All Chapters of 妻の100万円の願いは拒否、初恋相手には5000万円⁉ 離婚後の天才妻は御曹司に溺愛される: Chapter 31 - Chapter 40

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第二十五章 知らなかった妻の実力2

*** 御子柴の会社でも、同じ話題が上がっていた。会議室で部下が資料を広げ、報告する。「研究所側で、宮坂主任が入札関連業務から外れる可能性があるとのことです」 「……宮坂主任が?」 智也は思わず聞き返した。「はい。利益相反の確認が入っているため、最終的な入札判断から外す案が検討されているようです」 部下は資料をめくりながら続ける。「ただ、宮坂主任は今回のプロジェクトにおいて、実質的なキーパーソンとされています。外れた場合、研究判断の遅れや、データ解釈の精度に影響が出る可能性があります」 「……そこまでなのか」 智也の口から、思わず言葉が漏れた。「はい。研究所側でも、宮坂主任を外すことによる影響を懸念する声が出ているようです」 その瞬間、智也の中で、また何かが崩れた。 妻としてではない、一人の研究者としてその実力を、当然のように評価している現状に眉根を寄せる。 智也は資料へ視線を落とした。 ページの端に記された文字が目に入る――主任研究員 宮坂澪。 昨日までは、そこに書かれた肩書きすら現実味を持っていなかった。 だが今は違う。 この会社にとっても、今回の案件にとっても、澪は無視できない存在だった。「……俺たちの会社が、あいつの判断を必要としているのか」 小さく漏れた呟きに、部下が首を傾げる。「社長?」 「いや……何でもない」 智也は視線を資料へ戻した。 妻の仕事を、自分は何も理解していなかった。 それどころか、理解しようともしなかった。 家にいる姿だけを見て、それが澪のすべてだと思い込んでいた。 けれど、会社の人間が知っている澪は違う。 研究所で責任を負い、判断を下し、周囲から信頼されている一人の研究者。 それが、本当の澪だった。 そして、その姿を一番近くにいるはずの自分だけが知らなかった。 *** その日の夜。帰宅した智也は、リビングで資料に目を通している澪に声をかけた。「……新薬入札の件、聞いた」 澪は顔を上げず、短く答える。「そうですか」 それだけだった。 智也は少し迷ってから、言葉を続ける。「お前、今回の研究で……かなり重要な立場なんだな」 澪はようやく顔を上げた。一瞬だけ、静かに智也を見る。「今さら、ですか?」 その言葉が、まっすぐに胸へ刺さった。 智也は口を開きかけた。
last updateLast Updated : 2026-09-25
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第二十六章 知らない距離

入札まで、残りわずか。 御子柴の会社では、研究所から届いた正式な方針を受けて、会議が開かれていた。「研究所側の決定として、宮坂主任は最終的な入札判断からは外れるものの、研究内容については引き続き担当するとのことです」 部下が資料を広げながら報告する。「最終判断は別の責任者が行いますが、研究データの確認や内容に関する問い合わせについては、これまで通り宮坂主任を窓口にする形になります」 会議室のモニターに、今回の入札に関する資料が映し出された。 研究所から提供されるデータ。 その内容をもとに組み立てる入札戦略。 どちらにも、宮坂主任の判断と知見が関わっている。 会議室では、部下たちが自然に「宮坂主任」「研究所の宮坂主任」と呼んでいた。 誰も特別な感情を込めてはいない。 ただ、業務上必要な人物として、その名前を口にしているだけだった。 智也だけが、その名前に引っかかってしまう。 以前なら、ただの資料上の人物だった。 今は、自分の妻だ。 それなのに周囲の人間は自分よりも先に、彼女の仕事上の立場を知っている。 智也は資料へ視線を落としたまま、少し間を置いて口を開いた。「……宮坂主任には、こちらから確認を取れないのか?」 部下がすぐに答える。「研究内容については、研究所を通す必要があります。ただ、担当窓口を通せば確認は可能です」 「そうか」 智也は短く頷いた。 妻だから直接聞く。そうすることもできたのかもしれない。しかし、それでは私情が入りすぎる。 今、必要なのは、仕事として正しい手順を踏むことだった。「では、正式な窓口を通して確認してくれ」 「承知しました」 部下が資料に目を落とす。 会議はそのまま、入札に向けた具体的な調整へ移っていった。 智也も資料へ視線を戻す。 以前の自分なら澪が関わっていると知った時点で、直接問いただそうとしたかもしれない。 だが、そうしなかった。 それが澪に対する配慮なのか。 それとも、夫として踏み込む資格がないと感じているだけなのか。 智也自身にも、まだ分からなかった。 ただ一つ確かなのは、以前なら考えもしなかった対応を、今の自分が選んだということだった。 *** 研究所では、入札に向けた最終確認が進んでいた。 モニターに並ぶ数値を、澪は一つひとつ丁寧に追っていく。
last updateLast Updated : 2026-09-26
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第二十七章 届かない言葉

翌朝、智也はいつもより早く目を覚ました。まだ薄暗い部屋の中で、昨夜の言葉が何度も蘇る。 「……今さら?」 あの短い一言が、耳の奥に残ったまま消えない。 鼻で笑ったような澪の表情も、はっきりと思い出せる。 リビングに出ると、澪はすでに朝食の準備を終えていた。テーブルには、いつものようにシンプルな食事が並んでいる。 智也は向かいの席に座り、何か声をかけようとした。 昨日の続きを、もう少しだけでも。 けれど、結局言葉は出てこなかった。 澪は淡々と箸を進め、食事を済ませる。 特別に無視しているわけでも、冷たくあしらっているわけでもない。ただ、必要以上に関わろうとしないだけ。 「行ってきます」 玄関で、澪が短く告げる。智也は慌てて立ち上がり、返事をした。 「……行ってらっしゃい」 それだけだった。 以前なら、何も感じなかった短いやり取り。けれど今は、それが妙に遠く感じられる。 ドアが閉まる音がした。 静かになった玄関に、一人残される。智也はしばらく、閉じたドアを見つめていた。 そして、小さく息を吐く。 届かない言葉はまだこの家の中に、たくさん残っていた。 *** 研究所では、新薬入札まで残り四日間となっていた。 見つかったデータの小さな食い違いについて、神代たちと確認作業を進める。 澪は、可能性を一つずつ潰していった。 入力手順。 転記されたタイミング。 システムによる自動補正の有無――それらを一つずつ照合していく。 すべてを確認した結果、今回の食い違いは、前回疑われた不正アクセスとは直接結びつかない、単純な入力処理上の問題である可能性が高くなった。 周囲の研究員の中には、 「また誰かが仕掛けたんじゃないか」 と色めき立つ者もいた。 しかし、澪はあくまで冷静だった。 「疑うのは簡単です。でも、根拠がないまま決めつけるのは危険です」 その言葉に、神代が短く頷く。 「宮坂主任らしい判断だな」 澪はそれ以上何も言わず、確認作業を続けた。 そんな中、別の資料が届いた。入札資料の最終調整に関する、東条グループ側からの追加確認事項だった。 神代が資料に目を通す。 「研究データの測定条件と、今回の解析結果に使われた基準値についてか……」 さらに数ページめくり、眉を上げた。 「こちらの判断についても、理由を求めてい
last updateLast Updated : 2026-09-27
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第二十七章 届かない言葉2

*** 仕事を終えた智也は、資料を閉じた。頭の中に、東条悠臣の存在が残っている。 澪の仕事を知っている。 澪の判断を信頼している。 そして自分は――昨夜、「研究所はどうだった?」と聞くことすら、うまくいかなかった。 そこで智也は、ふと気づく。 自分は、澪とまともに仕事の話をしたことがない。 いや、それどころか。 澪が何を好きなのか。 何を大切にしているのか。 研究の何が楽しいのか。 ほとんど知らない。 そんなことを考えていると、スマートフォンが震えた。 琴葉からだった。『今日はまだ会社ですか? もしよかったら、少しだけ会いませんか? 少しだけでも、顔を見られたら安心するんですけど……』 智也は一瞬、画面を見つめた。 以前なら、迷うことなどなかった。 それでも今日は、すぐには返事を打てなかった。 しばらくしてから、短く返信する。『分かった』 *** 落ち着いた店のブースで、琴葉はいつものように柔らかく微笑んだ。「最近、何か考え事をしているみたいですね」 探るような声だった。 智也はグラスに手を伸ばしながら、短く答える。「……仕事のことだ」 「仕事……ですか?」 琴葉は少し驚いたように目を細めた。「今だって私と話していても、どこか上の空ですよね」 智也は初めて、真正面から琴葉を見た。「……そうか?」 「はい。前は、もっとちゃんと私の話を聞いてくれていました」 その言葉に、智也の中で小さな苛立ちが立ち上がる。「悪い。今は、本当に仕事のことで頭がいっぱいなんだ」 「……私では、話し相手になれませんか?」 「そういう意味じゃない」 「じゃあ、どういう意味ですか?」 琴葉の声が、ほんの少しだけ低くなる。 智也はグラスを置いた。「……琴葉。今日はもう帰ってくれ」 琴葉の表情が、わずかに強張った。「……分かりました」 いつものように笑おうとした。けれど、その笑顔はどこかぎこちなかった。 琴葉は席を立つ。 その背中を見送りながら、智也は何も言わなかった。 今までなら、こんなふうに帰らせることはなかった。 そのことに、琴葉自身が一番驚いていた。 *** 琴葉と別れたあと、智也は一人で夜の街を歩いた。 以前なら琴葉と過ごせば、それだけで気持ちが落ち着いたはずだった。 なのに今
last updateLast Updated : 2026-09-28
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第二十八章 繋がり始めた線

 入札を目前に控え、研究所ではこれまでに寄せられた匿名通報と、不正アクセスの記録を改めて整理していた。 匿名通報については、研究内容や人間関係に関する中傷が繰り返されていたため、研究所側でもすでに調査体制が組まれている。 通報内容の真偽を確認する担当と、システム上の不正アクセスを調べる担当は、それぞれ別に動いていた。 そのため、これまで二つの問題は、別々の案件として扱われていた。 誰かが意図的に情報を持ち出している可能性についても調べられてはいたが、匿名通報に記された内容と、不正アクセスの記録を結びつける決定的な材料は見つかっていなかった。 そして、その夜。誰もいない深夜の研究所――ほとんどの職員が帰宅したフロアで澪は一人、研究室のパソコンに向かっていた。 保存していた匿名通報の文面を、一通ずつ画面に呼び出していく。 感情は交えない。必要なのは書かれている内容と、確認できている事実との照合だった。 通報された内容と実際に起きた出来事。 その二つを並べ、食い違いがないかを確認していく、その途中だった。 一つの文章に、澪の指が止まった。『宮坂主任は、次世代型合成致死のデータを意図的に除外している』 趣旨としては、そうした内容が記されている。 澪は画面を凝視したまま、小さく首を傾げた。「……やっぱり、内部の情報だ」 この点については、匿名通報の調査が始まった当初から、澪自身も疑問を抱いていた。 研究所の外部にいる人間が、ここまで具体的な研究内容を知っているとは考えにくい。 しかしながら、それだけでは証拠にならない。外部から公開資料を集めて推測した可能性もある。 だからこそ、これまでの調査では決定的な判断ができずにいた。 問題となっているのは、次世代型合成致死に関する特殊な検証データだった。研究所内でも、この存在を知っている人間は限られている。 このデータは、一般の研究員が自由に閲覧できるものではなく、その存在自体を把握している者も少ない。 もちろん、公開資料には載せていないし、今回の新薬入札に提出する資料にも含めていなかった。 それどころか、通常の研究報告書にも記載していない。 それだけ、慎重に扱っているデータだった。 澪は、顎に手を当てながら画面を見つめる。 ここまで具体的な内容が匿名で書かれている以上、偶然とは考えにく
last updateLast Updated : 2026-09-29
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第二十八章 繋がり始めた線2

「……私を狙っている?」 神代は答えなかった。答えられるだけの証拠は、まだない。 ただ一つだけ、確かなことがある。これはもう、単純な嫌がらせとして片づけられる問題ではない。 澪は時系列の表を見つめたまま、静かに疑問を口にした。「……なぜ、私を失脚させる必要があるのでしょう」 神代が顔を上げる。「どういう意味だ?」 「単なる個人的な嫌がらせなら、ここまで深く研究データを調べる必要はありません」 澪はモニターに並んだ記録を指で追った。 特殊な検証データの存在を把握する。 不正にアクセスする。 そして、その情報を利用して匿名通報を行う。 そこまでの手間とリスクを考えれば、単なる個人的な感情だけでは説明がつかない。 しかも今は――新薬入札を目前に控えている大事な時期。 神代は腕を組み、低い声で言った。「入札を考えると……研究そのものを狙っている可能性もあるな」 澪はすぐには答えなかった。 それぞれの情報が、頭の中で重なっていく。 自分を失脚させることが目的なのではない。自分が担当する研究を混乱させ、信用を失わせることが目的なのか。 あるいは――入札を目前に控えたこのタイミングで、研究所側の判断を鈍らせることが狙いなのか。 いくつもの可能性が浮かんでは消えていく。「もしかして……私個人を狙っているのではないのかもしれません」 澪の中に、新しい視点が生まれた。 これまで、自分に向けられた攻撃だと思っていた。 けれど、その背後に別の目的があるのだとしたら。 見えているものだけを追っていては、辿り着けない。 澪は神代を見る。「それに可能性は、まだ複数あります」 そして、静かに続けた。「だから、決めつけずに線を辿ります」 神代も短く頷いた。「ああ。焦るな。相手が動けば動くほど、痕跡は残る」 会議室に、重い沈黙が落ちた。*** 研究所から、東条グループへ正式な報告が上がった。 執務室で報告を受けた東条悠臣は、資料に目を通しながら要点を整理していく。 不正アクセスが確認されたこと。 匿名通報の内容に、研究所内部でしか知り得ない情報が含まれていたこと。 そして、それが新薬入札を目前に控えたタイミングで起きていること。 悠臣は資料から顔を上げた。「宮坂主任を狙っているのか。それとも、研究そのものを狙っているの
last updateLast Updated : 2026-09-30
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第二十九章 残された経路

翌朝。研究所の会議室で、澪と神代は前夜に整理した時系列をもとに、アクセスログを確認していた。 モニターに並ぶ記録を、澪は一件ずつ追っていく。 不正アクセスが行われた時刻。 閲覧されたファイル。 その前後に行われた操作。 いくつもの記録を照合していた澪の指が、ふと止まった。 「……ここ」 画面を拡大する。 不正アクセスの直後、短時間の通信記録が残っていた。 宛先は研究所内にある、別系統の研究サーバー。 それは通常の業務では、ほとんど使われない経路だった。 神代が画面を覗き込む。 「……閲覧しただけじゃないのか?」 「分かりません」 澪は通信記録とアクセスログを交互に確認した。 「ただ、無関係とも言い切れません。不正アクセスの直後に、この経路が使われています」 「この経路は?」 「情報システム側に確認します」 澪はすぐに担当者へ連絡を入れた。 しばらくして、情報システム担当者から回答が届く。 問題の時間帯に使われた経路は、過去に別の研究案件でも使用されていたものだった。 そして――その経路にアクセスできる人間は、複数いるとのことだった。 「つまり、一人には絞れないということか」 「はい。少なくとも、現時点では」 澪は頷き、通信記録の保存を依頼した。 「この記録は消さずに残してください。それから、この時間帯にこの経路へアクセスできた端末と利用者の一覧もお願いします」 「分かりました」 担当者が戻っていく。 神代が腕を組んだ。 「犯人は、かなり慎重なのかもしれないな」 「まだ、そうとは限りません」 澪は画面から目を離さなかった。 「この経路を使った理由が分かっていないからです。意図的に痕跡を残した可能性もありますし、単に必要な処理だった可能性もあります」 「じゃあ、何を見ればいい?」 「経路の先です」 澪は通信記録を指差した。 「誰が使ったのかだけじゃなく、その先で何が行われたのかを確認します」 人物を先に絞れば、思い込みが入り込む。 ならば、まず記録を追う。 澪は新しいメモを作り、項目を書き加えた。 ・通信経路 ・利用可能な端末 ・アクセス可能な人物 ・通信後に行われた処理 そのときだった。 担当者から届いた別の資料に、澪の目が止まった。 匿名通報の原文。そこには、こう記されていた
last updateLast Updated : 2026-10-01
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第二十九章 残された経路2

*** 研究所から正式な追加報告が、東条グループへ届いた。 執務室で報告を受けた東条悠臣は、資料に目を通しながら要点を整理していく。 研究データそのものだけではない。 その判断の根拠と研究会議での検討内容。そこまで外部に流れている可能性があるという。 悠臣は資料を閉じることなく、画面から顔を上げた。「それなら、入札資料そのものが狙われている可能性も考えてください」 声に感情は交じっていない。あくまで現時点で確認できている事実から、可能性を広げているだけだった。「このことは、宮坂主任個人の問題として扱わないでください。研究データの信頼性と、入札の公平性。その両方を守るための対応です」 秘書が頷く。「承知しました」 悠臣は続けた。「今回の入札に関わる資料について、通常よりアクセス範囲を限定してください」 「はい」 「必要のない人間が触れられないように。こちら側でも情報管理を強化します」 研究所だけではない。東条グループ側にも、情報が流れる経路は存在する。 ならば、そこも確認しておく必要があった。「それから、現時点で余計な推測は不要です」 悠臣は資料へ視線を戻した。「確認できている事実と、守るべきものを優先してください」 「承知しました」 秘書が退室する。 静かになった執務室で、悠臣は再び資料に目を落とした。 匿名通報。 不正アクセス。 研究データ。 そして、その判断に至るまでの情報。 まだ、誰が何のために動いているのかは分からない。 だからこそ、余計な推測で動くべきではない。 ただ――一つでも経路を見落とせば、研究の信頼性だけでなく、入札そのものの公平性まで揺らぐ可能性がある。 悠臣は、必要な対応を頭の中で整理していく。 研究を守ること。 入札を守ること。 そのために、情報が流れる可能性のある経路を一つずつ塞いでいく。 残された経路は、東条側にも静かに影響を及ぼし始めていた。 *** 智也は前夜の琴葉との電話を、何度も思い返していた。『新薬の入札、大変そうですね』 あのときは、「ニュースを見たのだろう」と流した。 けれど――今日、会社で聞いた研究所内部の状況を思い返すと、どうしても引っかかる。 もちろん、琴葉を疑う理由にはならない。 新薬の入札そのものは、業界内でも知られている話だっ
last updateLast Updated : 2026-10-02
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第三十章 切り札は、最後まで伏せて

入札当日の朝――御子柴家では、いつもと変わらない食卓が繰り広げられていた。 先に起きた澪が朝食を準備している間に、智也が起床する。 そして智也が食卓につく頃には、いつものように温かな食事が並べられていた。 「いただきます」 それ以外の言葉が交わされることはない。味噌汁をすする音と、箸が食器に触れる小さな音だけが、静まり返った部屋に響いている。 この重苦しい空気に耐えられなくなった智也は、重たい口を開いた。 「今日、入札だな……」 「そうね」 「……」 会話が続かない。 目の前にいる澪は、まるで智也などそこにいないかのように、自分の朝食を淡々と口に運んでいる。 以前なら、入札の話をすれば少しくらい興味を示してくれたはずだ。 ――頑張ってね。 そんな一言くらいは、言ってくれた。 だが、今の澪からは何もない。 「あのさ! このネクタイ、どうだ?」 それでも何とか会話を続けようと、智也は目についたものを話題にした。 今日身につけているのは、前日に琴葉が会社へ送ってきたネクタイだった。 派手な色合いのネクタイと一緒に、 『智也さん、入札頑張ってくださいね。応援してます』 そんなメッセージが印字されたカードまで添えられていた。 琴葉のことを疑っている。それは今も変わらない。 けれど、自分の大事な日に気遣いを見せてくれたこと自体は、素直に嬉しかった。 そんな気持ちが顔に出ていたのかもしれない。 澪は智也のネクタイにちらりと視線を向けた。 「いいんじゃない」 たったそれだけ。 それでも、智也は少しだけほっとした。 「そ、そうか」 会話が続いたことに気をよくした智也は、ネクタイと一緒に入っていたものを思い出した。 「これとお揃いのハンカチもあるんだけど……プレゼントしようか?」 「私の趣味じゃないから、いらない」 即答だった。 「……そうか」 思った以上にあっさり断られ、智也の表情が曇る。 内心で舌打ちしながら、味噌汁の茶碗に手を伸ばした。 そのときだった。 「智也さん、変わったわね」 突然、澪から声をかけられた。 思わず手が止まり、味噌汁をこぼしそうになる。 「か、変わったって……俺が?」 「ええ」 澪は箸を置き、智也の胸元に視線を向ける。 「シンプルイズベストって言っていた人が、そんな派手なネク
last updateLast Updated : 2026-10-03
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第三十章 切り札は、最後まで伏せて2

***会場のモニターに、各社の提示額が順に表示されていく。東条悠臣は、表示された数字を静かに追っていた。そして――御子柴カンパニーの提示額に、ほんの一瞬だけ視線を止める。(……やはり、この数字か)事前に把握していた市場感と、ほぼ重なる。近いだけなら、偶然でも説明できる。優秀な分析チームがいれば、十分に導き出せる数字だった。それでも――。(――妙に正確すぎる)悠臣は表情を変えず、手元の資料へ視線を落とす。自分たちが正規のルートで得た市場情報。そこから算出した予測値。それらを比較して、御子柴カンパニーが提示した金額。数字そのものよりも――その一致の仕方が気にかかった。間違いなく、何か別の情報を掴んでいる。そう考えたほうが自然だった。開札が進む中、人の動きがわずかに緩んだタイミングで、悠臣は隣にいる澪へ声を落とした。「宮坂さん。先ほどの御子柴カンパニーの価格、確認できますか?」「はい」澪は、すぐにタブレットを操作する。表示された数字と、会場のモニターを照らし合わせた。「……はい。その金額です」悠臣は小さく頷いた。そして、声をさらに落とす。「その数字。研究所の資料にありませんでしたか?」ぴたり、と澪の指が止まった。「……え?」顔を上げた澪の目に、わずかな驚きが浮かぶ。けれど、それはすぐに研究者の目へと変わった。記憶を辿るように、視線がわずかに動く。不正アクセス。匿名通報。そして、特殊データの流出疑惑――これまで別々に存在していた出来事が、ひとつの線で繋がりかけていた。「……急いで確認します」澪の声は落ち着いていたが、その指先は先ほどよりも速くタブレットを操作している。悠臣は、それ以上何も言わなかった。答えを急ぐ必要はない。もし本当に、あの数字が研究所から流出したものだとすれば――今回の入札は、単なる価格競争では終わらない。そして悠臣は、静かにモニターへ視線を戻した。***澪は、タブレットに表示された数字をじっと見つめていた。御子柴カンパニーが提示した価格。その数字を見た瞬間、記憶の奥に引っかかるものがあった。(……どこかで、見たような気がする)曖昧な記憶ではない。研究所で扱っている膨大なデータの中でも、今回の案件について算出された数字は、澪自身が何度も確認している。澪は該当する資料を開いた。
last updateLast Updated : 2026-10-04
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