第11話 愛さないための契約「俺の婚約者へ剣を向けたな、王太子」ケイルの低い声が鏡の間へ響いた瞬間、広間を飾るすべての鏡に、牙を剥いた黒竜の姿が映し出された。それは実体ではなかったが、幻と呼ぶにはあまりにも生々しい。鏡のなかの竜は、怒りに燃える金色の目でルシアンを睨み、巨大な翼でエララを包み込むように広げていた。大理石の床を這う黒い炎が、抜き放された剣の切っ先へ触れる。鋼が赤く染まり、甲高い音を立てて溶け始めた。ルシアンは驚いて手を放した。剣が床へ落ちるより早く、ケイルは片足で柄を踏みつける。黒い炎は剣身だけを灰に変え、床にも絨毯にも傷ひとつ残さなかった。力の差を見せつけるために、広間を焼く必要さえないのだ。「剣を抜いた理由を聞こう。俺を殺すためか、それとも、自分の意思で婚約を選んだ女を斬るためか」「どちらでもない。エララを保護するためだ」ルシアンは震える右手を握りしめながら答えた。「黒竜皇に脅され、正常な判断ができなくなっている。反逆の疑いもある以上、王太子として彼女の身柄を拘束し、神殿で事情を確かめる必要がある」「神殿へ送ると言えば、女へ剣を向けても保護になるらしい。便利な国だな」「我が国の法に口を出すな!」「ならば、その法を読み上げろ。成人した貴族の女が、王家の承認なしに外国人と婚約してはならないという条文と、違反した者へ王太子が自ら剣を向けてよいという条文だ。今ここで示せるなら聞いてやる」ルシアンの顔が強張った。そのような条文は存在しない。貴族の婚姻には家や王家の承認が慣例として求められるが、それは領地や爵位の継承、家同士の利益を調整するための制度であって、王太子が気に入らない婚姻を剣で止めてよいという意味ではなかった。「私は王太子だ。法の解釈について、お前に指図される筋合いはない」「法を知らない者ほど、身分を名乗りた
Last Updated : 2026-09-21 Read more