王都貴族街の午後は、戦場に見えない。 磨かれた馬車道。 季節の花で飾られた門扉。 陽光を受けて白く光る屋敷の壁。 香水と焼き菓子と温かな紅茶の匂い。 そこに剣はない。 槍もない。 怒号も、軍靴の音もない。 けれどエレノアは、馬車の窓から夫人会館を見た瞬間、ここもまた裁定会議の間と同じくらい厄介な場所だと分かった。 王都貴族夫人慈善連絡会。 貴族夫人たちが慈善活動のために使う会館は、王宮ほど大きくはない。だが、社交界における影響力は決して小さくなかった。 孤児院への寄付。 寡婦への衣料支援。 療養施設への花や菓子の慰問。 戦没騎士遺児への教育支援。 そうした美しい名目の下に、貴婦人たちは集まり、茶を飲み、情報を交換し、時には王宮の決定より早く空気を作る。 人は、剣で斬られれば傷を見せられる。 だが、微笑みで切られた傷は、しばしば本人にしか分からない。 エレノアは馬車の中で、膝に置いた資料をもう一度確認した。 王妃基金改革案の概要。 慈善団体登録制度。 現地確認義務。 支出と現物の照合手順。 夫人会関与の範囲。 善意ある活動を止めないための臨時支援案。 隣にはマルタが座っている。 向かいにはリリアナ。 リリアナは、朝からずっと落ち着かない様子だった。淡い水色のドレスを着ているが、装飾は控えめだ。以前なら、茶会と聞けば髪飾りやリボンにもっと時間をかけただろう。 今は、手元の小さな手帳を何度も開いている。 そこには、彼女自身が書いた短い注意書きがあった。 ――優しい言葉でも、すぐ信じない。 ――分からないことは、分からないと言う。 ――泣いて話を終わらせない。
Last Updated : 2026-09-07 Read more