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第4話

Author: そら
一瞬、言葉に詰まる。それから消え入りそうな声で答えた。

「もうすぐ、祖父の命日なの。田舎に帰って、お墓参りをしてくる」

雅也は頷いただけで、一緒に行こうとは言わなかった。

わかっている。あの小さな町は、彼にとって拭い去ることのできない悪夢だ。母親が自ら命を絶った場所。彼自身が川へ身を投げた場所。必死で逃げ出そうとした場所。おそらく、彼はもう二度と戻らないだろう。

だとしたら、別れたあとはもう二度と会うこともないのだろう。

雅也の視線が、藍里の腕に残る擦り傷で止まった。眉をひそめる。

「これ、どうしたんだ?」

藍里は数秒黙り込んでから、正直に答えた。

「レストランで火事になったとき、二階の席に戻ろうとして……人に押されて転んだの」

彼の目に、スッと影が差した。

「なんで二階に戻ったんだ」

「雅也に何かあったらって思って」

雅也は視線を腕に落としたまま、しばらく黙っていた。やがて低く呟く。

「……昔と、変わらないな」

あの夜、川に飛び込んで彼を助け出した日のことを言っているのだと、藍里にはわかった。

彼女は自嘲気味に笑った。

「今はもう、違うよ」

あの頃、彼のそばには誰もいなかった。

でも今は沙雪がいる。もう、藍里を必要としていない。

それから数日、雅也は新居へ荷物を運び始めた。

藍里は自分の荷物だけを残し、「片付けてから運ぶ」と言った。雅也は深く追及することもなく、少しずつ自分のものを運び出していった。

家はあっという間にもぬけの殻になった。藍里は一人リビングに座り、静まり返った部屋に響く自分の呼吸音に、じっと耳を澄ませていた。

彼と二人、身を寄せ合って生きていたあのぼろアパートの空気に似ていた。

藍里は古いものをいくつか捨てに外へ出た。

戻ってきて廊下を歩いていたとき、突然背後から口を塞がれた。

目の前が真っ暗になり、意識が遠のいていく。

再び目を開けたとき、藍里は椅子に縛りつけられ、口には布を詰め込まれていた。周囲はひんやりとした廃倉庫のようだった。

目の前に一人の男が立っている。目元や眉のあたりは雅也によく似ていたが、目つきは酷薄で、見下すように藍里を睨みつけていた。

「お前が、あのとき雅也を助けた女か」

男は嘲笑った。

「あいつを呼び戻して、実家の遺産争いに加わらせるつもりなんだろう」

雅也の異母兄だ。

藍里は男を睨みつけたが、布のせいで声が出せない。

男は乱暴に口の布を引き抜いた。藍里は荒い息を吐き出しながら、掠れた声で言った。

「雅也はちゃんとした人間よ。あなたと同じ血が流れてる。あなたに彼を罵る資格なんてない。

彼は財産を欲しがったことなんて一度もないわ。雅也のお母さんを裏切ったのは、あなたのお父さんでしょう!」

声は震えていたが、一言一言、はっきりと言い放った。

「雅也のお母さんだって騙されたのよ。好きで愛人になったわけじゃない!雅也だって、卑しい生まれなんかじゃない!」

男は顔を真っ赤にして激昂し、力任せに藍里の頬を張り飛ばした。

目の前に火花が散り、口の中に生臭い血の味が広がった。

「まだ減らず口を叩くか」

男は藍里の顎を鷲掴みにし、無理やり顔を上げさせた。

「雅也に電話しろ」

藍里は、彼女を人質にして雅也を脅すつもりなのだと悟り、歯を食いしばって拒んだ。

男は鼻で嗤うと彼女のスマホを奪い取り、雅也の番号にかけた。

応答なし。

もう一度かけた。

それでも応答なし。

「長年支え合ってきた仲と言っても、しょせんこの程度か」

男は嘲るように藍里を見た。

「あいつにとって、お前の命なんてどうでもいいんだよ。それでもまだ庇うのか」

胸が刺すように痛んだが、それでも藍里は掠れた声で言った。

「雅也は、あなたが思ってるような人じゃない」

男が苛立たしげに顎をしゃくると、後ろに控えていた男が前に出て、藍里の腹に拳を叩き込んだ。

痛みに身体を丸め、背中には一瞬で冷や汗が滲んだ。

「いいか。雅也が電話に出ないたびに、お前の歯を一本ずつ抜いてやる」

男は身をかがめると、藍里の頬を軽く叩いた。

「あいつがお前を見殺しにする様を見物させてもらおうか」

最初の一本が力任せに引き抜かれたとき、目の前が真っ暗になるほどの痛みに、喉の奥から苦しげな呻き声が漏れた。

雅也は出なかった。

二本目、三本目……

口の中は血だらけになり、意識が朦朧としてきても、電話の向こうからはずっと応答がなかった。

そして最後の一本を抜かれたとき、ようやく電話が繋がった。

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