Todos los capítulos de ペンション調 shirabeー愛する人を還すため私は過去に残るー: Capítulo 1 - Capítulo 10

14 Capítulos

第1話 成人の誕生日

「お誕生日、おめでとう。」 小さなケーキのキャンドルが揺れる。 その灯りを見つめながら、水瀬いのりは照れくさそうに笑った。 「ありがとう、りひと。」 十八歳。 ずっと待ち続けた誕生日だった。 歯科衛生専門学校へ入学して一年。講義や実習、レポートに追われる毎日だったが、今日だけは違う。 恋人の西園寺りひとと、初めて二人きりで旅行へ出かける日だからだ。 「本当に許可が出てよかったね。」 りひとが穏やかに微笑む。 「うん。お母さんも、おじいちゃんも『成人したんだから自己責任で行っておいで』って。」 その言葉に、いのりは少しだけ目を潤ませた。 高校二年生の頃から付き合い始めて二年。 何度も旅行へ行きたいと思った。 けれど、未成年だったいのりに外泊は許されなかった。 『十八歳になってから。』 その約束を守り続け、ようやく迎えた今日だった。 「行き先、楽しみにしてる?」 「もちろん!」 いのりはスマートフォンを取り出し、予約画面を開く。 画面いっぱいに広がるのは、透き通った湖と赤い屋根のペンション。 『ペンション クルム』 東北の山あいにひっそりと建つ、小さな宿だった。 口コミには、 『時間が止まったような場所』 『また帰ってきたくなる宿』 そんな言葉が並んでいる。 「この湖、すごく綺麗……。」 「見た瞬間、ここしかないって思った。」 りひとは笑う。 社会人一年目。 会社で働きながら、公認会計士の資格取得を目指して勉強を続ける忙しい毎日だった。 旅行へ行く余裕なんて本当はなかった。 それでも、 「成人祝いくらい、一緒に思い出を作りたかった。」 その一言だけで、いのりは胸がいっぱいになった。 「ありがとう。」 自然と二人の手が重なる。 この旅行は、一生忘れられない思い出になる。 そう信じていた。 数時間後。 東北行きの列車を降りた二人を迎えたのは、ひんやりとした澄んだ風だった。 「空気がおいしい!」 いのりは思わず深呼吸をする。 駅前は静かで、人も少ない。 聞こえるのは鳥のさえずりと木々が揺れる音だけ。 送迎車に揺られること二十分。 山道を抜けると、突然視界が開けた。 「わぁ……!」
last updateÚltima actualización : 2026-08-03
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第2話 止まった時間

「ようこそ、ペンション shirabeへ。」年老いたオーナーは深々と頭を下げた。白髪混じりの髪に優しい笑顔。どこにでもいそうな穏やかな老人だった。「長旅、お疲れさまでした。」「ありがとうございます。」りひとが予約名を告げると、オーナーは名簿を見ずに頷いた。「水瀬いのりさん、西園寺りひとさん。お待ちしておりました。」いのりは思わず顔を見合わせる。「予約名簿、見なくて大丈夫なんですか?」「ああ……お二人が来ることは分かっていましたから。」その一言に、胸がざわつく。「ホームページで予約したので……。」りひとが笑いながら言うと、オーナーは静かに微笑んだだけだった。「夕食は午後六時です。それまでは、ごゆっくりお過ごしください。」案内された部屋は二階の角部屋だった。大きな窓からは湖が一望できる。木の香りが残る室内には、どこか懐かしい雰囲気が漂っていた。「すごい……。」いのりは窓辺へ駆け寄る。湖は夕日に照らされ、黄金色に輝いている。「来てよかったね。」後ろからりひとが優しく肩を抱いた。「うん。」二人はしばらく景色を眺めていた。こんな静かな時間は久しぶりだった。夕食は山菜料理や川魚、手作りの煮物が並び、どれも優しい味がした。「都会では食べられないですね。」りひとが感心すると、オーナーは笑った。「この村は昔から、自然だけは豊かでした。」"昔から"その言葉が妙に耳に残る。食事を終えた二人は湖畔を散歩した。夜空には無数の星。街では見ることのできない満天の星空だった。「綺麗……。」いのりは空を見上げる。すると、水面に誰かが立っているような気がした。白い着物。長い黒髪。こちらを見つめている。「……また。」瞬きをした瞬間、その姿は消えた。「いのり?」「何でもない。」心配をかけたくなくて笑ってみせる。でも胸の鼓動だけは速くなる。部屋へ戻ると、時計は午後十一時五十八分を指していた。「今日は疲れたね。」「うん。」二人は布団に入り、他愛ない話をする。卒業したらどこに住むか。りひとが公認会計士になったら。いのりが歯科衛生士になったら。そんな未来の話ばかりだった。「また来ようね。」「うん。今度は夏じゃなくて紅葉の季節。」笑い合いながら目を閉じる。その時だった。ボーン……どこからか古い時
last updateÚltima actualización : 2026-08-04
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第3話 昭和の朝

「……消えた。」りひとは廊下を見回した。さっきまで確かに立っていた白いワンピースの少女は、跡形もなく姿を消していた。「誰も……いない。」廊下には古いランプが灯るだけ。静まり返った空気が、二人を包み込む。「見間違い、かな。」そう口にしたものの、りひとの表情にもわずかな緊張が浮かんでいた。「今日はもう寝よう。」「……うん。」布団へ戻ったいのりは、なかなか眠れなかった。少女の微笑みが頭から離れない。それは恐怖というより、どこか寂しそうな笑顔だった。気づけば、いつの間にか眠りに落ちていた。翌朝。小鳥のさえずりが窓の外から聞こえてくる。「朝かぁ……。」いのりはカーテンを開けた。「え……?」思わず息をのむ。昨日まで駐車場に並んでいたはずの車が一台もない。アスファルトだった道路は砂利道へ変わり、電柱も電線も姿を消していた。湖畔には木造の小舟が静かに揺れている。「りひと!」「どうした?」「外がおかしい!」慌てて窓へ駆け寄ったりひとも、言葉を失った。「……なんだ、これ。」昨日とはまるで違う景色。まるで何十年も昔へ迷い込んだようだった。「ニュースを見よう。」りひとはテレビの電源を入れる。ガチャッ……砂嵐が映ったあと、白黒映像が流れ始めた。『本日のニュースをお伝えします――』画面の右上に映る日付。**昭和四十七年七月二十二日。**「……昭和?」いのりは呆然と呟く。「そんなわけ……。」りひとは新聞を手に取る。そこにも同じ日付が印刷されていた。「全部……昭和になってる。」スマートフォンを確認する。圏外。Wi-Fiもない。インターネットにも繋がらない。「夢……?」いのりは自分の頬をつねる。「痛っ。」夢ではない。確かな痛みが残る。「とにかく外へ出よう。」二人は急いで着替え、ロビーへ向かった。昨日と変わらぬ笑顔でオーナーが立っている。「おはようございます。」「あの……外がおかしいんです!」いのりが必死に訴える。しかしオーナーは不思議そうに首をかしげた。「何がおかしいのでしょう。」「今日は令和八年ですよね?」その瞬間。オーナーの笑顔がふっと消えた。「令和……?」聞き慣れない言葉を聞いたような表情だった。「お嬢さん。」静かに告げる。「今日は昭和四十七年七月二十二日です
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第4話 葉月との出会い

「ねぇ。」少女は二人を見つめ、にこりと微笑んだ。「あなたたち、旅の人でしょう?」いのりは言葉を失う。夢で見た少女。昨夜、湖のほとりに立っていた白いワンピースの少女。目の前にいる彼女は服こそ違うものの、顔立ちは同じだった。「……どうしたの?」少女は不思議そうに首をかしげる。「あ、ご、ごめんなさい。」いのりは慌てて笑顔を作った。「この村、初めて来たので。」「やっぱり!」少女は嬉しそうに手を叩く。「私は三田村葉月。」「この村で生まれて、この村で育ったの。」その名前を聞いた瞬間。いのりとりひとは顔を見合わせた。昨夜、ペンションで耳にした違和感。そして、オーナーの意味深な態度。胸の奥で何かが繋がり始める。「私は水瀬いのり。」「こっちは恋人の西園寺りひとです。」「恋人なんだ!」葉月は少し照れくさそうに笑った。「いいなぁ。」「私にも大好きな人がいるの。」そう言って、村の坂道の向こうを見つめる。「もうすぐ来ると思うよ。」葉月の笑顔は、恋をしている女の子そのものだった。その表情を見て、いのりの胸が締めつけられる。この人が──。未来で殺される人。そんな運命を、本人はまだ知らない。「葉月ー!」遠くから青年の声が響く。振り返ると、一人の男性が駆け寄ってきた。爽やかな笑顔。日に焼けた肌。葉月を見る目は、とても優しかった。「待たせた。」「もう。」葉月は少し頬を膨らませる。「今日は遅いよ。」青年は照れくさそうに頭をかいた。「村長さんに呼ばれてさ。」「将来、議員になれって。」その言葉に、りひとの表情が変わる。青年の名前を聞かなくても分かった。「紹介するね。」葉月は幸せそうに笑う。「私の恋人。」「水瀬巌さん。」いのりの呼吸が止まった。祖父だった。写真でしか見たことのない、若い頃の祖父。「よろしく。」若き巌は穏やかに頭を下げた。その姿は、殺人犯とは思えないほど誠実そうだった。「お二人は?」「旅行で……。」いのりは言葉を濁す。昭和から来ました、とは言えない。「星糖村は何もない村だけど。」巌は照れ笑いを浮かべる。「湖だけは、日本一綺麗だと思ってる。」葉月が嬉しそうに頷く。「夜になるとね。」「星が湖に映るの。」「まるで金平糖を散りばめたみたいなんだよ。」その一言に、い
last updateÚltima actualización : 2026-08-04
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第5話 忘れられない約束

「私の恋人、水瀬巌さん。」葉月は照れくさそうに笑った。巌も少し照れながら頭をかく。その姿は、ごく普通の恋人同士だった。「今日は湖へ行く約束をしてるの。」葉月は嬉しそうに巌の腕を軽く叩く。「また星を見る約束なんです。」「葉月は星が好きだから。」巌が優しく笑う。「この村の夜空は、日本一だからな。」二人のやり取りを見つめながら、いのりの胸は苦しくなった。こんなに幸せそうなのに。どうして。どうして、この人が葉月さんを……。「いのり?」りひとが小さく声をかける。「顔色、悪いよ。」「……大丈夫。」そう答えたものの、心は全く落ち着かなかった。「そうだ!」葉月が思い出したように言う。「せっかくだから村を案内するね。」「いいんですか?」「もちろん!」葉月は迷いなく歩き始めた。村には小さな商店があり、子どもたちが笑いながら走り回っている。畑では農作業をする人々。犬が寝転び、風鈴が涼しい音を立てる。穏やかな時間が流れていた。「いい村ですね。」りひとが感心すると、葉月は誇らしげに笑った。「何にもないけどね。」「でも私は、この村が大好き。」その笑顔に嘘はなかった。しばらく歩くと、大きな湖が見えてきた。湖面には青空が映り、風が吹くたびに小さな波紋が広がる。「ここが私のお気に入り。」葉月は桟橋へ駆けていく。「嫌なことがあっても、ここへ来ると元気になれるの。」いのりも桟橋へ立った。不思議だった。初めて来た場所なのに、懐かしい。涙が出そうになるほど、心が温かい。「ここでね。」葉月が湖を見つめながら言う。「巌さんと約束したの。」「結婚したら、この湖が見える家に住もうって。」その言葉に、いのりは息をのんだ。未来を信じている。疑うこともなく。「絶対に幸せになる。」葉月はそう言って微笑んだ。その隣で巌も静かに頷く。「俺が必ず幸せにする。」その約束は。守られない。いのりは思わず拳を握りしめた。「りひと。」小さな声で呼ぶ。「どうした?」「私……。」言葉が震える。「この人たちを助けたい。」りひとは驚いた表情でいのりを見る。「まだ何が起きるか分からない。」「でも、このままじゃだめな気がする。」二人が見つめる先では、葉月と巌が寄り添いながら湖を眺めていた。その時。「巌!」低い声が
last updateÚltima actualización : 2026-08-06
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第6話 村長の呼び出し

「最近、村長さんに呼ばれることが増えたの。」巌の背中を見送りながら、葉月はぽつりと呟いた。「昔は毎日ここへ来てくれたのに……。」寂しそうに笑う葉月を見て、いのりは胸が締めつけられた。「何か心配事でもあるんですか?」りひとが自然な口調で尋ねる。「うーん……。」葉月は少し考えてから首を横に振った。「巌さん、昔から人に頼られる人だから。」「村長さんも期待してるんだと思う。」その笑顔には、恋人を信じ切っている気持ちが溢れていた。「そうなんですね。」いのりは笑顔を返したが、心の中は穏やかではなかった。未来を知っている自分だけが、この幸せが長く続かないことを知っている。その事実が苦しかった。「そうだ!」葉月は空を見上げる。「今日はお祭りの日なの。」「お祭り?」「うん。星祭り!」葉月は嬉しそうに説明を始めた。「この村ではね、夜になると湖へ灯籠を流すの。」「願い事を書いた灯籠は、お星さまへ届くって言い伝えがあるんだよ。」「綺麗そうですね。」「すっごく綺麗!」葉月は子どものようにはしゃいだ。「だから今夜は絶対見てほしいの。」その言葉を聞いた瞬間。いのりの脳裏に、昨夜見た白い少女の姿が浮かぶ。あれは葉月だったのだろうか。未来の葉月が、自分たちをここへ導いたのだろうか。考えれば考えるほど、不思議な出来事ばかりだった。「少し村を歩いてきます。」りひとが葉月へ声をかける。「ありがとう。また夕方ここで会おう!」葉月は手を振りながら帰っていった。姿が見えなくなると、りひとの表情が真剣になる。「いのり。」「うん。」「やっぱり、この村は昭和だ。」「商店の値札も、車のナンバーも全部確認した。」「テレビだけじゃなかった。」いのりも静かに頷く。「信じたくないけど……。」「私たち、本当に過去へ来ちゃったんだね。」りひとは湖を見つめながら考え込む。「問題は帰る方法だ。」「このままじゃ家族も職場も大騒ぎになる。」その言葉で、いのりは現実を思い出した。母。祖父。学校。国家試験。令和には、自分の人生が待っている。「帰らなきゃ……。」そう呟いた時だった。「旅のお二人。」突然、後ろから低い声が聞こえた。振り向くと、紋付き羽織を着た老人が立っていた。白髪混じりの髪。鋭い目。昨日のオーナーとは違う威圧
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第7話 村長の屋敷

「未来から来た客人を、お待ちしておりました。」老人の言葉に、いのりの背筋が凍った。「どういう……意味ですか?」恐る恐る尋ねる。しかし老人は、それ以上何も答えなかった。「村長がお待ちです。」ただ、それだけを繰り返す。りひとは小さくいのりの肩を叩いた。「行こう。」「でも……。」「何か帰る手がかりがあるかもしれない。」確かに、このまま村を歩き回っても何も分からない。二人は老人の後をついて歩き始めた。星糖村の中心部。そこには、ひときわ大きな日本家屋が建っていた。立派な門。手入れの行き届いた庭。村人たちは、その屋敷の前を通るたび深々と頭を下げていく。「すごい……。」いのりが小さく呟く。「この村で一番偉い人なんだろうね。」りひとも静かに辺りを見渡した。屋敷へ入ると、畳の広間へ案内される。床の間には大きな掛け軸。その隣には、星空と湖を描いた一枚の絵が飾られていた。「美しいでしょう。」不意に声が響く。奥の襖がゆっくり開いた。現れたのは、六十代ほどの男性。白い着物を身にまとい、穏やかな笑みを浮かべている。「ようこそ、星糖村へ。」「私は、この村の村長です。」二人は頭を下げた。「今日は、お忙しいところありがとうございます。」りひとは丁寧に挨拶する。村長は満足そうに頷いた。「旅のお二人。」「この村はいかがですかな。」「自然がとても綺麗です。」いのりが答えると、村長は嬉しそうに笑った。「それは何より。」「この湖は、村の宝です。」そう言いながら、お茶を勧める。湯気の立つ湯呑み。香ばしいお茶の香り。どこか懐かしい空気だった。しかし。いのりは気づいてしまう。村長の視線が、ときおり自分だけを見つめていることに。まるで。顔を知っている人を見るような目だった。「失礼ですが。」村長が静かに口を開く。「お嬢さんのお名前は?」「水瀬……いのりです。」その瞬間だった。村長の表情が、一瞬だけ固まる。ほんのわずかな変化。けれど、いのりは見逃さなかった。「水瀬……。」村長は小さくその姓を繰り返す。そして、何事もなかったように微笑んだ。「珍しい名字ですな。」「祖父から受け継いだ名前です。」その言葉に、村長の瞳が細くなる。「そうですか……。」部屋に沈黙が流れた。やがて村長は立ち上がる。
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第8話 閉ざされた客室

「……やはり、水瀬の血か。」その言葉が耳から離れなかった。屋敷を出ても、いのりは何度も振り返る。「どうした?」りひとが心配そうに尋ねる。「今……村長さんが。」言いかけたところで口をつぐんだ。聞き間違いかもしれない。それに、りひとまで不安にさせたくなかった。「何でもない。」そう笑ってみせる。しかし心臓の鼓動は速いままだった。二人はペンションへ戻ることにした。夕方になれば星祭りが始まる。その前に、少し情報を整理したかった。ペンションへ戻ると、オーナーはいつものように受付へ立っていた。「お帰りなさい。」「少し、お聞きしたいことがあるんですが。」りひとが切り出す。「この村では昔、事件がありませんでしたか?」その瞬間だった。オーナーの笑顔が消えた。ほんの一瞬。「……ありません。」答えは短かった。「ですが。」オーナーは静かに続ける。「立ち入ってはいけない部屋があります。」「部屋?」「二階の一番奥です。」「絶対に入らないでください。」そう言い残し、奥へ姿を消してしまった。「気になるね。」りひとが小さく呟く。「うん……。」二人は顔を見合わせた。『絶対に入るな』そう言われるほど、人は気になってしまう。夜。夕食までまだ時間があった。館内は静まり返っている。「……少しだけ。」りひとが囁く。「見に行くだけ。」二人は足音を忍ばせながら二階へ上がった。廊下の一番奥。そこには他の客室とは違う古びた木の扉があった。部屋番号はない。南京錠だけが掛けられている。「ここだ……。」その時。カタン……扉の向こうから、何かが落ちる音がした。二人は息を止める。「誰か……いる?」いのりが震える声で呟く。返事はない。しかし次の瞬間。扉の隙間から、一枚の古びた写真が、ひとりでにゆっくりと滑り出てきた。
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第9話 写真の中の少女

「写真……?」いのりは震える手で、床に落ちた一枚の写真を拾い上げた。白黒写真だった。古い紙特有の黄ばみがあり、四隅は擦り切れている。「何が写ってる?」りひとが隣から覗き込む。そこには、湖畔で笑う一組の男女。若き日の巌と葉月だった。「この二人だ……。」写真の裏には、万年筆で書かれた文字が残っている。――昭和四十七年七月二十二日 星祭りの夜「今日の日付……。」いのりは息をのむ。まさに、今日だった。「つまり、この写真は今日撮られる?」りひとは静かに呟く。まだ撮影されていないはずの写真。なのに、自分たちは手にしている。時間がねじれている。そんな感覚だった。「待って……。」いのりは写真をもう一度見つめる。「これ……。」葉月と巌の後ろ。桟橋の端に、小さく誰かが立っている。長い髪。ワンピース姿。ぼやけていて顔は分からない。「誰だろう。」りひとが目を細める。「葉月じゃない。」「でも村の人かな。」その時だった。ギシ……廊下の床が軋む音がした。二人は同時に振り向く。誰もいない。「風かな。」そう言った瞬間。コツ……コツ……濡れた足音が、ゆっくり近づいてくる。裸足のような音だった。しかし廊下には誰もいない。音だけが近づく。コツ……コツ……そして。ピタリ。二人のいる部屋の前で止まった。「りひと……。」いのりは思わず彼の腕を掴む。ドアノブが、ゆっくり回る。カチャ……。鍵は掛かっている。それでも誰かが外から開けようとしている。ガチャ。ガチャ。ガチャ。一定のリズムで音が続く。「誰ですか!」りひとが声を張り上げる。返事はない。音だけが止んだ。静寂。恐る恐るドアを開ける。廊下には誰もいなかった。ただ一つ。床には、小さな鈴が落ちている。銀色の鈴だった。「これ……。」いのりが拾い上げた瞬間。チリン……鈴が、ひとりでに鳴った。そして、誰かの囁く声が耳元で聞こえた。「……助けて。」振り返る。誰もいない。だが写真を見ると、さっきまでぼやけていた少女の顔が、少しだけはっきり写っていた。その顔は――葉月だった。
last updateÚltima actualización : 2026-08-06
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第10話 宿帳にない名前

「葉月だった……。」いのりは写真を握りしめたまま立ち尽くした。写真の中で微笑む葉月。しかし、その顔はさっき見た葉月よりもどこか寂しげだった。「おかしい……。」りひとが写真を奪うように見つめる。「さっきまでは後ろ姿だったよな?」「うん……。」「俺も見た。」確かに写真には、最初は顔の分からない少女しか写っていなかった。それなのに今は。葉月が二人をじっと見つめている。「こんなこと……ある?」いのりは思わず写真を裏返した。裏面には、かすれた文字が並んでいる。――昭和四十七年七月二十二日――星祭り――最後の一枚「最後の一枚……。」その言葉だけが胸に引っかかった。「最後って、どういう意味だろう。」その時。「お客様。」背後から突然声がした。二人は飛び上がる。そこにはオーナーが立っていた。いつからいたのか分からない。気配すら感じなかった。「夕食の準備ができました。」穏やかな笑顔。だが、その視線は写真へ向けられていた。「その写真は。」静かな声だった。「持っていてはいけません。」オーナーは写真へ手を伸ばす。しかし、いのりは思わず一歩下がった。「返してください。」「この写真は。」「ここへ戻さなければなりません。」「どうしてですか?」りひとが尋ねる。オーナーは少しだけ目を閉じた。「記憶は、持ち帰るものではありません。」それだけ言うと、写真を見つめたまま動かなくなる。妙な沈黙が流れた。やがてオーナーは諦めたように微笑み、「夕食が冷めてしまいます。」そう言って階段を下りていった。「なんなんだ……。」りひとは深く息を吐いた。「写真一枚なのに。」夕食会場には宿泊客らしい姿はない。長い木のテーブル。湯気の立つ山菜料理。川魚の塩焼き。どれも美味しそうだった。「貸し切りなのかな。」いのりが呟く。「昨日も他のお客さん、見なかったよね。」「確かに。」りひとも周囲を見回す。広い食堂には、自分たちしかいない。静かすぎる。箸の触れ合う音だけが響いていた。食事を終えた頃だった。「少し宿帳を見てみよう。」りひとが受付へ向かう。オーナーの姿はない。古い木製カウンターの上に、一冊の分厚い宿帳が置かれていた。昭和四十七年。宿泊者の名前が丁寧な字で書かれている。「七月二十二日……。」
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