เข้าสู่ระบบ「ただのサンダルウッドの香水です。私の名前と似ているので気に入ってるんです」
アルフレッドに低い声で問われ、リリアナは自分の素性がバレるのを恐れて咄嗟に嘘をついた。 「……確かに似ているな」 アルフレッドはサンドラのセリフに納得したように見せたが、彼女は嘘をつくことに慣れていないのだろう。目がさっきから忙しなく泳いでいる。 やはり叔父の手の者だったのだろうか。アルフレッドは掴んでいた手を放すと、興味を失くしたように仕事に戻った。 リリアナはようやく離れて行ったアルフレッドに安堵していたが、それと同時に唇を引き締める。 ここで全てがバレてしまえば、リリアナの人生は丸ごと誰かに搾取されるだけになってしまう。そんなのは嫌だ。 けれど、その日からアルフレッドの態度は急によそよそしくなった。 「どうしよう……やっぱり疑われてるのかもしれない」 夜、リリアナが枕に顔を押し付けて呟くと、窓から入ってきた夜風が髪を撫でた。そのあまりにも優しい風に、不意に亡き母の手を思い出してしまう。 「母様と同じ、皆を幸せにする調香師になりたいだけなのにな」 どうして運命はこうもリリアナに厳しいのだろう。 そんな事を考えながら、リリアナは今日も無理やり眠りについた。 その頃、アルフレッドは既にぐっすりと眠りに落ちていた。 あのフレグランスに手を加えられて数日が過ぎたが、アルフレッドの頭痛は如実に改善している。 「今日も眠れた……」 小鳥の声で目を覚ましたアルフレッドは、夢すら見ずに眠る事が出来た事に感動する。 以前は頭痛でよく眠れず微かな物音で目を覚ましていたが、あれから徐々に眠れるようになり、とうとう一昨日から夢すら見ない。 最初はどうして突然眠れるようになったのか理由が分からなかったが、試しに部屋にあのフレグランスを持ち帰るようになった途端、朝までぐっすりだ。 どんな睡眠導入剤を飲んでも眠れなかったアルフレッドなので心の底からサンドラに感謝したい気持ちはあるのだが、どうにも叔父との関係が拭いきれない。 「いっそ素直に聞いてみるか?」 自問自答しながら事務所に向かうと、今日も始業前にサンドラは来ている。 彼女は真面目だ。誰よりも早くここへ来て掃除をし、足りない物をチェックしてそれを備品係に報告する事を怠らない。 何よりもあのフレグランスの調香をしたあの手腕を手放すにはあまりにも惜しい。 そんな事を考えながら仕事に取り掛かると、すぐさまリリアナが今日の報告書を持ってやってきた。 「アルフレッド様、こちらが今日の分になります」 リリアナはアルフレッドの机にいつものように書類の束を置くと、さっきここで拾った物の事を思い出してアルフレッドをじっと見つめる。 そんなリリアナの視線に気付いたのか、アルフレッドがふと顔を上げて怪訝な顔をした。 「なんだ?」 「いえ、何でも……コーヒーでもお持ちしましょうか?」 「ああ、頼む」 短く言ってまた視線を書類に落とすと、サンドラが離れて行く気配がする。 あれからサンドラはあの香水をつけない。それが何を意味するのか、今のアルフレッドには分からなかった。 「いたいた! サンディ! あなたに手紙だよ!」 リリアナがコーヒーを入れに廊下に出ると、事務をしているコニーが手を振って近づいてくる。 「コニーさん! おはようございます。手紙ですか?」 「うん。絶対に手渡ししてねって。はい、これ。確かに渡したよ!」 「ありがとうございます」 リリアナはコニーから手紙を受け取ると、お湯を沸かしている間に手紙を確認して青ざめる。 差出人はセレスティアだ。内容はヴェール家の手の者がとうとう下町にまで捜索範囲を広げているというものだった。 「下町までって、どうしてそこまでして……ああ、ハインリヒさんが絡んでるのね」 どうやらハインリヒに促されてヴェール家はリリアナを必死になって捜索しているらしい。恐らく期日までに見つけなければ取引はしないとでも言われたのだろう。 思わず罪悪感を抱きそうになるが、セレスティアからの「絶対に逃げ切るのよ!」という強いメッセージを受け取ってリリアナは拳を握った。 「逃げ切るわ。だってこれは、私の人生だもの」 そう言ってリリアナは今朝拾ったカフスを取り出す。そのカフスはあの夜、男がつけていた物と酷似していた。 「やっぱりアルフレッド様があの時の相手なの?」 まるで運命はリリアナを弄んでいるかのようだ。疑いは確信に変わっていく。 けれどこの関係は、ある事がきっかけで大きく変わって行く。 その日、アルフレッドは重役会議のせいで身も心も疲弊しきっていた。 新商品の遅れから始まり、生産ラインの確保、そこから何故かアルフレッド自身の事に飛び火して、発表会まで行ったのに婚約を成立させない理由などを徹底的に詰められたのだ。 自宅兼事務所に戻るとサンドラがまだ仕事をしている。 「まだいたのか」 頭痛を堪えながら尋ねると、サンドラは顔を上げて頷く。 「秘書が先に戻る訳にはいきませんから」 「戻ると言っても、寮は裏だぞ?」 ラボも事務所も社員寮もエバンズ邸の敷地内にあるのに、それでもサンドラはアルフレッドの帰りを待っていたようだ。 その言葉にサンドラは苦笑いして視線を伏せる。 「それはそうなんですが雇い主の許可なく帰れません。それよりも大丈夫ですか? 顔色が優れないようですが……」 リリアナはアルフレッドの顔色を見て思わず尋ねた。一体何があったのだと思うほど彼の顔色は悪い。 おまけにあの頭痛を起こしていた時のような顔の顰め方をしている事に気付いて、すぐさまソファを整えアルフレッドを呼びつけて座らせる。 「なんだ」 「ハーブティーをお持ちします。少し休んでください」 「慣れているから平気だ。放っておいてくれ」 熱を測ろうとしたのか、アルフレッドに向かって伸びてきた手を払いのけると、サンドラが酷く傷ついたような顔をする。 「せめて今くらいは、何も考えないでください」 「っ!」 アルフレッドはその台詞に息を飲んだ。あの夜の女もサンドラと全く同じ事を言っていたからだ。 気がつけばアルフレッドはサンドラの手首を強く掴み、尋ねていた。 「9月8日の夜——君はどこに居た?」「ただのサンダルウッドの香水です。私の名前と似ているので気に入ってるんです」 アルフレッドに低い声で問われ、リリアナは自分の素性がバレるのを恐れて咄嗟に嘘をついた。 「……確かに似ているな」 アルフレッドはサンドラのセリフに納得したように見せたが、彼女は嘘をつくことに慣れていないのだろう。目がさっきから忙しなく泳いでいる。 やはり叔父の手の者だったのだろうか。アルフレッドは掴んでいた手を放すと、興味を失くしたように仕事に戻った。 リリアナはようやく離れて行ったアルフレッドに安堵していたが、それと同時に唇を引き締める。 ここで全てがバレてしまえば、リリアナの人生は丸ごと誰かに搾取されるだけになってしまう。そんなのは嫌だ。 けれど、その日からアルフレッドの態度は急によそよそしくなった。 「どうしよう……やっぱり疑われてるのかもしれない」 夜、リリアナが枕に顔を押し付けて呟くと、窓から入ってきた夜風が髪を撫でた。そのあまりにも優しい風に、不意に亡き母の手を思い出してしまう。 「母様と同じ、皆を幸せにする調香師になりたいだけなのにな」 どうして運命はこうもリリアナに厳しいのだろう。 そんな事を考えながら、リリアナは今日も無理やり眠りについた。 その頃、アルフレッドは既にぐっすりと眠りに落ちていた。 あのフレグランスに手を加えられて数日が過ぎたが、アルフレッドの頭痛は如実に改善している。 「今日も眠れた……」 小鳥の声で目を覚ましたアルフレッドは、夢すら見ずに眠る事が出来た事に感動する。 以前は頭痛でよく眠れず微かな物音で目を覚ましていたが、あれから徐々に眠れるようになり、とうとう一昨日から夢すら見ない。 最初はどうして突然眠れるようになったのか理由が分からなかったが、試しに部屋にあのフレグランスを持ち帰るようになった途端、朝までぐっすりだ。 どんな睡眠導入剤を飲んでも眠れなかったアルフレッドなので心の底からサンドラに感謝したい気持ちはあるのだが、どうにも叔父との関係が拭いきれない。 「いっそ素直に聞いてみるか?」 自問自答しながら事務所に向かうと、今日も始業前にサンドラは来ている。 彼女は真面目だ。誰よりも早くここへ来て掃除をし、足りない物をチェックしてそれを備品係に報告する事を怠らない。
あれから半月。リリアナは無事にアルフレッドの元に潜り込み、秘書として毎日忙しく働いていた。 アルフレッドはまさかサンドラ・ウッドが世間を騒がせている失踪したヴェール家の長女リリアナだとは夢にも思ってもいないだろう。 「おい、この書類の整理を頼む」 「はい」 リリアナは短く返事をして書類の束を受け取ると、自席に戻って仕分けを始めた。 今日も書類の多さが尋常ではないが、それでもリリアナは黙々と作業を進める。そこへアルフレッドは遠慮なく次から次へと仕事を持ってきた。 やはり彼は世間の噂通り、とても厳しく冷徹なのかもしれない。 「それが終わったらこの予定表を清書しておいてくれ」 一方、アルフレッドは突如としてやってきたサンドラ・ウッドと名乗った女を疑っていた。 そもそも今回の募集もアルフレッドがしたのではなく、叔父が勝手にした事だ。せめて面接だけは自分ですると言ってこの女を雇ったが、今のところ叔父の息がかかっている素振りは一切無い。それどころかむしろとても優秀だ。 けれどまだ油断する事は出来ない。そう自分に言い聞かせて、常に一定の距離を取るようにしていた。 「それが済んだらラボに行って在庫の確認を」 「はい」 どんどん仕事を頼まれるが、リリアナはそれを辛いとは思わなかった。調香の仕事は何よりも根気と忍耐が必要だったから、こんな事ではへこたれない。 書類の整理が終わって予定表の清書に取り掛かると、そんなリリアナの様子を見てアルフレッドが静かに言う。 「それが終わったら、そのまま休憩に行っていい」 「はい、ありがとうございます」 リリアナはそれを聞いて手を速めた。少しこの部屋の香りについて思う所があったからだ。 言われた通りラボに行き在庫の確認を済ませると、充てがわれた寮の部屋に戻って事務所から持ってきたフレグランスにミントとゼラニウムを数滴ずつ足し始めた。 調香と言われるほどの事ではないが、これで少しはアルフレッドを悩ませ続けている頭痛もマシになるのではないだろうか。 この半月ほどアルフレッドを見ていて気付いたのは、彼は仕事にとても誠実で真摯だが、何でも一人で請け負ってしまうタイプのようだと言う事だ。 そのストレスからか、それともこのフレグランスが合わないのか、たまに痛みを堪えるかのように顔を顰めている
ロケットを開くと中から出てきたのは絵姿ではなく、小さく畳まれたコットンだ。 「なんだ? これは」 不思議に思いながらもそのコットンを手に取ると、コットンから百合ベースの甘い香りが漂う。 「……面白い配合だ。こんな短期間で二種類も新しい調合を知るとはな」 着替えを済ませて寝室を出ると、既に朝食の準備が整っていた。この部屋への入室を許しているのは側近のルーク・フォンだけだ。 「ルーク」 アルフレッドがその場には居ないルークを呼ぶと、洗面所からルークが顔だけ覗かせる。 「おはようございます」 いかにも側近らしい態度のルークにアルフレッドは眉根を寄せると、席について拾ったロケットをテーブルの上に置いた。 「ここには俺とお前しか居ない。いつも通りでいい」 その言葉にルークは軽く頷いて机の上のロケットに視線を落とす。 「で、これは?」 「ここのメイドの物だ。持ち主を探して返しておいてくれ。それから示談金を言い値で払う、とも」 「示談金? 君は一体何をしたんだ」 「……言いたくない。俺も後悔している」 そう、後悔している。たとえおかしな薬のせいだったとしても自分の立場を考えればあんな事をすべきではなかったし、薬が抜けた時点で解放すべきだったのに、あのメイドの反応と香りについ誘惑され、朝方まで抱いてしまった。 黙り込んだアルフレッドを見てルークは深いため息を落とすと、ロケットを持って嫌味を言う。 「君の理性が利かないのは珍しい。そんなに良かったのかい?」 「うるさい」 追い払うように言うと、ルークは肩を竦めて部屋を出ていく。 ルークが部屋へ戻ってきたのは食後のコーヒーを飲んでいた時だ。 「早かったな。で、いくらだ?」 そちらを見もせずに尋ねると、ルークは近寄ってきてアルフレッドの目の前にあのロケットを置いた。 「なんだ?」 「居なかった。昨夜はこのフロアに誰も来ていないそうだ。そもそも仕事中にこんな物を付けるメイドは居ないそうだよ。君は一体誰と寝たんだ?」 「……」 どういう事だ。あれはメイドではなかった? 混乱するアルフレッドに畳み掛けるようにルークは尋ねてくる。 「その子の顔は?」 「俺は失顔症だ。顔など覚えているはずが無いだろう」 幼い頃の事故で後天的に患った障害のせいで人の顔を覚える
リリアナ・ヴェールは亡き母ローズが残してくれたレシピで作った特別な香水をつけ、自身の婚約発表会に出席するために会場入りをした。 会場は招待客でごった返していて、具合が悪そうな男性がスタッフに支えられるように壇上に上がっていくのが見える。 あれが婚約相手の アルフレッド・エバンズだろうか。 その後ろから父と、何故か義妹のアイリーンが壇上に上がっていく。 「皆様! 本日は愛娘アイリーンとエバンズ家の跡取り、アルフレッド様の婚約発表会にお集まりいただき誠にありがとうございます!」 「……どういう……事?」 今日はリリアナの婚約発表だったはずだ。父にもそう聞かされていた。 ところが実際に今壇上に居るのは紛れもなくアイリーンである。 一体何が起こっているのか分からないまま、リリアナは固唾を飲んで見守るしか無かった。ここで声を上げても仕方がない事をよく知っていたからだ。 何よりもリリアナにはヴェール・ノワールというヴェール家のアトリエがある。もしこの婚約が無かった事になったとしても、今まで通りノワールの代表調香師として支えればいい。 そう思っていたのに、父の次の言葉にリリアナは愕然とした。 「皆様の中にはどうして長女ではないのかとお思いの方もいるでしょうが、実はこのアイリーンこそがヴェール・ノワールの代表調香師なのです! 才能のある二人が結婚するのは当然の事。アイリーン。この場で新作も発表してしまいなさい」 父はまだはにかんでいるアイリーンの背を押した。その時にアイリーンはちらりとこちらを見て何かをたくらむような笑みを見せる。 「それでは私から最新作の発表をさせていただきます。新作の名前は『霧の果て』。この香りは——」 父に促されてアイリーンは小鳥が囀るような可愛らしい声で、数日前に出来上がったばかりのリリアナの新作の名を口にしたではないか。 「なんて事……」 リリアナはよろけるように後ろに二歩下がると、壁に背中を預けた。 怒りと悲しみのあまり口元に当てた手が微かに震える。 アイリーンの得意げな説明が続く中、壇上から一足先に下りてきた父が真っ直ぐこちらに向かって歩いてきた。 「リリアナ、喜べ。お前には結婚発表を用意してある。相手は大陸一の投資家フォン・ハインリヒだ。年は二十離れているが構うまい。これも家の為だ。







