LOGIN俺が2億円規模のプロジェクトを自ら妻のお気に入りアシスタントに譲ったと知った時、社長である妻は、3ヶ月間の無視がようやく功を奏したのだと勘違いした。 彼女は上機嫌で、氷海諸島へのハネムーンに行こうと自分から提案してきた。 しかし、それを知ったアシスタントは露骨に機嫌を損ね、会社を辞めると騒ぎ出した。 普段から彼を溺愛している妻は慌てふためき、つきっきりでご機嫌をとった挙句、出張を口実にハネムーンをドタキャンし、旅行のもう1枚のチケットを彼に渡した。 事後、彼女は悪びれる様子もなく俺に言い訳をした。 「色恋沙汰なんて些細なことよ。やっぱり仕事が第一だし、アタシは経営者として仕事を最優先にしなければならないの。 あなたはアタシの夫なんだから、理解できるわよね」 俺は、アシスタントが先ほどインスタのストーリーに上げたばかりの、2人が頭を寄せてハートを作っているツーショット写真を見つめながら、何も言わずにただ頷いた。 妻は俺が物分かりの良い大人になったと思い込み、すっかり満足して、帰国したらもっとロマンチックなハネムーンをやり直そうと上機嫌に約束してきた。 しかし、彼女は知らない。 俺がすでに退職届を提出し、彼女自身もとうに離婚届にサインをしていることを。 彼女と俺に、もうこの先はないのだ。
View Moreその泣き声には、後悔と絶望が入り混じっていた。だが俺には手に取るように分かる。彼女は心の底から悔い改めたから泣いているわけではない。自分がこれほどのしっぺ返しを食らうとは、夢にも思っていなかっただけなのだ。仮に時計の針を戻せたとしても、彼女はきっとまた同じ破滅の道を選ぶに違いない。凛花の裁判は予想通りあっけなく敗訴に終わり、先方から前渡金の3倍もの賠償を吹っかけられ、その額は数千万円にまで膨れ上がった。会社の運転資金はとうに底をつき、凛花は個人の全財産を投げ打ち、金目のものをすべて売り払ったが、それでもまだ数百万足りなかった。背に腹は代えられず、彼女はかつてこっそり囲っていたあの郊外のマンションを競売にかけようとした。しかし、いざ売却の手続きを進めようとした段になって初めて、不動産の登記名義が勝手に書き換えられていることに気づいたのだ。名義人の欄には、瀬戸拓海と記されていた。その顛末を聞いても、俺を含め誰も驚きはしなかった。当時の凛花は彼にすっかり骨抜きにされていたのだから、印鑑を盗み出して名義変更の手続きをするくらい、赤子の手をひねるより簡単だっただろう。「凛花さん、この家は最初から僕にくれるって約束してたじゃないですか。だから名義を変えただけですよ。何か文句でも?」凛花が血相を変えて乗り込んでいった時、拓海はソファにふんぞり返り、洗いたての高級ブドウをのんきに頬張っていた。テーブルにはみかんの皮や食べかけのデリバリー容器が散乱し、足の踏み場もない。あれほど見事に姿をくらまし、凛花が血眼になって探しても見つからなかったのは、最初からここに引きこもっていたからだ。凛花は怒りで頭の血管がブチ切れそうになった。「この家はあんたにあげたわけじゃないわよ!さっさと出て行きなさい、あんたの顔なんて二度と見たくない!」「そんなこと言われたってねぇ。登記簿にはバッチリ僕の名前が載ってるんですよ」拓海は勝ち誇ったように登記簿の写しをひらひらと見せつけた。彼はこれでもう誰にも手出しできないだろうと、完全犯罪を成し遂げたつもりでいたのだ。凛花は怒りを通り越して凄惨な笑みを浮かべ、きびすを返してそのまま警察署へ直行した。そして自分が出資したという証拠書類を叩きつけ、不動産を取り戻したばかりか、容赦なく拓海を横領でブタ
訴状が届いた日、凛花はまたしても俺に泣きついてきた。激しい雷雨の中、彼女はずぶ濡れになりながら声を枯らして泣き叫び、何度も俺に許しを乞うた。もう一度だけチャンスをくれ、二度とあんな真似はしないからと泣き喚いていた。俺はピシャリとカーテンを閉め、耳栓をして、ふかふかの広いベッドに寝転がった。胸が痛むことなど、ただの一ミリもなかった。彼女はたかが一晩、雨に打たれただけだ。だが、俺の5年間の結婚生活は、それこそ果てしなく続く冷たい土砂降りのようなものだったのだから。俺が無視を決め込めば、凛花もすごすごと引き下がるだろうと思っていた。だが驚いたことに、翌朝すっかり日が昇っても、凛花はまだ外に立ち尽くしていたのだ。雨に濡れた髪が頬にへばりつき、土気色の顔には血の気が全くない。あんなにもボロボロで無様な彼女を見るのは初めてだった。顔を合わせたくはなかったが、俺にも仕事がある。案の定、俺がエントランスを出るなり、凛花はふらつく足取りで駆け寄り、すがりつくような哀れな瞳で俺を見つめてきた。「そんな捨て犬みたいな目で見ても無駄だ。俺は君を助けたりしない」俺は冷酷に言い放った。「あなたが怒っているのは重々承知してる。この一晩でアタシもすっかり目が覚めたの。助けてほしいなんて厚かましいことは言わない。でも、もう一度だけ、最後にやり直すチャンスをくれないかしら……これ、覚えてる?」凛花はそう言って、震える手を俺の前に差し出し、そっと手のひらを開いた。そこには、小さなメレダイヤの指輪が乗っていた。俺は一瞬息を呑み、思わず遠い過去の記憶に引き戻された。最初の頃、凛花は間違いなく俺を愛していた。当時の俺たちは金がなく、二人の全財産をかき集めても十数万にしかならなかった。世間の花嫁の指輪には立派なダイヤが輝いているというのに、俺が彼女に贈れたのは、惨めなくらいちっぽけな代物だった。「結婚した時、約束したじゃない。どんな困難があっても、決して見捨てないって……あなたは、一生アタシだけを愛するって誓ってくれたわ」俺の視線が僅かに揺らいだのを見逃さず、彼女の瞳に縋るような希望の光が宿った。「アタシはあなたを裏切るようなことは一切してない。アタシと拓海の関係も、あなたが誤解しているようなものじゃないの。ただ、身寄りのない彼
その時、凛花はようやく俺の申請履歴を掘り当てた。申請者の欄に俺の名前があるのを目にした途端、彼女は目をひん剥き、よろけるように後ずさりした。彼女の口から品のない暴言が飛び出す。「一体どこの馬鹿があなたの退職を承認したのよ?連中、アタシとあなたの関係を知らないとでもいうの?」凛花は半狂乱になって人事部に電話をかけた。電話が繋がるなり、相手が口を開く暇も与えず、激しい罵声を浴びせた。「この件、アタシに確認取ったの?誰の許可でこんな勝手な真似をしたのよ!」「ですが社長、以前ご自身で『あいつの手続きは全部通しなさい』と……」「アタシがいつそんなこと言った?彼をクビにしろなんて言ったかしら?彼がアタシの夫だってことくらい知ってるでしょ!あんた一体どういう脳みそしてるのよ!あんたはクビよ!二度とツラ見せないで!」凛花は怒りに任せて相手を解雇した後、すり寄るような目で俺を見た。「蒼介、あの連中があなたにこんな酷い嫌がらせをするなんて知らなかったわ。戻ってきてくれるわよね?」いかにも俺のために怒り狂ってくれたような言い草だ。だが、彼女と拓海が裏で手を回していなければ、ヒラ社員が俺にそんな態度をとれるはずがない。俺をコケにしたのは同僚たちだ。だが、彼らの背後に立ち、彼らにその権力を与えていたのは、他でもない彼女と拓海ではないか。俺が黙っていると、凛花は再びスマホを取り出し、目が飛び出るような厚遇を提示して俺を何とか引き留めようとした。俺は煩わしげに彼女の手を払いのけた。「そんなことより、どうやってクライアントの怒りを鎮めるか考えた方がいい。俺はもう行く。引き渡しまでに必ず荷物を運び出しておけ。もしトラブって違約金が発生するようなことになれば、容赦なく訴えさせてもらうからな。今さら身内で裁判沙汰になれば、ただでさえ傾きかけてる会社にトドメを刺すことになるぞ。そうなればもうジ・エンドだ。だから、大人しく別れを受け入れることをお勧めするよ。何だかんだ5年も連れ添った仲だ、俺だって泥沼の愛憎劇なんて御免だからな」そう言い残し、俺は呆然とする彼女を放置して寝室へ戻り、残りの私物をまとめた。先ほどの忠告が効いたのか、凛花はそれ以上すがりついてはこなかった。リビングに立ち尽くしていたようだが、やがてヒールの足音が遠ざか
「蒼介、あの企画書、あなたノーチェックだったの?」どうやら凛花もようやく思い至ったらしい。以前、彼女が俺からプロジェクトを奪って拓海に丸投げした時、俺はどうしても見過ごせず、企画書が完成するまで拓海の穴だらけのミスを裏で毎回潰してやっていたのだ。しかしその度に、凛花は「拓海は一人でできるんだから手出ししないで」と笑いながら俺のお節介をたしなめた。そしていざ問題が起きれば、凛花はすべての責任を俺に押し付け、あんな初歩的なミスを見落とすなんてチェックが甘すぎると俺をなじり倒したのだ。だから今回は、俺は一切ノータッチを貫いた。彼女が拓海は一人でできると豪語したのだから、彼が一人で手柄を立てるチャンスを与えてやったまでだ。「見てないな」俺はあっさりと首を横に振った。凛花は眉をひそめた。彼女がヒステリーを起こす前に、俺は淡々と言い放った。「あれは瀬戸の担当案件であって、俺の管轄外だ。俺には口出しする権限もなければ、義理もないはずだぞ」「でも、あなたはアタシの夫じゃない!」「だから何だ?」俺は冷たく鼻で笑った。「夫だからといって、君の尻拭いをさせられ、罵倒され、君の気分次第で無視され、社内の連中が俺をコケにするのを君が黙認するのを、甘んじて受け入れろとでも言うのか?俺は夫として、今まで君のワガママをすべて受け入れてきた。夫としての務めは果たしてきたつもりだ。だが、君はどうだ?君は『妻』という肩書きにふさわしいことを、今までたった一つでもしたことがあるのか?」「してないわけないでしょ!」凛花は甲高い声で反論した。「他の男に色目を使い、そいつと結託して俺のプロジェクトを奪い取ったことか?」俺の態度は冷酷なまでに強硬だった。その口調にはありありと軽蔑が込められている。それは、以前の俺が決して見せることのなかった姿だ。凛花はその気迫に押されたのか、しばらくぽかんとし、反論する言葉すら見つからないように押し黙った。彼女は悔しげに唇を噛み、何かを言いかけては飲み込んだ。数分後、彼女はようやく表情を取り繕い、再び会社での社長としての威厳を盾にした。「そんな無駄話に付き合ってる暇はないわ。アタシが妻として失格かどうかはともかく、アタシはあなたのボスよ。プロジェクトは業務上のトラブルであり