第51話 十六年ぶりに、彼女の名前を呼んだ佐伯美波さんの声を記録した結晶から光が消えたあとも、執務室にいる誰もすぐには口を開かなかった。今夜中に記憶を消される。その事実がわかった以上、各国の同意を待ち、正式な調査団を組織している時間はない。しかし急いで軍を動かせば、救出されるはずの二人が王国にとって都合のいい人質へ変わる。助けるための正しさが、助けたい相手を危険にさらすこともある。焦っているときほど、それを忘れてはいけなかった。「記憶消去の処置は、何時に始まりますか」俺が尋ねると、負傷した書記官ノアは治療師に腕の傷を洗われながら答えた。「日付が変わる頃です。地下第七封鎖区には通常の階段以外に、召喚院長と一部の研究官しか使えない転移路があります。移送先を知られないよう、囚人の記憶を消した直後、その転移路から連れ出すはずです」窓の外は、まだ昼を少し過ぎた頃だった。残された時間は半日もない。「牢へ入る方法は?」「地上の召喚院から地下へ下りる場合、三つの検問を通らなければなりません。私の通行証で二つ目までは進めますが、最後の扉には召喚院長の血か、登録された召喚体の魂紋が必要です」ノアの目が、俺へ向いた。俺なら最後の扉を開けられる可能性がある。王国にとって俺が第七召喚体である限り、地下牢へ入る鍵としても使えるらしい。「結局、遥人を連れていく必要があるということか」リシアの声が低くなった。「私の血で扉を壊せないのか?」「扉そのものを破壊すれば、地下区画が封鎖されます。通路へ毒が流れ、囚人の生命を維持している術式も停止する仕組みです」「囚人を奪われるくらいなら殺す構造か。実に周到だな」アレクシオが吐き捨てるように言った。ノアは唇を噛み、頭を下げた。「申し開きの余地はありません。私は召喚院の記録官として、三年間そこで働いていました。直接、処置へ関わったことはありませんが、地下に人がいると知りながら、何もしなかった」
Last Updated : 2026-10-29 Read more