All Chapters of 運命の王太子に捨てられたので、呪われた竜皇の花嫁になります ~死に戻り聖女は偽りの番を拒み、世界最強の夫に溺愛される~: Chapter 21 - Chapter 30

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第二十一話 怪物に触れる許可

第二十一話 怪物に触れる許可「――エルアリア」 黒竜の口からこぼれた名が、地下牢の岩壁へ低く響いた。 聞き覚えのない名だった。けれど、胸に現れた金色の誓紋は、自分が呼ばれたことを疑う余地もないほど強く脈打っている。 エララは黒鉄の扉を背にしたまま、鎖につながれた竜を見つめた。「今、私を何と呼んだのですか」「エルアリア」「それは誰の名前です」「お前だ」 ケイルの声は、人の言葉を無理やり竜の喉から押し出したように低く歪んでいた。それでも彼の意思は残っている。意味のない唸りではなく、エララへ伝えようとして発せられた言葉だった。「私の名は、エララです。婚礼では、母から与えられた名も含めて、エララ・ルーナ・ヴェイルと申し上げました」「知っている」「では、エルアリアという名を、どこで知ったのですか。母の指輪に刻まれていたのでしょうか。それとも、竜族の記録に残っているのですか」「知らない」「知らないのに、私の名だと分かるのですか」「お前の血が、そう呼べと言った」 黒竜がわずかに頭を動かす。太い首へつながれた鎖が床を擦り、耳を塞ぎたくなるような金属音が響いた。 エララの身体は反射的に強張った。黒い鱗に覆われた竜は、立ち上がれば天井へ背が届くほど巨大で、前脚の爪だけでも人間の腕より長い。牙の隙間から漏れる炎が床の石を赤く焼き、呼吸をするたび、熱と血の匂いが押し寄せてくる。 怖くないはずがなかった。 婚礼で話したように、彼の中にケイルがいることは理解している。それでも、自分を一口で噛み砕ける生き物を前にして平然としていられるほど、人の本能は聞き分けがよくない。「震えている」 黒竜が言った。「はい。怖いので」「ならば、出ていけ」
last updateLast Updated : 2026-10-01
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第二十二話 朝、竜皇の腕の中で

第二十二話 朝、竜皇の腕の中で 黒い爪の先は、エララの喉元から指一本ほどの距離で止まっていた。 少しでも前へ動けば柔らかな皮膚を裂く。その事実を理解した身体が、頭で考えるより先に震え始める。呼吸をするたびに喉が爪先へ近づくような錯覚に陥り、エララは息を殺した。 黒竜の金色の瞳には、獲物を求める飢えと、決して傷つけまいとするケイルの意思が同時に浮かんでいる。 巨大な前脚は激しく震えていた。 止まっているのではない。ケイルが、自らの爪を必死に押しとどめているのだ。「ケイル」 エララは声を荒らげず、名前を呼んだ。 黒竜の喉から、苦しげなうなりが漏れる。牙の隙間に黒炎が集まり、熱い息がエララの髪を揺らした。「聞こえていますか。あなたは、私を傷つけていません」「逃げろ」 竜の声が、岩壁を震わせる。「右の鎖が切れました。約束どおり逃げますから、爪を引いてください。このままでは、私が動いた瞬間に触れてしまいます」「動くな。今、引く」「はい。待ちます」 エララは両手を見える位置に置き、足にも力を入れなかった。 下手に後退すれば、黒竜の狩猟本能を刺激する可能性がある。怖いからこそ、自分の判断で急に動くのではなく、言葉を交わす必要があった。 黒竜の爪が、ほんのわずかに後ろへ下がる。 その動きに抵抗するように、ケイルの胸から伸びる黒い糸が強く引き絞られた。黒竜の前脚が再びエララへ近づき、爪先が喉へ触れかける。 金色の誓紋が熱を放った。「私はここにいます。あなたを置いて、勝手には動きません」「逃げると言っただろう」「爪が離れたら逃げます。今動けば危険です」「俺は、もう止められない」「今も止めています」
last updateLast Updated : 2026-10-02
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第二十三話 皇太后の試験

第二十三話 皇太后の試験 金色の炎は、小食堂に置かれたすべての燭台を一斉に包んだ。 炎は高く燃えているにもかかわらず、蝋燭を溶かすことも、近くにある布を焦がすこともない。夜明けを迎えた室内が、もう一度朝日を招き入れたように明るくなる。 エララとケイルの胸に刻まれた誓紋は、同じ速さで脈打っていた。 互いの心臓まで一つになったような感覚に、エララは思わず胸元を押さえる。痛みはない。けれど、自分の内側へ他人の鼓動が存在するというのは、安心と不安を同時に呼び起こす、ひどく奇妙なものだった。「ケイル、何か感じますか」「お前の鼓動が、先ほどよりはっきり聞こえる。それと、腹が減っていることも伝わる」「そのようなことまで分かるのですか」「自分の空腹ではない感覚が混じっている。お前のものだろう」「先ほどから食べています。あなたの空腹ではありませんか」「俺は食欲がない」「身体の状態と気持ちは、同じとは限りません。食べたくないと思っていても、身体は栄養を求めているのでしょう」「お前は、誓紋の調査まで食事へ結びつけるのか」「今のあなたには、難しい魔法の研究より朝食のほうが必要だからです」 エララは粥へ浸した黒麦のパンを、改めてケイルの皿へ置いた。 先ほどまで二人をからかっていたルマは、金色の炎を見回しながら目を輝かせている。小さな指を炎へ近づけようとしたため、イゾルデが素早く手首をつかんだ。「触ってはなりません。熱がないように見えても、何が起きるか分からないのです」 ルマは不満そうに頬を膨らませた。「確認したい気持ちは分かりますが、指で触れなくても調べる方法はあります。紙を近づけて、燃えるか確かめてみましょうか」 エララが尋ねると、ルマは機嫌を直し、何度もうなずいた。 リナが厚手の紙を一枚、最も小さな炎
last updateLast Updated : 2026-10-03
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第二十五話 皇后が穀倉を開く日

第二十五話 皇后が穀倉を開く日 ダルトンの指が皇太后イゾルデを指したまま、誰も言葉を発しなかった。 蝋燭の火が揺れ、長卓に積み上げられた帳簿の影が壁を這う。窓の外では風が尖塔を鳴らしていたが、その音さえ議場の静寂を恐れて遠慮しているように思えた。 ケイルは母を見ていた。 皇帝として疑惑を向けているのか、それとも息子として否定を待っているのか、横顔からは読み取れない。けれど、杖を握る手には血管が浮き、指先が白くなるほど力がこもっていた。「母上、何か言うことは」 ようやく発した声は冷静だった。しかし、その冷静さを保つためにどれほど感情を押し殺しているのか、隣に座るエララには分かった。 イゾルデはダルトンから目を逸らさなかった。「私が命じた覚えはありません、と申し上げれば、あなたは満足しますか」「満足するかどうかを聞いているのではない」「ならば、答えは簡単です。私は冬の備蓄を盗むよう命じておりませんし、ダルトンと西塔で会ったこともありません。ただし、私の印が使われている以上、知らぬ存ぜぬで自室へ戻るつもりもありません。私の私室、執務室、印璽保管庫を調べなさい。侍女も書記官も、必要なら全員拘束して構いません」 ローデンが椅子から腰を浮かせた。「皇太后陛下、潔白を主張なさるのですか」「今、そう申し上げたつもりですが、赤角竜家の当主は長い言葉でなければ理解できませんか。それとも、あなたは家令の証言一つで私を処刑台へ送りたいのかしら」「私は、自分の家令に裏切られたばかりです。もはや誰の言葉も信じる気にはなれません」「それは結構。領主としては、今までより幾分ましになったでしょう」 刺すような皮肉に、ローデンは顔を強張らせた。普段なら反論したに違いないが、今夜の彼には、忠臣だと信じていた男の罪を見抜けなかった痛みがある。怒りを返す気力さえ残っていないらしく、重い息を吐いて椅子へ座り直した。
last updateLast Updated : 2026-10-04
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第二十六話 守られるだけの妻ではない

第二十六話 守られるだけの妻ではない 紫色の煙の向こうで、銀の刃が振り上げられた。 エララは考えるより先に踏み込んでいた。ルーマを抱える女との距離は、わずか三歩だったが、人の命が失われるには十分すぎるほど遠い。護衛たちは人質を傷つけることを恐れて剣を振れず、ケイルもまた、黒炎を放てばルーマまで巻き込むため動けない。 刃が少女の首へ落ちるより先に止められるのは、自分しかいなかった。「私と契約しなさい!」 エララの声に応じて、胸の奥にある聖女の力が一気に目覚めた。伸ばした右手の甲で金色の契約印が輝き、そこから生まれた細い光の糸が、紫煙の中を駆け抜けて女の手首へ絡みつく。 女が目を見開いた。「何をしたの!」「あなたは、ルーマを殺せば依頼人から家族を返してもらえると約束されたのでしょう。けれど、その約束は偽物です。あなたの家族は最初から返すつもりなどなく、今もどこかに捕らえられている」「黙れ!」「黙りません。私には、あなたを縛っている偽りが見えます。もし私の言葉が間違っていると思うなら、ここで誓ってください。ルーマを解放し、私たちの調査に協力する。その代わり、私はあなたの家族を捜し、必ず生きて連れ戻します」 女の顔が苦痛に歪んだ。ルーマの喉へ押し当てた刃は震えているものの、まだ離れない。「あなたの言葉を、どうして信じられるのです。皇族は私たちを道具としか見ていない。あの人たちは、娘を助けてほしければ皇女を殺せと言った。失敗すれば、娘の指を一本ずつ切り落として送ると……」「だからこそ、ルーマを殺してはいけません。あなたが命令に従えば、彼らは次も同じ方法を使います。今回だけで終わると思わせていること自体が、あなたを支配するための嘘なのです」「分かったようなことを言わないで! あなたには、子供を奪われた母親の気持ちなど分からないでしょう!」「分かりません。分かるふりをすれば、それこそ
last updateLast Updated : 2026-10-05
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第二十七話 返送された離縁状

第二十七話 返送された離縁状 銀盆に載せられた白い封筒は、かつての婚約者から届いたものとは思えないほど冷たく見えた。 表には、『我が婚約者エララへ』と記されている。何年も見慣れていたルシアンの筆跡だった。文字の形は昔と変わらないのに、そこに込められた意味だけが、今ではまるで違って感じられる。 我が婚約者。 エララが自ら婚約を拒絶し、古い誓約を断ち切ってからも、ルシアンは彼女を自分のものとして扱っている。竜皇ケイルと正式な契約を結び、ノクサール帝国の皇妃となった事実さえ、彼にとっては一時的な反抗にすぎないらしい。「開封なさいますか」 書記官が尋ねた。 エララはすぐに答えられなかった。封筒の右下に押された王太子の印は本物であり、その周囲には肉眼では見えない黒い糸が細かく絡みついている。文面を読む前から、偽りと責任転嫁が詰め込まれていることだけは分かった。「危険な術式が仕込まれている可能性は?」「魔術師が確認いたしましたが、呪いや毒は検出されておりません。ただ、ルーナ王国の外交使節は、皇妃殿下御本人へ渡すまでは中身を開くなと強く要求しております」「陛下は、この手紙が届いたことをご存じですか」「はい。先ほど報告いたしました」 エララが窓の外へ目を向けると、正門前ではケイルが民へ向かって頭を下げていた。自らの過ちを認め、妻に対する命令を撤回する彼の姿を見ながら、元婚約者から届いた親書を開くという状況は、あまりに皮肉だった。「ここへ置いてください。読むかどうかは、少し考えます」 書記官は銀盆を窓辺の卓へ置き、深く一礼して退室した。 扉が閉まったあとも、エララは封筒へ近づかなかった。 リナは薬草茶を用意しながら、何でもないことのように尋ねた。「燃やしましょうか」「まだ読んでもいないのに?」「だからこそです。読む前なら
last updateLast Updated : 2026-10-06
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第二十八話 嫉妬深い竜の質問

第二十八話 嫉妬深い竜の質問 肖像画の裏から浮かび上がった王妃セラフィーナの救援要請は、月光が雲に遮られると同時に消えた。 銀色の文字が見えなくなったあとも、エララには王妃の切迫した声が聞こえているような気がした。ルーナ王宮は教会の手へ落ち、王も王太子も人工の番印によって判断を歪められている。かつて王妃がどこまで真相を把握し、誰を信じて準備を進めていたのかは分からないが、教会の監視をかいくぐって暗号を残した以上、危険が迫っていたことだけは間違いなかった。 エララは肖像画を胸元から離すと、月明かりの残る卓へ慎重に置いた。「この暗号が書かれたのは、十年以上前です。当時から王妃陛下は、教会が王家を操っていると気づいていたのでしょうか」「暗号そのものは、最近書き加えられた可能性もある」 ケイルは肖像画の裏板を調べながら答えた。表面の木は年月を経て黒ずんでいるが、裏紙の一部だけは接着剤の色がわずかに新しい。「古い肖像画を隠し場所に選び、君が婚約を拒絶したあとで文章を追加したのかもしれない。そうでなければ、『この絵があなたのもとへ戻されたとき』などという書き方はしないだろう」「王妃陛下が自分で封筒へ入れたと思いますか」「その可能性は低い。使者を自由に動かせるなら、もっと分かりやすい方法で助けを求められたはずだ。王妃はルシアンがこの絵を君へ送ると予想し、先回りして暗号を隠したのだろう」 ケイルはそう分析しながらも、肖像画の表へは視線を向けようとしなかった。少年時代のルシアンが幼いエララの肩を抱いている構図を、意識して避けているのが分かる。 リナは二人の間に流れる微妙な空気へ気づいたらしく、肖像画の上へ布をかけた。「大切な証拠ですので、傷がつかないよう包んでおきます。決して、陛下が御覧になるたびに不機嫌なお顔をなさるからではございません」「私は不機嫌な顔などしていない」「左の眉が普段より上がっております」「生まれ
last updateLast Updated : 2026-10-07
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第二十九話 帰らないという選択

第二十九話 帰らないという選択「している。自分でも呆れるほど、ひどく嫉妬している」 逃げ道を塞がれた末の告白だったからか、ケイルの声には甘さよりも苦さが滲んでいた。彼はエララから目を逸らさずにいたが、その姿は返事を求めているというより、自分の醜い感情を差し出し、拒まれる覚悟をしているように見えた。 エララは胸の奥が温かくなるのを感じたものの、すぐに喜びを口にすることはできなかった。嫉妬されて嬉しいと言えば、彼が苦しんでいることを面白がっているように聞こえる。それでも、自分を失いたくないと願う人がいる事実は、長く誰かの役に立つことでしか居場所を得られなかった彼女にとって、簡単に受け流せるものではなかった。「正直に話してくださって、ありがとうございます」「礼を言われるような感情ではない。ルシアンの名を聞くだけで腹が立ち、あの肖像画を燃やしたいと思った。王妃の暗号がなければ、額縁ごと暖炉へ入れていたかもしれない」「そこまで嫌でしたか」「嫌だった。幼い頃の絵だと分かっていても、あの男が君の肩へ腕を回している。それを君が懐かしそうに見ていると、私の知らない時間を見せつけられているようで、どうにも落ち着かなかった」「私は、懐かしいとは思いました」 ケイルの眉がわずかに寄ったが、エララは言葉を取り繕わなかった。「同時に、苦しいとも思いました。あの頃の私は、ルシアンの隣で微笑むことが自分の幸せだと信じていましたから。絵の中の自分を見ていると、その子へ何を教えてあげればよかったのだろうと考えてしまうのです。もっと早く逃げなさいと言うべきだったのか、それとも、あなたが信じた気持ちまで恥じなくてよいと伝えるべきだったのか、自分でも分かりません」「両方でよいのではないか」「両方ですか」「信じたことは恥ではないが、傷つけられ続ける必要もない。幼い君が間違っていたのではなく、その信頼を利用した者が間違っていた。私なら、そう言う」 エララはしばらくケ
last updateLast Updated : 2026-10-08
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第三十話 偽聖女の引き渡し

第三十話 偽聖女の引き渡し 炎の中に浮かび上がった銀色の目は、エララとケイルを見比べるように何度か動いたあと、縦長の瞳孔を細めた。 生き物のような動きではあったが、そこに人間らしい感情はない。ただ対象を確認し、記録し、遠く離れた誰かへ伝えるための冷たい視線だけがあった。離縁状へ仕込まれた月眼は、文書が燃やされる瞬間に発動するよう作られていたのだろう。つまり教会は、エララが帰国命令を受け入れず、ルシアンとの関係を拒む可能性まで予想していたことになる。 ケイルがエララを背後へ庇い、右手に黒炎を集めた。「その目を閉じろ。誰が見ているか知らないが、これ以上、私の宮殿を覗かせるつもりはない」「待ってください。壊す前に、つながっている先を確かめます」「危険だ。あれが監視だけの術式とは限らない」「だからこそ調べる必要があります。陛下の炎で焼けば、向こう側とのつながりまで消えてしまいます」 ケイルは納得していない顔をしたものの、黒炎を消した。昨夜までなら危険を理由にエララを遠ざけたかもしれないが、今は彼女の判断を尊重しようとしている。それでも、いつでも引き寄せられるよう腰へ回した腕は離さなかった。 エララはその腕に守られたまま、月眼へ意識を集中した。 銀色の瞳から伸びる糸は、黒でも金でもなかった。冷たい白銀の糸が幾重にも重なり、北宮の屋根を越えて南へ続いている。相手が結んだ契約の性質を読み取ろうとすると、頭の奥へ針を差し込まれたような痛みが走った。「これは、個人と結ばれた術ではありません。月教会の祭壇そのものへつながっています」「切れるか」「試してみます。ただ、普通の契約とは違います。術を使った者が責任を負うのではなく、歴代の聖女たちが神へ捧げた誓いを土台にしているようです。私が強引に切れば、どこかで別の聖女が傷つくかもしれません」「死者の誓いまで利用して、君を監視しているのか」「死者だけではありません。おそらく
last updateLast Updated : 2026-10-09
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第三十一話 月神の奇跡を見せよ

第三十一話 月神の奇跡を見せよ ケイルの宣言が黒曜宮の大広間へ響き渡ったあと、月教会の使節団は言葉を失ったまま立ち尽くしていた。 歴代皇后が戴冠式と宣戦の儀でのみ身につけてきた黒金の外套を、ケイルは評議会の決議も戴冠の儀式も経ず、エララの肩へ掛けたのである。それは単なる愛情表現ではなく、彼女への攻撃を皇室と帝国への攻撃として扱うという、政治的な宣言でもあった。 集まった民衆の間から歓声が上がる一方、貴族席では困惑を隠せない者も多かった。セヴラン司教は驚きを押し殺すように目を伏せたあと、再び穏やかな笑みを作った。「陛下が一人の女性をどれほど大切になさっているかは、よく分かりました。しかし、皇后の外套を掛けたところで、神の裁きから逃れられるわけではございません」「逃げると言った覚えはありません」 エララは重い外套の前を整えながら答えた。「私は七日後の公開審問へ出席します。ただし、先ほど申し上げた条件を書面に記し、教会と帝国双方の立会人が署名してください。あとから審問の内容や判定条件を変えることは認めません」「真の聖女であれば、どのような試練にも耐えられるはずです。条件を細かく決める必要などないのではありませんか」「判定する者が教会であり、告発した者も教会なのですから、必要です。教会の望んだ結果が出るまで試練を加え続けることを、公平な審問とは呼びません」「神の代理人を疑うのですか」「人間である以上、間違える可能性はあります。私も、あなたも、大司教も同じです。それとも、月教会の聖職者は、一度も判断を誤らないと神へ誓えるのですか」 セヴランは答えなかった。 誓約を見る力を持つエララの前で、不用意に誓う危険を知っているのだろう。彼は数秒の沈黙を置いたあと、祭服の袖を整えた。「三日以内に条件をお届けすると、すでにお約束いたしました。今日のところは、これ以上お話しすることもございません。七日後、神の光が真実を明らかにするでしょう」
last updateLast Updated : 2026-10-10
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