東京・世田谷区成城、鷹城家本邸の大広間。大きな螺鈿の円卓には、牛肉の煮込みや鮑の焼き物、季節の懐石料理が隙間なく並んでいた。だが、そこにあるのは団欒の温かさではない。肌を切るような緊張と、薄氷のような沈黙だった。拘置所へ送られた司が、保釈却下に逆上して自傷騒ぎを起こした。その報告を受け、美津子が鷹城家の親族役員を緊急招集したのである。上座には、青ざめた顔で箸を握る美津子。その周囲には、長年鷹城グループの恩恵を受けてきた叔父たちや一族が十数人、険しい目で座っている。視線は一斉に、下座の綾香へ向けられていた。淡い青磁色の着物に濃紺の帯を合わせた綾香は、棘の中に立つ花のように静かだった。「夫が拘置所で包帯巻いて暴れてるっていうのに、よく食事なんて喉を通るわね。この薄情者!」美津子が卓を叩く。親族役員の鷹城泰臣も箸を乱暴に置き、声を荒らげた。「明日の朝一番で裁判所へ嘆願書を出せ! 債権者の差押えも止めさせろ! 司が戻らなきゃ会社がもたないだろうが!」四方から浴びせられる罵声。以前なら綾香は、罪悪感に俯いていたはずだ。だが今、その瞳に揺らぎはない。「鷹城司さんがしたことは、本人が責任を負うことです。私が代わりに隠すつもりはありません。嘆願書も書きません」「何ですって!?」大広間が一気に騒がしくなる。綾香の正面には、『専属医』という立場で同席している白石遼真がいた。墨色の羽織を端正に着こなし、何事もないように茶を飲んでいる。昼間の、完璧に抑制された医師の顔。だが親族たちの怒声が頂点に達した、その瞬間。さらり――。厚いテーブルクロスの下で、遼真の足が綾香の足首へ触れた。足袋越しに、内くるぶしの近くを軽く撫でる。綾香の息が詰まった。それ以上は進まない。ただ、そこにいると伝えるような触れ方だった。綾香が逆に彼の足首へそっと触れる。眼鏡の奥の目が、一瞬だけ柔らかくなった。その時、泰臣が立ち上がった。「好き勝手できると思うなよ! お前を追い出して、漢方医学界の大物でメディケア・グローバルの実質オーナーでもある恵仁堂の跡取り、白石遼真会長と手を組む! あの方に株を渡してでも、お前を潰してやる!」遼真の指が止まった。茶器が、ことりと卓へ戻される。
Last Updated : 2026-10-05 Read more