もしも父の棺から、あの黒いものが這い出してこなかったなら、織田信長は衆人環視の中で抹香を投げつけるような真似をしなかっただろう。 少なくとも、後に本人はそう語った。しかし、その言葉を信じた者は多くない。尾張中から「大うつけ」と呼ばれていた若者が、父の葬儀で見せた振る舞いを正当化するため、もっともらしい怪異を作り上げたのだと笑う者もいた。 その日、萬松寺の本堂は、まだ春になり切らぬ冷気と、数え切れないほど焚かれた香の煙に包まれていた。 天文二十一年三月、尾張国内で強い勢力を築き、「尾張の虎」とまで呼ばれた織田備後守信秀が死んだ。享年四十二。流行り病による病死だと伝えられていたが、その死があまりに急だったため、毒を盛られたという者もいれば、長年争ってきた敵方の陰陽師に呪い殺されたのだと囁く者もいた。 本堂には織田一族だけでなく、家老、奉行、国人衆、商人、僧侶まで集まっていた。亡き信秀を悼むためという者もいれば、後継者を見定めるために来た者もいる。信秀という一頭の虎がいなくなった今、織田家が誰の手に渡るのか、それによって尾張の勢力図は大きく変わる。 参列者たちの視線は、姿を見せない嫡男ではなく、棺の近くに端然と座る弟の織田勘十郎信勝へ集まっていた。 信勝は兄より二つ年下ながら、礼法をよくわきまえ、穏やかな物腰を崩さない若者だった。深い悲しみを堪えるように伏せられた目も、背筋を伸ばして座る姿も、申し分のない当主の器に見える。少なくとも、腰に瓢箪や火打ち袋をぶら下げ、町の悪童どもと川で泳ぎ回る兄よりは、はるかに織田家の跡継ぎにふさわしい。 信勝の後ろには、母の土田御前が座っていた。喪の色に身を包み、目元を赤く腫らしているものの、その姿勢には織田家当主の妻として長年生きてきた女の気丈さが残っている。「兄上は、まだお越しにならぬのでしょうか」 信勝が声を落として尋ねると、近くに控えていた林佐渡守秀貞は、苦々しい表情で本堂の入り口へ目を向けた。「使いは何度も出しております。知らぬ場所におられるわけでもなく、那古野城にはお戻りになっているはずですが、御支度に手間取っているとのことでございます」「父上の葬儀よりも大切な支度が、兄上にはあるのですか」 信勝の言葉には露骨な悪意がなかった。それだけに、周囲の者たちは返答に困ったように視線を交わした。 土田御前は
Last Updated : 2026-08-30 Read more