ログイン「戦えない役立たず」と勇者一行を追放された異世界人・如月遥人。しかし、彼の技能「万象通訳」は、あらゆる種族の言葉だけでなく、魔法や呪いに込められた意味まで読み解く力だった。雪原で死を待つ遥人は、竜殺しの鎖に囚われた敵国の竜皇女リシアを救い、皇位継承争いを生き残るための偽装婚約を持ちかけられる。人間を信用しないと突き放す彼女だが、遥人にだけは「置いていかないで」という魂の声が聞こえていた。本音を言えない皇女と、自分の望みを語れない通訳。期限付きの同居生活はやがて本物の恋へ変わり、二人は世界から言葉を奪おうとする神々の陰謀に立ち向かう。
もっと見る「異世界人、如月遥人。王国軍監察官の権限により、貴様を勇者一行から除名し、国境砦から即刻追放する。罪状は古代条約の故意による誤訳、竜帝国との和平交渉の妨害、ならびに勇者の名誉を傷つける虚偽の申告だ」
王国軍監察官グレイヴ侯爵が読み上げた宣告は、窓の外で吹き荒れる風よりも冷たく、砦の会議室に集められた者たちの顔から、わずかに残っていた人間らしい表情まで奪っていった。
横長の机を挟んだ向こう側には、俺とともにこの世界へ召喚された勇者の神崎怜央が座り、その隣では聖女セナ・アルベルトが両手を固く組んでいる。壁際には騎士や神官が並んでいたが、俺と視線を合わせようとする者は一人もいなかった。
つい半日前まで、俺は彼らの仲間だった。
食料の配分について兵站部と揉めたときには、夜が明けるまで帳簿を確認した。魔物の群れが街道を塞いだときには、命懸けで相手の言葉を聞き、争わずに道を開けてもらった。古代遺跡では罠に刻まれた文字を読み、怜央が英雄らしく先頭を歩けるよう、彼の足が床へ触れるより先に危険を伝えてきた。
それでも、戦うことのできない俺は、最初から勇者一行の正式な仲間として数えられていなかったのかもしれない。
「確認させてください。俺が古代条約を故意に誤訳したという証拠は、どこにあるんですか」
椅子に座ることさえ許されていなかった俺は、立ったままグレイヴ侯爵へ尋ねた。
侯爵は机上の羊皮紙へ目を落としたが、それは文章を確認するためではなく、俺の顔を見ずに済む場所を探しただけなのだろう。彼は太い指で紙の端を押さえ、最初から用意していた答えを口にした。
「王国に仕える三名の古代語学者が、貴様の翻訳には重大な誤りがあると証言している。竜族が国境を越え、人間の村を襲ったという記録を否定し、逆に我が国が先に侵略したかのような解釈を示したそうだな。和平交渉の場でそのような妄言を口にすれば、王国の威信を損ない、兵士たちの犠牲を侮辱することになる」
「その三人は、石板のどの行を読んだんですか。条約の冒頭すら解読できず、俺の控えを覗こうとしていた人たちですよね。俺が読み上げた箇所には、始原暦八百十二年、人間王国が北の境界標を三里越えて砦を築いたと明記されていました。しかも、竜族が撤去を要求した記録まで残っていた。都合が悪いからといって、石に刻まれた文章まで書き換えるつもりですか」
グレイヴ侯爵の頬が引きつった。
この場で真実を確かめようとする者はいない。誰もが、何が書かれていたかを知っているからこそ、俺を追い出そうとしている。
「貴様には反省というものがないらしい。剣も振るえず、魔法も使えず、勇者一行の荷物に紛れてここまで来ただけの人間が、王国の歴史を否定するなど、身の程を知らぬにも限度がある」
「荷物に紛れていた人間に、交渉記録も、補給品の確認も、遺跡の解読も任せていたのは、どこの誰ですか」
「遥人、もうやめろ」
それまで黙っていた怜央が、低い声で俺の言葉を遮った。以前ならば、人の話を途中で止めた後には申し訳なさそうな顔をしていた男だが、今は勇者らしい銀色の鎧を着込み、疲れを押し隠すように眉間へ皺を寄せている。
「ここで侯爵と言い争っても、何も変わらない。おまえが納得できないのは分かるが、今は人間と竜族が戦争になるかどうかの瀬戸際なんだ。個人の正しさにこだわって、王国全体を危険にさらすわけにはいかない」
「個人の正しさにこだわっているんじゃない。どちらが先に条約を破ったのかという話をしているんだ。そこを嘘で塗り固めたまま和平交渉を続ければ、いずれ必ず破綻する。怜央、おまえだって、俺が石板を読んでいるところを隣で見ていただろう」
「俺に古代語は読めない。だから、おまえの翻訳が正しいかどうかを判断することもできない」
怜央は迷いを振り払うように言い切ったが、その右手は机の下で強く握られていた。本人は隠しているつもりなのだろうが、二年も一緒に旅をしていれば、その程度の癖には気づく。
「判断できないのなら、どうして俺の翻訳が間違っていると決めつけられるんだ」
「三人の専門家が誤訳だと証言しているからだ。それに、遥人、おまえは最近、俺たちに相談せず魔物と話をつけたり、遺跡の進路を勝手に変えたりしていただろう。結果として無事だったから問題にされなかっただけで、一歩間違えれば全員が死んでいたかもしれない。戦闘のできないおまえを守りながら進むのは、俺たちにとっても負担だったんだ」
「魔物と話をつけなければ、あの森で二百匹を相手に戦うことになっていた。遺跡の進路を変えなければ、おまえは呪いの祭壇へ聖剣を突き立てていた。あのとき、おまえは俺の判断に従って助かったはずだ」
「だからといって、これからも同じようにうまくいく保証はないだろう。俺は勇者として、全員の命を預かっている。おまえ一人を特別扱いし続けることはできない」
何を言われても我慢できるつもりだったが、その言葉だけは胸の奥に重く沈んだ。
特別扱いを受けていた記憶など、俺には一度もない。戦闘が終われば負傷者と魔獣の声を交互に聞き、夜になれば古文書と報告書を渡され、眠る時間を削って解読した。それでも、翌朝に少しでも出発が遅れれば、非戦闘員は気楽でよいと兵士たちに笑われた。
怜央自身が同じように笑ったことはない。しかし、止めてくれたこともなかった。
「特別扱い、か。便利な言葉だな。働かせるときは仲間だから当然で、俺が説明を求めたときだけ特別扱いになるのか」
「そうやって、すぐに話をややこしくするところも変わっていない。俺はおまえを敵にしたいわけじゃないんだ。王都へ戻れば、通訳として別の仕事を紹介することだってできる。今ここで罪を認め、古代条約の翻訳を訂正すると約束すれば、侯爵も追放までは求めないはずだ」
怜央は自分なりに俺を助けようとしているのだろう。そのつもりでなければ、こんなに苦しそうな顔はしない。
だからこそ、腹が立った。
「つまり、おまえが差し出しているのは救いじゃない。王国に都合のよい嘘をつき、今までどおり誰かの影に隠れて働く権利だ。そんなものを受け取ったら、俺はこの先、自分が読んだ言葉を一度も信じられなくなる」
「死ぬよりはましだろう。この砦の外がどんな場所か、おまえだって知っているはずだ」
「知っているから言っているんだ。脅されて翻訳を変えた人間の言葉を、今後誰が信じる。おまえが勇者であるために自分の剣を捨てられないのと同じで、俺にだって捨てられないものくらいある」
怜央は何かを言い返しかけたが、結局、固く唇を閉じた。
グレイヴ侯爵は俺たちのやり取りに飽きたらしく、椅子の背へ深く体を預けた。
「話は終わりだ。罪を認める意思がない以上、如月遥人を勇者一行から除名し、王国が与えた装備、金銭、身分証明書をすべて没収する。日没までに砦から退去させろ」
「日没までというのは、あまりにも……」
セナがようやく声を上げた。
しかし、グレイヴ侯爵に目を向けられた瞬間、彼女の肩が小さく揺れた。
「聖女セナ、貴殿には教会から、この者の能力を監督するよう命令が下されていたはずだ。その責任を問われたいのか」
「それは……違います。遥人は命令に背いたわけではありませんし、これまで私たちを何度も助けてくれました。せめて吹雪が収まるまで、砦の中に置いてあげることくらいはできるはずです」
「罪人へ同情するのは、聖女の慈悲かもしれぬ。しかし、間違った慈悲は多くの民を傷つける。貴殿は王国の聖女なのか、それとも一人の異世界人の友人なのか、よく考えて答えることだ」
それは質問の形をした脅迫だった。
セナがここで俺の友人だと答えれば、教会は彼女から聖女の地位を奪うだろう。病気の母親と幼い弟たちが教会の援助を受けて暮らしていることを、俺も知っている。彼女が何を選ぶかは、聞くまでもなかった。
それでも、ほんの少しだけ期待していた自分が、ひどく惨めに思えた。
「私は……王国の聖女です。でも、遥人が罪人だとは思っていません」
セナが絞り出した言葉に、グレイヴ侯爵は興味を失ったように鼻を鳴らした。
誰もが完全な悪人というわけではない。怜央は自分なりに仲間を守ろうとし、セナには家族がいて、グレイヴ侯爵にも王国の体面を守るという役目がある。全員に事情があり、俺一人がその事情の外へ押し出されるだけだ。
それを理解できてしまうからこそ、誰かを思いきり憎むことさえできなかった。
俺は腰に下げていた革袋を外し、机の上へ置いた。王国から支給された銀貨と身分証明書、遺跡で使っていた筆記具、簡易結界の護符が入っている。外套まで王国軍の支給品だと言われたが、吹雪の中へ薄着で追い出せば処刑と変わらないとセナが抗議し、古びた黒い外套だけは持っていくことを許された。
「最後に一つだけ、怜央に伝えておく。聖剣の柄に刻まれた三段目の文章は、祝福じゃない。俺が毎月、意味の流れを調整していたから、今までは問題が起きなかった。次の満月までに、信頼できる術師へ見せたほうがいい」
「追放されることが決まってから、今度は聖剣に問題があると言い出すのか。俺を脅しているつもりなら、逆効果だぞ」
「そう受け取るなら、それでもいい。伝えるべきことは伝えた」
怜央は俺の忠告を信じなかった。だが、それ以上説得する気力は残っていなかった。
会議室を出ると、二人の兵士が俺を砦の北門まで連行した。廊下ですれ違う者たちは事情を知らないのか、それとも既に罪人として伝えられているのか、誰も声をかけてこない。
重い扉が開かれた途端、白い粉雪が砦の中へ吹き込み、灯火が激しく揺らいだ。
「待って、遥人」
背後から走ってきたセナが、息を切らしながら俺の前へ回り込んだ。厚い聖女服の裾には雪がつき、いつも丁寧に整えられている金色の髪も乱れている。彼女は兵士たちを気にしながら、小さな布袋を差し出した。
「厨房でもらってきたパンと干し肉、それから火打ち石が入っているわ。お金は渡せなかったけれど、これなら王国の備品ではなく、私個人のものだから持っていける。お願いだから受け取って。あなたが私を許せないことは分かっているけれど、せめて生き延びてほしいの」
「許すも何も、セナには家族がいるだろう。教会へ逆らえない事情くらい、俺も知っている」
「そんなふうに理解したような言い方をしないで。あなたはいつもそうやって、相手の事情を先に考えて、自分が傷ついていないような顔をするけれど、本当は私のことを軽蔑しているのでしょう。助けてほしいときに助けなかった女だと、そう言って責めてくれたほうが、まだ楽だった」
「俺に責めてもらって、自分が傷ついた側になりたいのか」
思った以上に冷たい言葉が出た。
セナの顔が歪み、俺はすぐに後悔したが、一度口にした言葉はなかったことにはできない。
「ごめん。言いすぎた。でも、今の俺に、セナが少し楽になれるような言葉を選ぶ余裕はない。庇えないなら、それでいい。ただ、そんな顔をされると、追放される俺のほうが君を慰めなければならない気分になる」
「それでも、私は何もしなかった。怜央があなたの功績を自分のものとして報告していると知っていたのに、勇者一行が崩れるのが怖くて黙っていた。今回の翻訳だって、あなたが嘘をついていないことくらい分かっていたのに、侯爵へ逆らえなかった」
「なら、今度からは自分で選べばいい。俺に許されたからでも、責められたからでもなく、自分がどういう人間でいたいのかを考えて選んでくれ。俺だって、今回のことを全部忘れて、笑って許せるほど立派な人間じゃない」
セナは涙をこぼしながら、それでも布袋を下ろさなかった。
俺は少し迷った末に受け取った。こんな状況で意地を張って食料を捨てるほど、自分の命を軽く扱うつもりはない。
「ありがとう。パンは助かる」
「遥人、必ず生きて。あなたが生きていてくれなかったら、私はこの先、何を選んでも自分を許せなくなる」
「それはずいぶん重い頼みだな。だったら、せめて砦の兵士に、俺の背中を弓で射ないよう伝えておいてくれ。それだけでも、生き残る確率は少し上がる」
俺が冗談めかして言うと、セナは泣きながら、ほんの少しだけ笑った。
北門の外には、人間王国と竜帝国を隔てる白灰雪原が広がっていた。日没までにはまだ時間があるはずなのに、厚い雲に覆われた空は既に薄暗く、遠くに見える山々は吹雪の向こうへ霞んでいる。
門を抜けた俺の背後で、鉄の扉が鈍い音を立てて閉じた。
二年間、帰る場所だと思おうとしていた王国とのつながりが、その音とともに断ち切られたように感じられた。
手元に残されたものは、古びた外套、セナから受け取った食料、そして役立たずと呼ばれた「万象通訳」だけだった。剣を奪われたことは、さほど惜しくない。もともとまともに扱えなかったし、魔物が現れれば剣を持っていても結果は変わらない。
問題は、砦から最寄りの村まで歩いて二日かかることと、その途中に竜族の巡回路があることだった。人間の罪人として追い出され、竜族から見れば敵国の人間である俺には、どちらへ向かっても歓迎される理由がない。
「異世界へ召喚された人間の末路が、吹雪の中で凍死か。せめて最後に、もう少し英雄らしい役目を任せてほしかったな」
誰に聞かせるでもなく呟き、俺は雪を踏みしめた。
風は次第に強くなり、数歩先さえ見えなくなった。足の感覚が薄れ、息を吸うたびに肺の奥が痛む。それでも立ち止まれば、そのまま二度と動けなくなる気がして、岩壁に沿って進み続けた。
どれくらい歩いたのか分からなくなった頃、不意に耳の奥で、誰かの声がした。
『来るな……人間……近づけば、殺す……』
低く、鋭く、怒りに満ちた声だった。
周囲を見回しても、人影はない。吹雪の向こうにあるのは、雪に埋もれた岩と枯れ木ばかりだった。
聞き間違いだと思い、再び歩き出そうとした瞬間、先ほどとはまるで違う、震えるような声が重なった。
『怖い……助けて……まだ、死にたくない……』
俺の技能は、人間の耳に届く音だけを翻訳するものではない。言葉を持たない魔獣の感情や、魔道具に刻まれた命令、呪いに込められた憎悪まで、そこに「伝えようとする意味」が存在すれば声として拾い上げる。
吹雪をかき分け、声のする方向へ進むと、崩れた岩山の陰に巨大な影が見えた。
雪原へ横たわっていたのは、月光を閉じ込めたような美しい銀色の鱗を持つ、一頭の竜だった。その四肢と翼には黒い鎖が幾重にも巻きつき、鱗の隙間から流れた青い血が雪を染めている。
竜は俺を見つけると、苦痛に耐えながら首を持ち上げ、氷のような青銀の瞳で睨みつけた。
『それ以上、近づくな。人間などに、助けられるものか』
威厳に満ちた拒絶の声とともに、その魂の奥から、消え入りそうな本音が聞こえた。
『お願いだ。怖がらないで。私を、一人にしないでくれ』
人間に捨てられたばかりの俺は、敵国の竜を助けるため、黒い鎖へ向かって歩き始めた。
第56話 忘れていた名前を呼ぶと、少年は初めて泣いた「僕の名前は、ユエル。ユエル・ラナク」かすれた声は頼りなく揺れていたが、その言葉が誰へ向けられたものなのかは、はっきりと伝わってきた。始祖竜から借りた新しい通訳は、以前の万象通訳のように、本人が隠している心の奥まで勝手に拾い上げたりはしない。相手が言葉にし、自分の意思でこちらへ渡そうとした意味だけが届く。そのため、俺に聞こえたのは少年の名と、それを知ってほしいという切実な願いだけだった。聞き間違えてはいけないと思うほど、すぐには声が出なかった。フィーネも同じだったらしく、十三番目の記録を胸元に抱えたまま、少年をまっすぐ見つめている。彼女は以前なら勢いのまま名前を繰り返していただろうが、今回は唇を開きかけたところで思いとどまり、慎重に尋ねた。「ユエルって、呼んでもいい?」少年は一度だけ怯えたように肩を強張らせた。名前を口にしたことを後悔したのかもしれない。俺たちが喜んだせいで、次の言葉まで求められていると感じた可能性もある。名前を取り戻すという出来事は、見守る側にとっては感動的でも、本人にとっては、忘れさせられた痛みに自分から触れ直すことでもある。フィーネは返事を急かさなかった。記録を膝へ下ろすと、自分の両手を少年から見える場所へ置き、触れようともせずに待った。やがて、少年が小さく頷いた。「ユエル」フィーネが、今度は確かめるように呼んだ。少年の顔が歪んだ。声を上げて泣いたわけではなかった。何かに耐えようとして口を固く結び、目を何度もしばたたかせていたが、それでも涙は止まらず、痩せた頬を伝って寝台の上へ落ちていく。拭おうとした手まで震えているのを見て、フィーネは自分の袖を差し出しかけ、それから思い直して、枕元に置かれていた清潔な布を少年の近くへ置いた。「泣いてもいいよ。触ってほしかったら言って。言えなかったら、こうして」フィーネは自分の腕を広げ、抱き締めてもよいと伝える仕草をした。続いて首を横へ振り、嫌なら断ってよいというところまで、少し大げさなくらい丁寧に示す
第55話 四百年間隠された名簿に、「日本へ帰還成功」と書かれていた御厨統馬が隠した召喚記録を回収するため、俺たちは翌朝、聖王都へ向かった。始祖竜が目覚めたあと、竜帝国と聖王都の間には、緊急連絡用の転移路が設けられている。ただし、かつての万象宣命のように一方が勝手に道を開く仕組みではなく、両方の管理者が許可を出さなければ通れない。移動に時間がかからないのは便利だが、御厨を同行させるとなると話は別だった。両手には封印具、腰には逃亡防止の鎖が巻かれ、ヴァルガンとロランが左右を固めている。さらに前後を六人の竜騎士が守り、その外側を聖王都の衛兵が囲んでいた。世界を四百年間支配した男の護送としては厳重なのだろう。しかし本人は抵抗する様子もなく、転移路の前で身体を調べられている間、眠そうに欠伸をしていた。「君たちは、私が服の中へ何かを隠せると本気で考えているのかい。聖王の力も、始祖竜の核も失った五十過ぎの男だよ」「四百年以上生きた男が、今さら普通の五十代を名乗るな」ヴァルガンが封印具を確かめながら答えた。「それに貴様は、力がなくても言葉だけで人を動かす。口の中に命令術を隠していないかまで調べたいくらいだ」「それは難しいね。舌を抜くしかない」「必要なら検討する」「冗談が通じない男だな」「貴様の冗談で国が三つ滅びかけた記録がある。笑えると思うか?」御厨は肩をすくめ、それ以上は何も言わなかった。以前なら、相手の怒りを楽しむように言葉を重ねただろう。今は、自分が軽口を叩けば、それを聞かされる側へどのような感情を強いるのか、少しは考えるようになったらしい。だからといって、ヴァルガンの怒りが消えるわけではない。一度変わり始めた人間を評価することと、それまでの罪を忘れることは別だ。転移路を抜けると、聖王都の大聖堂前広場へ出た。都市が落下しかけた日の損傷は、まだあちこちに残っている。崩れた建物には仮設の柱が入り、石畳の亀裂を職人たちが修復していた。十二の聖灯は以前より光を弱めているが、市民が
第54話 すべての召喚を始めた男が、妹の名前を消していた共同裁判へ提出する証言書の準備より先に、俺とリシアは婚姻の意思を確認する百二十六項目の質問へ答えることになった。御厨統馬がすべての召喚制度へ関わっていたと名乗り出た以上、すぐに事情を聞くべきだと思ったのだが、礼部の官僚たちは譲らなかった。昨日、各国の使節を前に婚姻の自由意思を宣言したため、言葉どおり双方の意思を確認し、記録として残す必要が生じたらしい。俺は東の離宮の応接室へ、リシアは隣の書斎へ入れられ、それぞれ三人の官僚に囲まれた。机には質問書と筆記具、それに回答中の精神状態を測る魔道具まで並べられている。俺が嘘をつけば、透明な水晶が赤く光るという。昨日まで王国の精神支配を批判していたはずなのに、今日は結婚する気が本物か魔術で調べられるのだから、この世界の同意に対する感覚は、まだかなり複雑だった。「質問に答えたくない場合は、拒否できますか」俺が尋ねると、正面の官僚は真面目な顔で頷いた。「拒否された事実は記録されますが、それだけを理由に婚姻の意思がないとは判断いたしません。ただし、重要項目への回答を拒まれた場合は、理由を伺います」「理由を答えたくない場合は?」「理由の回答を拒否されたと記録します」「何を言っても記録されるんですね」「記録することが、我々の職務ですので」官僚には悪気がない。むしろ、昨日の王国のように、本人の意思を確認せず婚姻を無効とされないため、可能な限り丁寧に証拠を残そうとしているのだろう。それでも、質問を始めて三十分もしないうちに、俺は召喚院長ベルトランと話していたときとは別の種類の疲労を感じ始めた。「婚姻後、リシア殿下から公務への参加を求められた場合、拒否できますか」「理由を説明して相談はしますが、拒否できると思います」「殿下が感情的になり、尾で床を叩いてもですか」「それは婚姻意思の確認に必要な質問なんですか?」「殿下が不機嫌な際に見せる威圧行動について、恐怖による服従が生じていないかを確認しております」
第53話 婚姻無効を要求されたので、彼女が世界へ婚約宣言した俺たちの婚礼を無効と見なす。王国から届いた二通目の書状は、翌朝には七十六枚の写しとなって、始祖宮の会議室に積み上げられていた。一通あれば内容は読めるはずだが、外務官、司法官、皇族、共同裁判の準備委員会、各国使節への説明担当、婚礼を取り仕切る礼部まで、それぞれが原本と同じ物を要求した結果らしい。人間を所有物として扱う王国の主張へ腹を立てる前に、紙の消費量へ不安を覚えてしまう。もっとも、机の向こうに座るリシアは、紙の心配などしていなかった。「返答文が完成した。確認してくれ」渡された紙束は、王国からの書状より明らかに厚かった。一枚目は外交文書らしく整っている。しかし読み進めるうちに、召喚者を資産として扱う王国法の矛盾、契約原簿の不備、俺を追放したあとで所有権を主張する論理の破綻、精神支配術の違法使用、佐伯美波さんたちへの長期監禁、証拠隠滅未遂が、一つずつ逃げ場のない形で並べられていた。最後には、俺とリシアの婚姻へ異議を唱える法的根拠が存在しないことを、過去二百年分の国際婚姻協定まで引用して証明してある。文章そのものは冷静だった。ただし、冷静すぎるせいで、書いた本人が怒っていることが余計によく伝わってくる。刃物へ丁寧に油を塗り、一番痛い場所へ順番に突き刺していくような返答だった。「全部で何枚あるんだ?」「三十二枚だ。必要な論点を整理しただけで、特別長くはない」「この世界の外交官は、相手が最後まで読むことを前提にしすぎじゃないか?」「読まなければ、読まなかった側の責任だ」「十枚目あたりで、読む側が自分の人生を振り返り始めそうだけどな」リシアは俺から紙束を取り戻し、不満そうに頁をめくった。「削るべき箇所があるなら言え。感情だけで書いたつもりはない」「内容は間違ってない。ただ、俺たちの結婚の話と、佐伯さんたちの監禁を一つの返答へまとめないほうがいいと思う」「なぜだ。どちらも王国が人間を所有物として扱っていることから生