All Chapters of アルファの傷深き癒やし手: Chapter 11 - Chapter 20

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第11章: 崩壊

私は、前者の選択を取るのが賢明だと判断した。金属の数インチ手前で凍りついていた私の手が動いた。思考が追いつき、止まれと悲鳴を上げるよりも早く、指先が取っ手を回していた。絨毯を撫でる柔らかな木の擦れ音とともに連結扉が開き、私は足を踏み入れた。アルファ・ディミトリは、上半身を露わにしていた。彼は部屋の中央付近に立ち、片手で頑丈な木製のベッドの支柱を固く握りしめ、もう一方の手を自らの胸元に強く押し当てていた。息を吸うたびに両肩が強張り、呼吸すること自体が激痛であるかのように背中の筋肉が硬直している。背骨に沿って汗が鈍い光を放ち、短く乱れた胸の上下動の一つひとつが、凄絶な戦いそのもののように響いた。集中に細められた深い森の緑の瞳。だがその鮮やかな色彩は、かえって彼の青ざめた顔立ちを痛々しいほど際立たせていた。他のすべてが、一瞬で消し飛んだ。処刑の脅迫も、別のアルファの檻に囚われている現実も、スカーレット・ベインという偽りの名も、衣服の下に隠した我が子の存在も、そして私の芯を揺るがしたあの血統の秘密すらも、もはやどうでもよかった。息をすることすらままならない彼の姿を目にした瞬間、あらゆる思考が吹き飛んだ。治癒師としての本能が体を支配し、私は駆け出していた。二人の間の距離は瞬く間に消え去った。冷たい床のタイルを裸足で打ち鳴らし、私は彼の元へと飛び込んだ。迷うことなく両手を伸ばす。病が渦巻く胸元に片手を押し当て、もう一方の手で喉元の激しい脈動を探る。胸の奥深くから意識する間もなく温もりが激流となって湧き上がり、私の能力が必死の勢いで彼の中へと注ぎ込まれていった。どんな結末を招くかなど考えもしなかった。考えることすらしていなかった。彼の体がぐらりと揺らいだ。素肌に掌をさらに強く密着させ、支えようと力を込めた。だが、彼の平衡感覚はすでに完全に失われていた。膝が崩れ落ちる。後ろ向きに倒れ込む彼の手が本能的に宙を薙ぎ、私の腰を強く巻き込んだ。世界が激しく反転し、私たちは重なり合うようにしてベッドの上へと崩れ落ちた。彼の、寝台の上へと。衝撃で肺から空気が一気に吐き出された。どっしりと重く、紛れもなく生きている男の重みが私の上にのしかかる。背中が先にマットレスを打ち、分厚い毛布が二人の下で乱雑に波打った。倒れ込んだ拍子に、彼の片脚が私の脚の間に割り込んでいる。私の右手は
last updateLast Updated : 2026-09-12
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第12章: スカーレット・ベイン

ディミトリの視点部屋の中は、静まり返った惨状を呈していた。私は居室の中央に立ち、胸の前で腕を組み、国境警備の報告書や同盟交渉の書状を検分する時と同じ冷徹な集中力で、周囲の被害を見渡していた。窓際の重厚な木製椅子は定位置から乱暴に押し出されている。小さな机の一つは倒れ、散らばった書類が枯れ葉のように絨毯を覆っていた。ナイトスタンドの上に置かれていたはずの硝子杯は遠くの壁に激突して粉々に砕け散り、石壁に暗い染みを残している。私の視線は、ベッドの上で止まった。倒れ込んだ衝撃でシーツは今なおねじれ、乱れたままで、私がどこに倒れ伏し……そして彼女がどこで私に敷き詰められていたのかを無言で物語っていた。マットレスに残る彼女の体の痕跡に意識を奪われることを、私は己に許さなかった。まだ、その時ではない。今回の発作は、前回よりも遥かに重かった。血の中に潜む影はこれまでにない速さで広がり、血管を這い、筋肉へと侵食し、やがて自らの足で立ち続けることすら強靭な意志の戦いとなった。気つけ薬はもはや効力を失いつつあった。いつかこの日が訪れることは、とうの昔から覚悟していた。歴代のすべてのアルファが、命を刈り取られるその瞬間までこの呪いを背負い続けてきたのだ。自分だけの運命が異なると信じたことなど、一度たりともなかった。問題は、私が死ぬことではない。それが、いつ訪れるかだ。ブラッドファングの頂点に立つ者に、いかなる脆弱さも許されるはずがなかった。アイアンクローが国境越しに飢えた視線を注ぐ今、同盟にわずかでも亀裂が入る兆候を周辺の小規模な群れたちが虎視眈々と待ち構えている今においては、なおさらだ。私は片手で椅子を引き戻し、倒れていた机を起こした。飛び散ったガラスの破片は使用人たちに任せることにする。彼女たちは余計な詮索を挟むことなく片づけてくれる。いつだってそうだった。それでも、私の思考は執拗に彼女へと引き戻されていた。スカーレット・ベイン。彼女は何の躊躇も見せず、部屋を横切って飛び込んできた。その必死な動き、私の胸板に押し当てられた手の重み、そして病魔を力尽くで押し戻しながら私の血管を焼き焦がすように駆け巡った、あの治癒の奔流を鮮明に覚えていた。倒れ込んだ瞬間、それに続いた短い混乱、そして目を開けた時、今なお私に重なり合っていた彼女の姿。震えるほどに強張りながらも、彼女
last updateLast Updated : 2026-09-13
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第13章: 容疑者

スカーレット/レイヴンの視点治癒師の図書室へ足を踏み入れ、背後の扉を静かに閉めると、小さな音を立てて鍵がかかった。私はその鍵を暗い色のズボンのポケットへと滑り込ませた。部屋の広さは私の質素な新しい部屋の二倍近くあり、何世紀にも及ぶ治癒の知恵と現代医学が融合した空間は、いかにもブラッドファングらしい調和を見せていた。床から天井まで届く背の高い木製の本棚には、革装丁の古書やリング綴じの医学論文集、そして通路の端に設置された充電台の上には洗練された電子端末が並んでいる。埋め込み式の照明が部屋全体を均一に明るく照らし出し、書棚の間へと歩みを進めるにつれ、人感センサーが追加の明かりを灯していく。磨かれた石の床には無数の足跡がかすかに刻み込まれ、空気には古い紙と消毒液、そして電子機器の微かな作動音が混じり合っていた。今朝の出来事で今なお激しく波打つ鼓動を抱えたまま、私はしばしの間立ち尽くし、図書室の静寂に身を委ねた。ブラッドファングに足を踏み入れて以来初めて、生き残ることや次に冒すかもしれない過ちへの恐怖から意識が解き放たれていた。私は再び、治癒師としての思考を取り戻していたのだ。この本棚のどこかに、何世紀もの記録と現代の研究の狭間に、アルファ・ディミトリの体を内側から蝕む病の答えが隠されているはずだった。それを見つけ出すための猶予は二週間。いいえ、もう二週間も残されていない。見当違いの場所を探すことに費やす一刻一秒が、自らの処刑台へと私を一歩ずつ近づけていた。一番左の書棚から手をつけ、指先で擦り切れた背表紙をなぞりながら、息の下で書名を一つひとつ読み上げていく。棚を幾つか進むごとに近くの端末へ足を止め、データベースを検索してからまた次の棚へと移った。『北部山脈の薬草』『高等血液儀式と遺伝的呪毒』『女神の恩寵:現代における応用』。どれも求めているものとは程遠かった。焦りが募り、探す速度が速くなる。本棚から書物を引き抜き、脆くなった頁を足早にめくっては戻し、次へと手を伸ばす。端末には思いつく限りの語句を打ち込んだ――遺伝病、血統疾患、先天的呪い、血中の影。だが、どの検索も同じ結末に終わった。該当なし。腰のあたりに提げたトートバッグの中には、記録用に小さな手帳とペンだけが入っていた。時の感覚が完全に失われていた。一番下の段の前にしゃがみ込んでいたかと思え
last updateLast Updated : 2026-09-13
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第14章: 罪なき犠牲者

スカーレット/レイヴンの視点私はその場に立ち尽くしていた。肋骨を打ち鳴らす激しい鼓動があまりにも大きく、部屋中の誰もに聞こえているのではないかと錯覚するほどだった。不穏な空気が部屋全体に波紋のように広がっていく。手元のバインダーや電子端末を握り直す治癒師もいれば、警戒の混じった視線を交わし合っては足早に目を逸らす者たちもいた。誰も口を開かない。頭上で低く唸る照明の作動音と、私自身の激しい心臓の音だけが響いていた。ベータ・ペトルがアルファ・ディミトリの傍らを離れ、真っ直ぐに私へと歩み寄ってきた。その表情には何一つ感情が浮かんでいなかったが、私はもはやその穏やかな仮面を信じてはいなかった。彼は私から視線を逸らすことなく、私のトートバッグへと手を伸ばした。息が詰まる。ペトルの手が私に触れる寸前、アルファ・ディミトリが片手をすっと掲げた。「その女ではない」ベータ・ペトルは即座に動きを止めた。「アルファ、真っ先に調べるべきはこの女です。あの夜、気つけ薬を運んだのは彼女なのですから。流浪の身であり、あなたに取り入るためだけに毒を盛る動機は、この部屋の誰よりもこの女にあるはずです」ディミトリの深緑の瞳が、自らのベータを冷徹に見据えた。「彼女が俺の部屋に入るより遥かに前に、俺はすでに毒を口にしていた。その告発は筋違いだ」部屋に重苦しい沈黙が落ちた。「お前の他の懸念を否定するつもりはない」皆が耳を澄ませるほどに静まり返った声で、彼は続けた。「だが、その娘の身体検査は俺自らが行う」彼の眼差しが険しく研ぎ澄まされた。「……それとも、自らのアルファに異を唱える気か?」その場にいた全員が息を呑んだ。ベータ・ペトルは一拍の間動かず、言いたい反論を喉の奥へ押し戻すかのように顎を引き結んだ。やがて、彼は深く頭を垂れた。「滅相もございません、アルファ」私は息を吸うことすら忘れていた。頭の中で思考が狂乱の渦を巻く。もしあの夜、私が居室に入る前にアルファ・ディミトリの体内へすでに毒が回っていたのだとしたら、なぜ治癒師区画が家宅捜索を受けているのか? 奴らは一体、何を暴こうとしているのか?筋の通るものなど何一つなかった。だが私はすべての疑問を歯の隙間に押し込め、アルファ・ディミトリが私に向かって歩み寄る中、凍りついたように立ち尽くした。今朝の光景が、何の前触れもなく脳裏を
last updateLast Updated : 2026-09-14
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第15章: 秘密の守護者

スカーレット/レイヴンの視点私は部屋の端から端を行き来し、一拍の間すらじっと立ち止まっていることができなかった。トートバッグを胸の前で固く抱きしめたままで。あの家宅捜索の後、城内には不穏な静寂が沈殿していた。治癒師たちは皆早々に解散させられ、あのダークムーン女史でさえ、いつもの嫌味の一つも口にすることなく姿を消していた。出会って以来初めて、彼女が鎧のように身に纏っていたあの冷徹な威厳が、エルヴィスの身に起きた出来事の重圧に耐えかねて綻びを見せていたのだ。彼の姿が、脳裏に焼きついて離れなかった。手首に食い込む銀の手枷。焼け爛れた皮膚から立ち上る細い煙。身を翻して去る直前、ほんの一瞬だけ交差したあの視線――彼にどれほど申し訳なく思っているかを伝える唯一の機会すら、彼は持ち去ってしまった。良心の呵責が、息をつくことすら許してくれなかった。一歩踏み出すたびに、同じ糾弾の声が頭の中で反響する。――何か言えたはずよ。真実を告げることだってできたはずなのに。けれど、真実を口にすればアルファ・ディミトリの血統の秘密を白日の下に晒すことになる。それが何を意味するかなど、痛いほど分かっていた。どれほど言い訳を並べ立てても、罪悪感が薄れることはなかった。私は腹部にそっと手を添えた。まだ容易に隠し通せるほどの、わずかな膨らみを掌で包み込む。触れた手のひらの下で、微かな胎動が小さく応えた。自分が本当に守るべきものが何であるかを、容赦なく思い知らせるかのように。私は再び月の女神へ祈りを囁いたが、今度ばかりはその言葉も虚しく響くだけだった。扉に、鋭いノックの音が響いた。心臓が喉元まで跳ね上がった。おぼつかない足取りで部屋を横切り、扉を開ける。扉口に、アルファ・ディミトリが立っていた。その表情は相変わらず何も読み取らせない。彼は何も言わなかった。その深い森の緑の瞳が沈黙のまま私を射すくめ、その奥に潜む感情の欠片すら窺い知ることはできない。私は自分がそうしていると意識するよりも早く、反射的に視線を落とし、頭を垂れていた。彼の視線が、私のトートバッグへとわずかに動いた。「あの本だ」彼は静かに言った。「どこで見つけた?」抗う間もなく、私の顔が跳ね上がった。「……治癒師の図書室です、アルファ」彼は長い間私を値踏みするように見つめた。「それを持ってこい。ついてこい」私は
last updateLast Updated : 2026-09-15
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第16章: 積み重なる書物

スカーレット/レイヴンの視点私は再び治癒師の図書室へと足を踏み入れ、背後の扉を静かに閉めた。指先が鍵を弄び、ようやく施錠の音が小さく響いた。金属が噛み合う微かな擦れ音を聞いて、胸の中で張り詰めていた緊張がわずかに緩む。決して触れてはならない書物に囲まれている現場を、誰かに踏み込まれる心配はこれでなくなった。ましてや、あのダークムーン女史に見つかることなど絶対に避けねばならなかった。あの鋭い眼差しがこの場所で私を射抜く姿を想像するだけで、胃の底が冷え切る。今夜、これ以上の衝突を生き延びる余力など残されていなかった。真夜中の図書室は、昼間とはまるで異なる空気を纏っていた。埋め込み式の照明が書棚の上を青白く照らし出し、狭い通路には長く深い影が落ちている。充電台に静かに収まる電子端末の暗い画面が、通り過ぎるたびに光を反射した。空気は冷たく澄み渡り、古い紙と乾燥した薬草、そして電子機器のかすかな金属臭が混ざり合って漂っている。磨かれた石床に静かに足音を響かせながら、私はさらに奥へと進んだ。一歩踏み出すごとに、肩に掛けたトートバッグがずっしりと重みを増していくようだった。私は明確な目的を持って、再び探索を始めた。書棚から一冊ずつ本を引き抜き、安定した灯りの下で足早に頁をめくっては、鞄に収めるべきか棚に戻すべきかを判断していく。疲労で目が焼けるように痛んだが、足を止める気にはなれなかった。一冊の書物が目に留まった。医学書というよりは、まるで子供向けの絵本のように薄い一冊だった。挿絵は経年劣化で色褪せ、頁は手擦れで柔らかくなっている。そこに記されていたのは、不可思議な影にその血を蝕まれた、あるアルファの物語だった。明らかにただのおとぎ話であり、アルファ・ディミトリを苛んでいるあの病とは似ても似つかないものだった。だが、彼の命令が頭の中で反響する。――すべて抹消しろ。見逃すという賭けに出る気にはなれなかった。その本は、私のトートバッグの中へと吸い込まれた。私は棚から棚へと歩みを進め、端末の記録と紙の書物の双方を調べ尽くしていった。何時間もの時が、気づかぬうちに指の隙間をすり抜けていく。何度も疲れ果てた目を擦っては、目の前の頁へと無理やり意識を戻した。図書室の主要な蔵書の大半を調べ終えた頃、私のトートバッグの中に収まっていたのはわずか三冊だけだった。『覇王の
last updateLast Updated : 2026-09-16
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第17章: 毒見の宴

スカーレット/レイヴンの視点私は部屋の中央に置かれた低い腰掛けに座らされていた。見ないように努めながらも、結局は好奇の目を向けてしまう治癒師たちに取り囲まれながら。まるで、残酷な見世物の不本意な主役に仕立て上げられたような心地だった。誰も私に話しかけはしなかったが、彼らの視線が何度も、何度も私へと引き戻されるのを感じていた。ある者は物珍しそうに、ある者は憐れむかのように。大半の者は、ただ関わりを恐れて距離を置いていた。私は床へと視線を落とし、少しでも身を小さく目立たぬようにと肩を内側へ縮こまらせた。激しい飢えが胃の奥を掻き乱し、思わず顔をしかめるほどの痛みが走る。一晩中募り続けていた空腹は、もはや無視できる限界を超えていた。心のどこかでは床が口を開けて自分を丸ごと呑み込んでくれればいいと願っていたが、疲労で擦り切れたもう一つの意識が、それでもこれは食事なのだと囁きかけていた。私は食べるものを探していたのだ。そして今、それが向こうから運ばれてきている。治癒師区画全員の監視の目に晒されながら一皿ひと皿を毒見せねばならない屈辱など、どうでもよかった。今の私にとって、食べ物は食べ物以外の何物でもなかった。その一筋の思考だけにすがりつき、私はかろうじて正気を保って立ち尽くしていた。最初の盆が、若い治癒師の手に抱えられて運ばれてきた。皿に視線を落とすよりも早く、芳醇な匂いが鼻腔をくすぐった。香り高い薬草とともにローストされた肉、まだ皮から湯気が立ち上る温かなパン、そして朝の陽光を受けて艶やかに光るバター炒めの野菜。生唾が湧き上がった。ほんの束の間の尊い瞬間、他のすべてが頭から吹き飛んだ。あの家宅捜索も。エルヴィスも。トートバッグに隠した禁書も。アルファ・ディミトリの秘密すらも。目の前に盆が置かれた瞬間、それらは何の意味も持たなくなった。私の頭の中は、ただ食べ物のことだけで埋め尽くされていた。震える指先で小さな毒見用のフォークを手に取り、最初の一口を口元へと運ぶ。肉は舌の上でほどけて崩れるほど柔らかく、豊かな薬草の香りを纏い、厨房から運ばれてきた温もりをそのまま宿していた。パンは指先で引くだけで容易に千切れるほどふわりとしており、野菜にはバターが薄く絡み、その甘みを引き立てる絶妙な加減で微かなニンニクの風味が効かされていた。私はほんの一瞬、目を閉じた。
last updateLast Updated : 2026-09-17
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第18章: 臆病の代償

ディミトリの視点彼女の手からトートバッグが滑り落ち、鈍い音を立てて床を打った。彼女の体が床に激突するよりも早く、私は動いていた。片腕を彼女の腰に回し、膝の力が抜けてぐったりと私に預けられた体を支え止める。腕の中の彼女は、想像していたよりも遥かに軽かった。私は眉をひそめた。ベッドへと運ぶのに、わずか数歩しか要しなかった。自ら自覚していた以上の慎重さで、私は彼女をマットレスへと横たえた。短い赤毛が暗い色のシーツの上に散らばり、その鮮烈な色合いが零れた血のように鮮やかに浮かび上がる。私の視線が彼女の全身を走った。唇が腫れ上がり始めていた。怒りに満ちた赤い蕁麻疹が首筋の皮膚を斑に染め、スカーフの端を越えて顎へと這い上がっている。彼女の弱々しい片手が喉元へと持ち上がり、衝動を止められないとばかりに、炎症を起こした皮膚を指先で掻きむしっていた。呼吸は本来あるべき速さを超え、浅く乱れていたが、気道はまだ完全に塞がれてはいなかった。異様な紅潮が顔全体に広がり、普段の青白い肌色を痛々しく塗り替えている。何かがおかしい。私の脈が跳ね上がった。私は彼女を見下ろして立ち尽くし、両手を固く握りしめた。彼女は、たかが一人の治癒師にすぎない。もし今夜命を落としたとしても、別の治癒師を私の部屋にあてがえば済む話だ。別の誰かが薬湯を検分し、毎晩私の体を診察し、同じ務めを果たせばいいだけの話なのだ。だが、その思考はあまりにも荒唐無稽だった。これまで何年もの間、何十人もの治癒師が私に仕えてきた。彼らは私を診察し、病状を観察し、活力を与えると信じ込んだあらゆる気つけ薬を調合してきた。だが、その誰一人として私が病に冒されていることに気づきすらしなかったのだ。彼らにとって、私は単に疲れやすい、あるいは過労に倒れたアルファにすぎなかった。誰もそれを疑わなかった。誰も、その奥底を覗き込もうとはしなかった。彼女だけが、違った。他の誰もが何も見出せなかった場所に、初めて病の存在を見抜いたのが彼女だった。唯一の、存在だった。私の顎が強く引き結ばれた。彼女を失うということは、この体に癒やすべき何かがあると気づいた唯一の治癒師を失うことを意味していた。私は息の下で呪態を吐き、枕元の卓に置かれた受話器へと手を伸ばした。画面の上を素早く指先で滑らせ、首席治癒師を呼び出す。ノックは、予
last updateLast Updated : 2026-09-17
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第19章: アイアンクロー

スカーレット/レイヴンの視点全身の皮膚が焼けつくように疼く中、私は浅い呼吸を繰り返しながら横たわっていた。唇は腫れ上がり、見知らぬ誰かのもののように感覚が鈍い。赤く爛れた蕁麻疹が噴き出した首筋から顎にかけて、激しい熱が広がっていた。無意識のうちに喉元へと手が伸び、荒れた肌を弱々しく掻きむしりそうになって、慌てて押し留める。吸い込む息の一つひとつが、先ほどよりも重く苦しかった。アルファ・ディミトリは私を見下ろして佇み、その深い森の緑の瞳をじっと私に据え続けていた。その顔立ちを、判別のつかない微かな動揺がよぎる。顎が固く引き結ばれ、まるで今にも何かを口にしそうに見えた。だが、主扉への鋭いノックの音が、その言葉を遮った。彼は即座に背筋を伸ばした。「入れ」小さな角盆を携え、ダークムーン女史が足を踏み入れてきた。湯気を立てる薬湯の杯の傍らには、蓋のされた料理の皿が載せられている。温かな出汁の香りと焼きたてのパンの匂いが、ふわりと部屋を満たした。普段であれば生唾を呑み込んでいたところだったが、今の私には、内側から渦巻く吐き気が食欲を抱く隙すら与えてくれなかった。ベッドへと近づく彼女に、アルファ・ディミトリは眉をひそめた。「食事など命じてはおらん」ダークムーン女史の声は、これまで耳にしたことがないほど柔らかかった。優しさすら帯びている。あの女が持ち合わせているはずもないと誓ってもよかったような、痛切な気遣いの響きがそこにはあった。「病の者には相応の滋養が必要です、アルファ」彼女は言った。「私は……スカーレットの体を案じておりましたので」鼻で笑ってしまいそうになったが、その嘲笑は腫れ上がった喉の奥で詰まった。これは、私の知るダークムーン女史ではなかった。私の懇願を無視して一日中無理やりナッツを喉の奥へ押し込み……治癒師区画全員の前で私を辱め抜いたあの女が、突如として私の生死を心から気遣うかのように振る舞っているのだ。私は代わりに、無理やり笑みを浮かべた。だが、そうした瞬間に激しい後悔が襲った。腫れ上がった唇に激痛が走り、顎へと這い上がる蕁麻疹の芯まで鋭く突き刺さる。全身のあらゆる場所が痛んだ。それでも、私は笑みを貼り付け続けた。頭を垂れ、新たな敵を作らないこと――それだけが、私の知る唯一の生き残りの術だったのだから。アルファ・ディミトリは長い間ダー
last updateLast Updated : 2026-09-17
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第20章: 来訪者

スカーレット/レイヴンの視点私は背後の連結扉を閉め、その冷たい木肌に背中を預けて立ち尽くした。長い間、ただ息を整えることだけに集中する。アルファ・ディミトリが最後に残した言葉のせいで、心臓はいまだに激しく早鐘を打っていた。アイアンクロー。その名だけで全身に悪寒が走り、どれほど必死に葬り去ろうとしても、ルーカンの記憶が容赦なく水面へと浮かび上がってくる。私は腹部をそっと抱え込み、震える息を深く吸い込んだ。胸の奥を締め上げるパニックを、力づくで鎮めようと言い聞かせる。眠らなければ。休息が必要だ。準備ができていようとなかろうと、明日は容赦なくやってくるのだから。覚束ない足取りで部屋を横切り、着替える気力すらなくベッドへと倒れ込んだ。首筋のスカーフはいつも以上に窮屈に感じられ、その粗い布地がアレルギーの残した蕁麻疹を擦る。目を閉じ、無理やり体を寛がせようとした。だが、無駄だった。眠りに落ちかけそうになるたび、ルーカンが再び私を見つけ出すのだ。あの冷酷な瞳。頬を張り飛ばされた瞬間の激痛。そして、私には決してなり得ないすべての理想を体現しているかのように、彼がライリーを見つめていたあの眼差し。私は横を向き、本能のままに腹部を守るように体を丸めた。もし、奴に気づかれたら?染め上げた髪や、首の無残に焼き潰された刻印だけでは、私という存在を隠しきれなかったとしたら?私が奴の子を宿していると感づかれたら?その思考が、私の体を完全に縛りつけた。呼吸は浅くなり、胸の奥が鉄の帯で締めつけられるように苦しくなる。奴を避けるためのあらゆる道を必死に模索したが、思考はいつだって同じ結論へと行き着いてしまう。私は、ただの一専属治癒師にすぎないのだ。他部族から訪れるアルファと同じ広間に並び立てるほど、重い身分ではない。ルーカンが目を留めるほど、価値のある存在ですらないのだ。朝一番にアルファ・ディミトリを診察しさえすれば、残りの一日は治癒師区画の奥深くに身を潜めていればいい。それだけで済むはずではないか?その考えが胸の圧迫感をわずかに和らげ、ようやく息が通るようになった。極度の疲労と、アレルギーの残滓、そして今日一日の重圧が、ついに私を呑み込んだ。眠りが訪れた。だがそれは、平穏とは程遠いものだった。連結扉を叩く鋭いノックの音が、私を眠りから引きずり起こした。
last updateLast Updated : 2026-09-17
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