Semua Bab ペンション調 shirabeー愛する人を還すため私は過去に残るー: Bab 11 - Bab 20

62 Bab

第11話 帰れるのは一組だけ

――帰れる客は、一組だけ。赤い文字を見つめたまま、いのりは動けなかった。「一組って……どういう意味?」声が震える。りひとは宿帳を自分のほうへ引き寄せた。「落ち着いて。誰かの悪戯かもしれない」「でも、私たちの名前……」書いた覚えなどない。しかも、巌と葉月の名前のすぐ下に並んでいる。まるで最初から、四人がここへ来ることを知っていたかのように。「日付を見て」いのりが指差した。四人とも同じだった。昭和四十七年七月二十二日。星祭りの夜。「今日だ……」その時。チリン。どこかで鈴が鳴った。写真の前に落ちていた、あの鈴と同じ音。チリン。今度は食堂の奥から聞こえる。「誰かいる?」返事はない。二人は音を追った。食堂の奥には細い廊下があり、その先に古びた扉があった。扉の向こうから、冷たい風が流れてくる。「外?」りひとが扉を開けた。そこには湖へ続く裏庭が広がっていた。夜の湖。風ひとつない。水面には満天の星が映り込み、本当に金平糖を散らしたように輝いている。「綺麗……」思わず、いのりは呟いた。怖いはずなのに。目を離せない。すると。湖のほとりに誰かが立っていた。「葉月さん?」白いワンピース。昨夜見た姿だった。「待って!」いのりは駆け出した。「いのり!」りひとも追う。だが、近づいても葉月は振り返らない。裸足のまま湖へ向かって歩いていく。一歩。また一歩。水が足首まで届く。「葉月さん!」いのりが腕を掴もうとした。その瞬間。葉月の姿が消えた。「え……?」そこには誰もいない。ただ、湖面に小さな波紋だけが広がっていた。ちゃぷん。ちゃぷん。「いのり、戻ろう」りひとの声が強くなる。「ここは危ない」その時だった。いのりの足首に、何かが触れた。冷たい。指。人間の指だった。「きゃっ!」りひとがいのりの腕を引く。二人は転びそうになりながら岸へ戻った。「今、誰かに……!」湖を見る。何もない。けれど。水面の下から、白い手が一本だけ浮かび上がった。いのりは声も出せなかった。その手には、小さな銀色の鈴が握られている。チリン。鈴が鳴る。同時に、背後から女の声がした。「見つけて」振り返る。誰もいない。「……何を?」いのりが恐る恐る尋ねる。今度は、はっきり聞こ
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第12話 星祭りの夜

チリン。祭囃子の中で、銀色の鈴が鳴った。葉月の手首に結ばれた鈴。湖の底から現れた白い手が握っていたものと、まったく同じだった。「りひと……あれ」「見えてる」二人は顔を見合わせた。聞かなければならない。あの鈴が何なのか。けれど、未来の葉月が告げた言葉が頭から離れない。――私が死んだ、本当の理由を見つけて。「いのりちゃん!」葉月がこちらに気づき、嬉しそうに駆けてきた。「来てくれたんだ!」浴衣姿の葉月は昼間より幼く見えた。「その鈴、かわいいですね」いのりが何気ないふりをして尋ねる。「あ、これ?」葉月は手首を持ち上げた。チリン。澄んだ音が夜空へ響く。「巌さんにもらったの」「おじ……巌さんから?」危うく祖父と言いかけ、いのりは唇を噛んだ。「今日ね、渡されたの。お守りだって」葉月は嬉しそうに鈴を撫でる。「絶対なくすなよって」少し離れた場所では、巌が村の男たちと話していた。その表情は昼間とは違う。笑っていない。「葉月!」巌が呼ぶ。「村長に挨拶してくる。ここで待っててくれ」「うん!」葉月は疑いもせず手を振った。その背中を見送りながら、いのりは妙な違和感を覚えた。巌は一度だけ振り返った。葉月ではなく――鈴を見た。祭りは賑やかだった。赤い提灯。焼きとうもろこしの匂い。走り回る子どもたち。湖には無数の灯籠が浮かび、星空と混ざり合っていた。あまりにも美しい。だからこそ、いのりは怖かった。この景色のどこかで、何かが始まる。「灯籠、流そうよ」葉月が二人に紙を渡した。「願い事を書くの」「葉月さんは?」「私は決まってる」葉月は照れながら筆を走らせた。いのりは、思わずその文字を見てしまった。――巌さんと、ずっと一緒にいられますように。胸が痛んだ。「いのりは何て書く?」りひとに聞かれ、いのりはしばらく迷った。そして書いた。――みんなで未来へ帰れますように。「みんなで?」りひとが小さく笑う。「うん」葉月も。できるなら巌も。誰も死なない未来へ。歴史を変えられるなら変えたい。三人で湖へ灯籠を流した。ゆっくり遠ざかる三つの光。その時。「あれ?」葉月が首をかしげた。「私の灯籠……」一つだけ流れていない。葉月の灯籠だけが、不自然に岸へ戻ってくる。風は湖の沖へ吹いて
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第13話 誰もいない岩風呂

――あの人を、信じないで。湖の上に立つ白い葉月の唇が、確かにそう動いた。「待って!」いのりが湖へ駆け寄った瞬間。ドンッ!夜空に花火が上がった。赤い光が湖面を染める。いのりは思わず目を閉じた。ほんの一瞬だった。再び湖を見る。「……いない」白い葉月は消えていた。湖には灯籠と星が浮かんでいるだけ。「どうした?」りひとが駆け寄る。「また葉月さんがいたの」「何て?」いのりは迷った。目の前では若い葉月が楽しそうに笑っている。少し離れたところには巌。――あの人を、信じないで。「……巌さんを信じるなって」りひとの表情が変わった。「それ、本当に葉月さんだった?」「え?」「俺には何も見えなかった」ぞくり。夏なのに、腕に鳥肌が立った。祭りを終え、二人はペンションへ戻った。時刻は午後十時を過ぎている。「お風呂、入ってくる」「一人で大丈夫?」「ペンションの中だよ」そう笑ったものの、本当は少し怖かった。岩造りの浴場には誰もいなかった。大きな窓の向こうには森。湯船から白い湯気が立ち上っている。いのりは肩まで湯につかった。「はぁ……」ようやく身体から力が抜ける。怖いことばかりだった。昭和。宿帳。写真。そして未来の葉月。考えれば考えるほど、分からなくなる。ちゃぷん。いのりは顔を上げた。「……?」誰もいない。水面が揺れている。自分が動いたからだ。そう思った。ぺた。脱衣所から音がした。ぺた。ぺた。濡れた裸足で床を歩くような音。「誰かいますか?」返事はない。磨りガラスの向こうに、人影もない。ぺた。足音が止まった。いのりは急いで湯船から上がった。身体を拭き、浴衣を羽織る。恐る恐る脱衣所の扉を開けた。誰もいない。「もう……やだ」小さく呟いて鏡を見る。そして。息が止まった。曇った鏡に文字が書かれている。指でなぞったような文字。――いわおをしんじるな。「……葉月さん?」チリン。どこかで鈴が鳴った。いのりは振り返る。誰もいない。もう一度、鏡を見る。文字の下から水滴が流れ落ちている。まるで涙だった。「分かった」いのりは震えながら呟いた。「葉月さんを助けるから」その瞬間。浴場の照明が消えた。「きゃっ!」真っ暗になる。湯船から、ちゃぷん。水
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第14話 鏡の中の巌

「葉月を殺したのは、俺じゃない」誰もいない岩風呂から、男の声がした。いのりとりひとは同時に振り返った。湯気が白く漂う浴場。人影はない。ただ、湯船の水面だけが揺れていた。ちゃぷん。「……誰?」いのりの声が震える。返事はない。「いのり、出よう」りひとが腕を掴んだ。その瞬間。チリン。鈴が鳴った。鏡を見る。――いわおをたすけて。さっき浮かんだ文字。その下に、新しい線がゆっくり現れ始めた。誰も触れていない。なのに、曇った鏡の上を透明な指がなぞっていく。――あした「明日……?」続いて、もう一文字。――みずうみいのりは息をのんだ。明日。湖。「葉月さんが死ぬ日……?」そう呟いた瞬間だった。鏡の奥に、人影が映った。「りひと!」振り返る。誰もいない。だが鏡の中にはいる。浴場の隅。若い男が立っていた。「……おじいちゃん」若き日の水瀬巌だった。顔を両手で覆い、泣いている。『俺は……』声が聞こえる。『こんなつもりじゃなかった』「巌さん!」いのりが鏡へ近づく。巌の背後から、もう一人現れた。村長だった。『明日ですべて終わる』低い声。『神崎家との縁談がまとまれば、お前の家も安泰だ』巌は何も答えない。『葉月さんには、別れてもらえ』『できません』巌が顔を上げた。『俺は葉月と一緒になる』いのりの胸が跳ねた。「じゃあ……」少なくともこの時点では、巌は葉月を捨てるつもりではない。村長の顔から笑みが消えた。『お前一人の恋愛で済む話じゃない』映像が揺れる。ざざっ。古いテレビの砂嵐のように、鏡が乱れた。『家を取るか』ざざっ。『葉月を取るか』そこで映像が消えた。「今の……過去?」りひとが呟く。いのりは答えられなかった。巌は最初から葉月を裏切っていたわけではない。なら、明日までに何が起きる?「調べよう」いのりは浴衣の襟を握った。「葉月さんが死ぬ前に」「でも、過去を変えたら俺たちがどうなるか分からない」「それでも!」声が大きくなった。「知ってるのに、何もしないなんてできないよ」りひとはしばらく黙っていた。そして、小さく息を吐いた。「分かった。一緒に調べる」「りひと……」「ただし、一人で動かない。絶対に」「うん」その言葉に、少しだけ安心した。二人は浴
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第15話 葉月の日記

午前零時。ボーン……。古時計の音が、静まり返ったペンションに響いた。七月二十三日。葉月が死ぬ日が始まった。いのりは机の上の日記を見つめた。――巌さんと湖へ行く。たった一行なのに、指先が冷たくなる。「読んでみよう」りひとが隣に立った。いのりはゆっくりページを戻す。六月二日。――巌さんと蛍を見た。 ――来年も一緒に見ようと言ってくれた。六月十八日。――お父さんには反対された。 ――水瀬家では私を幸せにできないって。 ――でも、私は家と結婚するんじゃない。 ――巌さんと結婚したい。いのりは唇を噛んだ。そこにいるのは、怨霊でも事件の被害者でもない。十八歳の、恋をしている女の子だった。さらにページをめくる。七月十日。――最近、巌さんがおかしい。 ――会っても笑わなくなった。 ――私のせいかな。七月十五日。――神崎すみえさんとの縁談があるらしい。 ――村の人から聞いた。 ――巌さんは何も言ってくれない。「すみえ……」いのりは名前を指でなぞった。村の地主、神崎家の末娘。巌のお見合い相手。七月二十二日。星祭りの日。文字が少し乱れていた。――怖い。 ――でも、信じたい。 ――巌さんは「明日の夜、湖で全部話す」と言った。 ――二人のことを終わらせるためじゃない。 ――始めるためだって。「……嘘」いのりの目から涙が落ちた。「葉月さん、何も知らない」明日という未来を信じている。自分が死ぬことなど、少しも知らない。「いのり」りひとが肩に手を置いた。「まだ起きてない」その言葉に、いのりは顔を上げた。「そうだよね」今はまだ午前零時。葉月は生きている。「止められるかもしれない」いのりは日記を閉じようとした。その時。ぱらっ。勝手にページがめくれた。最後のページ。何も書かれていなかったはずの紙に、じわりと文字が浮かび始める。――いのりちゃんへ。「……私?」二人は息を止めた。文字は続いていく。――これを読んでいるということは、私はもう死んでいるのね。「そんな……」現在の葉月が書けるはずがない。――お願いがあります。――巌さんを憎まないで。いのりは目を見開いた。「なんで……?」葉月を殺したのは巌ではないのか。鏡の男も言った。――葉月を殺したのは、俺じゃない。なら誰が。その瞬間
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第16話 過去と現実の交差

「あなたたちが、この村へ来たからよ」女の声が、扉の向こうから聞こえた。いのりは息を止めた。「どういう意味ですか?」返事はない。「私たちが来なかったら、葉月さんは死なないんですか?」沈黙。やがて、ぺた。草履の音が遠ざかり始めた。「待って!」いのりが扉を開ける。廊下には誰もいない。ただ、古びた床に濡れた足跡が残っていた。一つ。二つ。三つ。足跡は廊下の奥へ続いている。「追う?」いのりが尋ねる。「いや」りひとは首を振った。「先に箱だ」机の上には、小さな木箱。――神崎すみえ様へ。「開けないでって言われたけど……」「だからこそ、だろ」りひとが箱を調べる。鍵は掛かっていない。いのりはゆっくり蓋を持ち上げた。中に入っていたのは、一枚の写真。そして手紙だった。写真には若い女性が写っている。長い黒髪。上品なワンピース。十九歳くらいだろうか。裏には名前が書かれていた。――神崎すみえ。「この人が……」祖父のお見合い相手。そして、いのりの祖母になる女性。写真の中のすみえは微笑んでいた。けれど。その隣にいる人物を見て、いのりは固まった。「葉月さん……?」葉月とすみえ。二人が並んで写っている。仲が悪いどころか、肩を寄せ合って笑っていた。「知り合いだったの?」りひとが手紙を開く。便箋には、葉月の字。――すみえさんへ。――ごめんなさい。――私、あなたを嫌いになろうとしました。――でも、できませんでした。いのりは黙って読み進めた。――あなたが悪いわけじゃないもの。――巌さんの家を助けようとしていることも知っています。――だけど私は、巌さんが好きです。――だから逃げます。「逃げる……?」その先を読んで、いのりは息をのんだ。――明日の夜、巌さんと村を出ます。「え?」りひとが手紙を奪うように確認した。「じゃあ湖へ行くっていうのは……」「待ち合わせだったんだ」葉月は死ぬために湖へ行くのではない。巌と逃げるために行く。それなら。「おじいちゃんも、本当に葉月さんを選んだんじゃ……」希望が見えた気がした。だが、手紙には続きがあった。――すみえさん。――あなたにも、好きな人がいるのでしょう?二人は顔を見合わせた。「すみえさんにも?」その瞬間。チリン。廊下で鈴が
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第17話 まだ書かれていない手紙

「その手紙は、まだ葉月さんが書いていないものよ」すみえの言葉に、いのりは息を止めた。夜風が玄関を吹き抜ける。手の中の便箋が、かすかに震えた。「どういうことですか?」すみえは答えない。代わりに葉月が首をかしげた。「手紙?」「葉月さん、これ……」いのりは便箋を見せる。葉月の顔から笑顔が消えた。――明日の夜、巌さんと村を出ます。「私の字……」葉月が呟いた。「でも、こんなの書いてない」やっぱり。「じゃあ、未来の葉月さんが書いた?」りひとの言葉に、すみえが反応した。「未来?」しまった。いのりは口を閉ざす。自分たちが未来から来たことは、まだ誰にも話していない。すみえは二人を見つめた。「あなたたち、何者なの?」その時。チリン。遠くで鈴が鳴った。葉月が自分の手首を見る。「私じゃない」銀色の鈴は揺れていない。チリン。今度は二階。あの部屋からだった。四人が同時に階段を見上げる。「……誰かいる」葉月が呟いた。「行っちゃダメ!」いのりは思わず葉月の腕を掴んだ。「え?」「今日はもう帰ってください」「でも……」「お願い」葉月は戸惑っていた。いのりには分かっている。今日、葉月は死ぬ。何時なのかは分からない。なら、一秒でも危険から遠ざけたい。「巌さんにも会わないで」「どうして?」「湖にも行かないで」葉月の表情が変わった。「いのりちゃん、何を知ってるの?」答えられない。あなたは今夜死ぬ。あなたの恋人が関わっている。そしてその人は、私の祖父。そんなことを、どう説明すればいい。すみえが静かに口を開いた。「葉月さん」「なに?」「今日は私の家に泊まって」いのりは驚いてすみえを見る。「うちなら大丈夫。父も母もいるから」「でも巌さんと約束が……」「お願い」すみえの声が震えた。まるで彼女も何かを知っているようだった。葉月はしばらく迷ったあと、「……分かった」小さく頷いた。その瞬間。いのりの手の中で、便箋が熱くなった。「熱っ!」手紙を落とす。床に落ちた便箋から文字が消えていく。――明日の夜、巌さんと村を出ます。一文字ずつ。ゆっくりと。「歴史が……」りひとが呟いた。「変わった?」やがて便箋は真っ白になった。葉月が湖へ行かなければ。死なない。助けられる
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第18話 湖の約束

チリン。いのりの背後で鈴が鳴った。振り返る。誰もいない。ただ、玄関の扉がゆっくりと開いていく。ギィ……。冷たい風が吹き込んだ。その先に、湖へ続く一本道が見える。「呼んでる……」いのりが呟いた。「行くな」りひとが腕を掴む。「あと一時間十三分しかないんだぞ」「だから行くの」「違う」りひとの声が震えた。「葉月さんを助けたら、お前が消える」「じゃあ見殺しにするの?」「そうじゃない!」静かなペンションに声が響いた。葉月とすみえが、驚いたように二人を見る。りひとはいのりの肩を掴んだ。「俺にとっては、知らない昔の誰かより、お前のほうが大事なんだよ」いのりの胸が痛んだ。当然だ。りひとは葉月を知らない。ここへ来るまで、名前すら知らなかった。「私だって消えたくないよ」涙がこぼれた。「りひとと帰りたい」国家試験を受けたい。歯科衛生士になりたい。働いて。恋をして。いつか結婚して。普通に歳を取りたい。未来には、まだやりたいことがたくさんある。「だったら――」「でも」いのりは葉月を見た。十八歳。自分と同じ歳。葉月にだって、未来があったはずだ。「葉月さんだって、生きたかったはずだよ」りひとは何も言えなくなった。その時だった。「……何の話?」葉月が青ざめていた。「私が、死ぬって……?」しまった。いのりは唇を噛んだ。葉月の視線が、床に落ちた便箋へ向かう。――三田村葉月 死亡。「これ……私?」「葉月さん!」葉月は便箋を拾った。午前二時十三分。その時刻を見つめる。「あと一時間くらいで、私、死ぬの?」誰も答えられない。しばらくして葉月は、小さく笑った。「じゃあ、湖へ行かなきゃ」「どうして!?」「巌さんと約束したから」「死ぬって分かってるのに?」「だからだよ」葉月は手首の鈴を握った。「本当に巌さんが私を殺すなら、理由を聞きたい」いのりは言葉を失った。「それでも私は、あの人が好きだから」葉月は玄関へ向かう。「待って!」いのりが追いかけようとした瞬間。照明が消えた。真っ暗になった。「葉月さん!」チリン。鈴の音。チリン。もう一つ。「……え?」鈴が二つ鳴っている。一つは玄関。もう一つは――二階。開かずの間。「どういうこと?」葉月の鈴は一つしか
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第19話 選んではいけない

「どちらかが、嘘をついている」りひとの声と同時に。カチ。古時計の長針が動いた。午前二時十二分。あと一分。「いわおさん――!」湖から葉月の悲鳴。「いのりちゃん、助けて!」二階からも葉月の声。いのりは階段と玄関を交互に見た。「どうしよう……!」湖へ行けばいいのか。二階へ行けばいいのか。間違えたら、葉月が死ぬ。そして自分も――消えるかもしれない。「いのり」りひとが手を握った。「どっちにも行くな」「え?」「おかしいと思わないか?」こんな時なのに、りひとの声は妙に冷静だった。「宿帳にも書いてあった」――帰れる客は、一組だけ。「さっきの手紙もそうだ」――生き残れるのは、どちらか一人。りひとは古時計を睨んだ。「ずっと同じだ。この場所は俺たちに二つの選択肢を出してくる」いのりは息をのむ。選ばなければならないと思っていた。葉月か、自分か。湖か、二階か。過去か、未来か。でも。「選ばなくても……いい?」「少なくとも俺は」りひとは、いのりの手を強く握った。「お前が消える結末なんか選ばない」胸の奥が熱くなる。「葉月さんを見殺しにする結末も嫌だ」「うん」「だったら、どっちでもない答えを探す」カチ。時計が動く。二時十二分五十秒。十秒。「そんな時間ないよ!」「ある」りひとは階段でも玄関でもなく、受付へ走った。「りひと!?」そこには、あの宿帳がある。昭和四十七年七月二十三日。水瀬巌。三田村葉月。水瀬いのり。西園寺りひと。そして赤い文字。――帰れる客は、一組だけ。「これを書いた奴がいる」りひとは宿帳を持ち上げた。「このペンションが勝手に書いてるんじゃないなら、誰かが俺たちを誘導してる」二時十二分五十五秒。「りひと……」「いのり、最初にここへ来た時、オーナーは何て言った?」思い出す。――立ち入ってはいけない部屋があります。二階の一番奥。絶対に入らないでください。「あ……」開かずの間へ誘導されたのも。写真を見つけたのも。日記を見つけたのも。すべて、このペンションの中だった。二時十二分五十八秒。「じゃあ、オーナーが……?」その瞬間。ボーン――。古時計が鳴った。午前二時十三分。「葉月さん!」いのりは目を閉じた。悲鳴が聞こえると思った。だが。何
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-08-16
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第20話 記された未来

「十三回、同じ夜を繰り返しているのです」オーナーの声が、暗いロビーに落ちた。チリン。三つの鈴が同時に鳴る。いのりは宿帳を見つめた。――これで、十三回目。自分の字だった。けれど、書いた記憶はない。「じゃあ……十二回、私はここで同じことをしたんですか?」「ええ」「葉月さんを助けようとして?」オーナーは答えなかった。代わりに、宿帳を一枚めくる。そこにも文字があった。――一回目。――葉月さんを湖へ行かせた。――午前二時十三分、葉月さんは死んだ。次のページ。――二回目。――湖へ行く前に葉月さんを逃がした。――私が消えた。「……そんな」三回目。――巌さんを止めた。――葉月さんは別の場所で死んだ。四回目。――すみえさんを村から追い出した。――巌さんが死んだ。五回目。――誰も湖へ行かなかった。――りひとが死んだ。「待って」いのりの指が止まった。「りひとが……?」隣を見る。りひとも青ざめている。さらにページをめくる。六回目。七回目。八回目。どの未来にも、誰かの死が記されていた。葉月。巌。すみえ。いのり。そして、りひと。「全部……失敗してる」いのりの声が震えた。「だから言ったでしょう」オーナーが静かに微笑む。「帰れる客は、一組だけだと」「ふざけるな」りひとが宿帳を閉じた。バンッ。乾いた音が響く。「こんなものが未来だって、誰が決めた」「十二回のあなたですよ」「……俺?」オーナーが指差した。宿帳の最後。そこには、りひとの字で書かれた文章があった。――次の俺へ。――いのりを選べ。――葉月を助けようとするな。――何があっても、いのりを未来へ連れて帰れ。いのりは言葉を失った。その下にも文字がある。――十一回目の俺は、いのりを失った。――十二回目の俺は、それに耐えられなかった。――もう二度と、あいつが消えるところを見たくない。「俺が……書いた?」りひとの声が掠れる。「覚えてないの?」「何も」その瞬間。りひとの身体がぐらついた。「りひと!」いのりが抱き止める。りひとは頭を押さえた。「……思い出した」「え?」「少しだけ」脳裏に映像が流れ込む。白い霧。湖。泣いているいのり。――りひとなら、私じゃなくても大丈夫だよ。「やめろ……」
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