All Chapters of 「通訳しかできない役立たず」と追放された俺、敵国の竜皇女に拾われて婚約者になりました : Chapter 41 - Chapter 50

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第41話 父さんに「帰れない」と伝えなければならない

第41話 父さんに「帰れない」と伝えなければならない「遥人、そこにいるのか」父の声が、四年分の距離を越えて届いた。耳で聞いただけなら、よく似た別人の声だと疑ったかもしれない。しかし、語尾をわずかに濁らせる話し方も、信じられないことを前にすると眉間を指で押さえる癖も、俺が知っている父そのものだった。「父さん」名前を呼んだ途端、それまで胸の奥へ押し込めていたものが一気に込み上げた。もっと落ち着いて話すつもりだった。心配をかけたことを謝り、自分が生きていると伝え、こちらで何があったのか順序立てて説明したかった。けれど、実際に口から出たのは、それだけだった。父さん。幼いころから何千回も呼んできた、ありふれた言葉だった。父は椅子を蹴るように立ち上がると、机へぶつかりながら亀裂の前まで歩いてきた。震える手が、二つの世界を隔てる銀色の膜へ触れる。俺も手を伸ばしたが、互いの掌が重なる直前で、冷たい光に遮られた。「本当に遥人なのか。おまえ、いままでどこにいたんだ。四年だぞ。警察にも行ったし、勤め先にも、友人にも、思いつく場所には全部連絡した。それでも誰も知らないと言うから、事故に巻き込まれたのか、それとも俺に何も言わずに消えたのか、毎日そんなことばかり考えていたんだぞ」「ごめん。何も言わずにいなくなったんじゃない。信じられないと思うけど、別の世界へ召喚されたんだ」「別の世界だろうが海の向こうだろうが、生きていたなら一度くらい連絡できただろう」父の声は怒っていた。再会できたことを喜び、涙を流しながら抱き合うような場面にはならなかった。四年間、何の手がかりもないまま待たされたのだから当然だ。事情を知らなかった父からすれば、俺は突然姿を消し、生きていることさえ伝えなかった親不孝な息子でしかない。「連絡する方法がなかった。俺だって、何度も帰ろうとしたんだ。でも、元の世界へつながる道が見つからなかった」「だったら、いま目の前にあるものは何だ。そこから帰ってこられるのか?」俺はすぐに答えられなかった。父の後
last updateLast Updated : 2026-10-19
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第42話 始祖竜を連れて帰ったら、皇帝まで跪いた

第42話 始祖竜を連れて帰ったら、皇帝まで跪いた「話し合ったあとで殴るという約束は、家庭内教育として正しいのか?」俺が恐る恐る尋ねると、リシアは右手に灯していた銀白の炎を消し、いかにも心外だという顔で眉を寄せた。「最初から殴るより、十分に話し合いを試みるだけ穏当でしょう。それに、お父様も止めなかったのですから、竜族と人間の双方から認められた方法だと解釈しています」「父さんは、できれば話し合いだけで解決してくれと言っていたと思うんだけどな」「できれば、という言葉には、できない場合も含まれます。ハルトが命を投げ出そうとしているとき、説得できるまで何時間も待っていたら手遅れになるでしょう。多少乱暴でも、まず止めてから続きを話すべきです」同意通訳によって言葉の意味が届くようになったのは嬉しいが、これまで表情から推測するしかなかったリシアの理屈が、想像していた以上に容赦のないものだったと判明してしまった。もっとも、聞こえなかったころも、俺の額を指で弾いたり、胸ぐらをつかんだり、実力行使に迷いがないことだけは十分に伝わっていたのだが。「兄さまは、すぐ自分を数に入れないから、それくらいでちょうどいいと思います」俺の腕へ抱きついたフィーネまで、リシアに味方した。「フィーネ、兄として一つだけ教えておく。意見が二対一になったからといって、多いほうが必ず正しいとは限らないんだ」「でも、兄さまと姉さまの意見が違うときは、だいたい姉さまのほうが正しいです」「誰がそんなことを教えたんだ」フィーネが視線を向けた先には、赤い髪へ積もった石の粉を払い落としているアレクシオがいた。「私ではない。だが、その点に限れば、少女の観察は正確だと思うぞ」「おまえまで加わるなよ」「世界が滅びかけている最中にも、自分だけ犠牲になろうとした男が、いまさら発言権の平等を主張するのか。厚かましいにもほどがある」アレクシオは鼻で笑ったが、俺とリシアが無事に戻ったことへ安堵しているのは隠し切れていなかった。以前の万象通訳なら、表面の言葉とは別に魂語が聞
last updateLast Updated : 2026-10-20
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第43話 世界を救った翌朝、俺たちは結婚を決めた

第43話 世界を救った翌朝、俺たちは結婚を決めた「世界から聖王と呼ばれるためではなく、私の隣で生きるために、私と結婚してくれますか」リシアの声は、始祖竜から分け与えられた新しい通訳の力を通して、まっすぐ俺の中へ届いた。聞き間違える余地はない。偽装婚約でも、竜帝国と人間諸国の関係を安定させるための政治的な婚姻でもなく、リシア・ヴァルドレイクという一人の女性が、如月遥人という一人の男へ結婚を申し込んでいる。ずっと望んでいたはずの言葉だった。それなのに、俺はすぐに返事ができなかった。広場へ集まった竜族の兵士たちが、固唾を呑んでこちらを見守っている。ロランや神崎だけでなく、母親であるガルディア、元婚約者候補のアレクシオ、始祖竜やフィーネまで、誰一人として目を逸らそうとしない。人前で返事をすることが恥ずかしいのではない。俺がここで結婚を受け入れれば、新聖王という名から逃れるためにリシアを選んだように見える。それが嫌だった。世界から与えられる役割を拒むため、別の役割へ逃げ込むのなら、結局は御厨と変わらない。自分が望んだのではなく、必要だったから選んだのだと言い訳する余地を残したまま、リシアの手を取ることになる。「ハルト」返事を待つリシアの指から、少しずつ力が抜けていった。俺が迷っている理由を、彼女は別の意味に受け取ったらしい。強い決意を宿していた瞳が揺らぎ、やがて自分から手を離そうとする。「申し訳ありません。いま、このような状況で尋ねるべきではありませんでした」「待ってくれ。断ろうとしてるわけじゃない」「それなら、なぜ黙っているのですか。結婚したいかどうかを尋ねられて、返事をするまでにこれほど考えなければならないのなら、それは少なくとも、迷わず望める答えではないのでしょう」リシアは冷静に話そうとしていたが、語尾がわずかに震えていた。魂語が聞こえなくてもわかる。傷つけた。俺は、答え方を慎重に考えることばかりに気を取られ、質問した側が沈黙をどう受け取るかまで考え
last updateLast Updated : 2026-10-21
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第44話 俺の偽物が「助けに来るな」と言った

第44話 俺の偽物が「助けに来るな」と言った布告文の末尾に描かれた、斜線入りの小さな円を見つめていると、言葉が誰にも通じなくなった夜の記憶が蘇った。円は同意を意味し、斜線を加えれば拒絶になる。言葉と本心が違うときには、文の最後へ壊れた円を描く。御厨に万象通訳を奪われた俺たちが、互いの意思を確かめるために作った、ひどく不格好で単純な印だった。その使い方を、カナタも知っている。『私は自らの意思により、新聖王の名を受け入れる』署名の上に並んだ言葉は、すべて嘘だ。カナタは俺の姿と記憶を利用して作られた存在だったが、最後には誰かの代用品として生きることを拒み、自分で選んだ名を持った。その彼が、御厨の代わりとなる聖王の座を望むはずがない。「戴冠式は、明日の正午だと言ったな」俺が確認すると、伝令の兵士は緊張した顔で頷いた。「はい。ただし、この布告が聖都から発送されたのは昨日の夜です。日付が変わっておりますので、正確には本日の正午となります」広場に設置された時鐘は、夜明けから一刻ほど過ぎたことを示していた。式まで残されているのは、五時間にも満たない。聖都までは、竜族の軍用飛竜を使っても半日はかかる。アレクシオやリシアが竜の姿になり、全速力で飛べば間に合う可能性はあるが、人を背負ったまま長距離を飛ぶことになる。途中で見つかれば、竜帝国による聖都襲撃と受け取られるだろう。「人間側の臨時連合は、この戴冠を認めているのか?」ロランは布告文に並んだ封蝋を調べながら、ゆっくりと首を横へ振った。「ここに押されているのは聖都議会と、聖都へ駐留する三つの騎士団の印だけです。各国の代表へ相談した形跡はありません。しかし、聖都は長年、人間諸国の信仰を束ねてきました。戴冠式を強行され、民衆が新聖王を認めてしまえば、国王たちも簡単には否定できなくなるでしょう」「本人の意思を無視した戴冠でもか」「民衆へ、その事実は伝えられません。布告だけを読めば、カナタ殿は自ら聖王になると申し出たように見えます。あなたと同じ姿を持ち、世界を救った者の記憶まで継いでいる
last updateLast Updated : 2026-10-22
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第45話 十万人を救うために、一人を聖王にはさせない

第45話 十万人を救うために、一人を聖王にはさせない「戴冠を止めれば、聖都にいる十万人が全員死ぬ」祭壇に拘束されたカナタの言葉が、斜線入りの円を通じて俺へ届いた。大聖堂の床を覆う巨大な術式は、心臓のような間隔で赤く脈打っている。光が強くなるたびに建物全体がわずかに沈み、天井から細かな石灰が落ちた。聖都中心部を支える浮遊術式が不安定になっているという御厨の推測は、間違っていないらしい。祭壇を囲む聖都議会の者たちは、揺れを恐れていなかった。自分たちだけは安全だと信じているのか、それとも十万人を人質にすればカナタが必ず折れると確信しているのか。どちらにしても、都市ごと谷底へ落ちる可能性を前にして、ずいぶん落ち着いていた。「カナタ、聞こえるか」俺は物陰に身を隠したまま、同意通訳の細い光へ意識を向けた。「聞こえてる。ただし、大声で話しかけないでくれ。聖冠が俺の意思を読み取ろうとしている。おまえとの道に気づかれたら、遮断されるかもしれない」カナタは祭壇の上で俯き、俺たちのいる扉を見ていない。それでも言葉の意味は途切れずに届いていた。「聖都が落ちるという話を、誰から聞いた」「聖都議会をまとめているセヴラン大司教だ。俺が聖王の名を受け入れなければ、正午に浮遊術式への供給を止めると言われた。嘘かもしれないと思ったけど、聖冠を通して都市の土台とつながれてから、あいつの言葉が本当だとわかった」「浮遊術式を切り離す方法は聞いていないのか?」「教えるわけがないだろう。それに、仮に方法があっても、俺を助けるために失敗して十万人を落としたら意味がない。ここへ来てくれたことは嬉しい。でも、俺はおまえたちへ帰ってほしい」カナタの声は落ち着いていた。自暴自棄になっているのではない。自分が何を失うのか理解したうえで、一人の名前と十万人の命を比べ、後者を選ぼうとしている。その選択を、俺が偽物だと決めつけることはできなかった。「カナタは、聖王になりたいのか」「なりたくない」返事に迷いはなかった。
last updateLast Updated : 2026-10-23
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第46話 「聖王ヴァレリウス」は、俺の名前じゃない

第46話 「聖王ヴァレリウス」は、俺の名前じゃない「我が名は、聖王ヴァレリウス」自分の口から流れた言葉が、大聖堂の天井へ反響した。参列者たちが一斉に頭を垂れ、聖都騎士は剣を胸へ当てる。セヴラン大司教は満足そうに両腕を広げ、聖王の帰還を祝福する祈りを唱え始めた。誰も、俺が望んで名乗ったのかを確かめようとしない。祭壇へ集められた信仰が、頭上の聖冠を通じて流れ込んでくる。額から入り込んだ冷たい力は、血管へ沿うように全身へ広がり、俺の記憶を一つずつ塗り替えようとしていた。日本で生まれ、父に名づけられた如月遥人。通訳しかできない役立たずとして、人間の国から追放された男。リシアと偽装婚約を結び、フィーネから兄と呼ばれ、ようやくこの世界にも帰る場所を作った俺。そうした記憶の上へ、俺が経験していない四百年分の歴史が重なっていく。病人へ薬を飲めと命じ、国王へ戦争をやめろと告げ、飢えた民へ穀物を分け与えた聖王。人々から感謝され、自分だけが正しい答えを持つと信じるようになり、やがて世界中から選択する権利を奪おうとした男。御厨統馬がヴァレリウスとして生きた記憶を、聖冠は俺の過去として受け入れさせようとしていた。俺は御厨ではない。そう考えたはずなのに、すぐに別の声が頭の中で囁く。同じ日本から来た人間で、同じように言葉を理解する力を与えられた。御厨が失敗したのは、力の使い方を誤ったからであり、俺ならば正しく使える。命令する相手を間違えず、善良な者を守り、悪人だけを従わせれば、世界は平和になる。今度こそ、誰も傷つかない答えを選べる。聖都を救える。戦争を止められる。父のいる日本へ帰る道さえ、もう一度開けるかもしれない。懐へ入れた実家の鍵が熱を持ったように感じられた。父さんへ会える。結婚するリシアを紹介し、フィーネも連れて日本の家へ帰れる。始祖竜の力だけでは開けないと言われた道も、聖冠へ集まる世界中の信仰を使えば、無理やり開けるかもしれない。そのた
last updateLast Updated : 2026-10-24
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第47話 世界を救っても、石は飛んでくる

第47話 世界を救っても、石は飛んでくる大聖堂の扉を押し開けた瞬間、冷たい夜気と一緒に、数え切れないほどの視線が流れ込んできた。広場を埋め尽くした人々の多くは、十二の聖灯へ自分の魔力を差し出した直後だった。立っているだけでも苦しいのだろう。家族の肩を借りている者や、その場へ座り込んでいる者が目立ち、治療師たちは転倒した人や混乱の中で負傷した人の間を走り回っている。煙と汗、砕けた石材の粉っぽい匂いが混じる中、十二の鐘だけが、何事もなかったかのように澄んだ音を響かせていた。都市は落ちなかった。広場にいる全員が、その事実を理解しているはずだった。それなのに、歓声は上がらなかった。俺たちの背後から御厨統馬が姿を現すと、群衆のあちこちで息を呑む音が重なった。御厨の両手には魔力を封じる枷がはめられ、左右をヴァルガンとロランに固められている。それでも、四百年間も聖王ヴァレリウスとして崇拝されてきた男の顔を見間違える者はいなかった。最初に膝をついたのは、白髪の老人だった。「聖王陛下……本当に、お戻りになられたのですか。私は、幼い頃から毎朝あなたへ祈りを捧げてまいりました。どうか、どうかもう一度、この国をお導きください」老人の声は震えていた。御厨が自分は聖王ではないと告白した事実よりも、目の前に信じ続けた顔があることのほうが、彼にとっては重いらしい。一人が膝をつくと、その隣にいた女も祈るように両手を組み、さらに数人が続いた。しかし別の場所からは、それをかき消すような怒声が飛んだ。「そいつの命令のせいで、俺の父親は異端者として処刑されたんだぞ!」「聖王なんかじゃない! 四百年も俺たちを騙していた化け物だ!」「大司教も同罪だ! 今すぐ二人とも首を落とせ!」感謝も憎しみも信仰も恐怖も、誰かが一声発するたびに別の方向へ膨らんでいく。皆が同じ都市を救おうと聖灯へ魔力を注いだばかりなのに、救われたあとに何を望むかまでは同じではなかった。そんな当たり前のことを、俺たちは何度も見落としてきた。危機が
last updateLast Updated : 2026-10-25
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第48話 婚約者と同じ屋根の下で暮らすことになった

第48話 婚約者と同じ屋根の下で暮らすことになった世界を救った翌々日、俺は婚約者の住まいへ引っ越した。そう説明すると、苦難を乗り越えた男女がようやく穏やかな暮らしを始めたように聞こえる。しかし実際には、俺の荷物は着替えが数着と、日本から持ってきた父さんの家の鍵、それにリシアたちから贈られた品が少しあるだけだった。身一つで異世界へ召喚され、一度は役立たずとして追放された男の引っ越しなど、荷造りよりも護衛と侍従の人数を調整するほうが時間がかかる。東の離宮は、始祖宮の本殿から渡り廊下でつながった三階建ての宮殿だった。白い石壁には蔦を模した銀細工が施され、庭には冬でも枯れない青い花が咲いている。屋敷というより、俺が元いた世界なら観光地として入場料を取れる規模だ。その玄関前に運び込まれた俺の小さな旅行鞄を見て、リシア付きの侍女たちは困った顔をしていた。「遥人様のお荷物は、本当にこちらですべてなのでしょうか」年長の侍女が遠慮がちに尋ねた。「全部です。剣も鎧も持っていませんし、服だって必要になったら用意してもらっていましたから」「書物や収集品、故郷からお持ちになった調度品などはございませんか」「故郷から持ってきたのは、着ていた服くらいですね。それも召喚された直後に破れました」正直に答えると、侍女たちは気の毒なものを見る顔になった。同情されるような話をしたつもりはない。物が少なければ掃除も楽だと考えていたくらいだが、皇女の婚約者として暮らす男の全財産が、侍女一人でも持ち運べる鞄へ収まっているのは問題らしい。「勝手に哀れむな」リシアが侍女たちへ釘を刺した。「遥人は所有物が少ないことを恥じていない。必要な物があれば、本人へ確認してから用意しろ。婚約者らしい服や装飾品を揃えるという名目で、本人が望まない物まで押しつけることは許さない」「承知いたしました」侍女たちは一斉に頭を下げたものの、どこか残念そうだった。新しい主人を着飾らせる機会を楽しみにしていたのかもしれない。「ただし、公式行事に必要な衣装は別だ」
last updateLast Updated : 2026-10-26
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第49話 俺を捨てた国が、「所有物を返せ」と言ってきた

第49話 俺を捨てた国が、「所有物を返せ」と言ってきた俺を役立たずとして追放した王国の使節団は、書状を送った翌朝には竜帝国の帝都へ到着していた。あまりにも早い。おそらく、書状が届いてから返答を待つつもりなど、最初からなかったのだろう。共同裁判へ参加する使節を名乗りながら、実際には俺の身柄を押さえることを最優先に行動していたらしい。東の離宮で朝食を終えた直後、皇帝直属の侍従から到着を知らされたリシアは、手にしていた茶器を静かに受け皿へ戻した。その動作だけを見れば落ち着いているが、尾の先が椅子の脚へ二度ぶつかったため、内心まで穏やかでないことは俺にもわかった。「予定より三日も早いではないか。国境で止めておけばよかったものを、なぜ帝都まで通した」「先方は、聖王都の共同裁判に関わる緊急資料を持参したと申しております。各国の使節を受け入れるよう遥人様から提案があった以上、正当な理由なく入国を拒めば、竜帝国が裁判を支配しようとしていると受け取られかねません」侍従の説明はもっともだった。俺の身柄を要求する書状を読んだからといって、相手を国境から追い返せば、開かれた裁判を行うという言葉まで疑われる。腹の立つ相手ほど、こちらが決めた原則を守らなければならないのだから、筋を通すというのは実に面倒な作業だった。「会います。ただし、俺とリシアだけで話すのは避けたほうがいい。向こうが何を言ったのか、あとで食い違わないよう記録官を同席させてください」俺が答えると、リシアは不満そうにこちらを見た。「なぜ、あなたが先方へ配慮するような言い方をする。食い違いを防ぐためではなく、相手があなたを所有物と呼んだ事実を、正式な記録として残すためだと言えばよい」「それを言ったら、会談が始まる前から喧嘩になるだろ」「すでに相手が喧嘩を売っている。私は値段を確認しているだけだ」「買うつもりになるな」「買うのではない。相手が二度と商売できないよう、店ごと潰す価値があるか確かめている」侍従は何も聞かなかった顔をしていたが、報告書には一言一句記される気がした。「
last updateLast Updated : 2026-10-27
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第50話 地下牢から、日本語で「助けて」と聞こえた

第50話 地下牢から、日本語で「助けて」と聞こえた十六年間、名前を呼ばれていない人がいる。若い書記官から渡された紙を読んで以来、その一文が頭から離れなかった。会談を終えて東の離宮へ戻ったあとも、婚礼用の衣装を仕立てるために寸法を測られている間も、夕食の席でフィーネが始祖竜へ食事の作法を教えているときも、俺の意識は王国の地下へ向かっていた。自分が閉じ込められていたわけでもないのに、石壁へ囲まれた暗い部屋の冷たさまで想像してしまう。俺が追放されたのは、この世界へ来てから間もない頃だった。右も左もわからないまま国境の外へ放り出され、食べ物も寝る場所もなく、何度も死を覚悟した。それでも、空だけは見えた。歩く方向も、立ち止まる場所も、自分で決められた。王国の地下にいる二人には、その自由さえなかったのかもしれない。夜が更けても眠れず、俺は寝台から起き上がった。荷物の少ない部屋は静かすぎて、暖炉の薪が崩れる音まで大きく聞こえる。旅行鞄から着替えと父さんの家の鍵を取り出し、腰へ下げる小袋に入れた。衣服を畳み直し、机の上に置かれていた帝都周辺の地図を広げる。王国までの正確な道程を確認しようとしたところで、部屋の扉が三度叩かれた。返事をするより早く、リシアが入ってきた。寝間着の上から薄い外套を羽織り、銀色の髪を肩へ流している。普段の彼女なら、訪室の許可を待たずに入ったことを気にするはずだが、今夜は俺の机に並べられた荷物を見た瞬間、そんな遠慮を捨てたらしい。「どこへ行くつもりだ」問いかけは短かったものの、静かな声の奥に抑えた怒りがあった。「まだ、どこへも行かない。王国までの道を確認していただけだ」「では、なぜ荷物をまとめている」「必要になったとき、すぐ動けるようにしておこうと思った」「必要かどうかを、誰が決める?」俺は答えに詰まった。昨日、二人で決めたばかりだ。相手に関係することを一人で決めない。危険なことを勝手にしない。そして、自分だけを損失として数えない。王国へ一
last updateLast Updated : 2026-10-28
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