Semua Bab ペンション調 shirabeー愛する人を還すため私は過去に残るー: Bab 31 - Bab 40

63 Bab

第31話 西園寺りひとは誰なのか

「あなた、本当に」いのりは、りひとを見つめた。「2026年から来た人なの?」地下室が静まり返った。りひとは何も言わない。「……何か言ってよ」「俺だって分からない」「分からないって?」「自分が誰なのかなんて、考えたことなかった」りひとはポケットからスマートフォンを取り出した。画面は点かない。この村へ来てから、ずっと圏外だった。「俺は西園寺りひと」自分に言い聞かせるように呟く。「二十三歳」財布を開く。運転免許証。健康保険証。会社の社員証。どれにも、同じ顔。同じ名前。――西園寺りひと。「ほら」いのりは言った。「ちゃんとあるじゃん」「ああ」「だったら――」「でも」りひとが遮った。「俺、子どもの頃のことをほとんど覚えてない」「え?」「小学校くらいからは覚えてる」友達。学校。家族旅行。怒られたこと。初めて自転車に乗ったこと。記憶はある。「でも、それより前がない」「小さい頃なら普通じゃない?」「そう思ってた」りひとは額を押さえた。「でもさっき地下室を見た時」目を閉じる。「懐かしいって思った」いのりは黙った。「初めて来た場所なのに?」「ああ」りひとは一番奥の扉を見る。「この匂いも」湿った石。古い木材。白い花。「知ってる」「どうして……」「分からない」チリン。銀色の鈴が鳴った。二人は同時に鈴を見る。「また……」いのりが呟く。その瞬間。地下室の壁に、白い光が走った。映像が浮かぶ。湖。夜。昭和四十七年七月二十三日。葉月が立っている。その向かいに、すみえ。そして――もう一人。男。「三人目……!」いのりが叫ぶ。顔が見えない。男は背を向けている。背格好は、りひととよく似ていた。「俺……?」「待って」いのりは目を凝らす。男の服装がおかしい。葉月とすみえは、昭和の服装。なのに男だけ、現代的なシャツとパンツを着ている。「この人も……未来から?」男が振り返ろうとする。チリン。鈴が鳴った。光が揺れる。「顔!」あと少し。男の横顔が見える。りひとに――似ている。けれど。完全には見えない。映像が途切れた。暗闇。「今の人……」いのりが、りひとを見る。「俺じゃない」りひとは即答した。「なんで分かるの
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第32話 写真の日付

――三人とも、未来から来た。いのりは床に落ちた写真を見つめていた。拾うことができない。写真の中には、葉月。西園寺理人。そして――自分。「ありえない……」ようやく声が出た。「私、生まれてないよ」昭和四十七年。一九七二年。自分が生まれるより、ずっと前。りひとが写真を拾った。「裏を見せて」「さっき見たでしょ」「文字じゃない」りひとは写真の端を指さした。「ここ」小さな数字が印刷されている。――72.7.20「七月二十日……?」いのりは息を呑んだ。葉月が湖へ消えたのは、七月二十三日。三日前。「待って」りひとの表情が変わる。「事件より前じゃないか」「……うん」つまり。葉月は湖へ行く前から、いのりと会っていた?「でも私、会ってない」「覚えてないだけかもしれない」「そんな……」いのりは写真を見る。写っている自分は、今と同じ姿だった。制服でもない。子どもでもない。この村へ来た時と、まったく同じ服装。「この服……」いのりは自分の袖を見る。同じ。りひとも気づいた。「今日のお前だ」背筋が冷える。五十四年前に撮られた写真。そこに、今日の自分がいる。「じゃあ私……」いのりは呟く。「これから七月二十日に行くの?」「今日は?」「七月二十三日」三日前へ戻る?それとも。すでに戻った?頭がおかしくなりそうだった。その時。りひとが写真を光へかざした。「待て」「何?」「この写真、おかしい」「どこが?」「影」写真には三人が並んでいる。葉月。理人。いのり。湖畔の日差し。葉月の影は、右へ伸びている。理人も同じ。でも。いのりだけ。影がない。「……私だけ?」「うん」いのりの顔から血の気が引いた。「幽霊ってこと?」「決めつけるな」りひとは写真を裏返す。「写真そのものが偽物かもしれない」「でも五十四年前の部屋にあった」「だから本物とは限らない」その言葉に、オーナーが反応した。「正しい判断です」二人は振り返る。「写真は記録です」オーナーは言った。「ですが」銀色の鈴を見る。「記録と真実は、同じものではありません」「どういう意味?」「人は、残したいものを記録します」写真。日記。宿帳。手紙。「そして」オーナーは続ける。
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第33話 忘れた約束

左手に、傷がある。いのりは何度も指でなぞった。細い傷。手首から親指の付け根へ向かって、三センチほど。「こんなの……なかった」少なくとも、この村へ来るまでは。そう思う。けれど。本当に?「いのり」りひとが声をかける。「大丈夫?」「分かんない」いのりは写真を見る。昭和四十七年七月二十日。葉月と自分。二人とも、銀色の鈴を持っている。写真の中の自分にも、同じ傷。「私、ここに来たことあるのかな」りひとは答えない。「でも覚えてない」「記憶を消されたとか?」「誰に?」「……分からない」分からないことばかりだった。写真。宿直記録。三〇二号室。五十四年前の西園寺理人。そして、自分。いのりは写真を裏返した。――もし私のことを忘れてしまっても、――この鈴が、――もう一度ここへ連れてきてくれる。「もう一度……」その言葉だけが引っかかる。葉月は、いのりが忘れることを知っていた。「りひと」「ん?」「私たちがこのペンションに来た理由、覚えてる?」「旅行だろ」「どうしてここを選んだの?」「それは……」りひとの言葉が止まった。二人とも黙る。予約したのは誰?このペンションを、どこで知った?「俺が見つけた……と思う」「どこで?」「旅行サイト」「どのサイト?」「……」答えられない。いのりはスマートフォンを取り出した。圏外。それでも、保存されているメールは確認できる。「予約メール」受信箱を検索する。ペンション。調。shirabe。検索結果。ゼロ。「ない」「削除したんじゃないか?」「ゴミ箱も見る」ない。りひとも自分のスマートフォンを確認する。「俺もない」「じゃあどうやって予約したの?」沈黙。二人とも、覚えていない。「待って」いのりは自分のバッグを探った。財布。化粧ポーチ。充電器。ハンカチ。そして。底から、見覚えのない封筒が出てきた。「何これ」古い封筒。表には、自分の名前。――水瀬いのり様。「誰から?」差出人はない。封を開ける。中には、一枚の紙。印刷された文章。――七月二十二日。――ペンション調。――一泊二日。宿泊案内だった。「これで来た……?」りひとが紙を受け取る。「でも、おかしい」「何が?」
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第34話 三回目の私へ

――これは三回目。赤い文字を見たまま、いのりは動けなかった。「三回目って……」一度目でも、二度目でもない。自分たちは、すでに二度ここへ来ている?「再生しよう」りひとが言った。「でも、カセットなんてどうやって」「ここにある」りひとが三〇二号室の奥を指した。古い棚。埃をかぶったラジカセが置かれている。まるで、このテープを再生するために、ずっと待っていたように。いのりはカセットを入れた。カチャン。再生ボタンを押す。ザザ……。ノイズ。そして。『――聞こえる?』いのりは息を呑んだ。自分の声だった。間違いない。『これを聞いている私へ』りひとが、いのりを見る。『たぶん今、あなたは三〇二号室にいる』「……当たってる」『隣には、りひとがいる』二人は顔を見合わせた。『そして二人とも、これが初めてじゃないことに気づき始めてる』ザザッ。ノイズが入る。『最初に言っておくね』声が低くなる。『四回目はない』いのりの表情が消えた。「……ない?」録音は続く。『今回失敗したら、もうやり直せない』「なんで?」当然、録音は答えない。『だから今度こそ、最後まで聞いて』いのりはラジカセの前へ座った。『一回目の私たちは、葉月さんを助けようとした』雑音。『七月二十三日。湖へ行って、葉月さんが落ちる前に止めた』いのりの目が見開く。「助けられたんだ……」『そう』まるで、今のいのりへ答えたようだった。『助けられた』一瞬、希望が見えた。しかし。『その結果、未来から水瀬いのりが消えた』いのりの呼吸が止まる。りひとが、いのりの手を握った。『私が消えたことで、りひとは一人で未来へ戻った』ザザ……。『でも未来は、私たちが知っていた未来じゃなかった』「どうなったの?」『巌さんは葉月さんと一緒になった』それなら。幸せじゃないの?そう思った。『だから――』録音の声が震えた。『巌さんは、私のおばあちゃんと出会わなかった』いのりは目を閉じた。やはり。葉月を救えば、自分へ続く家系が変わる。『私の母も生まれない』『当然、私も生まれない』静かな声だった。『だから一回目のりひとは、もう一度ここへ戻った』「りひとが?」『私を取り戻すために』いのりは、
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第35話 二人のりひと

午前二時十三分。『絶対に開けろ!』扉の向こうで、りひとが叫んでいる。「絶対に開けるな」いのりの隣でも、りひとが言った。同じ声。同じ話し方。いのりは動けなかった。「……どっちが本物なの?」隣のりひとの表情が歪む。「俺だ」『違う!』扉の向こうから声がする。『そいつを信じるな!』「だったら証明して!」いのりが叫んだ。静寂。「私しか知らないこと」いのりは隣のりひとを見る。「言って」りひとは考えた。「温泉」「……え?」「未来に帰ったら二人で行くって約束した」いのりの胸がざわつく。二人しか知らない。だが。扉の向こうから、すぐに声がした。『それじゃ証明にならない』「なんで?」『俺も知ってるから』「……」『いのり』声が少し優しくなる。『お前、車で寝る時だけ左向く』いのりは息を呑んだ。『コーヒーは苦いの苦手なくせに、眠い時だけブラック飲もうとして、結局砂糖入れる』「待って……」『それから』一拍。『この旅行の朝、駅で俺に言った』いのりの顔色が変わる。『帰ったら、また普通の日常に戻るの嫌だなって』知っている。こちらも。間違いなく、りひとの記憶を持っている。「なんで……」隣のりひとが扉へ近づいた。「お前は誰だ」『お前こそ誰だよ』「俺は西園寺りひとだ」『俺もだ』「開けたら何が起きる」沈黙。『そいつが消える』いのりは隣を見る。「……俺が?」『そうだ』隣のりひとは笑った。乾いた笑いだった。「都合がいいな」『俺だって信じられない』「だったら説明しろ」扉の向こうで、息を吸う音。『俺は』少し間を置いて、声が続いた。『二回目の西園寺りひとだ』いのりの身体が固まった。「二回目……?」『一回目で、いのりが消えた』カセットで聞いた。葉月を救ったことで、いのりが存在しない未来になった。『俺は、いのりを取り戻すために戻った』「それが二回目……」『そう』「じゃあ」いのりは隣を見る。「こっちのりひとは?」隣のりひとが首を振る。「俺は2026年からお前と一緒に来た」『それが三回目だ』沈黙。「つまり……」いのりは扉を見る。「二回目のりひとが、まだここに残ってる?」『そうだ』「五十四年間?」『違う』即答だった。『俺にとっては、ま
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第36話 四回目の夜

――四回目、開始。 床に落ちた紙片を、 三人は黙って見つめていた。 「四回目はないんじゃなかったの?」 いのりが呟く。 答える者はいない。 割れた二つの鈴。 止まった時計。 そして、 二人のりひと。 一人は、 いのりと2026年から来たりひと。 もう一人は、 昭和四十七年に死んだはずの西園寺理人。 「……同じ顔」 改めて見ると、 本当にそっくりだった。 理人が苦笑する。 「そんなに見るなよ」 「あ、ごめん」 「俺の顔なら毎日見てただろ」 「見てない!」 思わず言い返す。 すると、 隣のりひとが不機嫌そうに口を挟んだ。 「馴れ馴れしくするな」 「自分に嫉妬してんの?」 「してない」 「してるじゃん」 「してない」 こんな状況なのに。 いのりは少しだけ笑った。 その瞬間だった。 ドン――。 ペンション全体が揺れた。 照明が消える。 「いのり!」 暗闇の中、 二人から同時に腕を掴まれた。 「……ちょっと」 右手を、りひと。 左手を、理人。 「両方いる」 「離せ」 「お前が離せ」 「二人とも離して!」 パッと手が離れる。 こんな時まで同じ反応。 だけど。 一瞬だけ触れた二人の手には、 明確な違いがあった。 りひとの手は温かい。 理人の手は―― 冷たい。 いのりは理人を見る。 「手……」 「何?」 「冷たい」 理人の表情が消えた。 自分の手を見る。 「……そうか」 「どうしたの?」 「やっぱり俺は」 小さく笑う。 「もう死んでるんだな」 胸が痛んだ。 「そんな言い方しないで」 「事実だろ」 「でも今ここにいる」 「いのり」 理人が優しく呼ぶ。 「俺を生きてる人間だと思うな」 その声だけで、 なぜか泣きそうになった。 初めて会ったはずなのに。 ずっと前から、 知っている気がする。 「……なんで」 「何?」 「私の名前を呼ばれると」 胸元を押さえる。 「懐かしいって思うんだろ」 理人の瞳が揺れた。 りひとも気づいた。 「お前」 理人を見る。 「いのりと会ったことがあるんだな」 沈黙。 「答えろ」 「ある」 いのりの心臓が跳ねた。 「いつ?」 理人は、 いのりを見つめる。 「一回目より前」 「…
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第37話 最初のいのり

――シーッ。二階の窓。もう一人の自分が、人差し指を唇に当てていた。そして、笑った。「……私」いのりの声が震える。「どうしました?」隣にいた理人が、いのりの視線を追った。二階を見る。「誰もいませんよ」「え?」もう一度見る。窓には、誰もいなかった。白いカーテンだけが、風に揺れている。「さっき、そこに」「知り合いですか?」「私がいたんです」理人が黙った。「……変なこと言ってますよね」「かなり」「ですよね」「でも」理人は笑った。「嘘をついてる顔には見えない」胸が、小さく跳ねる。初対面なのに。この人は、そういうところまで同じだ。「ところで」理人が首を傾げる。「名前、まだ聞いてません」「水瀬いのりです」「いのり」その名前を、確かめるように繰り返す。「いい名前ですね」「……ありがとうございます」「俺は西園寺理人」知ってる。ずっと知ってる。でも。今の彼は、私を知らない。「よろしく」差し出された手。いのりは迷ってから、握った。温かい。「……温かい」「え?」「なんでもないです」五十四年後に会った理人の手は、冷たかった。――やっぱり俺は、――もう死んでるんだな。胸が痛む。今は、生きている。目の前で笑っている。この人が四日後に死ぬ。「どうして泣いてるんですか?」「え?」頬に触れる。涙。「分かりません」「俺、何かしました?」「してません」「じゃあ」理人が困ったように笑う。「初対面の男の顔見て泣かないでください」「ごめんなさい」「謝らなくていいけど」ハンカチを差し出される。「ありがとうございます」「返さなくていいですよ」「なんで?」「また会えばいいから」いのりは、理人を見る。未来の彼が言った言葉。――俺は五十四年間、――お前が戻ってくるのを待ってた。もしかして。これが、始まり?「理人さん」「はい」「もし」声が震える。「大切な人が未来に帰って、もう二度と会えないとしたら」理人の笑顔が消えた。「待ちますか?」「待つかな」即答だった。「……何年でも?」「好きなら」理人は湖を見る。「会える可能性がゼロじゃないなら」いのりを見る。「待つと思います」涙が、また落ちた。「本当にどうしたんです
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第38話 彼を殺して

――お願い。――今度こそ、――彼を殺して。鏡の中のいのりは、泣いていた。「……どういう意味?」返事はない。「私が理人さんを殺すの?」鏡の文字。――水瀬いのりによる殺害。「いのり」理人が肩に触れる。反射的に、いのりはその手を振り払った。「触らないで!」「……え」傷ついた顔。胸が痛む。「ごめん」「いや」理人は一歩下がった。「怖いよな」「違う」「俺だって怖い」理人は鏡を見る。「四日後に死ぬって言われて、しかも犯人が」いのりを見る。「今日会ったばかりの女の子」「殺さない」「うん」「絶対に殺さない」「分かった」「信じるの?」「信じる」あまりに簡単に答える。「なんで?」「だって」理人が笑った。「俺を殺す人が、俺が死ぬって知って泣くかな」「……」「だから信じる」ずるい。そんなふうに言われたら。もっと、好きになってしまう。――恋をするな。鏡の警告が、頭をよぎった。「理人さん」「何?」「やっぱり」いのりは俯いた。「私から離れて」「嫌だ」「即答しないで!」「四日間そばにいるって約束した」「でも!」「約束したのは俺だ」理人が言う。「お前が勝手に、俺のために破るなよ」いのりは、息を止めた。どこかで聞いた。――俺の幸せを、――お前が勝手に決めるな。若い巌が、葉月に言った言葉。同じだ。守りたいから離れる。助けたいから嘘をつく。生きてほしいから、相手の気持ちを無視する。それは本当に、思いやりなのだろうか。「……分かった」「うん」「でも死なないで」「努力する」「絶対って言って」「それは無責任だから言えない」「そこだけ現実的!」理人が笑った。いのりも、少しだけ笑った。その時。コン。扉が鳴った。二人の笑顔が消える。コン。「誰?」返事はない。コン。三回。理人が扉へ近づく。「待って」いのりが腕を掴む。「開けないで」「でも」「扉はもう嫌」午前二時十三分。二人のりひと。三〇二号室。嫌な記憶ばかりだ。すると。扉の下から、一枚の紙が滑り込んできた。古い写真。「……これ」湖。日付は、一九七二年七月二十三日。写っているのは、葉月。巌。すみえ。そして――「私」いのり。さらに、理
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第39話 存在しない人

「誰、それ?」葉月の言葉が、耳から離れなかった。「西園寺理人さん」「知らない」「昨日ここにいた」「昨日?」葉月が首を傾げる。「いのりちゃん、一人で来たじゃない」「違う!」思わず声を荒らげた。「一緒にいた!」葉月が驚いている。「荷物を持ってくれて」「……」「この部屋まで来て」「……」「四日間そばにいるって」約束してくれた。小指に触れる。まだ、感触を覚えている。なのに。誰も知らない。いのりは廊下を走った。「巌さん!」階段の下にいた巌が振り返る。「どうした?」「西園寺理人さんを知りませんか?」「さいおんじ?」「二十三歳で」「知らないな」「昨日ここにいたんです!」「昨日?」巌は不思議そうな顔をする。「客はいのりちゃんだけだよ」「そんな……」「大丈夫か?」次。すみえ。「理人さん?」「知らない」「本当に?」「うん」「顔を見たら分かるかもしれない」写真。写真があれば。いのりは二〇三号室へ戻った。鞄をひっくり返す。財布。ハンカチ。手帳。写真。あった。湖畔で撮った、理人の写真。「これ!」掴む。けれど。写っているのは、湖だけだった。「……嘘」次。五人で写っていた写真。葉月。巌。すみえ。いのり。四人。理人がいた場所だけ、不自然に空いている。「やだ」ページをめくる。「やだ……」どこにもいない。記録にも。写真にも。誰の記憶にも。存在しない。それでも。いのりの中には、いる。『また会えばいいから』『四日間そばにいるって約束した』『俺もたぶん、もう好きになり始めてる』そして。『俺を未来へ帰すな』「……なんで」涙が落ちる。「なんで私だけ覚えてるの」チリン。胸元。銀色の鈴。二つ。「あなたたちのせい?」返事はない。「理人さんを返して」チリン。「返してよ!」鈴を床へ投げようとして、できなかった。理人につながるものが、これしかない。いのりは、鈴を胸に抱いた。「……会いたい」初めてだった。怖いからでも。真相を知りたいからでもない。ただ、会いたかった。「理人さん」声が震える。「会いたいよ……」コン。いのりが顔を上げた。扉。コン。「……理人さん?」走る。扉を開ける。誰もい
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第40話 調という名前

「ここからが」未来のいのりは言った。「本当の、ペンション調の話だよ」チリン。小さな鈴の音が、三〇二号室に響いた。いのりは、目の前の女性を見つめていた。五十代くらいだろうか。目尻には、細い皺。髪にも、少し白いものが混じっている。それでも。分かる。自分だ。「……五十四年前の私って」いのりは呟いた。「どういうこと?」女性は笑った。「ここでは、どちらから見ているかで変わるの」「分かるように言って」「そうだね」未来のいのりは、椅子を指した。「座って」「理人さんは?」「……」「先にそれだけ教えて」未来の自分の顔を、まっすぐ見る。「生きてる?」沈黙。怖い。でも、目を逸らさなかった。やがて。未来のいのりが答えた。「生きてるよ」息が、一気に抜けた。「……よかった」膝から力が抜ける。「よかった……」涙が落ちた。「でも」その一言で、再び身体が固まる。「今のあなたが考えている意味とは、少し違う」「どういうこと?」「理人は今、時間と時間の間にいる」「さっき声が聞こえた」「うん」「助けられる?」「助けられる」いのりは、すぐに立ち上がった。「じゃあ教えて!」「いのり」「何すればいい!?」「座って」「そんな時間――」「あるの」未来のいのりが、静かに言った。「ここには、時間そのものがないから」いのりは黙った。窓を見る。外には、何もない。湖も。森も。夜空さえない。真っ黒な空間。「ここ……」「三〇二号室」「未来では五十四年間、封印されてた」「違う」「え?」「誰にも、開けられなかっただけ」未来のいのりは、壁へ手を触れる。「この部屋は、一九七二年にも、二〇二六年にも存在しない」「じゃあどこにあるの?」「その間」「……」「一九七二年と二〇二六年をつなぐ、五十四年間そのもの」いのりの背筋が、ぞくりとした。だから。一九七二年では、存在しないはずの地下に現れた。二〇二六年でも、存在しない三階の番号だった。三〇二。「三〇二って、部屋番号じゃないの?」未来のいのりが、少し笑った。「やっと気づいた」机から、古い紙を取り出す。数字。――3・02。「三月二日?」「違う」数字の間に、文字を書き加
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