*** 御子柴の会社でも、同じ話題が上がっていた。会議室で部下が資料を広げ、報告する。「研究所側で、宮坂主任が入札関連業務から外れる可能性があるとのことです」 「……宮坂主任が?」 智也は思わず聞き返した。「はい。利益相反の確認が入っているため、最終的な入札判断から外す案が検討されているようです」 部下は資料をめくりながら続ける。「ただ、宮坂主任は今回のプロジェクトにおいて、実質的なキーパーソンとされています。外れた場合、研究判断の遅れや、データ解釈の精度に影響が出る可能性があります」 「……そこまでなのか」 智也の口から、思わず言葉が漏れた。「はい。研究所側でも、宮坂主任を外すことによる影響を懸念する声が出ているようです」 その瞬間、智也の中で、また何かが崩れた。 妻としてではない、一人の研究者としてその実力を、当然のように評価している現状に眉根を寄せる。 智也は資料へ視線を落とした。 ページの端に記された文字が目に入る――主任研究員 宮坂澪。 昨日までは、そこに書かれた肩書きすら現実味を持っていなかった。 だが今は違う。 この会社にとっても、今回の案件にとっても、澪は無視できない存在だった。「……俺たちの会社が、あいつの判断を必要としているのか」 小さく漏れた呟きに、部下が首を傾げる。「社長?」 「いや……何でもない」 智也は視線を資料へ戻した。 妻の仕事を、自分は何も理解していなかった。 それどころか、理解しようともしなかった。 家にいる姿だけを見て、それが澪のすべてだと思い込んでいた。 けれど、会社の人間が知っている澪は違う。 研究所で責任を負い、判断を下し、周囲から信頼されている一人の研究者。 それが、本当の澪だった。 そして、その姿を一番近くにいるはずの自分だけが知らなかった。 *** その日の夜。帰宅した智也は、リビングで資料に目を通している澪に声をかけた。「……新薬入札の件、聞いた」 澪は顔を上げず、短く答える。「そうですか」 それだけだった。 智也は少し迷ってから、言葉を続ける。「お前、今回の研究で……かなり重要な立場なんだな」 澪はようやく顔を上げた。一瞬だけ、静かに智也を見る。「今さら、ですか?」 その言葉が、まっすぐに胸へ刺さった。 智也は口を開きかけた。
Last Updated : 2026-09-25 Read more