All Chapters of 地下の女王 ――底辺を選んだ私は、頂点を目指します。: Chapter 41 - Chapter 50

58 Chapters

41話「地下の城は司令室」

 地下の部屋で、伊依はモニターに映る社内メールを凝視していた。 「これ、まずくない?」  ジョフィが、緊張した声で報告する。表示されていたのは、秀一が取引先の社員とやり取りしている、私的なメッセージのやり取りだった。 「複数W不倫旅行……」  伊依は、文面を読みながら、思わず眉をひそめた。取引先の複数の男女社員が、それぞれ既婚者でありながら、示し合わせて旅行に出かける計画を立てているらしい。秀一の相手は、取引先の受付を担当している女性社員だった。 「うちの取引先、コンプライアンスがやばいのは知ってたけど」 「今まで表沙汰にならなかったのは、上が握りつぶしてきたから」  ジョフィが、過去の内部資料を引っ張り出しながら説明する。伊依は、その情報を、静かに受け止めていた。    「でも今回は」  伊依は、続けた。 「秀一が絡んでる」 「うん。これが公になったら、うちの会社にも影響及ぶよ」  伊依の頭の中で、様々な可能性が交錯していった。もしこの不倫旅行が明るみに出れば、社内は大混乱に陥る。処分の対象は秀一だけでなく、それを見過ごしてきた会社全体にも及ぶかもしれない。管理体制の見直しという名目で、地下の備品管理課の存在にも、再び焦点が当たる可能性があった。 「私が上に戻される、なんてことになったら」  伊依は、椅子にもたれ、天井を見上げた。 「絶対嫌」  「どうする?」  ジョフィが尋ねる。伊依はしばらく考え込んだあと、口を開いた。 「押してダメなら、引いてみよう」 「どういうこと」 「浮気の証拠、沙織には見せない」  伊依の答えに、ジョフィは意外そうな反応を見せた。 「見せないの? それで止められる?」 「うん」  伊依は、少しずつ計画を組み立てていった。 「秀一が旅行に行きたくなくなるように、仕向ける」     「男とは単純なもので」  伊依は、指を組みながら続けた。 「目の前に餌があったとしても、その隣にもっと美味しいものがあれば、そっちに飛びつく」 「つまり?」
last updateLast Updated : 2026-10-18
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42話「女王VSイケメン富豪」

 荘園の家、リビングで、伊依は志津子から届いたメッセージを読んでいた。 「相談したいことがあるの。時間ある時に電話もらえる?」  珍しく、急いた様子の文面だった。伊依はすぐに電話をかけた。 「どうしたの、志津子さん」 「ちょっと厄介なことになってるのよ」  志津子の声には、いつもの余裕が薄れていた。 「中東の企業の御曹司が、うちの会社のM&Aを狙ってるみたいなの」  志津子は、事情を説明し始めた。相手は、中東の大手複合企業の若き経営者。世界中で事業を拡大しており、今度は日本進出の足がかりとして、伊依たちの勤める商社に目をつけているという。 「相手が強引で、夫も私も困ってるの」  志津子は、続けた。 「金に物を言わせて、ここを自分の事業の拠点にしようとしてるみたい」  伊依は、電話越しに眉をひそめた。 「買収の意向、どれくらい本気なの」 「かなり本気。もう非公式に、うちの株を水面下で買い集め始めてるって噂もある」  志津子の声には、切実な響きがあった。伊依は、しばらく考え込んだ。 「相手企業の情報、詳しく調べるわ」 「頼める?」 「うん、任せて」  電話を切ったあと、伊依はすぐにジョフィに指示を出した。 「相手企業、徹底的に調べて」 「了解」      数時間後、ジョフィが調査結果をまとめてきた。 「中東の複合企業、アル・ラシード・グループ。石油関連事業から始まって、今はテック、不動産、金融まで手広く展開してる」  画面に表示された企業データを、伊依はじっと見つめた。資産規模は、久遠グループにも劣らない、桁違いの規模だった。 「御曹司の名前は、ハーリド・アル・ラシード。三十二歳。若くして事業を率いる敏腕経営者として、業界内でも有名」 「敵として、なかなか手強そうだね」  伊依は、画面をスクロールしながら呟いた。過去の買収案件の履歴を見る限り、ハーリドという男は、一度狙いを定めた企業を、粘り強く、かつ強引な手法で手中に収めてきた実績があった。     「うちの会社、なんで狙われてるの」  伊依が尋ねると、ジョフィが答えた。 「日本市場への足がかりとして、ちょうどいい規模感らしい。それに、伊依たちの会社が持つ、東南アジア方面の取引ネットワークに価値
last updateLast Updated : 2026-10-19
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43話「リーガルトラップ」

 ホテルへ向かうの車の中、ハーリドはタブレットを開き、視察の記録を見返していた。数値化されたデータ、在庫回転率、コスト効率。どれをとっても、想定以上に洗練された数字が並んでいる。 「面白い」  ハーリドは、口元に薄い笑みを浮かべた。  表向き、この会社は、決して先進的な体制を敷いているようには見えなかった。それなのに、細部の数字を見ていくと、まるで見えない誰かの手が、絶妙に組織全体を調整しているような、そんな違和感が拭えなかった。 「秘書」  ハーリドは、隣に座る側近を呼んだ。 「はい」 「あの会社の内部システム、もう一度洗い直せ。表向きの管理体制と、実際の運用実績に、明らかな乖離がある」 「畏まりました」      数日かけて、ハーリドの側近は、詳細な報告書をまとめ上げた。 「興味深い結果が出ました」  報告書を受け取ったハーリドは、内容に目を通しながら、片方の眉を上げた。  過去数年間の社内の様々な問題――人事評価の異常な変動、不祥事の唐突な発覚と解決、業務効率の不可解な改善――それらすべてに、共通するタイミングの符合が見られるという分析だった。 「これは、偶然ではないな」  ハーリドは、確信を持って呟いた。     「誰かが、裏で糸を引いている」  ハーリドは、報告書のページをめくりながら、思考を巡らせた。表面的な経営陣の判断力にしては、あまりに緻密で、あまりに一貫性がある。まるで、組織全体を俯瞰し、必要な場所に的確な修正を加えている、そんな存在があるとしか思えなかった。 「視察の時、印象に残った人物は」  ハーリドは、側近に尋ねた。 「地下の備品管理課にいた、女性社員でしょうか」  側近が答える。ハーリドは、頷いた。 「和久井、といったな」  脳裏に、あの日の光景が蘇る。地味な制服、目立たない立ち振る舞い。だがその受け答えには、単なる事務員には収まらない、静かな精緻さが滲んでいた。 「あの女か」     「もし彼女が、この会社の裏側を支えている存在なら」  ハーリドは、椅子にも
last updateLast Updated : 2026-10-20
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44話「スカラーズメイト」

 買収の動きは、結局、実を結ぶことなく終わった。久遠グループの資本支援、そして志津子の夫である社長自身の粘り強い交渉によって、ハーリド側の株買い集めは、決定的な支配権を握るには至らなかった。「ひとまず、これで一段落だね」 地下の部屋で、伊依はモニターに映る最終報告を確認しながら、深く息を吐いた。「うん。ハーリド側、正式に買収の意向を取り下げた」 ジョフィが報告する。伊依は、久しぶりに肩の力が抜けるのを感じた。「これで、荘園にも戻れる」 数日間過ごしたダミーのアパートを引き払い、伊依は最後の荷物をまとめていた。夕方、部屋を出て、玄関のドアを閉めた瞬間だった。「お前」 低い声が、背後から聞こえた。伊依は、思わず身体を強張らせた。振り返ると、そこには見覚えのある男が立っていた。ハーリドだった。護衛らしき人間の姿もなく、単身、この場に立っている。「何をした」 ハーリドの声には、静かな怒気が滲んでいた。伊依は、動揺を押し隠しながら、平静を装った。「何もしていません。私はただの地下の倉庫番です」「嘘をつけ」「事実ですが」「俺が聞きたいのは、そういうことじゃない」 ハーリドは、一歩、伊依に近づいた。伊依は、その場から動かず、まっすぐに相手を見返した。「どのような問いであっても、あなたに答えることは何もありません」 伊依は、冷静な口調を崩さなかった。だが内心では、目まぐるしく状況を分析していた。この男が、自分の正体にどこまで気づいているのか。単なる勘なのか、それとも確たる証拠を掴んでいるのか。「まぁいい」 ハーリドは、口元にわずかな笑みを浮かべた。「イヨリ」 伊依は、一瞬、息を止めた。 その名前を、この男の口から聞くことになるとは、想像していなかった。「……」 伊依は、答えなかった。だが、その沈黙こそが、何よりの証拠だった。「お前の背中が、力の源というわけだな」 ハーリドは、続けた。「気に入った」 火傷の跡。その言葉で
last updateLast Updated : 2026-10-21
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45話「離してはいけないもの」

 ハーリドから求婚を受けてから、伊依はずっと頭を抱えていた。悪い人ではない。それは分かっている。強引なところはあるが、こちらの意思を無視して何かをするような人ではない。むしろ、一度価値を認めた相手には驚くほど真っ直ぐだ。  だからこそ困っていた。 「私、日本を離れるつもりはないんだけどな」 「うん」 「会社もあるし。Angelusもあるし」  そこで伊依は口を閉じた。  志津子の顔が浮かぶ。これまで自分が築いてきた人間関係もそうだった。ここを離れれば、全部を捨てることになるわけではない。それでも簡単に置いていけるものではなかった。  そしてもう一つ。  聖の顔が浮かんだ。  伊依は慌てて視線を逸らした。 「……考えすぎかな」 「何を?」 「なんでもない」  ジョフィは追及しなかった。  その頃、久遠家では聖と志鶴が、ハーリドから届いた話について頭を抱えていた。  伊依はまだ、そのことを知らない。      数日後。  伊依が荘園の家で仕事をしていると、聖から電話が入った。 「もしもし?」 『伊依さん。今、大丈夫ですか?』 「はい。大丈夫です」  いつもの聖の声だった。けれど、どこか歯切れが悪い。 「何かありました?」 『……ハーリドの件です』  伊依の手が止まった。 「求婚のことですか?」 『はい』  少し間があった。 『あいつ、まだ諦めてないみたいです』 「……ですよね」  思わず溜息が漏れる。 『ですが、伊依さんが望まないことを無理に押しつけるつもりはないと思います』 「それは分かっています」 『でしたら、安心しました』 「でも」  伊依は窓の外を見た。 「ちょっと困ってはいます」 『……そうですよね』  聖の声が少し低くなる。 『もし何か困ったことがあれば、僕に言ってください。僕からも話します』 「ありがとうございます」 『いえ。僕にできるこ
last updateLast Updated : 2026-10-22
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46話「フードコートでする話じゃないけど」

 休日の朝、伊依は少し悩んでいた。緋音を食事に誘うにあたって、ちゃんとした店を予約するつもりだった。ハーリドの一件で、緋音がどれほど自分のために動いてくれたか、伊依は志鶴経由で詳しく聞いていた。せめてもの礼を、きちんとした形で伝えたかった。 「どこか、いいレストラン探そうか」 「え、いいよ別に」  待ち合わせ場所に現れた緋音は、伊依の提案を、あっさりと退けた。 「あ、じゃあさ。ショッピングセンターのフードコートのお店にしようよ」 「えっ、そこ?」  伊依は、思わず聞き返した。もう少し落ち着いた場所を想定していただけに、緋音の提案は、予想の斜め上だった。 「女子高生のダベり場といえば、フードコートが相場なんでーす」 「そうなんですか?」  伊依は、内心で首を傾げた。施設暮らしだった伊依には、女子高生の「相場」というものが、まったく分からなかった。放課後、友人とフードコートで談笑する。そんな青春の一コマは、伊依の人生には、これまで縁がなかった。      結局、二人はショッピングセンターのフードコートに落ち着いた。伊依はラーメン、緋音はハンバーガーのセットを選び、丸テーブルを挟んで向かい合った。 「なんか、私が誘ったのに、伊依さんに奢ってもらう形になっちゃったね」 「いいんですよ、お礼だから」  伊依は、トレイをテーブルに置きながら答えた。周囲には、家族連れや学生グループが、それぞれ賑やかに食事をとっている。飾らない、日常的な空気が、フードコート全体を満たしていた。     「そういえば」  緋音が、ハンバーガーを頬張りながら口を開いた。 「伊依さん、さっきの私の言葉に、驚いてたよね。高校の頃、フードコートで友達と話したことない?」  伊依は、少し箸を止めた。 「うーん。私、十八まで施設にいたんです。だから高校も、通信を受けるしかなくて」 「えっ……」  緋音の表情が、瞬時に強張った。 「ごめん。もしかして、重たい話?」 「かなり重たいですね」  伊依は、あえて正直に答えた。 「あちゃー……ごめん。そんな話を
last updateLast Updated : 2026-10-23
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47話「いやだからどうしてそうなったん?」

 荘園の家、リビングで作業していた伊依のスマホに、緋音からのメッセージが届いた。「伊依さん、大変!」 文字だけでも、緋音の動揺が伝わってくる。伊依は、慌てて画面を開いた。「どうしたんですか」「ハーリドさんから、直接連絡来た。今日、帰国する前に会いたいって」 伊依は、思わず息を止めた。「え、緋音さんに?」「うん! 私にも!」   「大丈夫なんですか、それ」 伊依は、心配のあまり、次々とメッセージを送った。あの男が、緋音を呼び出す理由が、何ひとつ想像できなかった。まさか、伊依への求婚を諦めた腹いせに、緋音に何か仕掛けようとしているのではないか。そんな不安が、頭をよぎった。「聖さんには相談したんですか」「まだ。伊依さんが一番心配してくれそうだったから、先に連絡しちゃった」「行かない方がいいと思います」「でも、断ったら、逆に何されるか分からないし」 緋音の言い分にも、一理あった。伊依は、しばらく考え込んだあと、決断した。「私も同行します」    待ち合わせ場所は、都心の静かなホテルのラウンジだった。伊依は、少し離れた席で待機し、ジョフィを通じて、緋音の様子をリアルタイムで見守ることにした。「準備、いい?」「うん」 緋音は、緊張した面持ちで、ハーリドの待つ席へと向かっていった。伊依は、離れた場所から、その様子を見守り続けた。   「来たか」 ハーリドは、席に座ったまま、緋音を迎えた。緋音は、少し身構えながら、向かいの椅子に腰を下ろした。「今日、何の用ですか」 緋音は、単刀直入に切り出した。ハーリドは、少し笑みを浮かべた。「そんなに警戒するな。取って食おうというわけじゃない」「でも、いきなり呼び出されたら、警戒もします」「もっともだ」   「帰国する前に、お前に伝えておきたいことがあった」 ハーリドは、静かに切り出した。「伝えたいこと?」「イヨリのことは、もう追わない」
last updateLast Updated : 2026-10-24
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48話「再び始まった日常……?」

 ハーリドとのM&A騒動が落ち着いてから、数週間が過ぎた。会社には、また普段通りの、穏やかな日常が戻ってきていた。「おはよう、ジョフィ」「おはよう、伊依」 荘園の家を出て、伊依はいつも通り、地下鉄で通勤していた。伊依の勤める会社の正式名称は、「ステラ・トレーディング株式会社」。都内に本社を構える、中堅商社だった。海外との取引を幅広く扱い、繊維から機械部品まで、多岐にわたる分野で事業を展開している。地味ながら堅実な社風は、伊依のような、目立たずに過ごしたい人間にとっては、都合の良い場所だった。「今日も平和だね」 地下の部屋に着くと、伊依はいつも通り、在庫の確認から一日を始めた。「うん。しばらく大きな騒ぎもなさそうだし」 ジョフィが、モニター越しに社内の状況を報告する。ステラ・トレーディングの日常は、あの慌ただしいM&A騒動が嘘だったかのように、また静かな流れを取り戻していた。 秀一と沙織は、相変わらずだった。「和久井、今日も地下は暇そうだな」 廊下ですれ違いざま、秀一が声をかけてくる。伊依は、いつも通り、軽く受け流した。「そうだね」「まあ、地下は地下なりに、気楽でいいよな」 沙織も、隣で嫌味っぽく笑う。二人の態度は、以前とほとんど変わっていなかった。ただ、伊依にとっては、その変わらなさこそが、むしろ都合が良かった。目立たず、疑われず、静かに過ごすための、絶好の隠れ蓑だった。 一方、愛美と来々は、仕事でもプライベートでも、着実に良い関係を築いていた。「愛美さん、今日のお昼、一緒に食べません?」「うん、行こう」 二人は、社員食堂で並んで座り、たわいもない会話を交わしていた。かつて、伊依を見下していた愛美の面影は、もうそこにはなかった。「私、最近仕事楽しいんです」 来々が、笑顔で言う。愛美も、頷いた。「私も。前より、周りのこと、ちゃんと見られるようになった気がする」 二人の変化を、伊依は監視カメラ越しに、静かに見守っていた。誰にも知られないまま蒔いた種が、少しずつ、優しい花を咲かせている。それを見るのが、
last updateLast Updated : 2026-10-25
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49話「ジョフィの危機」

 地下の部屋、伊依がいつも通りデザイン作業をしている傍らで、ジョフィは、誰にも気づかれないところで、静かな違和感を抱き続けていた。「なんか、変な感じがする」 誰にともなく、ジョフィは呟いた。伊依には聞こえない、内部処理の中での独り言だった。 これまでも、Angelusのデザイナー、YORの正体を探ろうとするハッキングの試みは、何度となくあった。記者、好事家、時にはライバル企業の人間まで、様々な人間が、伊依の匿名性を突き崩そうと、様々な角度から接触を試みてきた。 だが、最近感知しているアクセスパターンは、これまでとは、明らかに質が違っていた。「YORの正体じゃなくて」 ジョフィは、蓄積されたログを、静かに分析し続けていた。「僕自身の、コアシステムに近づこうとしてる」 その日の夜、伊依が眠りについたあと、ジョフィは、志鶴に向けて緊急の連絡を入れた。「志鶴、ちょっと相談したいことがある」「珍しいね、こんな時間に」 志鶴は、すぐに応答してくれた。「最近、変なアクセスが増えてる。今までのハッキング試行とは、目的が違う気がする」「詳しく教えて」 ジョフィは、蓄積されたデータを、志鶴に共有した。 数日かけて、志鶴は、そのアクセスパターンを、丁寧に解析していった。伊依には知られないよう、慎重に調査を進める。「調べたよ」 志鶴からの連絡が届いたのは、それから三日後のことだった。「ジョフィ……君、アメリカのハッカー集団に狙われてる」 その言葉に、ジョフィは一瞬、思考を停止させた。「なんで」「わかんない」 志鶴の返答は、珍しく歯切れが悪かった。「向こうの動きが、あまりにも計画的すぎて、目的が読めない」「詳しく教えて」 ジョフィは、続けて尋ねた。志鶴は、集めた情報を、丁寧に説明し始めた。「相手は、ダークウェブでも名の知れた、腕利きのハッカー集団。組織名は分かってないけど、痕跡の残し方に、独特の癖がある」「その集団が、僕を狙う理由は」
last updateLast Updated : 2026-10-26
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50話「女王はハメ手を許さない」

 深夜、地下の部屋のモニターに、差出人不明のメッセージが表示された。文面には、伊依とジョフィにしか読み解けない暗号が織り込まれていた。「解読してみて」 ジョフィが処理を始め、やがて平文が現れる。「これ......取引の申し出だ」「当該AIの開発者は、ソースコードをこちらに提供せよ。従わなければ、全力で攻撃を仕掛ける」「これ、私にってこと?」 伊依は思わず眉をひそめた。「伊依が僕の開発者だって、ある程度特定されてるみたい。YORとの関連性まで、多分掴まれてる」 ジョフィの声には緊張が滲んでいた。伊依は椅子から身を乗り出す。「絶対に、渡さない」 その夜から、本格的な防衛戦が始まった。相手は、これまでのどの敵よりも組織的で、容赦がなかった。複数のサーバーから同時に攻撃が仕掛けられ、侵入経路は次々と変わる。地下の空気は、これまでにないほど張り詰めていた。「志鶴、状況は」 返ってきた応答は、いつもより歯切れが悪い。「済まない、伊依さん。今回は、僕の助けも限定的になる。詳しくは、また後で説明する」 志鶴の援護が得られないまま、伊依はジョフィと二人きりで攻撃に応戦し続けた。「防御ライン、あと二段階で突破される」 ジョフィの声に焦りが滲む。伊依はキーボードを叩く手を止めなかった。額に汗が浮かぶ。自分が育て上げた唯一無二の存在を守るため、持てる技術をすべて投入していた。 だが、相手の攻撃は想定以上に精緻だった。「伊依さん、まずい。コアシステムの外殻、破られかけてる」 ジョフィの声に、初めてはっきりとした恐怖が混じった。伊依は必死に対抗策を考える。相手のスピードに追いつけない瞬間が、確かに迫っていた。 その時だった。「何やってんだ。アルバート」 ネットワーク上に割り込んできたのは志鶴だった。その口調には、聞いたことのない強い意志が滲んでいた。「え、知り合いだったの!?」 攻撃の首謀者アルバートと志鶴は、海外の大学で共に学んだ旧知の仲だった。志鶴は通信技術科、アルバートも同じ学科で、互いの技術をぶつ
last updateLast Updated : 2026-10-27
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