東京都世田谷区、下北沢。ゼニトーン・レコードの代表室。律は、きれいに印刷された法人設立書類をテーブルへ置いた。窓の外から、街のにぎわいが流れ込んでいた。「相良代表」温かいコーヒーをひと口飲み、落ち着いた声で切り出す。「流通会社からの前払金と広告契約金、それに久世の株価下落を見越して買ったプットワラントの利益。合わせて1億5000万円を確保しました。全額出資します」『ゼニトーン・ミュージック』として法人化する。法律事務所が管理する投資会社に、株式の60%を取得させる。「最終受益者は私にしますが、対外的には当面、名前を伏せます」相良は出資契約書と口座残高を、何度も見比べた。2週間前には、差し押さえの予告が貼られた古いスタジオだった。今は澪の次の活動を準備し、新しい育成生を受け入れるための土台がある。「律君。名義を伏せても、帳簿は隠すなよ。代表は俺が引き受ける。音楽の最終判断は君だ。収支は本人たちにすべて開示する」法人の印が押された。律は受託投資会社を通じ、ゼニトーン・ミュージックの60%の実質的権利を確保し、統括プロデューサーに就いた。登記上の代表取締役である相良は、事業と契約を担う。相良が、宣伝費、練習室の賃料、スタッフの人件費を記した予算表を広げた。律は、まず費用を削ろうとはしなかった。代わりに、アーティストごとに売上と費用を分けて記録し、精算元帳を本人に開示するという条項を、最初の行へ入れた。「久世と違っていなければならないのは、音楽だけじゃありません」ドアの外で、その言葉を聞いた澪の足が止まった。ボーカルレッスンの時間を確認しに来て、偶然話が聞こえたのだ。精算元帳を本人へ開示する。アーティストごとに経費を分ける。誰かにとっては当たり前の文言かもしれない。澪には違った。育成生時代、会社はいつも「投資した分を返せ」とだけ言った。いくら使ったのかは、教えてくれなかった。律は、彼女のいないところでも同じ原則を口にしている。それがうれしかった。自分の前だけで、いい人のふりをしているのではないのだから。相良は黙って、その条項の横に丸をつけた。壁には、最近の非公開オーディションで選ばれた4人のプロフィールが並んでいた。大手のデビュー組から外された子や、契約の切れた育成生たちだ。律はシンセサイザーを起動し、外付
Last Updated : 2026-09-28 Read more