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3・花嫁になるはずだった女は、秘書になる

Author: 揚羽渓名
last update publish date: 2026-09-08 00:16:33

 あれから半月。リリアナは無事にアルフレッドの元に潜り込み、秘書として毎日忙しく働いていた。

 アルフレッドはまさかサンドラ・ウッドが世間を騒がせている失踪したヴェール家の長女リリアナだとは夢にも思ってもいないだろう。

「おい、この書類の整理を頼む」

「はい」

 リリアナは短く返事をして書類の束を受け取ると、自席に戻って仕分けを始めた。

 今日も書類の多さが尋常ではないが、それでもリリアナは黙々と作業を進める。そこへアルフレッドは遠慮なく次から次へと仕事を持ってきた。

 やはり彼は世間の噂通り、とても厳しく冷徹なのかもしれない。

「それが終わったらこの予定表を清書しておいてくれ」

 一方、アルフレッドは突如としてやってきたサンドラ・ウッドと名乗った女を疑っていた。

 そもそも今回の募集もアルフレッドがしたのではなく、叔父が勝手にした事だ。せめて面接だけは自分ですると言ってこの女を雇ったが、今のところ叔父の息がかかっている素振りは一切無い。それどころかむしろとても優秀だ。

 けれどまだ油断する事は出来ない。そう自分に言い聞かせて、常に一定の距離を取るようにしていた。

「それが済んだらラボに行って在庫の確認を」

「はい」

 どんどん仕事を頼まれるが、リリアナはそれを辛いとは思わなかった。調香の仕事は何よりも根気と忍耐が必要だったから、こんな事ではへこたれない。

 書類の整理が終わって予定表の清書に取り掛かると、そんなリリアナの様子を見てアルフレッドが静かに言う。

「それが終わったら、そのまま休憩に行っていい」

「はい、ありがとうございます」

 リリアナはそれを聞いて手を速めた。少しこの部屋の香りについて思う所があったからだ。

 言われた通りラボに行き在庫の確認を済ませると、充てがわれた寮の部屋に戻って事務所から持ってきたフレグランスにミントとゼラニウムを数滴ずつ足し始めた。

 調香と言われるほどの事ではないが、これで少しはアルフレッドを悩ませ続けている頭痛もマシになるのではないだろうか。

 この半月ほどアルフレッドを見ていて気付いたのは、彼は仕事にとても誠実で真摯だが、何でも一人で請け負ってしまうタイプのようだと言う事だ。

 そのストレスからか、それともこのフレグランスが合わないのか、たまに痛みを堪えるかのように顔を顰めている。

「他人をあまり信用出来ないタイプなのかも」

 呟いてフレグランスを軽く振ると、たった数滴で香りが微かに変わった。

「うん、上出来」

 部屋を彩る香りはとても重要だ。それだけで不思議と気分が変わるのだから。

 その後リリアナは軽食を取って事務所に戻り、フレグランスを元あった場所に戻した。

 アルフレッドが部屋へ戻ってきたのはそれから半時ほどしてからで、部屋に入るなり何かに気付いたように足を止める。

「ん?」

 部屋に入った瞬間、いつものシトロネラの香りに微かにミントが混じっている事に気づき足を止めたアルフレッドは、さらにミドルにもゼラニウムが足されている事に気付いた。

「お疲れ様です。どうかされましたか?」

 怪訝な顔をしてドアの所で立ち止まったアルフレッドにリリアナが問いかけると、アルフレッドはリリアナの言葉を無視して真っ直ぐにフレグランスの元へ向かう。

 そしておもむろにフレグランスの入っているボトルを掴んだかと思うと、匂いを嗅いでこちらを睨みつけ近寄ってきた。

「君か? これにミントとゼラニウムを足したのは」

 この調合は特に珍しいものではないが、その配合量は絶妙だ。こんな事をこの短時間でしてしまうのは、相当な力量を持った調香師でも難しい。

 思わず強い口調で問い詰めたアルフレッドに驚いたのか、サンドラがビクリと肩を震わせた。

「……も、申し訳ありません。勝手に触って……」

 まさかこんなにも叱られるとは思っていなかったリリアナが思わず後ずさると、アルフレッドが距離を詰めてきてリリアナの手首を掴み上げる。

 その途端、辺りにふわりとリリアナがつけている白檀の香水の香りが舞った。

「——!」

 アルフレッドは目の前のサンドラからあの夜と同じ白檀の香りを感じて息を飲んだ。まさかこの香りをここで嗅ぐとは思ってもいなかったからだ。

「そんな、まさか……」

 一方、リリアナもまた、驚いていた。

 突如として近づいてきたアルフレッドの鎖骨に引きつったような古傷が見えたからだ。

 それはあの夜、一晩を共にした男性の鎖骨にあった男性のものと全く同じ形と場所で、耳元で聞こえる声もあの夜の男の声と酷似している。

 そんな偶然があるものかと思うのに、それを強く否定する事が出来ず息を詰めたまま二人は見つめ合っていたが、先に口を開いたのはアルフレッドだ。

「その香り……どこで覚えた?」

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