何案か出してもらうと言った時、この一文もすでに見ていたのだろうか。  灯は私の向かいで資料を読み、二ページ目へ戻った。 「うちの返事も聞いてから決める資料だよ。まだ公表はしてない」 「分かってる。広報なら、いくつか案を並べるのも分かる」  資料の右上には『社内検討用』とある。公表されたものではないと分かっていても、傷つかずにはいられなかった。私たちの関係を否定する一文から目が離れず、次のページへ進めない。  灯は弁当の蓋を閉じた。 「で、真帆はどうする?」  私は黄色い付箋のついた三ページ目を画面へ戻した。  自分の声で言った〈今会っている人〉が、会社の都合のいい空白へ直されている。 「景都に聞いてみる」  送信画面へ〈声明案について〉と打ち、本文は空のまま閉じた。午後の会議まで十二分しかない。怒ったまま送れば、今度はその文章だけが残る。  資料を印刷し、三ページ目の一文に黄色い線を引いた。二つ折りにしてノートへ挟むと、紙の端が少しはみ出した。  灯は何も言わず、私の弁当箱を冷蔵庫へ戻した。食べ終えていないことを指摘されなかったので、その方がありがたかった。
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第113話 今度は、来ないで

「今、私が会っている人は深見景都です」。そう言ったのは、私だ。  三ページ目は、私が言っていない。  景都へ電話すると、二回目の呼び出しで『どうした』と出た。 「LATTICEの声明案を見た。『交際関係にはありません』って書いてある案」  沈黙は短かった。 『広報に何案か出してもらった。その中に、交際を否定する案もあった』  曖昧に逃げないから、余計に腹が立つ。 「私が誰と会ってるか、自分の名前で言った翌日に?」 『君の会社への影響が減るかもしれないと思って――』 「私、復縁じゃないとは言った。でも、会ってることは隠さなかった。景都も見てたでしょう」  プリントの黄色い線が、蛍光灯の下で必要以上に鮮やかだった。景都にとっては残した文言でも、私には消された部分の輪郭ばかりが見える。 『見ていた。だから私的交流は残してある』 「そこじゃない」  会議室の外を社員が通る。私は声を落とし、紙の端を押さえた。 「昨日、決める前には見せるって言ったよね」 『ああ。まだ決めてない』 「その時、この一文も見てた?」  電話の向こうで、景都の呼吸が止まる。  病院のことも、昔の広報対応も、今は持ち出したくなかった。腹が立っているのは、もっと目の前のことだ。 「私が知らないところで、また消された」  画面の上に予定通知が出た。あと五分で午後の会議が始まる。  机にはシンガポール向けの色見本が三冊開いたままだ。昨日まで、そこへ景都の記事が入り込まないことに少し安心していた。  今は会社同士の資料にまで私たちの関係が入っている。  私は電話を切らず、景都が何を言うか待った。  しばらくして、低い声が返る。 『電話じゃ、また余計なこと言いそうだ。今日、会えない?』  私は資料の三ページ目を裏返した。会えば、景都は理由を順に並べるだろう。それを聞きたいわけではない。それでも、画面の一文だけで終わらせたくもなかった。 「……分かった。場所はあとで送って」  夜、駅前のカフェで向かい合った。  昼に見た声明案のプリントをテーブルへ置く。三ページ目の一文には、黄色いマーカーが引いてある。  景都は取締役会が延び、約束より十分遅れて来た。濃紺のコートを腕へ掛けたまま、私の前で足を止める。 「待たせた。何か食べたか?」 「遅れたことは、今日
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第114話 私を消す一文

「君が前に、仕事へ関係を持ち込まないでと言ったから」  その答えを聞いた瞬間、腹が立つより先に、胸の奥が冷えた。  私が頼んだのは、取引先の前で私を恋人扱いしないことだった。  記者へ、自分の名前で「今会っている人」だと話したあとまで、なかったことにしてほしいとは言っていない。  黄色い線を引いた一文が、テーブルの中央に残っている。 「私と会ってること、景都の会社には迷惑?」 「そういう意味じゃないよ」 「じゃあ、どういう意味。私が言ったことを消す案を、見ても平気だった?」  景都は紙へ目を落とした。 「平気ではない。広報には複数の案を出させた」  会社の答えとしては正しいのだろう。恋人の声には聞こえなかった。 「私を守るためじゃなくて、景都の会社から切り離したかったみたい」  声が少し強くなったが、隣の席の学生はイヤホンをしてノートパソコンへ向かっていた。  景都は指を組み、すぐほどいた。 「君の仕事へ、俺の名前を持ち込みたくなかった」 「それ、会社の説明でしょう。私が聞いてるのは景都のこと」  景都の指先が、重ねた紙の角を揃えかけて止まった。 「私があの場で景都の名前を言ったの、迷惑だった?」  景都は即答しなかった。自分から彼の名前を口にした時の心細さを、私は思い出していた。画面越しには、そんなことまで伝わらなかったのかもしれない。  私は水を一口飲んだ。  答えを待つ間、隣の席でキーボードを打つ音だけが続いた。 「嬉しかった」 「それなら、どうしてあの一文を残したの」  景都はすぐ答えず、黄色い線を見た。 「会社の話と、俺が嬉しかったことを一緒にしていいのか、分からなかった」 「だから、紙の上では私を消したの?」 「……君がそんなふうに読むとは、考えてなかった」  景都が初めて紙へ手を伸ばし、黄色い線の上へ親指を置いた。 「私は、なかったことにしたくなかったのに」  景都の視線が上がった。 「昨日、君に聞けばよかった」 「あの場で景都の名前を出すの、怖かったんだよ」  声が一度止まった。黄色い線を引いた箇所へ、爪の先が触れる。 「言ってよかったって、昨日は思えたのに」 「言ってくれて、嬉しかった。それは変わらない」  景都は今度は迷わず答えた。  隣の席でカップが受け皿へ戻された。 「
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第115話 隠したくない

「ごめん」  景都は裏返した紙へ指を置いたまま言った。 「間違ってるとは思ってなかった。仕事と私生活は分けたいって、君が言ったから。俺の名前を切ればいいと思った」 「理由は分かるよ」  紙の白い裏側へ目を落とす。 「でも、あの一文を読んだ時、景都が私を隠したいのかと思った」 「違う」  返事が早かったので、顔を上げた。 「うん。今は分かってる。でも、読んだ時の感じまでは消えない」  景都は何か続けようとして、紙の角を指で押さえた。 「……これは出さない」 「もう、それ以上はいい」  開きかけた口が閉じる。紙は鞄へ戻されず、テーブルの中央に残った。  その時、景都のスマートフォンが震えた。画面には会社名が出ている。  私は顎で端末を示した。 「出て」  一瞬迷ってから、景都は席を外さず通話を取った。取引先のシステム障害らしく、発生時刻と影響範囲を確認し、一次対応を担当者へ任せる。二分ほどで切ると、スマートフォンを伏せた。  スマートフォンの光が消え、裏返した紙へ目が戻った。  景都が立とうとしたので、私は水を一口飲んだ。 「まだ帰らないで」  椅子がきしみ、景都は「いる」と言って座り直した。それだけでよかった。  景都は冷めたコーヒーへ手を伸ばさず、私もすぐには話さなかった。閉店案内が流れるまで、何度か水を飲み、窓の外を人が通るのを見た。説明するより、同じテーブルに残っている時間の方が長かった。  やがて景都が鞄を取る。 「駅までは歩く」  車はいらない、と返すと、そのまま出口へ向かった。  店を出たところでスマートフォンがもう一度震えた。景都は画面を確かめてから伏せる。 「仕事、止めないで」 「止めてない」  閉店間際のパン屋から、甘い匂いが流れてきた。  横断歩道で信号を待つ間、景都は私の鞄にも腕にも触れない。車道側へ立つ癖だけは残っていた。私はその半歩ぶんの距離を詰めもしなかったし、離れもしなかった。
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第116話 少し、会いたくない

 駅の入口で、景都は足を止めた。 「俺は、君が公にしたことを消したかったわけじゃないんだ」 「分かってる。でも、景都が『交際してません』って案を残せたことが、まだ痛い」  鍵の金属がバッグの中で冷たく指に当たった。私はそのまま持ち手を握り直した。 「ああ」 「顔を見ると、まだあの一文を思い出す」  景都が何か言おうとこちらを見たが、私は目を伏せた。 「今日は、一人で帰りたい」  景都は一度だけ時計を見た。 「分かった。じゃあ、ここで帰る」 「うん」  改札の向こうへついてくることも、車を呼ぶこともしなかった。  私は切符売り場の明かりの前で振り返った。 「おやすみ」 「おやすみ」  声明案は私が持ったままにした。処分するかどうかも聞かれなかった。そんな小さなことまで気にしている自分にも、少し腹が立った。  私は振り返らずホームへ下りた。電車を待つ間、バッグの中で手に当たった紙の角は、折れないようクリアファイルへ入れた声明案だった。捨てるかどうかは、今日はまだ決めなかった。  翌朝、景都から連絡はなかった。  昨日の「帰って」を、その夜だけの意味に受け取ったのか、続きを含めたのか分からない。分からないまま仕事をするのが嫌で、昼休みに自分から送った。 『少し、会いたくない』  その前に『昨日はごめん』と打って消した。最後に残った一文だけを送った。  五分後、景都から返った。 『分かった。仕事で必要な連絡以外は控える』  短い返事を見て、指が止まった。 『何日くらいって聞かないの?』  入力して、消す。聞かれたら腹が立つくせに、聞かれないと寂しい。  私はトーク画面を閉じ、昼休みの残りを使って仕事を進めた。◇ 夕方、景都から仕事の電話が来た。物流拠点の契約更新について、資料番号まで正確な確認だった。二分で終わる。 「次から担当の田辺さんに聞いて。私じゃなくても分かるから」 『分かった』  通話が切れる前に、私は名前を呼んだ。 「それと、家の前にも会社の近くにも来ないで。偶然みたいに待つのも、しばらくやめてほしい」  電話の向こうで紙を置く音がする。 『期間は』  景都は最後まで言わず、問いを止めた。 「決めてない。何日で戻るって約束にもしたくない」 『そうか』 「用事がない連絡も、しばらくいらない
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第117話 会社から見た二人

 その夜、夕食を作りながら何度か画面を見た。会社の通知と通販の発送連絡だけで、景都の名前は動かない。玄関のチャイムも鳴らなかった。来ないでと言ったのだから当然だ。薬はあるか、食事はしたかと聞かれないことまで、自分で選んだ。  シャワーを浴び、髪を乾かし、ベッドへ入る。  予定表には仕事しかなく、土曜の欄も空いている。景都が勝手に埋めないことを望んだのは私だった。  言った言葉がそのまま現実になるのは、思っていたより静かだった。  一日目は、本当に楽だった。  帰宅時刻も夕食も、自分だけで決められる。誰かの返信を待たず、資料を直し、眠くなったら寝た。もともと一人暮らしなのだから、何も変わっていないはずだった。  二日目、冷蔵庫にヨーグルトが二つ残っているのを見て、賞味期限の遠い方を奥へ戻した。景都が来る予定はない。意味のない動作だと分かってから、手前の一つだけを食べる。  夜、面白い広告を見て反射的にスマートフォンを開いた。送る相手を選ぶ画面で指が止まる。  景都とのトークは、最後の仕事連絡で動かなくなっていた。その上には、空港の便名、蕎麦屋の場所、意味のない写真が残っている。  連絡はいらないと言ったのに、来ていないことを何度も確かめてしまう。  仕事は進んだ。シンガポール向け商品の仕様会議では、ファスナーの幅を一ミリ変えるかで三十分使った。午後には現地側から新しい売り場写真が届き、二時間働くうちに、景都のことを考えずに済んでいた。◇ 外回りの帰り、以前二人で入った蕎麦屋の前を通った。昼の暖簾が片づけられている。  景都は薬味のねぎを半分残した。昔は全部入れたはずなのに、「今は少ない方がいい」と言った。  私は店の写真を一枚撮り、送りかけてやめた。  ほかの誰にでも送れるのに、見せたいのは、自分から「送らなくていい」と言った相手だった。  私は写真を削除せず、ポケットへスマートフォンを戻した。  会社へ戻れば、仕様書と見本が待っている。午後は灯と仕事の話をし、母から来た桃の写真にも返事をした。  帰宅して靴を脱ぐと、また画面を点けた。  景都とのトークは動いていない。  私は蕎麦屋の写真を開き、送信先に景都を選んだ。『ねぎ、今日も半分残した?』と打ったところで、自分が会いたくないと言ったことを思い出す。写真も文も、下書きのまま
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第118話 悪女も、元妻も、役だった

 土曜になっても、蕎麦屋の写真は下書きに残っていた。  本を一冊買い、窓際のカフェで桃のゼリーを頼んだ。途中で面白い一文を見つけ、ページの端を写真に撮る。  誰かへ送らなくても、面白さが減るわけではない。  午後は机の端へタイマーを置き、仕事の資料を二時間だけ直した。タイマーが鳴ると、パソコンを閉じた。  夕方、川沿いを歩いた。空がきれいだったので、もう一枚写真を撮った。  古本の写真にはページ番号が写り、川の写真には自分の影が小さく入っていた。  どちらの写真も、送信画面は開かなかった。  一人の午後は長く、思っていたほど苦しくなかった。  それでも帰宅して写真一覧を開くと、古本と川が一日の順番に並んでいた。どちらも景都が見たら何と言うかを考えて撮っている。  想像できることが腹立たしく、少し嬉しかった。  私は二枚を削除せず、画面を閉じた。◇ 夜、買ってきたパンの袋を開けたところで、灯からメッセージが届いた。 『RE:PAIRから連絡。瀬名さんの追悼配信だって。未公開映像を使いたいらしい』  続いて届いたPDFのファイル名は、『RE:PAIR Memorial Streaming(仮)』だった。  開くと、一ページ目の中央に仮タイトルがあり、その下には瀬名の写真より大きく、私と景都の最終回映像が置かれていた。 『悪女と呼ばれた女性の、本当の三十日間』  追悼企画なのに、最初に示されたのは死者ではなく、残された元夫婦の現在だった。  好きにしていい一日の最後に、終わった番組がもう一度こちらを向いた。  灯と夕食を食べたのは、その翌週だった。  駅前のタイ料理店で、灯は席へ着くなり空芯菜炒めと鶏肉を頼んだ。 「辛さ、いつもの三でいい?」 「今日は四でもいける」  灯は注文端末へ指を置いたまま、私の顔を見た。 「最近、昼をまた半分残してるって聞いたから、今日は三。強がるなら、食べ終わってからにして」 「誰から聞いたの」 「広報は社内の情報収集も仕事です」  私の返事を待たず、辛さ三で注文を確定する。たぶん同じ部署の誰かから聞いたのだ。恋愛には結論を出さないくせに、食べる量には勝手に線を引く。  料理が来るまで、仕事の話だけした。シンガポール向けの新色について、灯は「橙、SNSでは強い」と言い、私は「売り場で目立つ
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第119話 景都は、否定しなかった

「何も言わなくていいし、予定も合わせなくていい。自由なんだよ。実際、楽な時間もある」  灯は空芯菜を噛みながら、「ならいいじゃん」とだけ言う。 「でも、静かすぎる時がある。……たぶん、寂しい」  勝ち誇った顔も、励ます顔もしなかった。 「会わない方が楽な日と、会いたい日は別にあるでしょ」 「恋愛相談には答えないんじゃなかったの」 「一般論。あと、春雨を残すなら最初から頼まないで」  春雨を置かれ、話はそこで終わった。  食後、灯が仕事用のタブレットをこちらへ向ける。 「追加のメール、まだ開いてない? 会社にも来た。真帆の映像とmellow noteの撮影風景を使いたいって」  画面には、制作会社から届いた企画概要があった。  瀬名莉子の死から半年。番組が保管している未公開映像を含め、一時間の追悼配信を作るという。 『悪女と呼ばれた女性の、本当の三十日間』 『出演者と遺族の尊厳へ最大限配慮する』  正しい言葉が並んでいる。  その下に、私への質問候補があった。 『瀬名莉子さんの死は、深見景都さんとの関係をどう変えましたか』 「これ、追悼?」 「企画書にはそう書いてある」  灯は答えを決めなかった。 「和恵さんには確認したのかな」 「企画書には遺族と協議中って。決まってないのに、出演者と会社には先に来てる」  灯が画面を閉じる。番組側にも公開日や広告枠があり、遺族だけを待ってはいられないのかもしれない。それでも、和恵さんの返事より先に私たちへ話が来る順番には納得できなかった。 「真帆が断ったら、会社の素材は出さない。部長にもそう言ってある」 「個人の映像は?」 「それは、真帆が決める」  景都ならどうするかが浮かび、すぐに考えるのをやめた。今は会わないと決めている。  帰りの電車で、私はPDFを最初から開いた。  一枚目の中央に、大きく仮タイトルが置かれていた。  ページを送ると、企画趣旨の見出しには『悪女は、本当は何を望んでいたのか』とあった。  瀬名が死んだあとも、番組は彼女へ役を渡そうとしていた。  月曜の企画会議には、制作会社の担当者と広告代理店もオンラインで参加した。  追悼配信そのものは番組側の企画だが、私の現在を示す映像として、mellow noteの仕事風景を使いたいらしい。  共有画面に
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第120話 復縁の理由

 ただ、机の上にある試作品のファスナーは、まだ開閉が少し重い。私が今決めたいのは、三ミリ上げた内ポケットを戻すかどうかだった。 「商品企画との連動はお断りします」  部長がこちらを見る。反対する視線ではなく、この先を私自身の言葉で続けるか確かめる目だった。 「商品は出しません。番組に出るかは別で考えます。……これを、私が立ち直った証拠みたいに売らないでください」  景都には、まだ返事をしていない。なのに企画書の中では、私たちはもう「やり直した二人」になっていた。  制作側の担当者が口を開く。 「未公開映像については、ご本人の確認が必要な箇所があります。まず試写用のリンクをお送りします」 「どんな映像ですか」 「撮影の合間や、放送で使用しなかった会話です。医療に関わる発言は、ご承諾なく使用しません」  医療。  また誰かが、流産という言葉を編集の材料にしようとしている。 「景都側には?」 「別途ご連絡しています」  担当者が資料をめくる音を待ち、「回答は」と聞いた。 「まだです」  会議が終わると、灯が扉を閉めた。 「断ってよかった?」 「商品はね」 「映像は?」 「見ないで断ったら、何を使おうとしてるかも分からないから」  本当は見たくなかった。それでも、自分が映っているものを、今度も他人へ任せたままにしたくはない。  会議の途中、遺族の承諾は取れているのかと尋ねたことを思い出す。制作担当者の答えは「現在協議中です」だった。公開日だけは仮押さえされているのに、和恵さんの返事はまだ決まっていない。承諾が取れなければ、「すでに放送された範囲を中心に、構成を変更します」という。  瀬名が出た番組の映像は、瀬名が死んでも番組側に残る。契約上は正しいのかもしれない。でも、その『正しい』で、死んだあとの映像まで使えることが急に怖くなった。  部長は会議後に「会社として断る理由は十分ある」と言ってくれた。その言葉はありがたかった。それでも、個人として何と答えるかは、私が決めなければならなかった。  午後、試写リンクが届いた。  再生期限は三日。視聴は一度につき二時間まで。◇ 仕事を終え、自宅のテーブルへノートパソコンを置いた。画面の中央では、瀬名が笑顔で赤い衣装の糸を直している。私は音量を一つ下げ、再生ボタンを押した。  最
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