Semua Bab 元夫の結婚式を、私が担当することになりました: Bab 121 - Bab 130

170 Bab

第121話 私の結婚式に、私は必要ですか

紗月は弁当を取り出しかけて、指輪に引っかかった袖口を外した。昨日、区役所に行ってから、つい手元に目がいく。内側に刻んだ『まず、尋ねる』は見えなくても、その言葉を選びながら蓮司と話したことは、はっきり覚えていた。「社長、お祝いは昨日の花束で済ませましたので、今日はさっそく仕事の話に入りますね」「ありがとう、真帆。そのほうが私も落ち着くわ」コーヒーを置いた真帆が、弁当をのぞき込んだ。りんごの隣のゆで卵に、殻が残っている。「これは、わざと残してあるんですか?」「むいている途中で、湊の靴を探しに行ったんだって」玄関で弁当を渡してくれた蓮司も、卵まで確認できなかったと言っていた。紗月は残った殻をティッシュに包み、タブレットをつけた。午前10時には、星陵グループの室長、鷹宮詩乃(たかみや しの)との初めてのコンセプト打ち合わせが入っていた。相手は黒瀬物産の常務、黒瀬貴臣(くろせ たかおみ)。来月末に予定された式の資料は、最初のページから両家の秘書室の連絡先で埋まっている。「予算の上限はまだ決まっていません。ただ、招待客800人と花の種類は、もう両家で決めて送ってきました」「花嫁さんの回答は?」「ありません。質問票も、お母様の秘書の方からです」添付写真をめくった。希望する雰囲気を尋ねた欄には、ホテルの完成予想図。好きな音楽の欄には、『両家協議のうえ連絡』とある。「ご本人は、これを見たのかしら」「それも確認できていません」そのとき、社長室の電話が鳴った。受話器を取った真帆が、口の動きで名前を伝えてくる。鷹宮詩乃だった。「ルミエールの一ノ瀬紗月です」返事の代わりに、荒い息遣いが聞こえた。紗月は画面から手を離し、受話器を持ち直した。「鷹宮様、今、お話ししても大丈夫ですか?」「はい。ひとりです」「どうぞ。お聞きします」詩乃が次の言葉を口にするまで、しばらくかかった。「あの結婚式に……私は、いないといけませんか?」紗月はメモを取ろうとして
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-10-12
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第122話 消えた花嫁

喫茶店でもう一度電話をかけたときには、10時を少し過ぎていた。鷹宮詩乃は現れず、呼び出し音が途切れるたび、同じアナウンスが流れた。【到着されたらご連絡ください。場所を変えていただいても大丈夫です】送ったメッセージに、既読はつかなかった。紗月は目の前のカップを脇へ寄せ、ドレスショップに連絡した。待ち合わせ場所を勘違いしたのかもしれない。「まだお見えになっていません。ただ、新郎様がいらっしゃっています。一ノ瀬様をお探しで」ショップへ移動して相談室に入ると、黒瀬貴臣が携帯電話を机に叩きつけた。店から連絡を受けて駆けつけた真帆も、紗月に続いて入り、ドアを閉めた。「詩乃はどこですか」「私も待っているところです。最後に連絡を取られたのは、いつですか?」「どうして私に聞くんです。今朝、最後に電話した相手はあなたでしょう」貴臣は座ろうともせず、椅子の背をつかんだ。「正午に両家の会食があるんです。そこで結婚も発表する。それなのに、本人が電話にも出ない。あなたが個別に会おうと誘ったそうですね?」「式の準備について、ご相談があるとのことでした。まだお会いしていません」「何をまた相談するんですか。式場も家も、全部用意してあるのに」紗月は真帆の差し出した予約表を確認した。先に個別相談をするという案内は、両家の秘書室にも届いている。詩乃にも、電話で場所を伝えた。行き先がわからずに起きたことではなさそうだった。「詩乃さんが携帯電話を置いて出かけられたことは? 連絡の取れるお友達はいらっしゃいませんか?」「そういうことは、秘書が知っているでしょう」「では、その方につないでください。今は、どちらにいらっしゃるか確かめるのが先です」貴臣が鼻で笑った。「あなたが何を言ったのか、先に知りたいですね。詩乃は最近、つまらないことで神経質になっているんです。ドレスが気に入らないだの、友達の席がないだの。ほかの家なら、うちに嫁ぎたくて列を作るというのに」「その言葉を、詩乃さんにも?」「何か間違っていますか?」真帆が、持ってい
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第123話 切り取られた声

午後2時、ルミエールの代表番号に問い合わせが殺到した。電話メモには、予約の相談より取材の申し込みが多く並ぶ。杏奈が電話を受ける間に、真帆がネット記事を紗月に見せた。【有名ウェディングプランナー、名家の花嫁失踪直前に「困ったことは私が対処」】記事に添えられた音声は、15秒だった。「準備をこのまま進めるか、いったん止めるかは……」「困ったことは、私が対処します」確かに紗月の言葉だ。ただ、最初の文に続く『花嫁ご本人に直接確認しないといけません』が切られていた。記事は2つの発言をつなぎ、花嫁を逃がす約束でもしたかのように説明していた。真帆がコメント欄を閉じた。「元夫の結婚式もわざと壊したんだ、なんて話まで蒸し返されています。星陵からは、5億円の損害賠償を求めるという通知も来ました」「封筒と添付資料、そのまま先生に送って。何を根拠に出した金額なのかも確認しないと」会社の通話記録から、午前9時の着信ファイルを探した。長さは7分40秒。録音を知らせる案内のあとに、詩乃の声が続いた。真帆がスピーカーを切り、ヘッドホンを渡してくれた。社員にまで、詩乃の泣き声を聞かせる理由はない。「元の音声を公開すれば、済むんじゃありませんか?」「ご家族の話も全部入っているの。詩乃さんと話すまでは公開しないでおこう」「こちらも、黙っているわけには」「黙っていようという意味じゃないわ。まず、記事の言葉がどこで切られたのか、わかるようにして。私たちが答えた部分から説明しましょう」真帆は音声を別に保管し、記事の画面と掲載時刻を保存した。紗月は対応する回線を分けた。既存の顧客からの問い合わせは杏奈へ、取材の申し込みは自分へ回してもらう。「お客様には、予定どおり準備しているものを具体的に伝えて。大丈夫ですと言うだけじゃなく、今日お渡しするはずだったデザイン案から送って」予約を取り消したいと言うある花嫁は、費用より写真を心配していた。「相談の録音が記事に出たんですよね。私の写真まで、ああいうふうにはなりませんよね?」
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-10-13
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第124話 雨の向こうまで

「来てください。でも、私を家へ連れ戻すつもりなら……」「そのつもりはありません。会って、お話しするだけです」詩乃は工房の住所を確認して、電話を切った。紗月はまず、無事が確かめられたことを律に伝えた。家族に住所まで知らせるかどうかは、本人と改めて話すことにした。真帆が窓のブラインドを下ろした。正面玄関の前に、カメラを持った人が増えている。駐車場から出てきた社員に近づき、行く手をふさぐ姿もあった。「正面は難しそうです。地下の出口にも、2組います」蓮司は管理室に電話し、反対側の搬入口の通路を使えるか尋ねた。管理人が、退勤する車と重ならない時間を教えてくれた。来訪者の立ち入りはロビーまでとし、社員についてオフィスへ上がらせないようにするという。「そちらに車を回す。運転は俺がしようか?」「お願いします。先生も、ご一緒に。詩乃さん、ご家族からの連絡を怖がっているんです」蓮司は湊の迎えの時間を確かめ、紗月に携帯電話を見せた。真帆から、先に迎えに行って家で見ていられると、返事が届いたところだった。「真帆、大丈夫かしら。会社も忙しいのに」「杏奈さんと分担したそうだ。湊には、俺から話すよ」蓮司は幼稚園に迎えの変更を知らせ、息子と少し話した。どうしてパパが来ないのかと聞かれ、遅くなってごめんと謝り、寝る前には必ずまた電話すると約束した。紗月も、その時間を自分の携帯電話に入れた。律がノートパソコンを片づけた。蓮司は先に降り、車を移動させた。紗月は、真帆と杏奈に残りの仕事を振り分けた。午後に渡す約束だったデザイン案は予定どおり送り、外部への回答は、事実確認中だという1つの案内に統一した。杏奈が代表電話の横に、各担当の連絡先と新しい対応内容を貼った。「帰りに変な人がついてきたら、ひとりで対応しないで。まず管理室に連絡して、私にも知らせてね」「社長もですよ」真帆が傘を差し出した。「秩父って、思ったより遠いですから。着いたら連絡してください」地下で車に乗り込むと、カップホルダーに温かい柚子茶が置か
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第125話 逃げてきた花嫁

軒下で傘を閉じた。物干し綱には、藍色と淡い黄色の布が掛かっていた。ドアの内側で、掛け金を外す音がした。「一ノ瀬さん」詩乃の声は、電話のときよりかすれていた。半分だけドアを開け、紗月の後ろをうかがっている。車の前に立つ蓮司と律は、近づかなかった。「一緒に来た方たちは、外で待っています。弁護士の話が必要になったら呼びますね」「はい。どうぞ」詩乃がドアを開けた。それを待って、紗月も中へ入った。作業台には、濡れた布と乾いた布が分けて置かれていた。詩乃が慌てて椅子の上の糸を片づける。紗月はその横の、空いた椅子を引いた。「そのままで。私は、ここで大丈夫です」詩乃の爪の間には、青い染料が残っていた。隠そうとした手を、そのまま膝へ下ろした。「写真を見て、いらしたんですか?」「紹介資料に工房が載っていたんです。電話がつながって、よかった」「秘書に、削除してほしいと頼んだんですけど。会社の仕事と関係ない写真だと言われていたので」詩乃は少し笑いかけ、すぐに口元を戻した。「今日は、約束どおり伺うつもりで出たんです。でも、ショップへ向かう途中で、貴臣さんから連絡が来て。お昼の会食で何を話すのか、原稿を送ってきたんです」鞄から携帯電話を取り出し、電源を入れた。未読のメッセージが、次々に届く。見せてくれた原稿には、結婚後はグループの仕事を退き、家庭に専念するという一文があった。「私、一度も言っていません。それを、自分の口で読めって」紗月は画面を詩乃のほうへ戻した。「それで、こちらへ来たんですね」「1時間だけいたら、戻るつもりでした。でも、電話が鳴り続けて、切ってしまって。一ノ瀬さんの電話にも出なくて、すみません」「無事だとわかったので、それでいいんです」作業台の横には、詩乃の作りかけの服が掛かっていた。片方の袖は、まだ待ち針で留めただけだった。「あの服を着たかったんですか?」「はい。せめて披露宴の後半だけでも、と言ったんですけど。写真に残るから駄目だそうです」
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-10-14
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第126話 契約書の裏にあったもの

律は詩乃から預かった資料を、ページごとに分けた。建設子会社の買収検討書の横に、一族の財団の持分移転に関する合意書が並ぶ。紗月はまず、両方に繰り返し出てくる名前を確かめた。「ここです。私が結婚したら、この持分を渡すということですよね?」詩乃が空白の署名欄の上を指した。律は、作成日と当事者をもう一度確認した。「そのように書かれています。ただ、実際に締結されたのか、誰にどの義務が生じるのかは、さらに確認が必要です」「私には、もう全部終わったことだと言っていました。あとは私が式場に入るだけだって」「詩乃さんは署名していないんですね?」「はい。日付だけ確認しろと言われました」詩乃は携帯電話をテーブルへ置いた。さっきまでは、ファイルを開いた自分が悪いかのように周りをうかがっていた。今は指で行をたどり、条項の最後まで読んでいる。「生まれてくる子供のことまで。産むかどうか、聞かれたこともないのに」紗月は水のグラスを近くへ置いた。詩乃はつかんだだけで、口をつけなかった。「父に、この結婚が嫌だと言うなら、会社の人のお給料まで私が止めることになると言われました」「会社の取引と、詩乃さんが結婚を望んでいるかどうかは、分けて確認しましょう」律がペンを置いた。「今日、この資料をすべて理解しなければ断れない、というわけではありません。望んでいない結婚だということは、先に伝えていいんですよ」詩乃はグラスを置き、連絡先の一覧を開いた。黒瀬貴臣の名前の上で、指が止まる。「会ったら、また私が神経質だからだと言われます」「そのとき、どう答えたいか。先に書いてみませんか?」紗月は、両家が作った発表文の代わりに、白紙を差し出した。詩乃は短い一文を書きかけ、消した。言い訳ばかりが長くなる。「一ノ瀬さんは、何を言ってほしいですか?」「私が聞きたいことを書く必要はありません。さっき私に話してくださった言葉から、書いてみてください」詩乃は文の頭に『申し訳ありませんが』を付け、消した。「最後まで読む前に、遮
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第127話 この結婚は、おしまいです

水曜日の午後7時。約束の研修施設の会議室だった。蓮司は真帆に湊を頼み、寝る前にビデオ通話ができるよう時間を調整しておいた。貴臣は部屋に入るなり、詩乃の腕をつかもうとした。紗月が、2人の間へ椅子を動かした。「座ってお話しください」「詩乃、自分が何をしているかわかっているのか? 両家の前で、俺ひとりが恥をかいたんだぞ」詩乃は立ち上がらなかった。テーブルの下で、両手を握り合わせている。律が面談の目的と録音することを伝えると、貴臣はしぶしぶ向かいに座った。「親には俺からうまく話す。だから戻ってこい。ストレスで気が立っていたと言えばいい」詩乃はコートの内ポケットから、折った紙を出した。貴臣が取ろうとすると、自分のほうへ引き寄せた。「まず、私の話を聞いてください」「聞きに来ただろう。あと何をしてほしい? ドレスも、お前が選んだものに変えてやる」貴臣は携帯電話をつけ、ドレスの写真を探し始めた。詩乃は画面を見なかった。「どこか具合が悪いんじゃないかって、聞いてくれましたか?」「今、こうして元気に座っているじゃないか」「昨日、私が連絡を絶ったときのことです」貴臣の手が一瞬止まった。すぐに携帯電話を置き、脚を組んだ。「家中でお前を探した。それじゃ足りないのか?」「結婚式に間に合わなくなるから、探したんでしょう」紗月が、詩乃の前のグラスを少し脇へ寄せた。紙を広げる場所ができる。詩乃は書いてきた文を一度見て、顔を上げた。「この結婚は、しません」貴臣が短く笑った。「またそれか。発表の日程を変えるだけで、何人が動いていると思う?」「変更ではなく、取りやめるんです」「詩乃」貴臣が初めて声を落とした。言い聞かせるときの口調だと、詩乃にはわかった。「うちの父がお前の会社のために、どれだけ面倒を見てきたか。お前が嫁に来れば済むんだ。花や音楽のことで、人の仕事をなくすつもりか?」「花のせいではありません」「じゃあ、何が問題なんだ」
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第128話 嘘に吹く逆風

午後9時、紗月は律と警察署へ入った。先に送っておいた録音と記事の資料について、説明を補うためだった。詩乃も、自分の意思で連絡を絶ったのであり、無理に連れ去られたわけではないと伝えに来た。玄関の脇で待っていた記者が、紗月に気づいた。質問が重なる。「花嫁に姿を隠すよう勧めたというのは、本当ですか?」「5億円の賠償要求には、どう対応するおつもりですか?」紗月は律を見た。彼は提出用のファイルを持ち直し、長く答える必要はないと言った。詩乃が一歩、前へ出た。「私のことは、私が話します」紗月は詩乃を真ん中へ押し出したり、カメラのほうへ向けたりしなかった。詩乃が立ち止まった、その隣に並んだ。「一ノ瀬紗月さんに言われて、連絡を絶ったのではありません。式の準備で私の意見が受け入れられず、ひとりになる時間が必要でした」記者のひとりが工房の場所を尋ねた。律が、生活している場所に関する質問には答えないと伝えた。「それでは、結婚は予定どおりに?」「しません。今日、相手の方に、自分で意思を伝えました」詩乃は次の言葉の前に、ひと息ついた。「自分で決めたことなのに、誰かに言わされたことにしないでください」言い終えると、詩乃は下がった。紗月は、公開された音声の前後が切られていることだけを説明した。全体で7分40秒ある通話のうち、記事に載ったのは15秒だった。「準備を続けるかどうか、ご本人に直接確認すると伝えた、その後半が削られています。元の音声と記事の違いは、代理人を通してお伝えします。個人的なご相談を、すべて公開するつもりはありません」「編集したのは誰ですか?」律が答えた。「その点は、確認を依頼しました。今日、私たちが犯人を断定して発表する場ではありません」蓮司は玄関の内側で待っていた。紗月と目が合うと、入ってこられるよう道をあけた。呼びかけられても、妻の代わりには答えなかった。律は、提出する写しと返してもらう原本を分けてそろえた。担当者が連絡先を確かめる間、詩乃は椅子に座り、コートのボタンを外した。紗月も
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第129話 それぞれの場所へ

翌日の午後、真帆がキャンセル精算の一覧を持ってきた。黒瀬物産側がルミエールに求めた5億円と、実際の準備費用は、別々の欄に記されている。「企画の進行分と、確認できた実費は支払うそうです。こちらが求めた謝罪文は、文言を調整しています」「賠償請求を撤回することも、書面でもらって。入金されたから、ほかの問題まで終わるわけではないもの」紗月は、費用をひとつずつ確かめた。ショップの個別試着の時間、サンプルの花と運送費、外部スタッフの予約金。まだ発注していない本番の資材は含まれていない。「この照明機材は、見積もりだけよね?」「はい。設置もしていません」「では、実費請求からは外しましょう」真帆はその項目に線を引き、合計を出し直した。すでに働いた社員や外部スタッフの人件費も、抜けているところを見つけて足していく。「社長の分ばかり、外さないでください。夜の相談も、実際にした仕事です」「わかったわ。それは入れて」真帆はようやく電卓を置いた。精算表を刷り直す頃、詩乃が訪ねてきた。スーツではなく、ニットと動きやすいパンツ姿だった。それでも両手で紙袋を持つ姿は、まだ遠慮がちだ。「家から、荷物を少し持ってきました。会社にも辞める意思を伝えましたし。思ったより、やることが多いんですね」「少しは休めましたか?」「眠れました。起きたら、自分が何をしたのか、やっと実感が湧いてきて」詩乃が小さな箱を差し出した。中には、藍色のスカーフが2枚。紗月は手を洗ってから、布を広げた。縁の片側だけ、少し色が濃い。「模様が、どちらも違うんですね」「同じ染液に入れても、少しずつ違うんです。だから、並べて選びました。一ノ瀬さんと、桐生社長に」紗月はスカーフを首元へ当ててみた。鏡の代わりに、消えたモニターに映すと、詩乃が手を動かした。「逆に巻いてみてください。明るいほうを、顔の近くに」「こうですか?」「はい。そちらのほうが、お似合いです」自分の仕事の説明になると、詩乃の言葉が少し速くなった。紗月は結び目をゆる
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第130話 帳簿の陰

金曜の朝、紗月が開いたのは旅行鞄ではなく、キャンセルの精算表だった。真帆が赤く印をつけたのは、詩乃の式で押さえていた時間枠だ。「12月最後の土曜日の夜です。キャンセルの受け付け後、すぐにほかの業者が予約したそうです」「売れたこと自体が問題なのではないわ。こちらに請求された損失の内訳から比べましょう」ホテルは予約を空けておいた損失として、会場料の80%を求めていた。最終的な合意前に同じ枠で新たな契約が入ったのなら、精算の根拠を改めて尋ねる必要がある。紗月は元の契約のキャンセル条項と、ホテルから届いた計算表を並べた。「この日付を踏まえて、計算し直してもらって。支払い済みの分があれば、それも分けて」真帆が、さらに3枚の書類を出した。花、舞台、照明の協力業者から届いた準備費用だった。ホテルの精算表には入っているのに、業者側はまだ受け取っていないという。「こちらには支払う必要のある費用として載せたのに、業者には、中止になったから払えないと言っているそうです」「では、誰が請求して、誰が受け取り、支払うことになっているのか確認しないと」紗月は金額より先に、発注者の名前を見た。同じ費用が二重に載っているものも、どの契約に基づくかわからない見積もりも混じっていた。「森岡さんの分は、サンプル代と本番用の花の予約金を分けてもらって。実際に出た費用を確かめられるように」「ほかの業者にも、出し直してもらいます」担当者からのメッセージでは、日付が食い違っていた。一方はキャンセル通知を受けた日、もう一方は材料を注文した日だ。紗月は早いほうに丸をつけた。「先に注文してあったものは、中止しても費用がなくなるわけではないから。領収書をもらって、項目を分けて」「すぐホテルに抗議しますか?」「まずは比較表を送りましょう。同じ費用を別の名前で書いただけかもしれない」真帆が電話で確認する間に、紗月は明細の新郎新婦の個人情報を隠した。ほかの業者に見せるのは、費用の項目と日付だけだ。電話を切った真帆が、うなずいた。「ひとつはサンプル制作費だそうです。本番の発注
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