音声が途切れ、車内に一瞬、不自然な沈黙が落ちた。続いて聞こえてきたのは、顔が火照るような、生々しいリップ音。その吐き気を催す音がようやく静まると、紗和が甘えた声で文句を言った。「もう、やだー。口紅、ぜんぶ取れちゃったじゃない」浩輔が低く笑って、なだめる。「お前が甘すぎるのが悪い……何年経っても、苺の香りの口紅が好きなんだな」バンッ。千夜子は手にしていた箱を、助手席のシートに叩きつけた。何軒も洋菓子店を歩き回って、ようやく手に入れた苺のショートケーキだった。浩輔は昔から、物静かで自制の利く人だった。そんな彼が、苺の味や香りにだけは不思議なほどこだわった。彼らしくないその好みを、千夜子はずっと、ふたりだけが分かち合う秘めやかな愛らしさだと思っていた。彼自身が取り憑かれたように好むだけではない。贈ってくれるものも、決まって苺だった。苺のチョコレート、苺の香りのアロマ、苺のリップクリーム……今、すべてがわかった。浩輔は苺が好きだったのではない。ましてや、千夜子が好きだったわけでもない。ただ、苺の香りをまとった紗和を忘れられなかっただけ。あの贈り物は、千夜子に紗和の面影を重ね、別の女を懐かしむためのものにすぎなかった。千夜子自身もそうだ。「妻」というポジションを埋めるために、彼が丹念に選び抜いた、いちばん都合のいい道具。車内には、甘ったるい苺の香りが立ちこめていた。傷みかけたクリームの匂いが、そこに重なる。この瞬間まで、千夜子は疑いもしなかった。自分と浩輔は、運命の糸で結ばれたふたりなのだと。同じように留学を経験し、帰国後はともに楓川大学の教授を務める。研究では肩を並べ、暮らしでは呼吸が合い、誰もが羨む理想の夫婦。彼と初めて出会ったのは、留学先でのパーティーだった。あの夜の千夜子は、非の打ちどころのない微笑みを貼りつけ、次から次へと交わされる社交辞令をそつなくこなしていた。学業のこと、研究のこと、将来のこと。精巧に組み上げられた、完璧な人形のように。そこへ、彼が人波を縫って歩み寄り、静かに尋ねたのだ。「ここ数年、しんどかったんじゃない?」たったそれだけの言葉で、彼女が必死に築いてきた体裁は、あっけなく崩れ落ちた。あれは救いだと、愚かにも信じていた。けれど今なら思う。あれも、
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