私を心底憎んでいるはずのトップ俳優から、溺愛されるようになりました。 のすべてのチャプター: チャプター 21 - チャプター 30

79 チャプター

第21話

誰もいない静まり返った自室のドアを開け、ソファに重い体を沈める。 部屋の明かりもつけないまま、私は自分の膝の上に乗せた両手をぼんやりと見つめていた。 手のひらには、白い包帯が痛々しく自己主張している。 本物のガラスへのすり替え。飴ガラスではなく、明確な悪意を持って私を傷つけようとした何者かの存在。 頭の中で何度反芻しても、行き着くのはどす黒い疑惑と恐怖だけ。 「誰が、何のためにあんなことを……」 冷え切った自室の空気の中で震えそうになったその時、静寂を切り裂くようにスマートフォンの着信音がけたたましく鳴り響いた。 画面に表示された名前に目を丸くする。 私は慌てて深呼吸をし、オーディションの極限状態や先ほどの恐怖を引きずった声色を隠すようにして、努めて明るい声で通話ボタンをタップした。 「もしもし、美羽。今、少しだけ時間あるか?」 耳元から聞こえてきたのは、どこか暢気で温かみのある低い声だった。 その日常に触れた瞬間、張り詰めていた心の糸がふっと緩んでいく。 「もしもしお兄ちゃん。時間ならあるけど、どうしたの?」 背後からは微かに車の走行音や街の喧騒が聞こえており、おそらく仕事の帰り道なのだろう。 いつもならお互いの近況をダラダラと話し始めるような関係性だが、今日の兄の声には、少しだけ言い淀むような、何かの報告をためらうような微かな緊張感が混じっていた。 何か実家でトラブルでもあったのだろうかと一瞬身構えた私の耳に、兄は思いがけない突然の報告を切り出してきた。 「実は来月から出張で、一年そっちに行くことになってさ」 予想もしていなかった急展開に、私は思わず弾かれたように背筋を伸ばし、大きな声を上げてしまった。 「えっ、本当!?」 兄はずっと地元の実家から通って仕事をしていた。それが突然、私が今一人暮らしをしているこの街へとやって来るという。 兄が近くにいるという事実は、今の私にとって信じられないほど心強かった。 「急に決まったからまだ物件も決まってなくて。少しの間でいいから、美羽の部屋に間借りさせてもらえないかな?」 どうやら本当に急に決まった話らしく、通常なら会社が手配してくれるはずのマンスリーマンションなどの手配が、赴任のタイミングに間に合っていないらしい。 少しだけ申し訳
last update最終更新日 : 2026-09-21
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第22話

「あのオーディション番組、毎週、母さんと一緒に欠かさず見てるんだ」 「お母さんも…?」 女優になるという私の夢に最後まで猛反対し、私が半ば強引に実家を飛び出して上京したあの日から、どこか気まずい距離が空いてしまっていた。 私は一般の学部に通いながら、学生劇団として名高い演劇サークルに所属して舞台の基礎を叩き込んだ。それと並行して、事務所の厳しい演技トレーニングにも通い詰め、寝る間も惜しんで実践的な技術を磨き続けてきた。 その努力の過程を、母には一度も弱音として吐くことはできなかった。 「あぁ。絶対にお前には内緒にしてくれって釘を刺されてるけどな。録画した美羽の演技、何度も繰り返し見てるよ」 深い愛情に満ちた母の姿を想像すると、張り詰めていた私の心の糸がふっと緩み、思わず目頭が熱くなるのを感じた。 「そっか……」 こぼれ落ちそうになる涙を必死に堪えながら、私は努めて明るい声を取り繕ってそう返した。 底なしの泥沼に突き落とされたような絶望感の中で、誰も信じられなくなりそうだった私の心に、兄の言葉は一筋の柔らかい光のように差し込む。 「あんな風に反対してたけどさ。本当は、お前が演技の世界に飛び込んでくれたこと、誰よりも喜んでるんだと思うぞ」 上京する日の朝、玄関先で顔を合わせることもなく、ただ背中を向けたまま黙り込んでいた母の姿が脳裏に鮮明に蘇る。 兄の推測が真実かどうかは分からないけれど、そう言ってくれたことで、私の中にずっと蟠っていた母への後ろめたい気持ちが、ほんの少しだけ浄化されていくような気がした。 「うん、分かってる。お母さんが反対したのは、あの時の辛い記憶があるからだって。でもね、私も全部覚悟した上で、この仕事を選んだ
last update最終更新日 : 2026-09-21
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第23話

「明日の最終審査…覚悟は決まったか」 事務所のミーティングルーム。 明日のスケジュール確認と簡単な打ち合わせを終え、帰り支度を始めようとした私に向かって、マネージャーが重みを持った声で問いかけてきた。 窓の外にはすっかり日の落ちた夜景が広がっている。 私は手元の資料からゆっくりと顔を上げ、彼の真剣な眼差しを真っ直ぐに受け止めた。 「はい。でも、正直なところ、自分がここまで残れたなんて未だに夢を見ているみたいで実感が湧きません」 全国から集まった名だたる実力派女優たちが次々と振るい落とされる中、名もなき新人の私が最後まで残った。 それは客観的に見れば、まさにシンデレラのような奇跡の軌跡だろう。あの鬼才と呼ばれる監督の要求に応え、一ノ瀬悠真という底知れない怪物の圧倒的な熱量に食らいついてきた日々は、あまりにも濃密で現実離れしていた。 「夢なんかじゃない。お前が自分の力で掴み取って、今ここに立っているのは紛れもない現実だ。明日の審査に向けて何かできることがあればいいんだが……まぁ、今回は事前に対策のしようがないからな」 マネージャーは少しだけ悔しそうに肩をすくめた。 明日の第5次審査。 それがどんな形式で行われ、何を試されるのか、今回は事前情報が一切明かされていない。 現場に行ってからその場で課題を突きつけられるという、完全な出たとこ勝負になる。
last update最終更新日 : 2026-09-22
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第24話

「それでは、これより最終審査を始めます」 いつもの無機質なオーディションホール。 中央に置かれた長机には、監督をはじめとするプロデューサー陣がズラリと並び、これまで以上に重苦しく張り詰めた空気が空間全体を支配していた。 今日、この審査を終えた後、そのままこの場で最終結果が言い渡されることになっている。 泣いても笑ってもこれが最後。 「審査に先立ちまして、まずは監督、そして一ノ瀬さんからお二人へ、一言ずつメッセージをお願いいたします」 進行係のスタッフが静かな声で促すと、中央に座る監督がゆっくりと身を乗り出した。 「ここまで勝ち残ったお二人の実力は、もはや疑う余地がありません。今日この場で私たちが見たいのは、あなたたちの奥底にある魂です。どうか、最高の時間を見せてください。大いに期待しています」 監督の熱を帯びた言葉に、私と心音さんは揃って深く頭を下げた。 そして監督に続き、他の誰よりも圧倒的な存在感を放ちながら座っていた悠真が居住まいを正した。 「お二人がこれまでの過酷な審査で見せてくださった素晴らしいお芝居には、一人の役者として心から敬意を表します」 落ち着いた、耳に心地よく残る声。けれど、その丁寧な言葉の裏には、決して誤魔化しのきかない途方もない熱量が込められていた。 「どうか今日は、ご自身の持てるすべてを僕にぶつけてきてください。どんなお芝居が来ようと、全身全霊でお応えします」 彼が放つ圧倒的な覇気と威圧感に、私は足がすくみそうになるのを腹の底でぐっと堪え、彼の視線を真っ直ぐに受け止めた。 一方、隣に立つ心音さんは、その言葉を受けても微塵も動じることなく、ただ不敵で美しい微笑みを返していた。彼女はただそ
last update最終更新日 : 2026-09-22
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第25話

心音さんの審査が行われている間、私は離れた別の控え室で一人、自分の順番を待っていた。 どれくらいの時間が経っただろうか。 永遠にも一瞬にも感じる沈黙を破り、控え室のドアが控えめにノックされた。 「桜田さん、スタンバイお願いします」 「はい。今行きます」 私は深く息を吸い込んで立ち上がり、冷たくなった指先をギュッと握りしめた。 スタジオへと続く、薄暗くひんやりとした廊下を歩いていく。 心臓の音が耳の奥でうるさく鳴り響き、足音がやけに大きく聞こえた。 その途中、少しだけドアが開いていた別の部屋、おそらくモニター室の前を通りかかった時だった。 中から、興奮冷めやらぬスタッフたちの声が漏れ聞こえてきた。 「いやぁ、流石。高橋心音、うまかったなぁ……」 「あのクライマックスの入り方、鳥肌たちましたよ」 「あの新人の子も上手いけど、やっぱり頭ひとつ飛び出てうまいよな。格が違うっていうか」 「あぁ。悪いけど、これで完全に勝負あったな」 その言葉が、見えない刃となって私の胸に深く突き刺さった。 彼女が白紙の台本に対してどのような解釈を提示し、どれほどの熱量で悠真と渡り合ったのか、見なくても容易に想像がついてしまう。 足取りが急に重くなり、これまで積み上げてきた自信が崩れ落ちていくのを感じて、私は思わずその場に立ち止まりそうになった。 だけど。 私は立ち止まりかけた足にぐっと力を込め、胸の中に湧き上がってきた弱音を振り払うように、強
last update最終更新日 : 2026-09-23
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第26話

彼はその声にビクリと肩を震わせ、眉根を寄せるとすぐに視線を逸らした。 「そんなわけないだろ」 私のことを嫌いになったわけじゃないのに、どうしてそんなに悲しい顔をして、私を突き放そうとするのか。 感情が込み上げ、私の目からポロポロと涙が溢れ出した。 「じゃあ、どうして……っ」 私は頬を伝う涙も拭わずに、彼にすがりつくようにして一歩前へと踏み出した。伸ばしかけた手は、彼との間にある見えない分厚い壁に阻まれたように、空中で行き場を失って震えている。 「……俺のせいで傷つくお前を、もう見たくないんだよ」 ここから先は、台本には一切書かれていない、白紙の世界だ。 審査員席の大人たちが、息を呑んで私の第一声を注視している気配が、肌をジリジリと焦がすように伝わってくる。 悲劇のヒロインとして涙を流し、彼の優しさを受け入れて身を引くのが正解なのだろうか。 いや───── 「……なにそれ」 私がポツリと、怒りを滲ませた低い声でこぼすと、彼は一切の感情を切り捨てるように冷たく背を向けた。 「だから……もう終わりにしよう」 そして、私をこの場に一人置き去りにして、すべてを終わらせるための足を踏み出そうとする。 このまま彼を行かせてしまえば、彼との関係は永遠に途絶えてしまう。 気がつけば、私は自分の足元からパンプスを乱暴に脱ぎ捨て、去ろうとする彼の広い背中に向かって全身の力を込めて思い切り投げつけていた。 鈍い音を立てて靴が彼の背中に当たり、床に転がる。
last update最終更新日 : 2026-09-23
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第27話

彼はゆっくりと私に近づき、大きな手で私の頭をポンと優しく撫でた。 「…そんなわけないだろ。俺はただ、お前のために……。あぁ、もういっその事、すべてを捨てて二人で駆け落ちでもするか?」 会社も、家族も、すべてのしがらみを捨てて、二人だけで誰も知らない場所へ逃げよう。それは彼なりの、狂おしい愛情と敗北宣言から来る、甘くロマンチックな逃避行の提案だった。 ここで「うん、あなたとならどこへでも」と答えて抱き合うのが、恋愛ドラマの美しいセオリーなのだろう。 けれど私は、そんな陳腐な妥協を絶対に許さなかった。私は撫でてくる彼の手を冷ややかに見つめ、きっぱりとそれを拒絶した。 「……それ本気で言ってるんですか?」 「あぁ。お前とふたりなら、地の果てだろうがどこに行っても─────」 「ごめんなさい。悪いけど、私はそんな逃避行に付き合うつもりはありません」 私のあまりにも容赦のない冷ややかな拒絶の言葉に、ロマンチックな空気を纏っていた彼の手がピタリと空中で凍りついた。 彼は自分の提案が受け入れられなかったことに心底戸惑い、理解不能だというように眉を寄せた。 すべてを捨ててお前を選ぶと言っているのに、なぜ拒絶するのか。そんな彼の心の声が聞こえてくるようだった。 「……どうしてだ。俺といると」私はその言葉を遮った。彼がなんと言おうとしているのか予想がついたから。確かに、彼といると辛いことも沢山あるだろう。だけど、あの時駆け落ちしていれば良かったなんて思う日は絶対に来ないと胸を張って言える。 「私は、誰の目からも逃げも隠れもしません。だって、私は恥じる
last update最終更新日 : 2026-09-24
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第28話

極限の緊張状態から解放され、荒い息を繰り返す私の肩を、悠真はポンと一度だけ優しく肩を叩き戻っていく。 スタジオ内に拍手のような、どよめきのような、不思議な熱気が広がる中、中央に座る監督がマイクを手に取り威厳を持った声で私たちに語りかけた。 「お二人とも、長きにわたるオーディション、本当にお疲れ様でした。最後に私から、お二人に一つだけ質問をさせてください」 その低く落ち着いた声がスピーカーを通して響き渡ると、スタジオ内に充満していた熱狂が一瞬にして静寂へと変わった。 セットの脇で出番を終えて待機していた心音さんも、スタッフの合図を受けてゆっくりと中央へと歩み寄ってきた。 「まず、お二人の演技はどちらも見事でした。白紙の台本という課題に対し、それぞれが白石愛理という人間の魂を見事に具現化してくれた」 監督の心からの称賛の言葉に、私と心音さんは示し合わせたように深く頭を下げた。 「別れを告げられるも、食ってかかるという初動の選択は、お二人とも見事に一致していました。しかしその後の結末は大きく分かれた。心音さんは彼と駆け落ちする道を選び、美羽さんは最後まで彼と共に現実で戦う道を選んだ。それぞれ、どのような思いでその結末に辿り着いたのかを教えてもらえますか。まずは、心音さんから」 指名された心音さんは、少しの迷いも見せずに優雅な足取りで一歩だけ前へ出た。 この長丁場のオーディションがもたらす過酷なプレッシャーや疲労感を微塵も感じさせない姿は、まさにトップ女優の貫禄だった。 「はい。私が彼との駆け落ちを選んだ最大の理由は、愛理にとっての究極の願いが、愛する彼を縛り付けるすべての苦しみから完全に解放することだと解釈したからです」 彼女が提示したクライマックスは、すべてを失ってでも二人だけの世界へ逃避するという、究極の純愛の形だった。 「彼は立場や、由緒ある家柄、そして周囲からの過剰な期待という、目には見えない鎖にずっと縛られて生きてきました。そして愛理もまた、身分違いの恋であるがゆえに、その鎖のせいで何度も理不尽に傷つけられてきたのです」 心音さんの言葉には、台本を深く読み込み、キャラクターの背景にある絶望的な状況を完全に把握した上での説得力があった。 「彼が愛理のために自ら別れを選んだのは、これ以上彼女をその鎖で傷つけたく
last update最終更新日 : 2026-09-24
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第29話

私と高橋さんは、それぞれ別々の控え室へと案内された。一人きりの部屋で、ソファーに浅く腰掛けたまま、まだ小さく震えている自分の両手をギュッと握りしめていた。どれくらい時間が経っただろうか。不意に、控え室のドアがコンコンと控えめにノックされ、ゆっくりと開かれた。「桜田さん、お疲れ様でした」顔を覗かせたのは、たった一人のライバルである高橋さんだった。私はバネを弾いたように、慌ててソファーから立ち上がる。本来なら、新人で後輩である私の方から彼女の控え室へ挨拶に伺うべきだった。オーディションの極度の緊張と疲労で、そんな業界の当たり前の礼儀すら頭からすっぽり抜け落ちていた自分を恥じ、私は深く頭を下げた。「あ、高橋さん……! お疲れ様でした。すみません、本来なら私の方から先にご挨拶に伺うべきだったのに」私のひどく恐縮した態度に対し、心音さんは「ふふっ」と優雅に微笑み、全く気にしていない様子でゆっくりと私の控え室の中へと足を踏み入れた。彼女は過酷な最終審査を終えた直後だというのに、髪の毛一本乱れておらず、トップ女優としての洗練されたオーラを纏ったままだ。「いいえ、お気になさらないでください。……それにしても、桜田さんのお芝居、舞台の裏からモニターで見させていただきましたよ。まさか、一ノ瀬さんに向かってパンプスを投げつけるなんて」愛理の感情に任せて動いてしまったとはいえ、相手は日本を代表するトップ俳優だ。もし当たり所が悪ければ大問題になっていたかもしれない。「あ、あれは……っ。本当に、いてもたってもいられなくて、気がついたら体が勝手に動いていたんです。非常識ですよね……後でしっかり、一ノ瀬さんにも謝罪に行きます」私がひたすら恐縮して縮こまっていると、心音さんは少しだけ目を丸くした後、コロコロと鈴を転がすような上品な笑い声を上げた。「ふふっ、そんなに怯えなくても大丈夫ですよ。確かにアドリブで相手に怪我をさせてしまってはいけませんが、実際の撮影現場では、あの程度の予期せぬアクシ
last update最終更新日 : 2026-09-25
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第30話

案内されたスタッフの後ろに続き、私たちは再びステージに立った。 スタジオの中央に並べられた審査員席。 そこに座るプロデューサーや大人たちの顔には、深い疲労感と、ある種の覚悟を決めたような厳しい表情が浮かんでいた。 私と心音さんが所定の位置に並び立つと、中央に座っていた監督がゆっくりと重い腰を上げた。 彼は手に持っていたマイクのスイッチを入れ、静まり返ったスタジオにその威厳のある声を響かせた。 「……まずは、予定時間を大幅に超えてお待たせしてしまったこと、深くお詫びします」 監督の声は、これまでのどの審査の時よりも低く、真摯だった。 「この一時間……我々は、非常に苦しい選択を迫られていました。今日この場でお二人が見せてくれたお芝居は、どちらも我々の想像を遥かに超える圧倒的なものであり、それぞれが異なる白石愛理という人間を見せてくれたからです」 監督の言葉に、隣に立つ心音さんが微かに顎を引き、誇り高く前を見据える気配がした。 私の心臓は、これまでにないほど大きな音を立てて肋骨の内側を叩き続けている。 「高橋心音さんが作り上げた、すべてを捨てて愛する人を守り抜くという、美しくも悲劇的な究極の純愛。そして、桜田美羽さんがぶつけてきた、何も捨てずに共に戦い抜くという、泥臭く強欲な愛。どちらも、フィクションの枠を超えて我々の心を激しく揺さぶる、正解でした」 監督はそこで言葉を区切り、審査員席の端から端まで、共に議論を重ねた仲間たちの顔をゆっくりと見渡した。 誰もが深く頷き、その決定に覚悟を決めたような顔をしている。 「お二人の見せてくれた異なる結末を前に問われたのは、我々制作陣の覚悟です。ヒロインの人生をどちらの魂に託すのか。そして我々は、この作品を通して世の中にどのような愛の形を届けたいのか……。その一つの答えを導き出すために、これほどの時間が必要でした」 スタジオの空気が、さらに一段階重く、濃密になる。 「長きにわたる選考の末、我々としての答えに辿り着きました。これより、今回のヒロインオーディションの最終審査結果を発表します」 バツンッ、という鈍い音と共に、スタジオ全体を照らしていた無数の照明が一斉に落とされた。 突然の完全な暗闇。 隣に立つ心音さんの姿も、正面に座る審査員たちの顔も、すべてが漆黒
last update最終更新日 : 2026-09-25
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