All Chapters of 妻の愛人との桁外れなハネムーン: Chapter 1 - Chapter 10

12 Chapters

第1話

柊凛花(ひいらぎ りんか)と彼女のアシスタントである瀬戸拓海(せと たくみ)が旅立って2日目、俺・桐生蒼介(きりゅう そうすけ)はすべての業務の引き継ぎを終え、人事部で退職手続きを進めていた。10分も経たないうちに、社内システムから社長決裁による「承認完了」の通知が届いた。彼女は中身も見ずに承認ボタンを押したのだろう。「あの様子だと、柊社長はとっくに桐生をクビにしたかったんでしょうね。桐生も身の程をわきまえてるじゃないですか」「そうね。会社に残っていても社長を不機嫌にさせるだけだし、早く辞めた方がマシよ。でも、桐生これからどうするつもりかしら」「薄給の平社員の私たちが、その心配をしてどうするの?腐っても社長の旦那なんだから、退職して家でゴロゴロしてても使い切れないほどのお金があるわよ」荷物をまとめていると、同僚たちが嫌味ったらしい視線を向けながらヒソヒソと嘲笑っていた。俺にとっては、もう慣れっこだった。俺と拓海が社内で折り合いが悪いことは周知の事実だ。しかし、俺の妻である凛花は露骨に拓海の肩を持ち、彼のために公衆の面前で俺に恥をかかせることもしばしばあった。そのため、彼らはアシスタントのご機嫌を取るために、こぞって俺を目の敵にしていたのだ。そのことを思い出し、俺は冷笑した。「残念だけど、今回の退職はヘッドハンティングによる引き抜きなんだ。ある会社が今の2倍の給料で俺を雇ってくれてね。福利厚生もここよりずっといい」そう言い残し、悔しさに顔を歪める彼らを気にも留めず、俺はまとめた私物を手に会社を後にした。ところが、正面玄関を出た直後、凛花から着信があった。退職のことをどう説明するか考えていたが、電話に出るなり凛花は言った。「ファイルを送ったわ。1時間以内に仕上げてアタシに送り返して」どうやら、俺が退職したことに本当に気づいていないらしい。俺は苦笑しながら、送られてきたファイルを開いた。それは、つい先日俺が拓海に譲ったはずのプロジェクトだった。相変わらずだ。手柄は拓海が持っていき、実際の作業は俺がやらされ、問題が起きれば俺が責任を負わされる。最初は俺も拒否した。しかし凛花はあの手この手で俺を説得しようとし、俺が断固としてやらない姿勢を見せると、今度は徹底的に無視を決め込み、わざと徹夜で作業をし
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第2話

「今は会社にいない」俺は淡々と返した。「会社にいない?」凛花の声が急に冷たくなった。「今は就業時間中のはずよね、蒼介。就業時間中に無断離席するなんて、会社の規定に従えば欠勤扱いで減給になるって分かってるの?」「ああ、分かっている。でも俺はもう……」退職したことを告げようとしたその時、電話の向こうから拓海の優しい声が聞こえてきた。「凛花さん、蒼介さんが嫌がっているなら無理強いしないでください。やっぱり僕がやりますから」「駄目よ。あなたは昨日徹夜したんだから、今日は絶対に休まなきゃ」凛花の口調はとても穏やかだった。先ほどの俺に対する態度とはまるで別人のようだ。拓海はまだ疲れていないと弁明していたが、凛花は強硬な態度を崩さなかった。「アタシは社長よ。あなたに休めと言っているのは、アタシからの業務命令。まさか逆らう気?」拓海はおどけてみせたのだろう、少し甘えたような声を出した。「蒼介さんに負担をかけるのが申し訳ないと思っただけです」「彼がいくら大変だと言っても、あなたの比じゃないわ。あなたは出張先でも契約書の整理をしているのに、彼は毎日会社で何もしていないじゃない。それに、彼はアタシの夫なんだから、少しぐらい苦労するのは当たり前でしょ?」凛花は鼻で笑った。その言葉で、俺のこれまでの功績はすべて消し去られた。俺の中には、当初感じていた怒りも、嫉妬も、やり切れなさもとうになく、ただ麻痺したような感情しかなかった。あまりにも同じことが繰り返されすぎたからだ。俺が黙っていると、凛花は俺が承諾したのだと勘違いし、少しだけ口調を和らげた。「蒼介、アタシがあなたに与えているのは単なる仕事だとでも思っているの?あなたを鍛えようとしているのよ。だってあなたはアタシの夫なんだから、会社に対してもっと責任感とハングリー精神を持つべきだわ。あなたも少しは拓海を見習うべきね。彼は昨日も仕事のために午前4時まで起きていたのよ。こんなに優秀で若くて、おまけに努力家な人をアタシは他に知らないわ」拓海が傍らで笑いながら口を挟んだ。「蒼介さんもすごく優秀だと思いますよ」言葉とは裏腹に、その口調には微かな侮蔑の響きが混じっていた。凛花はそれに気づかず、軽く鼻を鳴らした。「彼があなたの半分ほどの優秀さを
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第3話

人の心は変わりやすいが、お金は決して自分を裏切らない。そう思いながら、俺は会社を後にし、身の振り方について考えを巡らせていた。駐車場から車を出した直後、スマホが鳴った。画面を見ると、カードの決済通知だった。凛花がまた俺のカードで40万円を使ったのだ。周囲の人間は皆、俺がお金のために凛花と一緒にいるのだと思っている。しかし実際のところ、俺の収入はすべて彼女に握られていた。彼女は自分の収入を会社の資金に回すと言い張り、ここ数年の生活費や支払いはすべて俺の給料と副業の収入で賄われていた。俺自身も、男が家庭において多くを負担すべきだと考えていたため、彼女とお金のことでも細かく口出ししたことは1度もなかった。しかし少し前、自分の収入は決して低くないはずなのに、一向に貯金が増えず、むしろいつもお金が足りないことに気づいた。どうしても気になって明細を確認したところ、凛花が頻繁に俺のカードを使って拓海にプレゼントを買っていたことが発覚したのだ。彼女は数万円のゲーム機を贈り、数十万円のスーツもプレゼントしていた。さらには、拓海の誕生日に数百万円を費やして5つ星ホテルを貸し切ってお祝いをしたことさえあった。その一方で、この数年間、俺が2ヶ月同じ下着を穿いていても彼女は新しいものを買おうとせず、2000円以上のプレゼントをねだれば「高い」と渋った。そして適当にメッセージカードを書いて渡し、「私たちの将来のために節約しなきゃ」と言い訳をするのだった。俺がたまらずその件について問い詰めると、凛花はあからさまに不機嫌になり、自分を信用していないと俺をなじった。そして意地を張り、2度と俺のお金は使わないと言い放ったのだ。そのことを思い出し、俺はやはり凛花に電話をかけることにした。しかし、彼女は出なかった。それを見て、俺はもう躊躇うことなく銀行へ向かい、カードの利用停止手続きを行った。1分も経たないうちに、凛花からすぐに折り返しの電話がかかってきた。「さっきは忙しくて電話に気づかなかったの。どうしたの?」彼女は何食わぬ顔で言った。俺は冷静な声で答えた。「もう用は済んだ」「そう。あなたのカード、おかしいわよ。凍結されてるみたい」彼女が何気ない風を装って話を切り出した。「知っている」俺は隠すことなく告げ
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第4話

以前なら、凛花が「怒る」と言えば、俺は大人しく言う通りにしていた。しかし彼女は気づいていないようだ。俺は彼女が怒るのを恐れていたわけではなく、ただでさえ会社経営で疲労している彼女に、これ以上の心労をかけたくなかっただけなのだと。今になってようやく分かった。俺は彼女の負担を減らそうと必死だったが、彼女の悩み事の多くは自ら招いたものだったのだ。それなら、俺がこれ以上気を揉む義理はない。【銀行カードを忘れたなら、秘書に頼むか、瀬戸に貸してもらえばいい。今回の出張は元々瀬戸のプロジェクトのためのものなんだから、瀬戸に立て替えさせても何も問題ないだろう】そうメッセージを返信した後、俺はスマホの電源を切り、車を走らせて荷物をまとめるために家へ帰った。その家は、俺が住宅ローンなしで一括購入したものだ。彼女の好む間取りと階層を選び、当初は名義も彼女のものにしようと考えていた。しかし、ふと虫の知らせだったのか思い直して、結局俺の単独名義にしたのだ。今思えば、あの時自分に逃げ道を残しておいて本当に良かったと思う。荷物をまとめた後、俺は不動産屋に家の売却を依頼した。翌日、俺は役所へ向かい、すでに署名済みの離婚届を提出した。離婚届にサインをした時、俺は凛花にどう説明するか悩んでいた。しかし彼女はスーツケースを持って慌てて1階へ降りようとしており、中身も見ずに最後のページをめくって自分の名前をサインしたのだ。「1度目を通した方がいい」俺は最後に一縷の望みをかけてそう言った。「必要ないわ。あなたはアタシの夫なんだから、アタシがあなたを信頼していないとでも?」俺は苦笑した。普段の彼女は、俺に対する信頼など拓海に対するものよりずっと薄かったはずだ。いわゆる「信頼」とは、俺を早くあしらい、飛行機に間に合わせて、急いで拓海とハネムーンに行きたいがための口実に過ぎなかった。だが、おかげで余計な説明をする手間が省けた。しかし、書類を受け取ったスタッフは、手続き上の規定として、双方に婚姻関係継続の意思がないことを確認する必要があると告げた。俺は凛花と拓海が撮った親密な写真を見せ、さらに彼女が拓海のために壊した俺たちのウェディングフォトも見せたが、職員は首を横に振った。「必ずご本人様の口から直接確認を取らなければ受理できません」仕
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第5話

相場よりかなり安く価格設定をしたため、1週間も経たずに家は無事に売却された。不動産屋へ行き、契約書にサインをして買主との引き渡し日を決めた後、俺は家に戻った。しかし、ドアを開けた途端、部屋の中から楽しげな笑い声が聞こえてきた。玄関にあったペアのスリッパは消えていた。その代わりに、見知らぬ男物の革靴と、凛花の誕生日に拓海がプレゼントした彼女の1番お気に入りのパンプスが並べられていた。中にいるのは凛花と拓海だとすぐに気づいた。彼らはあと2日は帰ってこないはずではなかったのか?そう考えていると、物音に気づいた拓海が歩いてきた。彼は俺のスリッパを履き、俺のパジャマを着て、まるでこの家の主であるかのようにくつろいだ様子だった。「蒼介さん、どうしてこんな時間に帰ってきたんですか?会社はまだ就業時間中ですよね」そう言いながら、彼はわざと傍らにあったマグカップにタバコの灰を落とした。それは、凛花が俺にプレゼントしてくれたペアのマグカップだった。以前の俺はそれを愛用し、いつも手のひらで大切に包み込んでいた。その時、凛花もリビングから歩いてきた。拓海が俺のマグカップを灰皿代わりにしているのを見ても、彼女は見て見ぬふりをした。タバコの匂いを嗅ぐだけで吐き気を催し、俺に強硬に禁煙を命じた彼女が、今は全く不快な様子を見せていない。拓海と一緒にいるこの期間で、彼女は本当に変わってしまった。俺を見ると、彼女の顔には一瞬だけ気まずそうな色が浮かんだ。しかしすぐに、その顔は不機嫌そうなものに変わった。「また会社を抜け出してきたの?蒼介、いくらアタシの夫だからといって、しょっちゅうこんなことをしていいわけじゃないのよ!あなたが規律を守らないのに、これからアタシがどうやって社員を管理すればいいの?」規律?俺は思わず吹き出しそうになった。規律を守らないことに関して、凛花の右に出る者がいるだろうか?1年前、会社が軌道に乗り始めた頃、凛花は業界経験すらない拓海を特例で会社の管理職に抜擢した。俺は疑問に思ったが、凛花が「拓海は必ず大きな戦力になる」と言うのを聞いて、彼を熱心に指導しようと決めた。しかし、拓海は毎日ゲームをするか寝てばかりいた。就業時間を無為に過ごした後、わざと深夜まで残り、会社のグループチャットに
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第6話

凛花は軽く鼻を鳴らした。「蒼介、あなたは毎日仕事にも集中しないで、そういう余計なことばかり熱心に首を突っ込んでいるのね。でも、こんなことをしたからって許してあげると思ったら大間違いよ。あなたが腹いせにカードの利用停止をしたせいで、アタシは取引先の前で大恥をかいたわ。結局、拓海があちこち駆けずり回ってお金を借りてくれて、なんとか支払いを済ませたんだから」俺がいつまでも沈黙していると、凛花は俺がいつものように反省しているのだと勘違いし、少しだけ口調を和らげた。「許してあげないこともないわ。でもその前に、拓海に相応の埋め合わせをしなければならないわね。彼が今住んでいる家は最近リフォーム中で、しばらく住めないの。あなたがこの寝室を空けて、しばらくの間彼に使わせてあげるなら、今回のことは水に流してあげるわ」俺は首を横に振った。「この家はもう売ってしまったんだ」「売った?」凛花は目を丸くした。彼女が質問する前に、拓海が先回りして口を挟んだ。「蒼介さん、もしかしてこの家を売って、謝罪の代わりにもっと大きい家を買ってくれるつもりなんじゃないですか?」凛花はそれに納得し、途端に嬉しそうに顔をほころばせた。「確かに、この家には随分長く住んだし、そろそろもっと大きな家を買ってもいい頃ね。その時はアタシも少し資金を出してあげるわ。だから、この家は一旦売るのをやめましょう。ちょうど拓海が使うのに都合がいいし」「そんなの申し訳ないですよ。家賃は相場通り払います」「家賃なんていいわよ」凛花はムッとして言った。「アタシがあなたの社長なのに、家賃なんて取れるわけないでしょ?」「それは悪いです。ダメですよ、家賃は絶対に払います」「それなら、数千円程度でいいわ」2人はわざとらしいやり取りを続け、凛花は家賃など気にも留めていないという態度をとった。この家は市内中心部にあり、相場の家賃は20万円を下らない。それなのに彼女はどうでもいいと思っているのだ。しかし俺たちがデートをする時は、彼女は食事代や映画代の支払いまできっちりと俺と割り勘にしていたのだ。愛している時と愛していない時の態度は、見事なまでに雲泥の差だ。「どう?あなたが承諾するなら、離婚の話は考え直してあげてもいいわよ」「考える必要はない……」
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第7話

凛花の口元の笑みが凍りついた。「どういう意味?アタシと離婚するつもり?」俺が想像していたような喜ぶ素振りは微塵もなく、予想に反して、彼女の顔にはうっすらと怒りさえ滲んでいた。拓海は一瞬ポカンとしたものの、すぐにその瞳の奥に歓喜の色を閃かせた。だが、口を開けば、わざとらしく俺を咎めるような猫撫で声だった。「蒼介さん、どうしてそんなにムキになるんですか?凛花さんがさっき離婚の話を持ち出したのは、蒼介さんの気を引きたかっただけですよ。本気にするなんて大人気ないですよ。冗談きついっす。凛花さんは仕事漬けで、やっと帰国したばかりなんですから、これ以上困らせないであげてください」いかにも俺を窘めているような口ぶりだが、腹の底ではわざと凛花を煽っていることは火を見るより明らかだった。この手口は彼の十八番で、いつも面白いように効果てきめんだった。過去にも、凛花は当てつけに俺の役職を外したり、数ヶ月分の給料を減らしたりしたことがある。今回もまた、凛花が意地を張って離婚をあっさり受け入れるだろうと踏んでいた。ところが、彼女は顔をしかめ、しばらく押し黙った後にこう吐き捨てたのだ。「アタシは絶対に離婚なんてしないから。蒼介、今のアタシたちには利害の絡みが多すぎるのよ……」その言葉を聞いて合点がいった。彼女は財産分与を危惧しているのだ。しかし、彼女はすっかり忘れているらしい。結婚する際、彼女はきっちり婚前契約を交わし、離婚時には俺に一銭も渡さないと取り決めていたことを。当然、俺の特有財産にも彼女は指一本触れられない。俺は彼女の言葉を遮り、当時の取り決めを淡々と突きつけた。「それに、何か勘違いしているようだが。俺が言ったのは『俺たちはもう離婚している』ということだ。離婚届には、君自身がとっくの昔にサインしている」凛花はぽかんとし、直後に激しく首を振った。「あり得ない。アタシがサインしたなんて、そんなの覚えていないわけがないでしょ」往生際の悪い彼女の目の前で、俺は最後のページをめくって見せた。そこには、彼女の署名のコピーが乱雑に書き殴られている。さすがに見覚えがあったらしい。凛花の顔からさあっと血の気が引いていく。「あの時アタシにサインさせたのって、離婚届だったっていうの?」彼女は信じられないものを見るように
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第8話

「アタシたちのことに、口出ししないで。用がないなら、もう帰って」拓海は食い下がった。「凛花さん、忘れたんですか?僕の家、今は住めないんですよ……」「住めないならホテルにでも泊まればいいでしょ。いい大人なんだから、それくらい自分でどうにかしなさいよ。まさかアタシに、今すぐ家でも用意しろって言うの?」凛花の口調は突き放すようだった。しかし、俺は彼女がこっそりと拓海に目配せしているのを見逃さなかった。彼女はうまく誤魔化したつもりだろうが、俺はとっくに知っている。彼女が俺に内緒で、郊外に小さなマンションを買っていたことを。拓海は明らかにそのサインを読み取っていた。わざとらしく不満げに唇を尖らせながら、ハンガーにかかった彼女のコートのポケットからこっそりと鍵を抜き取り、そそくさと出て行った。俺は二人の茶番を暴く気すら起きなかった。もはや彼らのことなどどうでもいいし、指摘したところで意味はない。あのマンションは名義上凛花のものであり、彼女がそれを誰に使わせようと彼女の勝手だ。拓海が去った後、凛花はふうっと息を吐き、再び俺に向き直った時には、その口調はずいぶんと甘くなっていた。「これで気が済んだでしょ?あなたが本気で離婚したいわけじゃないことくらい、お見通しよ。アタシが拓海を構うから、拗ねてるだけでしょ。でも、アタシと彼の間にはやましいことなんて何もないわ。ただ、彼が身寄りもなく頑張ってるのが不憫で、社長として面倒を見てあげようと思っただけ。彼をあそこまで重用したのは、あなたに少し発破をかけるつもりだったのは認める。でも、アタシたちは夫婦でしょ?アタシがキツく当たったのも、あなたにもっと向上心を持ってほしかったからなのよ」そう言って、凛花は色っぽい笑みを浮かべて歩み寄り、両腕を広げて俺の首にすがりつこうとした。俺は容赦なく彼女を突き飛ばした。「家の引き渡しは1ヶ月後だ。それまでにここをきれいに片付けなきゃならない。帰ってきたなら好都合だ、自分の荷物は自分でさっさと運び出してくれ」凛花の腕は宙を彷徨い、口元の笑みも引きつっていた。「蒼介、どういうつもり?アタシは拓海を追い返して、ここまで折れてあげてるのに、まだ家を売るとか、離婚するとか言うわけ?」彼女はさも自分がひどい仕打ちを受けた被害者かのよ
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第9話

「蒼介、あの企画書、あなたノーチェックだったの?」どうやら凛花もようやく思い至ったらしい。以前、彼女が俺からプロジェクトを奪って拓海に丸投げした時、俺はどうしても見過ごせず、企画書が完成するまで拓海の穴だらけのミスを裏で毎回潰してやっていたのだ。しかしその度に、凛花は「拓海は一人でできるんだから手出ししないで」と笑いながら俺のお節介をたしなめた。そしていざ問題が起きれば、凛花はすべての責任を俺に押し付け、あんな初歩的なミスを見落とすなんてチェックが甘すぎると俺をなじり倒したのだ。だから今回は、俺は一切ノータッチを貫いた。彼女が拓海は一人でできると豪語したのだから、彼が一人で手柄を立てるチャンスを与えてやったまでだ。「見てないな」俺はあっさりと首を横に振った。凛花は眉をひそめた。彼女がヒステリーを起こす前に、俺は淡々と言い放った。「あれは瀬戸の担当案件であって、俺の管轄外だ。俺には口出しする権限もなければ、義理もないはずだぞ」「でも、あなたはアタシの夫じゃない!」「だから何だ?」俺は冷たく鼻で笑った。「夫だからといって、君の尻拭いをさせられ、罵倒され、君の気分次第で無視され、社内の連中が俺をコケにするのを君が黙認するのを、甘んじて受け入れろとでも言うのか?俺は夫として、今まで君のワガママをすべて受け入れてきた。夫としての務めは果たしてきたつもりだ。だが、君はどうだ?君は『妻』という肩書きにふさわしいことを、今までたった一つでもしたことがあるのか?」「してないわけないでしょ!」凛花は甲高い声で反論した。「他の男に色目を使い、そいつと結託して俺のプロジェクトを奪い取ったことか?」俺の態度は冷酷なまでに強硬だった。その口調にはありありと軽蔑が込められている。それは、以前の俺が決して見せることのなかった姿だ。凛花はその気迫に押されたのか、しばらくぽかんとし、反論する言葉すら見つからないように押し黙った。彼女は悔しげに唇を噛み、何かを言いかけては飲み込んだ。数分後、彼女はようやく表情を取り繕い、再び会社での社長としての威厳を盾にした。「そんな無駄話に付き合ってる暇はないわ。アタシが妻として失格かどうかはともかく、アタシはあなたのボスよ。プロジェクトは業務上のトラブルであり
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第10話

その時、凛花はようやく俺の申請履歴を掘り当てた。申請者の欄に俺の名前があるのを目にした途端、彼女は目をひん剥き、よろけるように後ずさりした。彼女の口から品のない暴言が飛び出す。「一体どこの馬鹿があなたの退職を承認したのよ?連中、アタシとあなたの関係を知らないとでもいうの?」凛花は半狂乱になって人事部に電話をかけた。電話が繋がるなり、相手が口を開く暇も与えず、激しい罵声を浴びせた。「この件、アタシに確認取ったの?誰の許可でこんな勝手な真似をしたのよ!」「ですが社長、以前ご自身で『あいつの手続きは全部通しなさい』と……」「アタシがいつそんなこと言った?彼をクビにしろなんて言ったかしら?彼がアタシの夫だってことくらい知ってるでしょ!あんた一体どういう脳みそしてるのよ!あんたはクビよ!二度とツラ見せないで!」凛花は怒りに任せて相手を解雇した後、すり寄るような目で俺を見た。「蒼介、あの連中があなたにこんな酷い嫌がらせをするなんて知らなかったわ。戻ってきてくれるわよね?」いかにも俺のために怒り狂ってくれたような言い草だ。だが、彼女と拓海が裏で手を回していなければ、ヒラ社員が俺にそんな態度をとれるはずがない。俺をコケにしたのは同僚たちだ。だが、彼らの背後に立ち、彼らにその権力を与えていたのは、他でもない彼女と拓海ではないか。俺が黙っていると、凛花は再びスマホを取り出し、目が飛び出るような厚遇を提示して俺を何とか引き留めようとした。俺は煩わしげに彼女の手を払いのけた。「そんなことより、どうやってクライアントの怒りを鎮めるか考えた方がいい。俺はもう行く。引き渡しまでに必ず荷物を運び出しておけ。もしトラブって違約金が発生するようなことになれば、容赦なく訴えさせてもらうからな。今さら身内で裁判沙汰になれば、ただでさえ傾きかけてる会社にトドメを刺すことになるぞ。そうなればもうジ・エンドだ。だから、大人しく別れを受け入れることをお勧めするよ。何だかんだ5年も連れ添った仲だ、俺だって泥沼の愛憎劇なんて御免だからな」そう言い残し、俺は呆然とする彼女を放置して寝室へ戻り、残りの私物をまとめた。先ほどの忠告が効いたのか、凛花はそれ以上すがりついてはこなかった。リビングに立ち尽くしていたようだが、やがてヒールの足音が遠ざか
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