「5000万の借金が消えるとは言えない」田代修一プロデューサーは、最初から線を引いた。港区の小さな地下のカフェ。一ノ瀬怜奈は、向かいに置かれた契約書より先に田代の顔を見た。笑ってはいる。けれど、目は笑っていなかった。「でも、ひとまず息はつけるようにしてやれる。出演料は1200万。契約と同時に800万を前払いする。前の事務所との債務の件は、制作会社の提携法律事務所が無料でついてくれる」怜奈の指先が止まった。前の事務所の社長に保証人にされたあげく、社長が姿を消して残った借金は5200万円。法廷で争ってはいたが、判決が出るまで取り立てが止まるわけではなかった。それより切迫しているのが、東京の病院に入院している10歳の弟、悠真だった。拡張型心筋症。移植の待機リストに載ってからは、毎月かかる費用だけで息が詰まりそうだった。田代が契約書の横に薄い紙を一枚滑らせた。正式な契約書ではない。【キャラクター運用ガイド】「君の役目は、恋のかき回し役だ。途中から入って場をかき乱して、先にいる女性メンバーを挑発する。男三人にも積極的に絡んでくれ」「どこまでが演出なんですか」「法律に触れることはさせない」「そういう話じゃなくて」怜奈は紙を手に取った。「私が嫌だと言ったことまでやらなきゃいけないのか。編集で言ってもいないことを言ったことにされるのか。家族の話を持ち出されるのか」田代の口元が、一瞬こわばった。怜奈はその短い変化を見逃さなかった。5年も端役を続けて学んだことがあるとすれば、カメラより先に人の顔を読むことだった。「契約書にないことはしません」「一ノ瀬」「お金に困っているんです。人生ごと差し出すつもりはありません」数秒後、田代が舌を鳴らした。「わかった。できるところまででいい。ただ、面白くなきゃ出番もなくなる。それはわかってるな?」怜奈は署名欄に目を落とした。1200万。一生を変えられる金額ではない。それでも悠真の医療費と滞納した利息を、数か月はしのげる。その数か月で、前の事務所との裁判にも結論が出るかもしれない。ペン先が紙に触れた。「もう一つ」「何だ」「前払いの分、今日振り込まれるんですよね?」田代が鼻で笑った。「入金を確認してから飛行機に乗れ。しぶといねえ」***撮影地は南太平洋ではなかった。沖縄本島の南の沖合、チャーター船
Zuletzt aktualisiert : 2026-10-09 Mehr lesen