เข้าสู่ระบบあれから半月。リリアナは無事にアルフレッドの元に潜り込み、秘書として毎日忙しく働いていた。
アルフレッドはまさかサンドラ・ウッドが世間を騒がせている失踪したヴェール家の長女リリアナだとは夢にも思ってもいないだろう。 「おい、この書類の整理を頼む」 「はい」 リリアナは短く返事をして書類の束を受け取ると、自席に戻って仕分けを始めた。 今日も書類の多さが尋常ではないが、それでもリリアナは黙々と作業を進める。そこへアルフレッドは遠慮なく次から次へと仕事を持ってきた。 やはり彼は世間の噂通り、とても厳しく冷徹なのかもしれない。 「それが終わったらこの予定表を清書しておいてくれ」 一方、アルフレッドは突如としてやってきたサンドラ・ウッドと名乗った女を疑っていた。 そもそも今回の募集もアルフレッドがしたのではなく、叔父が勝手にした事だ。せめて面接だけは自分ですると言ってこの女を雇ったが、今のところ叔父の息がかかっている素振りは一切無い。それどころかむしろとても優秀だ。 けれどまだ油断する事は出来ない。そう自分に言い聞かせて、常に一定の距離を取るようにしていた。 「それが済んだらラボに行って在庫の確認を」 「はい」 どんどん仕事を頼まれるが、リリアナはそれを辛いとは思わなかった。調香の仕事は何よりも根気と忍耐が必要だったから、こんな事ではへこたれない。 書類の整理が終わって予定表の清書に取り掛かると、そんなリリアナの様子を見てアルフレッドが静かに言う。 「それが終わったら、そのまま休憩に行っていい」 「はい、ありがとうございます」 リリアナはそれを聞いて手を速めた。少しこの部屋の香りについて思う所があったからだ。 言われた通りラボに行き在庫の確認を済ませると、充てがわれた寮の部屋に戻って事務所から持ってきたフレグランスにミントとゼラニウムを数滴ずつ足し始めた。 調香と言われるほどの事ではないが、これで少しはアルフレッドを悩ませ続けている頭痛もマシになるのではないだろうか。 この半月ほどアルフレッドを見ていて気付いたのは、彼は仕事にとても誠実で真摯だが、何でも一人で請け負ってしまうタイプのようだと言う事だ。 そのストレスからか、それともこのフレグランスが合わないのか、たまに痛みを堪えるかのように顔を顰めている。 「他人をあまり信用出来ないタイプなのかも」 呟いてフレグランスを軽く振ると、たった数滴で香りが微かに変わった。 「うん、上出来」 部屋を彩る香りはとても重要だ。それだけで不思議と気分が変わるのだから。 その後リリアナは軽食を取って事務所に戻り、フレグランスを元あった場所に戻した。 アルフレッドが部屋へ戻ってきたのはそれから半時ほどしてからで、部屋に入るなり何かに気付いたように足を止める。 「ん?」 部屋に入った瞬間、いつものシトロネラの香りに微かにミントが混じっている事に気づき足を止めたアルフレッドは、さらにミドルにもゼラニウムが足されている事に気付いた。 「お疲れ様です。どうかされましたか?」 怪訝な顔をしてドアの所で立ち止まったアルフレッドにリリアナが問いかけると、アルフレッドはリリアナの言葉を無視して真っ直ぐにフレグランスの元へ向かう。 そしておもむろにフレグランスの入っているボトルを掴んだかと思うと、匂いを嗅いでこちらを睨みつけ近寄ってきた。 「君か? これにミントとゼラニウムを足したのは」 この調合は特に珍しいものではないが、その配合量は絶妙だ。こんな事をこの短時間でしてしまうのは、相当な力量を持った調香師でも難しい。 思わず強い口調で問い詰めたアルフレッドに驚いたのか、サンドラがビクリと肩を震わせた。 「……も、申し訳ありません。勝手に触って……」 まさかこんなにも叱られるとは思っていなかったリリアナが思わず後ずさると、アルフレッドが距離を詰めてきてリリアナの手首を掴み上げる。 その途端、辺りにふわりとリリアナがつけている白檀の香水の香りが舞った。 「——!」 アルフレッドは目の前のサンドラからあの夜と同じ白檀の香りを感じて息を飲んだ。まさかこの香りをここで嗅ぐとは思ってもいなかったからだ。 「そんな、まさか……」 一方、リリアナもまた、驚いていた。 突如として近づいてきたアルフレッドの鎖骨に引きつったような古傷が見えたからだ。 それはあの夜、一晩を共にした男性の鎖骨にあった男性のものと全く同じ形と場所で、耳元で聞こえる声もあの夜の男の声と酷似している。 そんな偶然があるものかと思うのに、それを強く否定する事が出来ず息を詰めたまま二人は見つめ合っていたが、先に口を開いたのはアルフレッドだ。 「その香り……どこで覚えた?」「ただのサンダルウッドの香水です。私の名前と似ているので気に入ってるんです」 アルフレッドに低い声で問われ、リリアナは自分の素性がバレるのを恐れて咄嗟に嘘をついた。 「……確かに似ているな」 アルフレッドはサンドラのセリフに納得したように見せたが、彼女は嘘をつくことに慣れていないのだろう。目がさっきから忙しなく泳いでいる。 やはり叔父の手の者だったのだろうか。アルフレッドは掴んでいた手を放すと、興味を失くしたように仕事に戻った。 リリアナはようやく離れて行ったアルフレッドに安堵していたが、それと同時に唇を引き締める。 ここで全てがバレてしまえば、リリアナの人生は丸ごと誰かに搾取されるだけになってしまう。そんなのは嫌だ。 けれど、その日からアルフレッドの態度は急によそよそしくなった。 「どうしよう……やっぱり疑われてるのかもしれない」 夜、リリアナが枕に顔を押し付けて呟くと、窓から入ってきた夜風が髪を撫でた。そのあまりにも優しい風に、不意に亡き母の手を思い出してしまう。 「母様と同じ、皆を幸せにする調香師になりたいだけなのにな」 どうして運命はこうもリリアナに厳しいのだろう。 そんな事を考えながら、リリアナは今日も無理やり眠りについた。 その頃、アルフレッドは既にぐっすりと眠りに落ちていた。 あのフレグランスに手を加えられて数日が過ぎたが、アルフレッドの頭痛は如実に改善している。 「今日も眠れた……」 小鳥の声で目を覚ましたアルフレッドは、夢すら見ずに眠る事が出来た事に感動する。 以前は頭痛でよく眠れず微かな物音で目を覚ましていたが、あれから徐々に眠れるようになり、とうとう一昨日から夢すら見ない。 最初はどうして突然眠れるようになったのか理由が分からなかったが、試しに部屋にあのフレグランスを持ち帰るようになった途端、朝までぐっすりだ。 どんな睡眠導入剤を飲んでも眠れなかったアルフレッドなので心の底からサンドラに感謝したい気持ちはあるのだが、どうにも叔父との関係が拭いきれない。 「いっそ素直に聞いてみるか?」 自問自答しながら事務所に向かうと、今日も始業前にサンドラは来ている。 彼女は真面目だ。誰よりも早くここへ来て掃除をし、足りない物をチェックしてそれを備品係に報告する事を怠らない。
あれから半月。リリアナは無事にアルフレッドの元に潜り込み、秘書として毎日忙しく働いていた。 アルフレッドはまさかサンドラ・ウッドが世間を騒がせている失踪したヴェール家の長女リリアナだとは夢にも思ってもいないだろう。 「おい、この書類の整理を頼む」 「はい」 リリアナは短く返事をして書類の束を受け取ると、自席に戻って仕分けを始めた。 今日も書類の多さが尋常ではないが、それでもリリアナは黙々と作業を進める。そこへアルフレッドは遠慮なく次から次へと仕事を持ってきた。 やはり彼は世間の噂通り、とても厳しく冷徹なのかもしれない。 「それが終わったらこの予定表を清書しておいてくれ」 一方、アルフレッドは突如としてやってきたサンドラ・ウッドと名乗った女を疑っていた。 そもそも今回の募集もアルフレッドがしたのではなく、叔父が勝手にした事だ。せめて面接だけは自分ですると言ってこの女を雇ったが、今のところ叔父の息がかかっている素振りは一切無い。それどころかむしろとても優秀だ。 けれどまだ油断する事は出来ない。そう自分に言い聞かせて、常に一定の距離を取るようにしていた。 「それが済んだらラボに行って在庫の確認を」 「はい」 どんどん仕事を頼まれるが、リリアナはそれを辛いとは思わなかった。調香の仕事は何よりも根気と忍耐が必要だったから、こんな事ではへこたれない。 書類の整理が終わって予定表の清書に取り掛かると、そんなリリアナの様子を見てアルフレッドが静かに言う。 「それが終わったら、そのまま休憩に行っていい」 「はい、ありがとうございます」 リリアナはそれを聞いて手を速めた。少しこの部屋の香りについて思う所があったからだ。 言われた通りラボに行き在庫の確認を済ませると、充てがわれた寮の部屋に戻って事務所から持ってきたフレグランスにミントとゼラニウムを数滴ずつ足し始めた。 調香と言われるほどの事ではないが、これで少しはアルフレッドを悩ませ続けている頭痛もマシになるのではないだろうか。 この半月ほどアルフレッドを見ていて気付いたのは、彼は仕事にとても誠実で真摯だが、何でも一人で請け負ってしまうタイプのようだと言う事だ。 そのストレスからか、それともこのフレグランスが合わないのか、たまに痛みを堪えるかのように顔を顰めている
ロケットを開くと中から出てきたのは絵姿ではなく、小さく畳まれたコットンだ。 「なんだ? これは」 不思議に思いながらもそのコットンを手に取ると、コットンから百合ベースの甘い香りが漂う。 「……面白い配合だ。こんな短期間で二種類も新しい調合を知るとはな」 着替えを済ませて寝室を出ると、既に朝食の準備が整っていた。この部屋への入室を許しているのは側近のルーク・フォンだけだ。 「ルーク」 アルフレッドがその場には居ないルークを呼ぶと、洗面所からルークが顔だけ覗かせる。 「おはようございます」 いかにも側近らしい態度のルークにアルフレッドは眉根を寄せると、席について拾ったロケットをテーブルの上に置いた。 「ここには俺とお前しか居ない。いつも通りでいい」 その言葉にルークは軽く頷いて机の上のロケットに視線を落とす。 「で、これは?」 「ここのメイドの物だ。持ち主を探して返しておいてくれ。それから示談金を言い値で払う、とも」 「示談金? 君は一体何をしたんだ」 「……言いたくない。俺も後悔している」 そう、後悔している。たとえおかしな薬のせいだったとしても自分の立場を考えればあんな事をすべきではなかったし、薬が抜けた時点で解放すべきだったのに、あのメイドの反応と香りについ誘惑され、朝方まで抱いてしまった。 黙り込んだアルフレッドを見てルークは深いため息を落とすと、ロケットを持って嫌味を言う。 「君の理性が利かないのは珍しい。そんなに良かったのかい?」 「うるさい」 追い払うように言うと、ルークは肩を竦めて部屋を出ていく。 ルークが部屋へ戻ってきたのは食後のコーヒーを飲んでいた時だ。 「早かったな。で、いくらだ?」 そちらを見もせずに尋ねると、ルークは近寄ってきてアルフレッドの目の前にあのロケットを置いた。 「なんだ?」 「居なかった。昨夜はこのフロアに誰も来ていないそうだ。そもそも仕事中にこんな物を付けるメイドは居ないそうだよ。君は一体誰と寝たんだ?」 「……」 どういう事だ。あれはメイドではなかった? 混乱するアルフレッドに畳み掛けるようにルークは尋ねてくる。 「その子の顔は?」 「俺は失顔症だ。顔など覚えているはずが無いだろう」 幼い頃の事故で後天的に患った障害のせいで人の顔を覚える
リリアナ・ヴェールは亡き母ローズが残してくれたレシピで作った特別な香水をつけ、自身の婚約発表会に出席するために会場入りをした。 会場は招待客でごった返していて、具合が悪そうな男性がスタッフに支えられるように壇上に上がっていくのが見える。 あれが婚約相手の アルフレッド・エバンズだろうか。 その後ろから父と、何故か義妹のアイリーンが壇上に上がっていく。 「皆様! 本日は愛娘アイリーンとエバンズ家の跡取り、アルフレッド様の婚約発表会にお集まりいただき誠にありがとうございます!」 「……どういう……事?」 今日はリリアナの婚約発表だったはずだ。父にもそう聞かされていた。 ところが実際に今壇上に居るのは紛れもなくアイリーンである。 一体何が起こっているのか分からないまま、リリアナは固唾を飲んで見守るしか無かった。ここで声を上げても仕方がない事をよく知っていたからだ。 何よりもリリアナにはヴェール・ノワールというヴェール家のアトリエがある。もしこの婚約が無かった事になったとしても、今まで通りノワールの代表調香師として支えればいい。 そう思っていたのに、父の次の言葉にリリアナは愕然とした。 「皆様の中にはどうして長女ではないのかとお思いの方もいるでしょうが、実はこのアイリーンこそがヴェール・ノワールの代表調香師なのです! 才能のある二人が結婚するのは当然の事。アイリーン。この場で新作も発表してしまいなさい」 父はまだはにかんでいるアイリーンの背を押した。その時にアイリーンはちらりとこちらを見て何かをたくらむような笑みを見せる。 「それでは私から最新作の発表をさせていただきます。新作の名前は『霧の果て』。この香りは——」 父に促されてアイリーンは小鳥が囀るような可愛らしい声で、数日前に出来上がったばかりのリリアナの新作の名を口にしたではないか。 「なんて事……」 リリアナはよろけるように後ろに二歩下がると、壁に背中を預けた。 怒りと悲しみのあまり口元に当てた手が微かに震える。 アイリーンの得意げな説明が続く中、壇上から一足先に下りてきた父が真っ直ぐこちらに向かって歩いてきた。 「リリアナ、喜べ。お前には結婚発表を用意してある。相手は大陸一の投資家フォン・ハインリヒだ。年は二十離れているが構うまい。これも家の為だ。







